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雪に埋もれた身体は、不思議と冷たさを感じなかった。感覚が麻痺しているのだろう。海の中にいる錯覚すら覚えるほどだ。時おり揺らめく波が、アルフォンスの全身をなでていく。左の掌にわずかに感じるのは同胞の涙だろうか。
──バカヤロウ、泣いてる暇なんてあるか。
思いがアルフォンスの唇から紡がれることはない。血のあふれ出た唇が、かすかに震えるだけだ。
海鳴りが一層強くなる。薄れてゆく意識の中、アルフォンスの脳裏をよぎったのはシエラ・ユグドラシルだった。
アルフォンスに生きることを説いた女は、遠い昔にこの世を去った。
──生きなさい、人殺し。
彼女が死んだとき、その言葉について悩む必要はなくなった。アルフォンスの中で、神官シエラ・ユグドラシルの言葉は信仰と化した。メイジスの教えでもフェシスの教えでもなく、ただ一人の人間としてシエラが発した言葉が、信仰になった。シエラが亡くなってから、十年以上が過ぎたはずだ。それなのに夢か現か知れぬ長い一瞬に、彼女に幾度も悪態をついたような気がする。左目の傷跡がちりちりと痛むのは、シエラと出会ったときのことを思い出すからだろうか。波に揺れながら海へと沈んでいった左目は、いったいどんな景色を見ただろう。
アルフォンスは笑った。半分雪に埋もれながら、右の拳を天に向けて突き出す。血に濡れた己の拳は、随分と遠い空にまで届くように思えた。北方都市ハルシアナ特有の冷たい空気が頬を刺す。
──俺は生きることが、できただろうか?
力を失ったアルフォンスの右腕が雪の中に落ちた。肌の色も見えぬほど全身赤に染まった男の顔は、笑っているようにも、わずかに悲しんでいるようにも見えた。
アルフォンスの最期を看取った兵士たちが次々と立ち上がり、片時も離さなかった銃を構えて雪原を走り出す。砲弾が頭上を飛び交う。砲弾に直撃した兵士たちが宙を舞った。戦場にいくつも、銃声と怒声と悲鳴がわきあがった。
< 了 >