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主人のオオアリクイが殺されました-いきなりのメール失礼します。この転生者を誰か知りませんか?-  作者: 椎名ユシカ


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2/7

件名: [001] お客様の「オオアリクイ」は狙われています(最終警告)


「まさか、私がガラケーを操作する日が来るとは思いませんでした」


 地中に掘られた凍てつく巣穴の奥。空気はひんやりと重く、壁に触れると細かな土の粉が爪先にまとわりつく。私は慣れた仕草で短い前足を伸ばし、先の尖った鉤爪(カギヅメ)で小さなキーをカチカチと叩きます。金属と樹脂の冷たさが爪先を通してじんわりと伝わり、暗がりの中で小さな光が瞬くたびに、世界の境界がほんの少しだけ揺らぐような気が否めないまま。


「随分と成長したものです」


 最初にこの道具に触れたとき、爪がキーに引っかかって上手く押せず、悲しいほどの誤字を量産しました。愛しいはずの言葉が「カワヨ」で送られたり、数字の羅列が意味もなく並んだりしたものです。そのせいか、気づけば足元には鉤爪で貫かれたガラケーが何台も転がっている。亀裂の入った画面、光らなくなったランプ、爪あとがついた背面等々――それらは私の試行錯誤の痕跡であり、学びの足跡でもある。


「試行錯誤の証ですわね」


 この森で生まれ、アリを食べながら静かに暮らしてきたオオアリクイの私が、どうして穴蔵で画面に向かっているのか――その理由を、私は記憶の端からゆっくり手繰り寄せる。


 主人の温もりと朝日に透ける彼の毛並みを。舌に残る微かな土の甘さと最後に来る魔力のピリリとした甘い味の余韻を。遠くで木の実が落ちる小さな乾いた音と森を揺らした風の音を。そして、忘れてはならない――血に染まった転生者の剣を。刃についた赤が朝日にちらつく様子と落ちた者の名を奪うような冷たい光景が、丸一年も過ぎたというのに指の先に凍りついている気がする。


 このメールを送れば、何かが変わるのだろうか。それとも、ただの独り言で終わるのだろうか。画面の薄い光は私の顔を淡く撫で、文字を選ぶたびに胸の奥がしくりと痛む。送信ボタンを押す瞬間を想うと、巣穴の静けさが一層深くなり、その静寂が証人になるように感じられた。


「……いいえ」


 そう考えているうちに、自然と首の後ろが暖かく引き締まる。これは独り言ではない。これは、私という存在の証明なのですから。忘れられない者がいる証しであり、誰かに届かねばならぬ真実の告白でもある。


「主人のオオアリクイが殺されました……」


 爪がキーを叩くリズムが巣穴の壁へと静かに反響した。小さな音は石や土に吸われて丸く柔らかくなり、それが過去へと続く一本の道しるべになるように。私と主人の物語は、ゆっくりと、しかし確かに過去へと遡る――。


◇◇◇


「主人がアリの巣に頭を突っ込んでいました」


 実に情けない……またかと思いながら、私は少し離れた場所からその光景を眺め、ゆっくりと溜め息を吐きました。吐き出した息は朝の冷気に混じり、白い靄となってすぐに消える。小鳥がさえずり葉はそよぎ、世界はまるで何事も起きていないかのように穏やかだ。


 そんな森の片隅で――。


「気をつけてくださいね、あまり奥まで突っ込むと……」


 主人の長い鼻先がアリの巣穴にズッポリと埋まったのです。巣穴の土が崩れてパラパラと飛び散り、乾いた粒子が日光に照らされて金色の埃のように舞う。もがく音とともに主人が蹌踉(よろ)めき、巣穴の周りでは暴れ狂う魔力アリがひとつの生き物のように蠢き出し、黒い波紋のごとく膨れ上がるのです。そして次の瞬間には牙を剥き、無数の足で地面をざわめかせながら主人の顔めがけて襲いかかったのでした。


