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第三章 10話 幻の夢

 暖炉の炎が辺りを微かに照らし、蝋燭の灯りが私達を見つめている。

 薄暗い夕色の居室に交じる、クラっと目が眩むほど重く温かい空間に、彼のヒヤリとした冷たい指が私の目元をなぞり熱に熔けていく。


「蒼空、隈が出来てるね。眠れていないの?」


 憐れむように目元を伏せたケイラくんの表情を最後に、大きな手が私の視界を優しく覆って塞がれる。視力を失なったせいか、彼の声を私の聴力は啓明に聞き取ろうと言葉を拾った。


「やっぱり影が、蒼空を苦しませたんだね」


 声を発そうとしても、私の目を塞ぐ左手とは反対の空いている手の人差し指が私の唇を閉ざす。


「しぃー、蒼空はただ聞いていて」


 優しく咎めるケイラくんに反論しようものなら、少し唇を動かせば彼の指が当たってしまいそうで動けない。

 彼の呼吸音すら聞こえそうなほど、とても近くから声が聞こえる。目を開いたら彼の顔が間近にありそうだ。


「……、僕、決めたよ。僕にとって蒼空はたった一人の家族だ」

「暗い暗い森を歩く必要はもうない。夜は二人で一緒に起きていよう」

「眠気にはもう負けないし、影だって蒼空に手を出すなら怖くない」


「ずっと森に籠っていたけど、森は僕らの味方をしてくれないなら外に出たっていいよ」

「もう神の力に頼っても、僕の呪いは解けないんだから。神なんかよりも、蒼空が僕に温もりを与えてくれるだけで幸せなんだ」


「──僕、強くなるよ。蒼空とずっと一緒に居るために」


 夢物語を語るように上の空なケイラくんに、声をかけた所で届くのだろうか。突き入る隙すらなかったから、否定も肯定も私は出来ていない。

 唯、彼は独りでに誓っているだけだ。それではダメだと、私に閉口をさせていた彼の指を退けよと彼の手首を掴み逸らす。


「ケイラく、」

「何も言わないで」


 私の言葉を被る彼の声に、ピタと吐きかけた言葉が引っ込む。それに私の視界を奪う彼の左手を退けようとしたが、私の片手は宙に固まる。

 彼の左手を退けて、彼の顔を見れる勇気が今の私には無い。張り詰めた声で彼はどんな表情を描いているのだろうか。


「そう、そうお願い。何も言わないで受け入れて」

「苦しいことも痛いことも何も無い。ただ幸せに一緒に居たいんだ」


 ──僕の命は長くないから。


 あ、

 私は宙に浮かんでいた右手で、彼の左手を優しく包んだ。

 そっと視界を塞ぐ彼の手を退けると、涙に濡れる黒曜石と交わる。瞳が重なり合うと、彼は更に切なそうに浮かべた哀を、瞼を閉ざして隠す。


「苦しいんだ。呪いが。」

「普通に戻ろうと神に祈っても、呪いは相反して複雑に心臓に絡まるだけだ」

「だけど、蒼空と一緒に居る時は心が楽になって、日常を取り戻せるんだよ」


 同じだ、と思った。私も普通に戻ろうと花の命を削った。それは元の世界に帰って日常を取り戻すために必要不可欠なこと。

 私にとってその行為は、ケイラくんにとって私の存在と同じなんだ。


「僕は蒼空が消えちゃう方が呪いよりも、とても苦しい!」


 私も、元の世界に帰る道が閉ざされてしまったら苦しい。


 ──本当に?




 元の世界の記憶は何も無い。ただ最近になってやっと帰る家を思い出しただけだ。

 そこには、ケイラくんと過ごした日々よりも大切な思い出があった?

 その家に帰っても両親は居ないけど、ここには帰ればケイラくんが居る。

 幼じみの家族の名前も顔も思い出も分からないのに、空っぽの記憶のまま元の世界に帰ってもいつも通りの日常が送れるの?


 あぁ、これは心の奥で思っていた私の疑念だ。

 形だけで元の世界に帰りたいと思っていたけど、記憶が無い私は何故帰ることに執着しているのか分からない。

 ただ、帰る家なのだから戻らなくてはならないと、帰還本能なのではないか?

