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主人のオオアリクイが殺されました-いきなりのメール失礼します。この転生者を誰か知りませんか?-  作者: 椎名ユシカ


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件名: [002] 【緊急通知】復讐アカウントが自動作成されました(初期設定を完了してください)


「……下がるのじゃ、御夫人」


 主人が静かに呟くのです。その声はいつものように呑気でありながら微かに震えていました。彼はゆっくりと後ろ足で地を踏み締め、全身の毛並みを逆立たせるようにして「無呼吸運動の型・神威(カムイ)の構え」の姿勢へ。それは、かつて魔王討伐の折に仲間を守るために用いた決意のポーズ。威嚇であり、誓いであり、死をも覚悟した構え。


 その瞬間、森に静寂が落ちました。風が止み、葉音が途絶え、小鳥の囀りさえも閉ざされる。まるで森全体が主人の姿を凝視しているかのようです。


「あれは……カムイの構え……」

「あのポーズを取るということは……」


 フクロウの老夫婦が低く呟きました。瞳は大きく見開かれ、声は恐れと畏敬に震えています。


「伝説に記されたオオアリクイ大戦が始まる……ッ!」

「……封印されし聖獣が再びその力を振るう日が来る!」

「わ、我らの代でこの瞬間を目にするとは……!」


 その声はやがて木々のざわめきに重なり、森の住人たちの畏怖を増幅させました――しかし、転生者たちはそんなことなど知らぬ顔で、嘲笑うのです。


「……あなた、まさか本気で戦うつもりでは?」

「うむ」

「転生者相手にどう戦うおつもりですの?」

「む? それはもちろん、鼻で弾き飛ばすのじゃよ」

「……なるほど、それは素晴らしい戦術ですわね」

「ふむ、判ればよい」


 私は思わず目を閉じました。彼の戦術が実際に有効かどうか――そんなことは、もう問題ではなかったからです。


「あなたこそ、どうか私の後ろへ」


 主人は尚も私を庇う位置に立ち、土を踏み締めました。この世界で生きる者ならば、誰しもそこに込められた威厳と覚悟を感じ取ったはずです。しかし――。


「二足歩行っつうことはやっぱ魔物だな、レイヴン」

「だろうね。僕が最初に見つけたからコイツの皮は僕が頂くからな」


 彼らは笑っていました。まるで、目の前で「ゲームのレアイベント」に遭遇したかのように。


 レイヴンの手元に光の刃が生まれます。呼吸するかのように自然で、肩の力も抜けたまま彼はただ腕を振り下ろしました。刃は空気を裂き、草を払うように何の抵抗もなく通り過ぎていくのです。その一閃は、あまりにも軽やかで、それでいて致命的。何が起きたのか理解できず、私は幾度も瞬きをしました。


 視界の奥で――お爺さんが、主人が立ち上がったまま動きを止めていたから。


「……嘘だろ?」

「オオアリクイ様が……」


 森の生き物たちの声が震え、辺りは言いようのない静謐(せいひつ)さと重さに押し潰されそうになった。彼らにとって主人はただの巨獣ではなく、魔王を討ち、勇者と共に幾多の戦いを生き抜いた森を守る齢数百を数える獣。その伝説は一瞬のうちに無情にも崩れ落ち、彼は力なく地に伏して鼻先を乾いた土に埋め、舞い散った土の粒が耳の奥に残るほど景色は変わってしまった。


「まだ……ワシは……アリと共に……」


 彼の震えた声はかすれ、やがて風に溶けるように消えいっていく――私はその姿をただじっと見つめ続けるしかなかった。


「……結局最期まで、アリのことですか」


 その一言は皮肉であると同時に、深い愛情でもありました。あなたは最期の瞬間までアリと共に生き、そしてアリと共に逝くつもりだったのでしょうね。


 長い鼻先が静かに地面へと落ち、その鈍い衝撃が胸の奥を打ち抜く。主人は、お爺さんはもう……動きません。


「え、こいつ、マジで雑魚すぎんだろ」

「少しは楽しめると思ったのに、さすがにワンパンは勘弁しろって……」


 彼らは戦いの余韻など欠片もなく、クエスト報酬の話に花を咲かせながら呑気に嗤うのです。その歩みは森を踏み荒らす軍靴の音にすぎず、眼前に横たわる主人の亡骸をただの通過点の石ころ程度にしか扱っていない。やがて、金髪碧眼のレイヴンがふと振り返り、思いついたように仲間へ告げたのです。


