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食欲をそそる匂いが鼻を擽り、空腹感に目を覚ました。ぱちぱちと瞬きを繰り返しながら、自分が晶の家で寝てしまったことを悟る。確か、配信が始まったばかりのホラー映画を晶と観ていたはずだが、いつの間に寝ていたのだろう。
ソファに腰掛けたままだったので首が痛い。回すとこきこきと乾いた音が鳴った。
「あー起きた? 章くん、夕飯食べていくでしょ?」
エプロン姿の晶の母がにこにこ微笑み、章に声をかける。彼女はカレールーの空箱を両手でぺきょぺきょと楽しげに潰しながら、返事を待たずにキッチンに戻っていった。半強制気味ということは、章の母には連絡済みということだ。
「晶ちゃん起こしておいて~」
キッチンから間延びした声が飛んできて、自分の横に晶が寝ていることに気がつく。狭い空間に足を曲げて丸まっているが、寝苦しくないのだろうか。すよすよと寝息を立てる横顔は穏やかだ。
ホラー映画を一本観終え、惰性で別のゾンビものを流している途中、瞬きが増えた晶に膝を貸す提案をしたのを思い出した。枕が高すぎると眠れないから、と丁重に断られたことも。
「あきら」
酷く甘ったるい声が出た自分に苦笑する。こうして一生、この子の隣が章の居場所であり続ければいいのに。
「晶、晶ちゃん、起きて。もうすぐご飯だよ」
「……かれーのにおい」
目を閉じたまま、晶が舌足らずに呟いた。寝起きだからか、やや掠れた声。
「そーそ。お母さんがカレー作ってるよ」
「んん~」
固まった身体をぐぅっと反らすようにして伸びをして、ぱちり、目蓋が開かれた。章と目が合うと、ほんのり笑うように細められる。
「見過ぎ」
ふ、と吐息の延長線みたいな笑い声を残して、晶は跡のついた髪を手櫛で直しながらソファを降りてキッチンの母の方に歩いていった。辛さの程度について相談している声が聞こえてくる。
伸びをした際に晶の頭は章の足にぶつかり、宙を掻くように伸ばした手は章の腕を掠っていった。なんのことはない軽微な接触だ。下心なんて欠片もない。意識する程じゃない。章から仕掛けるスキンシップの方がよっぽど密着度が高い。
それなのに、晶から触れてきた、という事実のみで、動揺する自分が一周回って可愛く思えてくるから可笑しい。
「なんて不憫な奴だよ俺は」
「え、不憫なの章くん」
戻ってきた晶が章の独り言に首を傾げた。
「なのよ。だから優しくしていいよ晶ちゃん」
「じゃあカレーをよそう時にこっそりお肉をいっぱい入れてあげよう」
「ときめいちゃうね。大好きになっちゃう」
「そっかー」
流されてうっかり泣きたくなるくらいには、可愛い奴なんだよ。