第四章 17話 動く時
コン、コン、コン。
三回扉を叩く来客の知らせに、脳が正気へと目覚めていく。
身体中で騒いでいた血液がサッと引き、はち切れそうなほど膨れ上がった心が、落ち着きを取り戻そうと萎み出す。
だれ……?
いつの間にかスカーが傍に居なくなっていたことを知る。ならば、此処を訪れるのは、ただ一人。
──ケイラくん……?
瞬時に考えついた答えに、足音をバタバタと騒がせて扉の前へと走る。
取手に指先が触れる前にバクバクと脈動している心を鎮めて、先程の騒々しさはどこへやら、ゆっくりと取手を捻った。
「は、はーい! ケイラくんどうしたの?」
軋む音と同時に扉が開いた先で、待ち構えていた人は安の定ケイラくんだった。だけど、どこかいつもと違う雰囲気を纏っていた。
長いこと切っていなかったであろう重い前髪は、目にかからない長さに切り揃えられていた。顔周りがスッキリしたことにより、形のいい黒曜の瞳とバチリと視線が絡んだ。
「ケイラ、くん?」
「うん、そうだよ蒼空。もしかして寝ていた? 僕起こしちゃったよね、ごめんね」
「あ、大丈夫だよ! まだ起きていたから」
前髪だけでかなり印象が変わり、ケイラくんなのか一瞬見間違えて不安になったけど、声がケイラくんで間違いなかった。
いつもはよく交わる視線が珍しく彼の方から逸らされ、切り揃えた前髪を指で弄って気恥しそうな言動をしている。
「久しぶりに前髪を切ったんだけど、蒼空の隣いても変じゃない?」
「とってもかっこいいよケイラくん!!」
「そ、そう? そっか……よかった、えへへ。」
心のまま正直に伝えると、ケイラくんは頬をゆるゆると破笑した表情を浮かべる。
何故そんなこと聞かれたか分からないけど、私の方が隣にいてもいいのかと思うほどに今のケイラくんはとてもかっこいい。
元々重めな前髪は、小動物の毛並みを連想させるようで可愛いという印象だったけど、精悍としている眉毛がその前髪に隠されていて、可愛いという印象は覆された。
前髪に混ざっていた長い伏せ睫毛も表へと晒され、なんて罪深い前髪だったんだとおかしな方向に思考が行く。
日に日に感じていたが、ケイラくんはあまり拝めることの出来ない系統の美形だった。初めて出会った時私が抱いていた怖いという印象が、失礼だと今更思い過去の自分に怒れる。
「でも急にどうしたの? 前髪切っていたこともあるけど、ここを尋ねたのは私に何か用があったんだよね?」
「えっと、えっとね蒼空……。」
「落ち着いて、ゆっくりで大丈夫。ちゃんと聞いているよ」
口をまごまごと引き結んだケイラくんの様子に、なにか大事なことを伝えようとしているんだ。緊急事態だと、彼の言葉を待つ。
チラチラと私の視線を伺うケイラくんが、今から一世一代の告白でもする乙女のようにしか見えなくなってきた。
私もその覚悟で受け止める準備をして、今か今かと心の中で待機している。
「前髪を見せに来ただけって、言ったら怒る……?」
彼が口を開くのをじっと眺めて待っていた時、放たれた言葉に私はズコッと音を立てて転けそうになった。
ん? それだけ?
決して怒っている訳では無い。けど時間をかけて話す言葉が、前髪を見せに来ただけだと言うことに驚いているだけなんです。
「やっぱこれだけのことで会いに来るの迷惑だったよね? 待ってね、今から用事作るよ!!」
「よよよ用事作らなくても大丈夫だから!!! 全然迷惑じゃないし、ほら、まったく怒っていないよ?」
「! ほんと、ならよかった! あ、でも残念! せっかく一緒に居られる口実が作れそうだったのに……!」
「えっとぉ、それは一体……?」
「知りたい?」
「……」
前と雰囲気が変わったせいか、だんまりしてしまった。いつもは揶揄いといった感じなのに、今は妖しげでほんのわすがに身の危険を感じた、気がする。ケイラくんに限って、そんなことは無いと思うけど今回は控えさせてもらおう。深淵は覗くべきでは無い。
「ふふっ、取って食べるような事をする気はないよ! 今はね。あははっ可愛い」
「……ケイラくん前から思っていたけど、そんな簡単に人を褒めたら人によっては勘違いしちゃうよ」
「? よく分かんないや、蒼空だから全て正直に伝えているんだよ?」
今はって言葉が聞きたくなかったから、聞かなかったことにして。彼は私が言いたいことが伝わる気配はなかった。
わかったことがある。ケイラくんは、天性の人たらしだ!
