件名: [006] 【広告】ライフアーク製薬協賛:アンプル搬入護衛募集中(冷却スキル扱える方優遇)
『風は記憶を彼方へと運び、砂はその名を地の底へと埋める。それでも、彼らが残した足跡の重みだけは消せなかった』
乾いた風が長っ鼻の先を撫で、舌に砂がザラリと触れる。鉄は陽に焼けて鈍く匂い、ひび割れた地面の上では陽炎がゆらゆらと立ちのぼっていた。遠くでは砂煙が舞い上がり、街の門前には錆びた掲示板が打ち捨てられ、そこには「検疫所→提携:ライフアーク製薬」との消えかけの印字があるのです。焦げた肉の匂いを風が巻き上げて吹くたび、翼を模した奇妙な社章の印字がカラカラと剥がれかけておりました。
「船と列車という名の鉄の箱を乗り継ぎ、国境を越えてから二週間。それにしても……砂の世界というものは、こうも風情がないものなのですね」
禁足地ダウンヴィレッジを出発し、幾つもの荒野と海を越え、ついに辿り着いたのは――灼熱の砂漠に佇む寂れた街でした。
建物はどれも錆びついた鉄と無惨に日焼けした木材で造られ、遥か彼方の地平線には砂煙が舞い上がっております。ひび割れた地面に這うようにして歩みを進めながら、私はつぶらな瞳で街を見渡した。
「これではアリの巣どころか、口にするアリ一匹すら潜んでいないのでしょうね」
それでも、街は奇妙に活気づいていた。角を誇る恰幅のいいオーガ、砂に順応した細身のエルフ、獰猛な牙を備えた獣人――純粋な人間はごく僅か。これではまるで転生者が弄んだこの世界の縮図を、小箱に詰めて振ったような雑然さ。
私は背に乗せたリアンさんへ問いかけました。
「ここが……アーヴェル・グレインの街、ですのね」
「そうだよ〜。転生者の情報を得るなら、こういう場所が一番早いと思ったの」
「ふむ……確かに見たところ旅人や行商人の出入りも多く、噂話が広がりやすそうな街ですわね」
リアンさんが満足げに頷いた――私の背中の上で、でございます。
「ですが、リアンさん……そろそろ降りていただけませんこと?」
ちらりと肩越しに視線を向けると、彼女はまるで陽だまりで寛ぐ猫のように身を丸め、背に頬を寄せておりました。
「えー……ヤダヤダ、もう歩きたくないッ‼︎」
まったく……この方は私をなんだと思っているのでしょう?
「あなたは千年以上も生きておられるというのに、いつまで子供のように甘えるのですか?」
「んー……だって、こんなモフモフ、初体験なんだもん」
降りる気は、どうやらゼロらしい。私は鼻を鳴らし――ふと、背にかかる重みの角度が昔に似ていることに気づきました。
かつての我が子も、こうして無遠慮に背へ張り付き、暑かろうが寒かろうが離れようとしなかったものです。砂が毛に入り込み、洗っても洗っても取れず、抱いたまま干して一緒に日向でうたた寝をした午後――あれは百年より前の話。あの頃からずっと背には何かの重みが在り続け、けれどそれは心地のよい幸せな荷でした。
「……世話の焼ける方ですわね」
等と口では嘆きながら、私はその重みを少しだけ持ち上げて、酒場へ向かったのです。
目指すはグレイン街の中心。誤情報の中でも生きた情報が集まる場所、すなわち酒場。そこでは噂と一緒に妙薬にさえなり得る信じ難い都市伝説も真実として回る。氷の溶けたグラスの底に、誰かの安心が沈んでいる街ですわね。ようやく見えた酒場の入口脇の掲示板には、皺だらけの求人札が一枚、「アンプル搬入の護衛募集/冷却スキル扱える者優遇」とだけ乱暴な文字で書かれてあるのです。
重い荷物を背負いながらスイングドアを押し開けると、酒場独特の喧噪と蒸れた空気が押し寄せてきました。焦げた肉の匂いと安酒の甘ったるさが鼻を刺し、薄暗い卓上で打たれるカード賭博の音や笑い声が渦を巻く。けれど、そのざわめきは私が足を踏み入れた瞬間、まるで砂をかけられた炎のように一拍でしぼみ、代わりにヒリつく静寂が広がっていくのです。
「なんだぁありゃあ……?」
カウンターの男はジョッキを傾けたまま凍りつき、喉を上下させても酒は一滴も落ちない。獣人の戦士は杯を掲げた手を途中で止め、琥珀の液面をただ揺らすばかりだった。
「おい……見ろよ、二足歩行のオポッサムがロリっ娘を背負って入ってきやがった」
「テメェの目は節穴か? どこからどう見ても犬にしか見えねえよ。それにしてもデケえなあ」
「いや、コイツはまさか……転生者狩りのボルゾイ御夫人か⁉︎」
片隅の卓にいた連中が慌てて声を潜めるが、その囁きがやけに耳に刺さる。視線が無数の針のように突き刺さる中、私は静かに背を伸ばし、つぶらな瞳で店内を見渡しました。
「さて、この場には何人の転生者が潜んでおりますの?」
この手の酒場には情報が集まりやすく、己を特別視する転生者は往々にして無駄に目立ちたがるのが定石。ええ、だからこそこういう場所にこそ、必ず姿を現すのです。
「よし、着きましたわよ、リアンさん」
背にいる荷物へと声をかける。
「んー……ん?」
これはなんとも間の抜けた返事……私は念のため、もう一度呼びかけた。
「リアンさん?」
「……あ、うん。着いたね」
当然のように、まだ降りる気がない……ええ、理解しておりますとも。この方は本気で私を乗り物として扱うつもりですね?
