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 雅巳が泣いた。


 らしい。


「泣き落としはせこいよ。ずるだ」


「別に泣かれたからって何かしないといけないわけでもないし」


「そうやって適当に絆されてつまんない遊びにどれだけ長いこと付き合わされてきたのかな晶ちゃんは」


 子どもが泣き出す直前みたいにくしゃりと雅巳の眉が切なく歪んだ瞬間、章の小脇に抱えられてその場を素早く後にした晶は、その後は見ていない。


 けれど、きっと昔見たあの顔と全く同じものがそこにあったんじゃないかと晶は確信している。


 ひとりぼっちで、泣き虫で、誰かの体温が側にあるのが当たり前ではなかった、寂しい子だった。


 みっともなくべしょべしょになるまで泣いてしまう、弱くて強かなずるい子。晶の目が初めて彼に向いたきっかけは、確かにあの泣き顔だ。


「別に、つまんないこともなかったけどね」


「怒るよ」


 間髪入れず返ってきた言葉は、彼が晶に向けるものにしてはやけに鋭いものだった。隣を歩く章の顔を見上げると、取り繕うようににっこりと笑みが作られる。珍しく余裕がない様子だ。


 ここ数日、章に似合わず必死な様が見える。彼が持つ粘着的で重たい愛情を知ってはいたけれど、これまで晶の行動を縛りつけることはしてこなかったのに。


「俺だって必死にもなるよ。十年も手すら繋げないなんて思わなかったんだ」


 章は容易く晶の心を読む。何を考えているかわからないと言われたことは数えきれないほどあるが、彼は当然のように晶の僅かな感情の動きを見逃さない。


 晶の手をそっと掬いとり、繋がった部分を慈しむように見つめて章は満足げに微笑んだ。なんとなく気持ち悪かったので取り返そうとしたが彼は決して離さなかった。


 痛みはないけれど絶妙に外れない拘束にデジャヴを感じているうちに、章の家があるマンションの前を当然のように通り過ぎた。気にする様子は欠片もないのでこのまま晶の家までついてくるのだろう。


 堂々と校舎を出た晶たちは、一人の教師にも声をかけられることなくサボタージュを叶えた。案外こそこそしていない方が注意されないものだ。翌日に登校したときを思うと少々面倒だが、すっかり拗ねてしまった章が側を離れなかったので諦めた。


「そんなに手繋ぐの好きなの?」


「晶ちゃんが好きなの。片時も離れたくないしなんなら二人で学校辞めて結婚して一緒に暮らしたい。そうだ、晶ちゃんだけでも辞めない? あのクソガキと同じ空気吸ってほしくないんだけど」


 これが冗談を言う顔でもしていればまだ笑えるのだけれど、名案を閃いたとでも言いたげな真面目な顔をして言うから返事に困るのだ。きっと真に受けた晶がうっかり本当に学校を辞めたとしたら彼は素直に喜ぶのだろう。


「俺なんかのことで困ったことなんて一度もないくせに、たまにそうやってさも常識人側みたいな顔をするよね、晶ちゃん」


「心を読むな」


 章はやれやれと外国人のようなオーバーな仕草で肩を竦める。


 十年も晶が雅巳を追いかける姿を見つめ続け、それでもその執着をなくすことなく、けれど晶の邪魔をすることもなく、雅巳を排除することもなく、ただ付かず離れずの位置で晶の恋愛ごっこの終わりを待っていた章。


 それでいて晶が雅巳を手放した途端にすぐ隣にぴったりと並び手を絡ませ好意を囁くのだ。まるで十年の疎遠なんてなかったかのように。


 きっと、章が雅巳に害を与えれば、晶は許さなかったことだろう。それこそギリギリ保っていた幼馴染みとしての縁を切り、晶と雅巳が一緒にいるために有害な存在として敵視したことと思う。ただの一日のみだったが、夏見は晶にとって確かに敵だった。


 よくやる、と他人事のように感心してしまう。


 握られていた手にぎゅうと力が込められ、横を歩く章を見ると、清々しいまでににこやかな笑みを浮かべていた。


「“大好きな彼との仲を阻む恋の障害”には、死んでもなりたくなかったから」


「ばっかみたいなフレーズ」


「でも制限ある方が燃えちゃうでしょう」


 否定はしない。



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