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主人のオオアリクイが殺されました-いきなりのメール失礼します。この転生者を誰か知りませんか?-  作者: 椎名ユシカ


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件名: [003] 無料トライアル開始:機龍見習い魔女のサポート30日間


 乾ききった大地に冷たい雫が落ちたとき、私はようやく考えを止めた。顔を上げると、いつの間にか頭上には厚く重たい雲が広がり、燃え盛る炎の熱を押し沈めるように雨脚が少しずつ強まっていく。蒸気が立ち上り、焦げた匂いに水の匂いが混じり、森全体が深く息を吐くように鎮まっていった。


「この雨は一体……?」


 視線を巡らせると、煙の向こうに動く人影が見えた。長い裾の魔導衣をまとい、杖を肩に担いで駆け回る小柄な少女。布地が雨で濡れるたびに重たく揺れ、垂れた袖口から覗く細い手が器用に杖を振るう。彼女が立ち止まるたびに杖の先へと雨雲が集まり、そこから滴る水が炎を叩き、黒煙を抑え込んでいくのでした。


「あぁ……こっちも燃えているのか」


 少女はひとりごち、誰に命じられるでもなく炎の残る場所を探しては魔法を繰り返したのです。その姿はまるで、滅びかけた森を救おうとしているかのようでした。


「……ニンゲン」


 脳裏にその言葉が浮かび上がる。彼女は間違いなくアレと同じヒトの形をしていた。だが――転生者といえば。


『タイパ最強‼︎』

『効率的にいこうぜ……』

『これってレアドロップ?』


 あの耳障りな笑い声が、頭の奥に蘇る。この者も、あの連中と同じなのか。それとも――。


「あれって……もしかして、ボルゾイの生き残り⁉︎」


 少女が真剣な表情で叫んだ――何を言っているのかしら。私は反射的に瞬きを繰り返し、つぶらな瞳を開いたまま彼女を見つめる。その視線に気づいたのか、少女は迷わずこちらへ駆け寄ってきたのでした。


 無意識のうちに私は前足を広げていた。それは、主人が最後に見せた勇姿――無呼吸運動の型・神威(カムイ)の構え。少女は目の前で足を止めると、周囲を見渡したのです。焼け爛れた森と横たわる幾百もの亡骸、炎の痕に刻まれた私の傷、そして無惨に伏す主人の残骸へと。


 その全てを目にしてから、彼女は静かに口を開いた。


「もしかして……あなたはボルゾイですか?」


 雨音に混じって、その声は驚くほど穏やかに響いた。こちらが警戒を込めて両手を広げているというのに、彼女は杖を下ろし、柔らかな眼差しを向けていたのです。敵意を向けられていると理解していながら、それを恐れる様子がないほどに。


 しかし――私はまだ判断を迷っていた。この少女もあの転生者たちと同じなのか、それとも違うのか。


 どれほどの時間が経ったのだろう。雨はやがて勢いを失い、土へと静かに吸い込まれていった。その静けさの中で、少女は再び口を開く。


「ボルゾ……いえ、ごめんなさい。もう、安心していいですよ」


 彼女の名はリアン――機龍の見習い魔女リアン=インヴィオレイト。なぜその名を私は今も鮮やかに覚えているのか。理由はひとつしかない。転生者への憎しみを焼き付けた夜、私の復讐の始まりとなる夜……そして、この世で初めて「ボルゾイ」と間違われて呼ばれた夜。


 主人が倒れたその夜を思い出すたび、私は必ず彼女の名を心に浮かべるからなのです。


「あなた、転生者ではないのですか?」


 ゆっくりと問いかけると、リアンさんは驚いたように瞬きをしたのち、やがて乾いた笑みを浮かべる。


「……転生者? いいえ、違いますよ。私はずっと、近くの禁足地で暮らしてきました」

「近くに禁足地が? まあ、それはそれで問題がありそうですわね」


 転生者ではないという事実は、私の中の「敵」という枠をわずかに揺るがせました。けれど――。


「転生者ではなくとも、禁足地で生きてきたというのは、あまりに怪しすぎますわね。転生者並みに厄介な過去を背負っているのではなくて?」


 私の問いに、リアンさんの指先がわずかに杖を強く握る。その沈黙の後に溢れた苦い笑みは、隠しきれぬ自覚の滲む仕草でした。あら、これは……動揺ではなく、むしろ心当たりのある者の反応ですわね。つまり、彼女は転生者という存在を既に知っている。


「ですが……転生者と関わったことがあるのでは?」

「……ええ。随分と昔、酷い目に遭いました」


 声音は淡々としていたのに、その言葉の奥には抑えきれない痛みがあったようにも聞こえる。


「……笑えるようなものでしたの?」


 そう問いかけると、リアンさんは少し驚いた顔をした。


「……どうしてそう思うんですか?」

「こんなにも雨が降っているというのに、あなたの笑顔が乾きすぎているからですわ」


 それ以上は踏み込まなかった。彼女が何をされたのか、今の私には知る必要がない。ただ1つ確かなこと。彼女は転生者を知っている。ならば今は、それだけで十分だった。


 朝陽が昇ると焼け落ちた森に朝靄がうっすらと垂れ込め、あの夜の炎はまだ静かに燻る灰となって地面を覆っていた。雨が残した水溜りは煤で黒く濁り、かつて葉が生い茂った場所は骨のように露出した幹ばかりが並んでいるのです。それでも私はここに残っていた――もはやウェルダン以上に仕上がった主人のカリカリな亡骸(ベーコン)のそばから動けず、折り重なるように横たわった仲間たちの骸をただ見下ろすだけ。


