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 章の学年は晶と階が違う。名残惜しげな章とは階段前で別れ、一人になった晶が一階分登りきったときだった。


「晶」


 酷く憔悴した面持ちの雅巳が現れた。目を瞬かせる晶の手首を強く掴み、雅巳は強引に空き教室に引っ張り込んだ。


 急く動作の割に冷静な顔で扉を閉め切ると、途端に喧騒が遠くなり、閉ざされた空間に二人きりになる。雅巳は最初に一言名前を呼んだきり、何を話すこともなく、けれど晶を掴んだ手だけは決して離さんと握り締めて俯いてしまった。


 掴まれた手を軽く振るってみるも、左手首をぐるり、一周と少し巻き付いた彼の指は剥がれそうにない。幸い、痛みはない。深い溜め息を溢すと、びくりと反応する雅巳の震えが掴まれた手から伝わってきた。


「……晶」


 もう一度呼ばれた名前。その響きがまるで泣いているように聞こえて、つい俯く彼を下から覗けば、泣く二秒前みたいな顔をしていた。


「泣かないでよ」


「泣いてねえ」


 間髪入れず返ってきた声は食い気味のくせに弱々しい。晶はもう一度溜め息を吐いた。


 始業の時間までもう間もない。壁に掛かった時計を確認してから、雅巳のつむじを眺める。


 そういえば、夏見はどうなったのだろうか。雅巳は彼女と付き合い始めたのではなかったか。


 すらりと伸びる恵まれた長身でスタイルが良いくせに、自信が足りないクラスメイトを思い出す。別に悪いことをしたわけではないのに、抱え込んだ罪悪感で今にも潰れてしまいそうだった夏見。


 雅巳に執着する晶としては邪魔な存在でしかなかったけれど、それをやめた今となってはびくびく震える様子は可愛らしかったと思い返す。


「何考えてんの」


「雅巳くんの恋人のこと」


「そんなのいない」


 咎めるような拗ねた言い方と一緒に彼の手にやや力が籠る。相変わらず痛みはない。が、熱がじんわりと伝わってくる。幼い頃、体温が高い雅巳は冷え性の晶の手をよく握ってくれたものだ。


「あいつに関わんな」


「するなと言われるとむしろしたくなる人間の心理的なあれ」


「やめろ」


 ぴしゃり、と鋭い声。冗談のつもりだった晶は真剣な顔の雅巳につい苦笑いをしてしまう。


「そんな警戒しなくても、なっつみんに変なことはしないよ」


 表面的な付き合いのみだったとはいえ、雅巳さえ絡まなければ彼女に対して悪感情などない。彼女からしたら晶はそれこそ嫌な女だっただろうけど。


「違う」


 そうじゃなくて、と雅巳は首を振った。何故だか言いづらそうに、というより言いたくなさそうに、察してとばかりに晶を縋るような目で見つめてくる。


 色々なものが鈍いらしい晶にはきっとわからない何かがあるんだろう。いっそ申し訳なくなって目を逸らした晶の肩に、雅巳が額を押し付けてきた。長身を窮屈そうに屈め、未だに晶の手首は掴んだままだ。元々近かった距離が更に縮まり、雅巳が身動ぎすると髪が首を掠めてくすぐったい。


「あんなのに興味持たないで」


「あんなのって」


「お願い。それなら、……それなら、もう一度俺を見てよ」


 掠れた声は酷くか細かった。



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