「……まったく」
深く息を吐き、つぶらな瞳で天井を仰ぐ。そろそろ優雅にブチギレてもよろしいかしら。そして私は背をゆるやかに揺らし、静かで優雅に促したのです。
「さあ、リアンさん。そろそろ降りなさいな?」
「うーん……」
怠惰な声と共に彼女はわざとらしく間を置いた後、「しょうがないかぁ……」と名残惜しそうにようやく降り立ちました。その響きに未練が含まれているのは、きっと気のせいではありますまい。ともあれ、私たちはカウンターへと歩み、空いた席に並んで腰を下ろした。
「い、いらっしゃい……」
奥から見るからに熟練の職人といった風貌のバーテンダーが声をかけてきたが、その眼差しは怪訝な眼差しでありながら、挨拶というよりも探るような鋭さを帯びている。そんな中、リアンさんが即座に勢いよく手を挙げたのです。
「とりあえず、なんか強いのちょうだい!」
リアンさんは迷いもなく手を挙げ、さも当然のように告げました。酒場の空気が一瞬ひやりと冷え、その冷ややかな眼差しを向けながらバーテンダーは動きを止め、無言で彼女を見据えたまま硬直。
「……お前、まだガキだろ」
鋭い眼光が真正面から突き刺さる。普通の子供なら青ざめて椅子にめり込みそうな圧だが――リアンさんは怯むどころか、堂々と胸を張った。いや、張るべき胸が平坦すぎて逆に強調されてしまっている気がする。指先はビシッと天井を差し、声には妙な誇りすら宿っていました。
「あーもう! 見た目で判断すんなよ! これでも私、千年以上生きてんだからなッ!」
バーテンダーはしばし黙り込み、鼻でふんっと短く息を吐いて表情1つ変えずに言い放つ。
「見た目はガキだ」
「ぐぬぬ……!」
リアンさんが唇を噛んで悔しそうに震える。私は横目でその様子を見ながら、メニューを鉤爪でついっと引き寄せ、何の迷いもなく告げました。
「……では、私はロイヤルミルクティーを」
「お、おう……アンタ言葉が話せる犬なんだな」
「ちっ……コイツもか。だから犬じゃなくてオオアリクイなのに……」
バーテンダーが思わず二度見する。荒くれ者の酒場でその注文は完全に想定外だったのでしょうか。だが職人の矜持か否か、すぐに表情を立て直し、彼は泡立て器を巧みに動かし始めたのです。ミルクを温める香ばしい匂いが漂い、場の緊張が少しだけ和らいでいく――しかし、その間じっと私を見つめていたリアンさんの目には、「納得いかない」の文字が書いてあるようだった。
「なんで御夫人は甘いの頼むの?」
私はゆっくりとカップを手に取り、優雅に香りを楽しみながら優雅に微笑みました。
「健康を考えて、ですわ」
リアンさんが「納得いかない」と言わんばかりの表情を浮かべましたが、それでも気にせず静かに紅茶をカウンターに戻して心地よく喉を潤す。ええ、こうしたやりとりはもはや日常の儀式――主従でもなく、友でもなく、妙な均衡で結ばれた奇妙な関係が育んだ習慣なのです。
私は紅茶の香りを胸に満たしながら、爪をカチカチと合わせて小さく鳴らした。
「さて、それでは本題に入りましょうか」
二人同時に馴染みのデバイスを取り出すために鞄へと手を伸ばす。リアンさんは軽やかにスマホを取り出し指先で画面をすべらせ、私はガラケーを開いて小さなボタンを爪先でカチカチと鳴らした。
「よし……今夜も異世界生配信、はじめるよー!」
リアンさんはスマホを高く掲げ、にっこりと笑い意気揚々と声高に宣言。右手に握られたスマホの画面には目を疑うタイトルが踊っていた。