この異世界だと違うのかな? 私の世界だったら今頃、ケイラくんはたくさんの女の子達に囲まれているんだろうな。簡単に想像できた。
「嗚呼、今の僕を蒼空が気に入ってくれてよかったよ。明日の為に張り切った甲斐が有った! 嗚呼!本当に楽しみだね!」
その言葉で思い出した。私まだ準備してなかった!
きっとケイラくんが訪れなかったら、あのまま浮かれた気持ちで眠っていたのだろう。危ない、危ない。
ケイラくんと別れたあと、即座に準備に取り組もうと心の内で誓う。
「それにさっきね、ちょうど熱が完治したよ! 急に寒気が消えて気分も昂ってきたんだ! もう元気元気!」
「ほんと!? よかった……!! ああ、でもまた熱が再発する可能性もあるから、この後しっかり安静にして寝るんだよ?」
「わかった!」
ケイラくんが私の右手を取り、自身の額に私の右手を当て熱の温度を確認して欲しいと強請る。ケイラくんの額から感じられる体温は、熱の時のように溶けてしまいそうな熱さではなく、ぬるま湯ほどで彼の言葉通り熱は引いたようだった。
それでも、熱は治まったかと思った時に再び現れるから、彼にしっかり休眠を摂ることを念に押した。
思い返せば私も、昨日はかなりの時間雨に打たれたというのに、幸い風邪を引かなかった。
ケイラくんは明日をあんなにも楽しみにしているから、台無しにならなくて安心する。
よかった……! 私まで風邪を引くところだった。
私も明日のために今日は大人しくもう寝よう。
そして解散といった流れになると思いきや、長い沈黙が続く。
「??? ケイラくん、部屋に戻らないの?」
「えー、蒼空冷たーい! せっかくだし、このまま此処に居座る口実を続行してもいい?」
「ううん、ダメに決まっているよ? ケイラくん、今更だけどね深夜なんだよ。明日外に出かけるんだし早く寝よう?」
「だって〜、明日のこと楽しみにしていると興奮で寝れない! だから、僕、蒼空の読み聞かせが聞きたいな!」
チラッと私を見つめるケイラくんに、またしても速やかなご退場は望めなかった。いつの間にかケイラくんの両手には絵本を持っていて、読み聞かせをせざるを得ない。
「……ふふっ、わかった一冊だけだよ?」
「ありがとう! 明日楽しみだね蒼空!」
まぁでも、好きな事だから苦でもなく。自身の口角も緩んでることに気づかない私は、あくまでしぶしぶ折れたという風潮でケイラくんを部屋に招いたのであった。
あの後約束通り一冊読み終わえると、ケイラくんはすんなりと自室に戻っていった。その頃には夜は更に深まり、急いで私は明日の準備と寝る支度を終わらせる。
私も心の奥底では楽しみで、遠足気分で眠れない。今回は夢を見ず寝ている感覚はなくて、あっという間に時が経った。
***
今日は眠りが浅いと思っていたけど、朝はとうに過ぎて昼間に私達は目を覚まし、のどかな時間を過ごしていた。
こんなにのんびりしていてもいいのだろうか……、学校で早寝早起きしていた時代が懐かしい。
零れそうな欠伸を噛み殺しながら、目を擦る。隣で私が作った朝食と呼ぶには怪しい食事を頬張るケイラくんは、あまり眠そうではなく元気で羨ましい限りだ。眠った時間は同じだと思っていたんだけど、おかしいな。
「蒼空ありがとう! ご馳走様でした!」
「ふふ、お粗末さまでした」
ケイラくんは手と手を合わせて、満腹なのか輝くような笑顔でそう言われると、作った身としても嬉しくなる。
私の国の風習が移ったのか、最近のケイラくんはこんな感じで心が和んでいく。
