第二章 8話 花の命
また一つの命が容易に燃え尽きた。
「これは教育だよ。今は元の世界の帰り方を教えてあげているんだ」
「ちゃんと聞かなきゃダメだろ、聖女サマ」
──これが、私が求めていた答えなの?
「嗚呼、それが答えだ。そして、これが方式だ」
「もう一度教えてあげないと分からない?」
「ここには花も、草も、木も、たくさんあるから望むなら何度だって教えてあげるよ」
スカーは私達を囲っている木々に手をかけた。
作業をするかのように何も宿していない視線で、機械のように無情に行動を続けようと動き出す。
木の一部が、灰色へと変色し始めた時、咄嗟に私は静止を叫んだ。
「出来るから! 逃げないで、ちゃんとやるから!」
そう伝えると、彼はほくそ笑み、温度が灯ってなかった瞳は赤く紅潮に染まる。
「嗚呼、きっと聖女サマは出来るよ。絶対に」
「さぁ、オレの言う通りにやってみて?」
泉の前まで足を運び視線を彷徨かせる。いざ、やろうとしても何からやればいいか分からない、あの現象だ。
迷いに揺れる視界に遮るように蛍が過って、眼球は擦るように蛍の後を追いかけていく。
蛍が止まったのは泉に浮かぶ小さな蕾。
その花の特徴は蕾を守ろうとする大きな円形の葉、光を浴びようと首長に伸びた葉柄。そして、丸みを帯びた白い蕾。
まだ花が咲く前の状態であり、この蕾は時間の経過とともに成長し美しい花を開花させるのだろうと目に見えている。
だけど私にとっては、見つけてしまった。という負い目に、咄嗟に蕾を視界から外したとしても、それをスカーは見逃さなかった。
「いい花を選んだね、聖女サマ」
「スカー違うの! この花じゃない。もっと、もっと別の花を」
辺りを見渡すが、すぐ視線は泉へ俯く。水面に映る私は、眉を下げて私に訴えかける瞳はとても苦しそうで、今の私の心情を教えてくれていた。
何故なら、どの花も穢してはいけないほど美しかったのだ。水面に反射して揺れる花は、泣いているようだと思えてくる。
「なら、どの花がいい? 花が嫌なら、この草でもいいよ」
「……!? ダメ!」
スカーが差し出したのはフェアルーだった。
私は反射的にスカーの手を跳ねのけたが、反動でフェアルーが地面に投げ出された。そこまでする気はなくて、ただスカーの提案を断ろうとしただけだった。
でも地面へ捨てられたフェアルーは刹那、形が崩れていき灰となった。
「この草もダメか。なら何がいいんだ?」
「……。」
「はぁ、ならオレが決めてあげるよ」
横からスカーの左手が伸びてきて呆気を取られている私に気を止めず、私の左手を自分の手のように動かし始めた。
掴まされたのは先程の蕾だった。
プチっと茎を折り、私の掌に蕾を乗せた。
スカーが囁いた言葉に、私の意志とは関係なく口を開き復唱するように言葉を紡ぐ。
「──シ、アード」
その言葉を全て唱えた時。ふつふつと血が沸き立ち、指先に熱が溜まっていく。
「なに!? いや……、怖い! スカー、離して!」
「ダメ。あと、もう少し……」
沸騰したように熱くなる指先が怖くなって、蕾から手を離そうとしてもスカーの左手が離させてはくれない。
だけど、反対に触れている蕾は痛覚を覚えるほど、氷のような冷たさが感じとれた。
熱さと冷たさで指先の感覚が分からなくなろうとしたところ、手元が突然が軽くなったことに驚く。自然と掌に目が向き、そこには私の手に寄りかかるように、可愛らしい蕾が、以前とは見間違えるほどに萎れて倒れていた。
感情の名前は分からないけど私は何かに呑まれて、全身の時が止まったようにただそれを眺めていた。
しかしずっと眺めることすら許されなく、視界を遮るようスカーの指先が蒼空からそれを奪い取った。
「完全に枯れているな」
それを摘みながら、静寂に満ちた森の中にスカーの笑い声がよく響いて聞こえてくる。
その静けさが私を責め立てているようで、幻想に満ちていた森中が恐ろしく見えた。
スカーは追い討ちをかけるように、蒼空に嗾けた。
「よく出来ました。善い子だ」
「善い子……」
頭にポンと、柔らかく手を置かれた。
私は悪いことをしたはずなのに褒められて、優しくされて、頭がおかしくなりそうだ。
異常な光景に、また今すぐ何処かへ逃げ出したいって気持ちに囚われる。これが彼の言う、私の悪い所なのだろう。
「逃げたいなら逃げればいい。けど、帰りたいならやるしかないんだよ聖女サマ」
クツクツと喉奥で鳴らすスカーは、私の髪を優しく撫でつける。
嗚呼、見透かされている。スカーは私のことを全て理解しているようだ。
「ねぇ、スカー。他に方法は無かったの」
何度目か分からないほど、この質問を何回もした気がする。方法を知っているのは全てスカーなのに。