「……バーチャルソーサラのリアンと異世界オオアリクイ未亡人妻が酒場で呑む配信? 私の名誉は無事でしょうか?」
私の疑念をよそに彼女はにっこりと微笑み、コメント欄を指で追うのです。
「コメント、コメント……『御夫人ペット説』、スポンサー広告に求人まで……」
「えーと……『御夫人ペット説』【広告】ライフアーク製薬:初回治療10%OFFクーポン配布中』『鳴き声ASMRはよ』『LOL』『犬じゃんw』『【協賛】アンプル配送バイト募集中/冷却箱必須』って、これじゃあ転生者情報が流れてこないじゃん⁉︎」
「転生者の情報を求めているのに、荒らしや広告と求人ばかりですわね」
紅茶をひと口啜り平然と答えると、リアンさんが再びスマホを握り直し、画面を凝視する。
「まあ、電波が届く領地に着いただけマシかな。数時間前まで砂漠の真ん中で立ち往生してたぐらいだし」
彼女はスマホを胸元で弄び、画面に浮かぶ文字列を指でなぞった。
「あれからずっと試してるけど……やっぱり異世界転生者が向こう側から持ち込んできたデバイスって本当に普通の道具じゃないね。転生者が命を落とすとき、彼らの声や記憶が吸い込まれていく気がするんだもん」
私は隣で静かにガラケーを開いた。アドレス帳に登録された連絡先へ文字を打ち込むたび、爪先に走る微かな震え。それはただの誤作動や機能不全のバイブではない――主人が亡くなった夜に刻んだ怨念が、今も文字と共に滲んでいるからなのだろう。
「御夫人のそれも……もう祈祷書みたいなものだよね」
「ええ。送信とは祈りであり、既読とは呪い。私たちの歩みが、この小さな画面に焼き付いておりますの」
互いのデバイスから零れる光が、酒場の影をわずかに揺らした。まるで街そのものが息を潜め、何かの反応を待っているかのように。
「アーヴェル・グレイン……ここで、ようやく糸口が見つかるのでしょうか」
「大丈夫だよ御夫人、ミーシャさんは。あなたがどんなに迷っても、きっと支えてくれるはず……だって、あの旦那さんは最初からそういう英霊だったんでしょう?」
リアンさんの声に、私の胸の奥で何かが静かに疼いた。
不動の愚直王ミーシャ。この数ヶ月で初めて知ったお爺さんの異名。それは数百年前に起きた魔王討伐の折、勇者ジナイダが護衛として村で召喚した時に授けられた、名誉ある呼び名。
船を降りた日から今日まで。荒野の冷たい夜風と錆びた鉄の匂いを孕んだ港町、そして舟底を叩く波の重さ。どこを辿っても私の足跡の先には、ミーシャお爺さんの不器用な背中が重なっていた気がする。
アリの巣に鼻を突っ込んでは抜けなくなり、勇者に笑われる姿。決して強くも賢くもない。ただ黙って前線に立ち仲間を守り続ける姿。それでも、あの人の愚直で不動の勇姿は「最初に召喚された英霊」という事実だけで、各地に逸話と伝承を名と共に刻んでいる。勇者と魔王の物語の端っこに、私の亡き夫は間違いなく寄り添っていた。
リアンさんはスマホを揺らしながら微笑んだ。その光に照らされる一瞬の横顔が、不意にお爺さんの姿と重なる。
「……あの方はどこまでも愚直で、不器用で、なのに最期の瞬間まで何も持たなかった。それでも笑われながら立ち続けたからこそ、王と呼ばれたのかもしれません」
胸の奥で古びたガラケーがかすかに震えた気がした――これはただの道具ではない。主人が惨殺された夜、血と灰が憤怒の火種に燻る中で私は誓ったのだ。ボタンを押すたび、画面の奥で眠る彼の声が蘇る錯覚は今も消えない。むしろ、その錯覚こそが私を前へ押す力になっていた。