「……お爺さん。私はどうすればいいのでしょうか?」


 問いかける声は主人の姿のように乾いていて、森に吸い込まれてゆく。ここにはもう森はありません。甘く濃厚で(かぐわ)しいはずの加糖アリの香りは消え、日々を満たしていた彼のマヌケな鼻息ももう戻らない。私があの方の瞳を見上げればいつも返ってきた安心も、ここには何処にもない。


 乾いた風に目を閉じると、虚無だけが胸に残った。そんな私に背後から静かな声が届いたのです。振り返るとリアンさんが、裾と袖の長い魔導衣をまとい杖を肩に担いで立っている――彼女の足元は鎮火の泥で汚れ、深緑の髪にはまだ朝露が残っていた。


 彼女は私を見つめ、言葉を選ぶように何度も問いかけるのです。


「あなたは、このままでいいのですか? このまま森に残ってどうするのですか? 何かをしたいのではありませんか? 復讐をやめるのですか?」


 そのたびに私は口をつぐんでしまった。復讐の炎は心の中で確かに燻っている。転生者たちに報いを与えたいという思いは決して消えてはいない。だが、どう動けばよいのか、何をすればよいのか――具体的な手段が私にはなかった。口を開けば出てくるのは、ありきたりな事実だけだ。


「何をどうすればいいのか、分からないのです」


 言葉だけが正直だった。しかし心の内側を覗けば、復讐への欲望は冷たく鋭く残っている。動けないのは私自身の問題だ。灰と泥に塗れた亡骸(ベーコン)だけが広がるこの場所で、主人のそばを離れられない――足が、心が、記憶が根付いてしまっているのだ。


 リアンさんはその様子を一瞬驚いたように眺めたが、すぐに小さく微笑むと杖を地に突き立てるのです。


「ならば、行きましょう!」

「……どこへ?」


 彼女はゆっくりこちらを見て言った。


「征服者に虐げられた過去を持つ、私の住む村――禁足地ダウンヴィレッジ。あなたの知るべきことが、そこにあるかもしれません」


 その言葉は静かな森の中にすっと溶けていった。つぶらな瞳で彼女を見返し、私の中で即座に疑念が湧く。


 ニンゲンなのに禁足地に住む?

 転生者に関わった過去がある?

 そして私をそこへ誘う?


 思えば怪しさは募る一方でした。


「……実はあなた、この森を焼いたニンゲンよりも厄介な存在なのでは?」


 彼女はちらりと驚いた顔をしたが、すぐに小さく笑った。禁足地と名付けられるほどの土地は、よほどの因縁があるのだろう。だが、私の胸に残ったのは灰の下で燻る憎悪の塵。


 覚悟を固めるために、私は再び骨とベーコンになったお爺さんを見つめた。


「では――少し、お邪魔いたしますわ」


 その言葉と共に私は決意を新たにし、リアンさんの後ろに続いた。朝日は低く、焦げた森に冷たい空気が差し込んでいる。地面の片隅には、ひっそりと1つの蟻塚が残っていました。長らく恐怖に怯え続けた加糖アリたちは、ようやく訪れた解放を祝うように触角を振り、未来を語り合っているのでしょうね――私には届かぬはずのそのざわめきに、腹の奥が静かに応えたのです。


「……最後の晩餐として、これほど都合の良いご馳走はありませんね。根絶やしにして差し上げましょう」


 蟻塚が鉤爪で崩れた途端、群れの騒音は一瞬で悲鳴へと変わり、その響きはやがて私の喉の奥底で途絶えました。濃厚な甘みは胸の奥に刺さり、ほのかな酸味は記憶の縁を燻らせる。淡々と食べ尽くすうち、最後に残った女王蟻の触角が宙で必死に揺れたが、その訴えは決して届かない。やがて沈黙が訪れ、数万年の歴史を持つ加糖アリの歴史はそこで幕を閉じたのです。


 私は平然と森を見渡した。かつて生い茂っていた木々も、主人の息遣いも、もうどこにもない。リアンさんはときおり私をちらりと見やり、わずかな動揺を隠せずにいたが、それも取るに足らぬこと。


「……行きましょう」


 リアンさんが先を歩き、私はその後に続きました。長旅の覚悟を決めたばかりの私は、一歩ごとに決意を新たにしていたのです。けれど横を歩く彼女の様子はどこか落ち着かず、ちらちらと私の喉元を窺っては口を開きかけて閉じる。そのぎこちなさは、私が加糖アリを食べ尽くした直後から続いていました。


 理由は検討もつきません。だが、彼女の表情には、確かにわずかな怯えが混じっていたのです。


「どうかしましたか?」


 何気なく問うと、リアンさんは小さく肩を跳ねさせ、ぎこちなく笑みを返す。


「い、いえ……何でもありません」


 その返答は軽いものの、彼女の歩調は微かに速くなっていた。まるで聞くべきでない何かを聞き取ってしまった者のように。私はその違和感を追及せず、ただ平然と歩を進めました。加糖アリは美味しかった――それで十分なのだから。


 やがて数分も経たないうちに建造物の屋根が見えました。


「あれ……?」


 思わず立ち止まると、リアンさんが振り返ったのです。


「着きましたよ、どうかしました?」

「……もう少し遠いかと思いました」


 つぶらな瞳で村を見つめます。あれほど大仰に旅立ちを決意したというのに、実際は数百メートルの距離に過ぎなかったのですから当然ですよね。


「まさか、こんなにも近かったとは。まあ、良いでしょう……」


 深い溜め息をつき、私は静かに頷いた。決意の滑稽さも、歩を進めればやがて力となる。そう信じながら。

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