ケイラくんは立ち上がり、お皿を洗いに移動する。彼はお礼と言って、ご飯を食べ終えると彼がいつも洗い物を率先してやってくれるのでとても助かっているのだ。
私はボーと、お皿を洗う彼の後ろ姿をながめていると少しの違和感が湧く。
「……ケイラくん、身長伸びた?」
「ん? 身長?」
ケイラくんはあっという間にお皿を洗い終えたのか、手を洗ったあと私の側へ寄る。
私も支度をするために立ち上がると、彼と目線を測り真実を確かめる。
「ほんとだ、ほんとだー! 蒼空小さい!」
「少ししか、差がないからね!?」
同じくらいだったケイラくんに、ほんの僅かに見下ろされ驚く。私の身長は至って普通な160cmほどで、ケイラくんも同じくらいだったのに、見た感じあっという間に5cmほど伸びている気がする。一日で5cmも伸びるの!? 驚きはしたものの、そんな現象も異世界なので直ぐに受け慣れてしまった。
キャッキャと喜ぶケイラくんには悪いが、同じ目線だったケイラくんが高くなってしまい非常に残念だ。
そんなムクれる私の頭に、重みが乗る。
「あは〜、小さい! これからいっぱい甘やかしてあげられるね」
独り何か呟いたケイラくんは、優しく私の頭上を撫で付ける。その右手が心地よくて、猫になった気分だ。でもつむじをなぞるのやめてね、擽ったいから。
心做しか身長だけではなく、顔が大人びているような……。多分、雰囲気に乗せられてるだけだよね?
「ケイラくん、もう外行こう? 日が暮れちゃったら大変だよ?」
しばらく流されるまま、頭を撫で付けられ眠気が襲ってきた。それに対し危機感を感じ、耐えきれなくなったのは私だった。
一番の要件である、街へ出かけることを忘れてしまいそうな勢いだった為、昨日二人して楽しみにしてたのに、行けないなんて悲しいことを起こしたくない。
「嗚呼、そうだった! 待っててね、すぐに支度を整えるよ」
そそくさにケイラくんが居室を去ったが、宣言通りすぐ戻ってきた。茶色ベースのフード付きコートに、いつも身につけていたカバンを装備し、他にも右手に何か握って戻ってきた。
結局私は、昨日あまり準備する事が特になかった。
外へ出かけるというのに、着ていく服はなかった。元着ていた私の世界の服装でもよかったけど、異世界では悪目立ちがしそうでケイラくんに懇願して服を貸してもらった。大きめのシャツに動きやすい短パンと、長時間の移動も可能で準備は万端だ!
ケイラくんはカバンに黒い光石を入れて私に向き直る。
「蒼空、そこを動かないでね」
「え、わかった……?」
ケイラくんは私の横髪にそっと触れて、パチッと音と共に髪に少しの重さが乗る。彼が微笑んだのを合図に、ケイラくんは私の傍を離れていく。
これは……?
「よく似合ってるよ、蒼空。それは蒼空への贈り物、お守りだと思ってね!」
「あ、りがとう! ケイラくん!」
ヘアアクセりーだろうか? 今この場に鏡がないことは残念だけど、ケイラくんがそう言ってくれるなら不相想では無いのだろうと安心する。
それに、贈り物と彼の気持ちがとても喜ばしい。彼の言う通りお守りだと思い大切にしよう!
「蒼空。ほら、僕の手を取って? さぁ、行こうか」
ケイラくんもずるいなぁ、こういう所は二人ともよく似ている。断るはずもないのにわざわざそんな言い方をして、なんだか照れくさくなる。
流石異世界……。エスコートというのか、ケイラくんは私と手を繋いで隣り合わせで歩くことが必ずだった。
そしてついに、この森から一時的でも外へ出られる。街には何があるのだろうかと、不安と期待を抱えて扉の先へ足を踏み入れるのだった。