でも、これ以外に他に方法があったとしてもきっとそれは楽な道では無いのだろう。
「聖女サマは、お花を枯らすことよりも人を殺す方が好き?」
思った通りの回答。だけど思ていたよりも殺伐とした答えに、全力で首を横に振った。
その方法は冗談ではなく、本気だ。聖女を辞めるにはそれほどのことをやらなければいけないのか。
ああ、人と花の命を比べてしまうなんて、私は愚かな人だったんだな。
「……、そこまで自分を卑下するな」
「でも、私は人の命の方が重いと思った」
「それは、当たり前だよ。人間は生きているんだ」
それはまるで、花は元から死んでいると言っているようだ。花だって精一杯生きているのに。
でも私がそんなことを考えるのは、とても不相応だ。
「クソッ……。オレは聖女サマを助けたいだけで、苦しませたい訳では無い」
「でも、聖女という役を捨てるには、神への反逆を行わないといけない。それは簡単なことで無いのは、聖女サマも理解してくれているだろ?」
いつの間にか目の縁から零れる涙を、スカーは指で丁寧に掬いとる。その触れ方はとても優しく、一粒、また一粒と溢れる雫の根元を柔らかく撫でる。
「オレは影だ。人間では無い。だからオレの行為がお前を苦しませ、それをオレが悦ぶ時もある」
「だから何を信じたらいいか、分からないだろう」
「お前の心が救われるなら、オレを憎め。お前がそれをしないといけない理由は、全てオレの所為だ。分かったな?」
スカーは私が泣き止むまで、私に呪いを唱え続けた。
その呪いに、私は残酷ながらも一時の安息が訪れる。
「スカー、これが正解の道なの?」
「嗚呼。これが、お前が元の世界に帰るための正しい道だよ」
平凡な少女は、自分に寄り添う影に身を委ねた。
──今だけは、その言葉に妄信的に従おう。信じる心を失ってしまったら、途方に暮れるだろうから。
✤✤✤
オレに寄りかかる小さな生き物を観察する。
脳が処理をし切れなかったのか、事切れたようにふつりと意識を失った蒼空。
蒼空のおでこに左手を当てると、生暖かい温度が冷たいスカーの左手に移る。幸い熱は無いようだ。
これも、逃げ癖の一つだろうか。全て投げ出して眠れるなんて、いいご身分な事だな。
ここからが面白いと所なのに、お陰様でお預けだ。
仕方がない、ここに放っておく訳にも行かないしオレが送ってやるしかないか。全く世話が焼けるな。
そんな皮肉的な思考をしているが、少女に送る視線は暖かった。
「だけど、どうしたものか……」
スカーを悩ませているのは、どう少女を送るかではなく別の問題だ。
蒼空から感じ取れる微かな違和感に、眉間に皺を寄せる。
出会った時はまだ聖力は未覚醒で、これほど強力ではなかったはずだ。
それも、全てあの果実の所為だろう。まさか一日で裏切られるとは、躾がいがある。
完全にお前を手中に収められていない証拠だな。次はオレがしっかり手綱を握っていなければ、どちらにとっても都合が悪いだろう。
聖女サマも、あいつも、オレの管理不足だった。
「だけどあいつはまだ、ウルの実に固執していたとは……」
瞳孔が縦に開いた右眼で、冷えた声でスカーは一人嗤う。だけど、もう片方の眼は深淵を暗くするばかりだ。
どう足掻いたって、あいつは聖力に蝕まれるだけなのによくやるものだ。一人で光に馴染むことすら叶わないのに、太陽にまだ焦がれるか。
影が独り歩きしている今、無理に呪いを解こうとする方が毒となるのに、人間とは愚者揃いなのか?
早く、その身体の主導権をオレに渡した方が楽になれると知っているのに。
速やかにウルの実を枯らす必要があるが、腐ってもあそこは聖域だ。潜り込むにはあと少し力が足りない。
──そのためには、お前の光が必要だ。蒼空。
さらりと流れる前髪を手で除けて、赤く腫らしている目元を指の関節で柔く触れて一撫する。
眠っている少女は、すぅと息を吸って吐いて穏やかな表情を浮かべる。
そんな少女にスカーは、邪念を思い浮かべているなんて知らないだろう。
さて、オレ達の計画に害を及ぼすウルの実を、聖女サマは美味しく召し上がってしまった。
嗚呼困ったな、
「吐かせるか?」
目元に置いていた手が下へ降りていき、口角に指を当てた。
口を開かせようと力を入れかけた時、ピタリと動きが止まる。
額を押さえ、ゲッソリとした顔で溜め息をひとつ。
「もう潮時か。少し長居し過ぎたにせよ、気づくのが早いな」
「今頃あいつは、廊下を彷徨っているだろう。夢現にしろ、起きたら困るな」
──はぁ。ここでお開きだ、消えろ──
腕の中に少女を抱えて踵を返し、真っ直ぐ暗闇の中で歩みを進めた。
その合図で、光源の蛍が姿を晦まし森の色彩が黒一色に染まる。底が見えない泉に、一つの萎れた小さな蕾だけが水の上にぽつりと浮かんでいた。




