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綺麗な顔立ちで目立つ先輩の存在は知っていたが、その彼と自分の幼馴染みが親しいだなんて知らない。
小学校からずっと雅巳と同じ学校に通っている彼女の交友関係は、酷く限られたものだったはずなのに。
二人が並んで歩いていくのを何も出来ずに見送りながら、雅巳は自分が大事なものを無為に手離してしまったことを自覚した。
始まりを忘れたことなんてない。晶は雅巳の願いを叶えてくれたのだ。
晶は不思議な少女だった。
自分と同い年だけれどどこか大人びていて、何に対してもどこか遠くて高い位置から俯瞰して眺めているような、浮世離れした少女。
幼い頃、泣いているところに現れた晶は、雅巳にとって神様のような存在だった。彼女の暇潰しは、雅巳にとっての至上の幸運であった。
もういい、とただ一言言えば、晶が一切の未練なく雅巳を手離すことは理解していた。彼女が口にする好意はあくまで言葉だけのもので、彼女が見せつける雅巳への執着は約束の履行に他ならない。そして何よりその約束自体が彼女のお遊びなのだ。
けれど居心地がよかった。常に求められる存在であることは、失いかけていた雅巳の自尊心を補強して、増幅させて、そうして傲慢にさせる。
気分屋な彼女は、しかし雅巳が失敗さえしなければ、きっと側に居続けたことだろう。それは、これまでの学生生活でどれだけ周囲にからかわれても謗られても、また雅巳自身に邪険な態度をとられようとも変わることなかった、彼女との距離が証明している。
失敗。そう、失敗だ。
これまではうまくやれていた。晶の目は、雅巳だけを見つめてくれていたはずだ。
誰よりも、何よりも優先して、彼女の行動原理の全てを雅巳が占めるように。ほんの僅かでも、雅巳以外の別の何かに目がいかないように、そのために彼女の気を引こうと馬鹿みたいな態度ばかり繰り返して。きっとそんなみっともない足掻きは見抜かれていただろうけれど。
それなのに、こんなに呆気なく?
その土俵から、ほんの僅かでも、たとえ足の爪先程度だろうとも出てしまえばごっこ遊びは終わるのだと、雅巳は知っていたのに。
ラインを見誤った雅巳の手元には、晶の情は欠片も残らないことだろう。
立ち竦む雅巳を支えるように誰かが控えめに背に触れる。一拍遅れて制服のシャツ越しに伝わる生温い温度は、動揺していた雅巳の苛立ちをやたら誘った。
反射的にその手を乱暴に振り払ってから、それが夏見だったことに気がつく。
「……っあ、えと、雅巳くん、」
夏見の目に怯えが走った。まるで自分だけが被害者みたいに、悲しい顔をして。庇護されることが当然みたいな、か弱い女の顔。
こいつのせいだ、と雅巳の中で理不尽に駄々をこねる自分がいるのを、どこか醒めた目で見下ろす理性的な自分がいる。
試してみたくなったのだ。雅巳が求めて晶が好奇心で始めた不安定な関係が、晶にとっても好ましいものになっているなんて奇跡が起きないかと。晶の側にいたくて雅巳ばかりが必死にしがみついているけれど、そんな雅巳を手離すには惜しいと晶が少しでも思ってくれないかと。
あまりに馬鹿な試みだった。最初の願いはとうに叶っていたのに、欲を見たから失った。
次があれば、もう絶対に間違えないのに。