「ぐおおおおっ⁉︎ コイツら、ワシの鼻を噛みやがったぞ⁉︎」


 小さな牙が皮膚を突き破る音がかすかに聞こえ、主人の声は情けなく木霊する。私はつぶらな瞳で瞬きした。言葉に出す必要なんてない。だって、これが彼の日常なのだから。


「……あなた、それはいつものことではありませんか?」

「バカを言うな、御夫人! 今回のアリは一段と牙が鋭いぞ!」

「まさか、あの子たちが日々進化しているとでも?」

「この森で最も賢いのは、ワシではなくアイツらなのかもしれん……」

「ふふ、それは面白い冗談ですわね」


 今日もまた平和な朝だ――そして、私が最も愛する朝でもある。主人がようやくアリの大群を振り払うと、森は再び静けさを取り戻した。ざわめいていた草が静まり、遠くの鳥がさえずりを再開するのです。


 私はゆっくり息を吐き、乾いた蟻塚に舌を伸ばしました。


 ペロリ――と舌先が乾いた土をなぞると、ザラりとした感触の奥に小さな生命の気配がまとわりつく。昨日は巣の奥にいたアリを食べすぎて腹を壊しました。ですので今日は慎重に、浅いところにいる大人しい魔力アリを選ぶことにいたします。土をかすかに揺らした瞬間、すぐに数匹が表面へと這い出てきて、私の舌にぴたりと吸い付いた。


「ああ、貴重なタンパク源」


 最初に広がるのは、しっとりとした土の甘み。次いで魔力が舌にほのかな熱を与え、最後に小さな針で刺すような刺激が舌先を駆け抜ける。生きていたものだけが持つハッキリとした「味の段階」がそこにありました。


「やはり、新鮮なアリの踊り食いは格別ですね」


 しかし、ふと顔を上げると、森の生き物たちがじっと私を見つめているのです。リスやフクロウ、ウサギや羽根の生えた蛇のような魔物まで――それぞれが木陰や枝の上から、神妙な面持ちで息を潜めるようにしたまま。小さな鼻孔を膨らませるリスの驚き、フクロウの琥珀色の瞳に映る私の姿、蛇が尾を(たわ)ませる緊張の仕草。それらは、ただの私の食事を儀式のように見据えて、彼らはやがて口々に言うのでした。


「オオアリクイ御夫人……今日も魔力アリをお食べになったのですね」

「ええ。なかなかの美味でございましたよ」

「遂にまたひとつ、この森の魔が浄化されましたね」


 いや、私はただ空腹を満たしているだけ――なのに彼らは主人だけでなく皆で私まで崇めるのです。リスは小さな両手を胸にあてがい、目を潤ませながら震え声で感謝を。フクロウは翼を胸にたたみ、深々と垂れた頭を。蛇の魔物に至っては尾を地に擦りつけ、まるで大地そのものに祈りを捧げるかのように。


 そのとき、日向ぼっこをしていた主人がのそりと顔を上げました。毛並みを照らす陽光は柔らかく、その背はどこか黄金に縁どられて見えます。


「うむ……加糖アリは胃にもたれるのう……」


 欠伸まじりに呟く声は、何百年も前に戦場で勝鬨(かちどき)を上げた英雄のものとは到底思えません。しかし、背筋をぐっと伸ばし、両手を高く掲げると――生き物たちが一斉に響動(どよめ)きました。


「はぁ……本当に大袈裟なんですから」

「アレは伝説のオオアリクイ様の決意の構え!」

「魔王討伐に赴く前の戦士の誓い!」

「荒ぶる無呼吸運動の型。いや、これは神威(カムイ)の構えか‼︎」

「これを見たが最後、膝を折らぬ者はいないと伝えられる威厳の型!」


 私は無言で主人を見つめました。お爺さんは少し目を細め、先の丸い爪でのんびりと腹をさすっています。


「……ん? 何か言ったかの?」


 爪の先で毛並みを()く仕草は、ただの気まぐれな日課にすぎないのに。周りの大げさな反応を見ていると、逆に私の方が恥ずかしくなるんですからね。だって当の主人は日向ぼっこをしながら爪を舐めているだけなんですから。