 思い出せないならこの異世界で新しい人生も歩んではダメなの? ケイラくんを独りに出来るほど、私は冷徹無情な人間ではない。

 それに、暮らしていく日々でケイラくんのことは、新しい家族のように大切だ。


 ケイラくんとスカーは、まるで天使と悪魔のようで、私の弱い心は揺れて揺らぎどちらにも傾く。

 選択とは難しいものだ、一度決めたと思えばすぐ傾いては迷う。私が意思が弱い強情な人間だからなのか、一つに絞って選ぶことは出来なかった。

 私は何をしたいんだろうか。自分ですら分からなくなる。


 自分自身を見失いそうになっていたところ、突然腕が重くなって下に引っ張られる。

 自身の腕の先に目が向かうとケイラくんがくったり座り込んでいた。


「あれ、あれ? おかしいなまた眠気が……」


 うとうとと、瞼を重く伏せながらもケイラくんは首を横に振った。

 ケイラくんの体温はとても熱くなっていて、呼吸が荒々しく段々と息が上がっている。


「いやだ、蒼空眠りたくないよ。一緒に起きていたいよ」

「蒼空行かないで……」


 私の背中を強く抱き締めるケイラくんを、落ち着かせようと彼の背を優しく、そしてリズム良く叩く。

 彼は本当に眠りたくないようで、私の背中に爪を立て眠気に抗おうとするが、私も自分の気持ちを落ち着かせたいためケイラくんを眠りへと誘う。

 ここに居るよ、なんて言えないのは私の迷いのせいだ。

 苦しげに眠りを拒否するケイラくんだが、しばらくすると電池が切れたように彼の体重が私に伸し掛る。

 ケイラくんの額に右手を当てると、熱がこちらにも移りそうなほど思った以上に高い。

 落ち着かない私の心は一旦他所に、浮ついたまま思考を回し、ケイラくんにベットに横たわらせて布団をかける。

 そして私の事を抱きしめる、細身の割に骨ばった腕からそっと脱出した。冷えたタオルを準備しようとケイラくんを一瞥したあと、彼の部屋を抜け出した。




 一度部屋に戻りケイラくんの額に冷たいタオルを乗せて、また逃げるように彼の部屋をそそくさに去る。

 すっかり話し込んで冷めきったフルーツティーを飲む気力も無く、居室に置いたままだ。

 そうしてやっと自分の部屋に帰ってきて、蝋燭の火を灯さず暗い部屋の中ベットに潜り込む。

 精神的疲労感に、もう体は起こせそうにない。無音な部屋の中、思考の渦に再び溺れてしまうのだ。


 嗚呼、スカーに出会わなければ、私はあのままケイラくんと一緒に暮らしていたのだろうか。それともスカーと先に出会っていたら私は元の世界に帰るため意志を変えなかった?

 何故選択肢は、二つあるの? 一つしかなかったらそれしか選べなかったのに。

 スカーは私に正解の道を教えてくれた。けど、ケイラくんは私に傍に居て欲しいと望んだ。

 あぁ、私も強くなりたい。意思を委ねてしまうのではなく、自分の芯を曲げないようなそんな人間に。

 祈りに瞳を閉ざして、何度も夢へ逃げてしまうのだ。眠りだけは、どうか穏やかで。



 ***


 

 太陽の夢を最後に、私はあれから夢を見なかった。

 いつも起きては暗い朝が訪れて、眠りは終わっていた。

 だから、寝るという感覚は時を飛ばすだけの段取りだと考えていた。そして思考から逃げる手段だと。


 でも、今回の眠りはとても長いようで私は夢を見ていた。

 それも過去の記憶の一部だろう。この場所は……、そうだ小学校の図書館だ。

 夢を見ているのに、頭が痛み過去を思い出していく。あぁ、また夢はこうやって私の心を揺らすのだな。


 この時は、部活の幼じみの帰りを待つために学校の図書館に居残って本を読んでいたんだ。

 日は落ちかけていて、窓際で差し込む夕暮れの淡い光に染まるページを捲っては、声を出して読んでいる。それは誰かに向けている訳ではなく、自分宛に読み聞かせをしていた。

 私は、絵本が好きだった。母が幼い私に読み聞かせをして寝付けさせてくれた事が心地よい記憶として、僅かな両親との思い出として私の中に残っていたから。

 だから私は母を想像して、真似て、絵本を読み聞きすることが趣味となっていた。一度、幼なじみに読み聞かせした事はあったけど、いつの間にか幼なじみは眠っていて、最後までページを捲ることはなかったけど。