「てかさ、実は隠しボスだったりしない?」

「もしそうならもっとゴツくなるっしょ……」

「でもさレイヴン、討伐証明いるって言われたじゃん……ってことはあれだろ。ギルド的には何かしらの重要存在ってことだよな?」

「……どうでもいいんだよ」


 彼らの会話を耳にした私は、ウツロな眼差しを向けてしまった。頬の筋肉が凍りつくように動かず、ただ言葉だけが漏れていくのです。


「あら……ようやく理解しましたの?」


 しかし、その淡い期待すら彼らはすぐに踏み躙りました。


「とりあえず、証拠用に鼻でも切り取っとく?」


 彼らは笑いながら、命を削ぎ取ることを料理の手順のように語っていく。その浅薄さに私は静かに、そして幾度も深く息を吐いた。早鐘を打つ胸の奥を冷気が行き来するたび、心臓の奥に澱んだ怒りが静かに熱を帯びていく。


「なるほど、やはり愚か者ですわね」

「お、クエスト報酬ゲット〜」


 軽薄な声が静まり返る森に響き渡った。金髪碧眼の少年レイヴン・アストレアが浮かべた笑みは、満足げというより空虚で、けれどその空虚さこそが森を踏み躙る刃より残酷で鋭い。生き物たちはただ震えるばかりで、彼らにとっての悪夢は転生者たちにとって「クエスト完了の記念」に過ぎなかったのですから。


 レイヴンは仲間と肩を並べ、背中を揺らして帰路につこうと再び軍靴の音を鳴らしました。しかし次の瞬間、私の身体が勝手に動いた――後ろ足の爪先が土を抉り、大地を鳴らして踏み込み私は爪を振り抜いた。狙いは迷いなく正確で、肉を引き裂くほどの鋭い一閃が少年の背へと吸い込まれるように走り、背骨さえ断つ確かな手応えを残したのです。


 転生者といえど生身である以上、多少なりともこれで痛みは刻まれたはず――そう思ったのも束の間、彼は振り向きすらしなかった。


「あぁ?」


 ただ不思議そうに首を傾げる碧眼の少年レイヴン。背中には確かに深い爪痕が刻まれていたのに、赤い線が浮かんだのも一瞬、肉はすぐに綴じられ、血の痕すら残さず消えていく。


「ヴァッカス、僕って今オオアリクイに引っ掻かれた?」

「いやいや、まさか……」

「もう早く帰ろうよ、どうせ感覚遮断スキルのせいで痛くも痒くもないでしょ?」


 彼は愉快そうに笑いながら、ゆっくりと振り向きながら片手を掲げました。手のひらには金色の光が凝縮し、粒子が眩く踊る。周囲の空気が焼けつくように歪み、重さを帯びて森全体を圧迫した刹那――。


「はいはい、無駄な抵抗ね。世界最適化(アダプトワールド)――発動っと」


 世界が揺らぎ、光さえも爆ぜていく。地が裂けては衝撃が全身を打ち抜き、私は木々を巻き込んで遠くまで吹き飛ばされた。何本もの巨木の幹が砕け、枝葉が宙を舞い、身体が何度も地面を跳ねて転がり続け、視界は激しく揺さぶられる――それでも目を閉じることは許されなかった。


 ぼやける視界の隅に、倒れた主人の亡骸が見えたから。乾いた地に伏したまま動かぬ老オオアリクイの姿。その周囲に群がる転生者たちが、討伐の証明と称して彼の身体を切り刻んでいたから。


「レイヴン、マジでやるの?」

「当たり前だろ、ギルド規定で『討伐証明』が必要なんだよ。それに、こんだけ上質な毛なら皮だって高く売れるはずじゃん」

「ま、そうだな。じゃあこの長っ鼻は俺がいただこうかな……」


 呼吸が止まり、肺が凍るように固まる。頭の中がぐらつき、視界が滲んでいく。彼らは笑っていた――まるで主人が命ある存在ではなく、ただの物品であるかのように。


 その瞬間、私の中で何かが音を立てて崩れ落ちた。


「……まったく、品性の欠片もありませんのね」


 後ろ足の鉤爪を地面に突き立て、私は何度も何度も土を抉った――けれど森は静かなまま鳥も虫も声を失い、まるで最初から何も存在しなかったかのように消えていく。


 明日もまた平和な朝が訪れるはず。あの人と共に陽を浴び、舌を伸ばして魔力アリを味わう、最も愛する朝が戻ってくるはず。


 しかし現実は違う。そんなはずがない。


◆◆◆

 