 そう、かつて主人は勇者パーティが初めて召喚した低級精霊として幾つかの国を渡り歩き、幾億の戦いを生き抜いた伝説の戦士だったのです。その伝承が今も大地に根付いているからこそ、この森で崇められるのも無理はないのでしょう。でも、私にとっては――ただ一緒に眠り、蟻塚を分け合い、日向を好む愛しい伴侶にすぎないのです。


「ふふ……鼻が高いですね」


 私は鋭い爪でゆっくりと鼻先を撫でました。オオアリクイの鼻は物理的にも十分に長い。けれど、今この瞬間は心の方が、ほんの少しだけ誇らしく伸びていたのかもしれません。


 今日もまた、平和な朝だ――そして、私が最も愛する朝でもある。


 しかし主人との平和な朝が消えたのは、この日からだった。いつもの朝と同じように食事をし、いつものように蟻塚へ舌を這わせ、主人は日向でのんびりしていました。土と草の香りが溶け合い、小鳥のさえずりさえ森に縫い込まれているのに、その静けさを破って場違いな声が森の奥から響いたのです。


「うわっ、このクエスト、マジで雑魚狩りだな」

「こんなヌルゲーで金もらえるとか、タイパ最高」


 軽薄でいて傲慢で、そして命を踏みにじるような声色。その調子外れな笑い声は、木々のざわめきや鳥の歌と混じらず、ひどく浮いて耳に刺さりました。彼らの言葉が風に乗ってハッキリと届いた瞬間、私は本能的に理解したのです……この声を一生忘れないだろう、と。


「オオアリクイってマジでモンスターなの?」

「二足歩行なんだから魔物なんだろ」

「ねーお腹すいたんだけど!」

「どうせ雑魚狩りなんだし、次ぐらい私にトドメを刺させてよ。少しぐらい経験値寄越せっつーの」

「さっさと終わらせて報酬ゲットな」


 五人の姿が現れた直後に森は一層ざわつきをやめ、空気だけが重くなった。若い男が三人、女が二人。革や鉄を寄せ集めただけの粗野な装備をまとい、背負った剣や杖をやけに軽々と扱っているのです。彼らの歩みは迷路を進む子供のように無防備で、しかし森の静けさを何の躊躇いもなく踏み躙っていました。


 乾いた枝を平気で折るや否や落ち葉を蹴散らし、その煩雑な足音を規則的に刻んでいく――まるでゲームのマップ移動でもしているかのように。


 先頭に立ったのは、金髪碧眼の少年――レイヴン・アストレア。陽光を浴びて金糸のように首元まで輝く髪、その下の碧眼には悪びれもなく傲慢な光が宿っていたのでした。彼はふと私を指差し、唇を歪めて嗤ったのです。


「おい、いたいた! おまえ討伐対象だろ?」


 彼らは下卑た笑みを浮かべながら武器を握りました。剣が鞘から抜ける甲高い音、杖の先に灯る安っぽい魔力の火花――どれもが命を狩る道具のはずなのに、彼らの手に納められたそれらは玩具(オモチャ)にしか見えなかった。クエスト感覚で私に向かってくる……そう直感したのは言うまでもありません。獲物を狩る前の準備運動のように、勝手気ままに装備を整えていくのでした。


 ですが次の瞬間、傍にいた主人が静かに立ち上がったのです。ゆったりとした動作で歩み寄り、その姿は森を治める気高き王のよう。毛並みに光を宿し、長い鼻先を誇らしげに掲げる姿は老いてもやはり精霊。けれど転生者たちは、その威厳をただの滑稽としてしか見なかった。


「なにあれ、今から武器研ぎか?」

「っていうか武器持ってねぇじゃん」

「いやいや、マジでカワイイんだけど」


 私はつぶらな瞳で瞬きした。彼らの笑い声が、樹々に反響して長く尾を引く。森はその響きに怯えるように静まり返り、小鳥さえも口をつぐんだ。


「どうやら彼らには神威の構えの意味が伝わらなかったようですね」


 だが笑いは終わらなかった。転生者の無遠慮な所作は次第に威嚇を挑発へと変え、そして――致命的な一手へと向かっていくのだから。

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