 絵本を読み過ぎて、学校の絵本の位置は全て把握してしまったんだっけ。

 何度も同じ絵本を読むのも好きだったけど、始めて読む絵本には毎度心を踊らされた。自分で絵本を作ってみたいとも思って、ノートに絵本とは呼べない落書きをしたのも懐かしい。

 物語を作ることはまだまだだけれど。おかげで絵を描く技術が身につき成長した。


 そんな事を思っていると、幼い私がノートと青いクレヨンを取り出した。

 私は両親がつけてくれた自分の名前が好きだ。青い空を見るといつも明るくなり、元気に外へ幼なじみと駆けていっていた。

 故に青いクレヨンを持ち歩いて、気分が沈む度に自分だけの蒼天をノートに描いた。たったそれだけで、幼い私は嫌なことを忘れられた。

 今の幼い私に何かあったのだろうか、幼ない私の視線を追うと窓の外へ向いていた。

 部活の終わり頃なのか、校庭で走り回っていた子供達は、迎えに来た家族の元へ駆け寄っていく。

 そうか、この頃の私はまだ幼かったな。それもそうだ、まだ心は成長していない。

 自分の事なのに、客観的に自分の心情を分析しているなんて笑えてしまう。

 だけど、今の私が大丈夫なように幼い私もいずれ立ち直る。寂しくなくなる。

 傍には温かい人達が居てくれたから。


 夢だからか、記憶は無いのに謎の確信に溢れる。

 そろそろ幼い私にも迎えが来る時だ。


 ──ガラッ


 嗚呼、ほら。噂をしたらなんとやら。

 きっと幼なじみ達が来たんだろう。


 私が開いた扉へ目を向ける前に、無情にも視界はシャットアウトした。

 夢は最後まで思い出せてはくれないようだ。




 でも、夢は終わってなどくれなかった。

 次はどんな夢なのか身構えながらも、いい夢だといいなと期待を抱く。


 場所は代わり、太陽光が当って生き生きとした緑に覆われている。私はとある木の影に立っていた。

 夢なのにそよ風が私の髪を撫でて、澄んだ空気に息を吸う。

 なんて神聖な自然なのだろうか。空気がとても美味しいと錯覚まで起こる。

 私達が居る森と違って太陽が主役のように輝き、植物達は太陽に際立てるよう道を開けて、風に吹かれて踊り歓迎している。

 だけど今の私には太陽が眩しすぎて、木の影にさらに身を潜めた。


 予感がする。これはいい夢ではない。

 ──私を彷徨わせる迷宮だと。


 あぁ、早く目を覚まさないと。

 眠りに逃げたはいいけど、次は夢からの逃走の開始だ。

 急がないと始まってしまう、私にとってよくない出来事が。


「ケイラ様、ここに居られましたか」


 その声に引き返そうとした踵を止めて、目線だけ声の方向へ向けた。

 鎧を纏った騎士のような男性が私の方へ視線を向ける。正確には私より少し前の下の方向へ。

 私も体の向きを戻して見下ろすと、瞳を閉じた少年が居た。

 その少年は残酷だと思えるくらい、見覚えがあった。先程男性が発した名前も。


 今より更に幼さを残した眉目秀麗な顔つきは、見間違えることはないだろう。

 だけど()が違うのだ。

 それは、かつて夢で見た太陽と同じ。


 手で掬うとサラサラと音を立てながら零れていきそうな、絹のような白金の髪を持つ少年(・・)

 暗い森に馴染むケイラくんとは違い、その少年は陽光を浴びて生き生きとしている緑に囲まれて、のんびりと昼寝を嗜んでいたようだった。


 声をかけられ目が覚ましたのかその少年が見開くと、私は息が止まる。

 陽光のような輝きが眩しくて、目を逸らしてしまうほどの眼光を放つ、ペリドットを埋め込まれた瞳。


「はぁ、せっかく気持ちよく寝ていたのにね。」

「すみません……。」

「んー、ん。まぁいいや、どうせ父様達が僕を呼んでいるんだよね。」

「さぁ、行こうか。もうすぐ花陽祭だからその準備でしょ?」


 太陽の祝福を一身に受けたような少年が立ち上がり去ろうとする。それが不思議と名惜しくなり、私は未だ夢に留まろうとしていた。

 少年に視線を送っていると、その思いが届いたのか、少年は振り返る。うろうろと目を彷徨わせてバチりと目が合った、気がした。だけど、後ろから突然私を呼ぶ声が聞こえると、少年はふいっと視線が外れ、背中を向けて去っていった。

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