 主人に褒められた鼻先が熱い――皮膚を焼くジリジリとした感覚が、意識の奥底を引き戻していました。ぼんやりとした意識のまま自慢の鼻を動かすと、焦げた草の苦い匂いと肉の脂が焼ける匂いが絡み合い、むせ返るような空気が鼻腔を満たすのです。


「これは少々焼きすぎでは? このままでは焼き加減がウェルダンに……」


 そんな場違いな思考がよぎった瞬間、かろうじて生きていると悟った。重いまぶたをこじ開け、虚ろな視線で周囲を見渡す。そこに広がっていたのは、主人と私が愛したかつての森ではなかった。


 赤黒い煙が地平まで渦を巻き、木々は幹ごと焼き落ち、黒ずんだ大地だけがむき出しになっている。小鳥が歌った枝は煤と化し、兎が跳ねた草地は灰に埋もれ、命の営みは跡形もなく呑み込まれていたのです。


 私は深い傷に軋む身体を起こしました。毛皮に残った火は小さく爆ぜていて、火の粉が空を漂ってはまた落ちてくる。どうやら私は、炎の只中に取り残されていたらしい。


「本当に馬鹿ですね……まったく。最後の最後まで、あなたは食べすぎで苦しむのではなく、アリと共に果てるのですね」


 苦く笑いながら目を細めた。彼は最後まで「共に生きる」と言った通り、森と共に逝ったのでした。それならば、彼を害した者たちもまた、同じ運命に沈むべきではないか――そう考えた途端、視線の端に映ったものを見て息が止まる。


「お爺さん……?」


 主人がそこにいた。横たわるその身体はかつての威厳を失い、鼻先は根元から断たれ、毛皮を剥がされた生肌は泥と血で汚されている。あの誇らしげな背筋も……仲間を守った爪も。すでに生き物の形を留めてはいなかった。


 だが惨状はそれだけに留まらない。彼の周囲には森の仲間たちの亡骸が無造作に転がっていたのでした。枝を握りしめたまま硬直した小さなリスの手、翼を広げて地に落ちたフクロウ、鱗が剥がれ焦げ付いた空蛇、柔らかな耳を裂かれたウサギ。無害な小さな魔物たちも等しく命を奪われ、土に還る間もなく散らされていたのです。


 さらに目を凝らすと、異様な違和感に気づきました。鼻や耳を剥ぎ取られた者がいる一方で、何の部位も欠けぬまま殺されている者の亡骸も。討伐証明のために切り取ったのではない、彼らはただ――遊び半分に殺戮を繰り返したのでした。


 胸の奥が焼けただれるように熱を帯び、言葉にならない感情が込み上げる。


「……討伐証明のためではない、ということですか?」


 静かに目を細めた。怒りという名の火種が、森の炎よりもなお深く心に燃え始めていたから。


「なるほど……随分と愉快な遊びでしたのね。けれど遊びには必ずルールがございます。ええ、ニンゲンの皆さま?」


 私はゆっくりと後ろ足の鉤爪を地面に沈めた。焦げた大地が軋み、そこに残った熱が爪先を焼く。胸の奥で荒く息を吸い込むと、煤けた空気が肺を刺し喉を擦り切る――それでも身体はもう震えてはいなかった。


「森の生き物たちを、これほどまでに……許しません。絶対に許しません、絶対に絶対に絶対に絶対に――」


 地を穿つように再び爪を突き立てる。あの五人のニンゲンども必ずを見つけ出し、その血を髄の底から一滴残らず吸い尽くす――その誓いは胸の奥で何度も反響し、確かな形を得ていったのでした。必ず、絶対に。


「けれど……どうやって?」


 考えても考えても、答えがすぐには見つからない。私はオオアリクイにすぎない。武器もなく、人の言葉を自在に話せるわけでもなく、転生者がどこに潜むのかさえ知らない。知性はあれど、戦う術を何ひとつ持たないのですから。


「……私、復讐の方法を何も知りませんわね」


 そう呟いた途端、胸の熱は冷たく収縮し、滑稽さが骨にまで染み渡る。怒りは確かに燃え盛っているのに、ぶつける矛先を欠いた火はただ空しく燻るばかりでした。


「おやまあ……これは随分と面倒な状況ですこと」


 つぶらな瞳で天を仰いだ。空には灰煙が漂い、どこまでも火柱の残光が雲を赤く染めている。


「困りましたね……どうすれば良いのでしょうか?」


 その問いは誰にも届かず、焼け焦げた森に吸い込まれていった。

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