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歴史系

それはあの、ご老人との約束

掲載日:2024/01/25

※本作は、家紋武範様主催の「約束企画」参加作品です。

 寿永三(1184)年、弥生の深夜のことだ。

 熊野灘の黒い波を見つめる、一人の僧がいた。


 生気を失くした顔貌に、都一の美男子の面影は既にない。

 その左手には翡翠の数珠を、右手には祖父と父の名を書いた板切れを持つ。

 板切れの最後に、己の名を書けば準備は終わる。


 起伏の激しい人生であった。

 ほんの一瞬、栄華を極めた一族の出自だ。


 だが、全ての罪と劫を流すために、今宵舟に乗る。


 波の果てには観音菩薩が待つという。

 其処を目指して海を渡るのだ。

 名誉も官位も、妻と子も捨てた。


 もう、今生への未練はない。

 細い月明りの下で、彼は板切れに筆を走らす。



「くわはっはっは! 未練がないなど、笑止!」


 笑い声に彼が振り返ると、そこには一人の老人がいた。


 高下駄を履き、あちこちが擦り切れた墨衣を纏う。

 骨が目立つ手に、錫杖を持っている。

 髪も髭も白い。


「何奴」

「儂か? 通りすがりの修行者じゃ」

「修行僧か。ならば私の補陀落(ふだらく)渡海を見届けてくれ」

「断る」

「何と?」


「入水したところで、お主の咎が消えはせぬ。残した妻子が喜ぶわけもない」


 細い月に、薄墨の様な雲がかかる。

 彼は掠れた声を出す。


「されど……我が一門の多くの者たちが命を落とした今、わたしだけが生き永らえることなど出来ぬ」


 チリリンと、錫杖が揺れる。


「だからこそなのだ」

「え?」

「彼岸へ渡った者たちを、弔うべきであろうよ。そして」


 チリリン。


「お主が、お主だから、後世に残せることがあるのだ」


 彼は合掌し、頭を振る。


「何を。何を残せと」


 チリン!


「弱い将をいただく兵は不幸じゃ。弱将の元で、強い武士は育たぬ」


 ああ、そうだ。

 大将でありながら、負け続けた。

 食料も鎧も、兵たちも失った。


 全ては彼の、弱さゆえ。


 チリンチリン!!


「お主はこれより山に籠もり、身も心も鍛えよ!」

「!」


 月が痩身の光を、浜に投げた。 


「そして、強き将を選び、その将を守るべし!」


 雅楽のような錫杖の音を響かせ、老人は海と反対の方向へ飛び上がる。


「強くなれ、強くなれ。皆のために」


「修行僧殿!」


 なぜだか彼は、空へと舞い上がる老人を追う。

 もっと、聞きたいことがある。

 何のための一生。

 誰のための戦。

 

 自分はまだ、生きていて良いのか。

 己に出来ることが、まだあるというのか!


「強くなれ、強くなれ。お主自身のために。


喝!」


 砂浜を駆けあがった彼は、消えていく老人に叫ぶ。


「お約束いたしましょう、修行僧殿。今までの自分を今夜、わたしは捨てます」


 数日後。

 

 熊野の沖を流れいく一艘の舟があった。

 中に残されていたのは三枚の木札。

 清盛。

 重盛。

 そして維盛と、木札には書いてあったという。



 平維盛(たいらこれもり)の最期は、入水であったと平家物語は語る。


 だが。


 浜辺で謎の老人に出会い、維盛は生きる道を選んだ。

 山に籠もり、修行し、散っていた平家所縁の者たちを再び集めた。

 その頃には、桜梅のような男子と評された維盛は、堂々とした武士(もののふ)に成長していた。



 美濃の山奥に居を構えた維盛は、山の上に住んでいるからと、「植村」を名乗る。

 彼の部下たちは「中村」や「二村」、「下村」を名乗ったとも伝え聞く。


 そして平家の残党狩りが下火になった頃、山を下り三河へと移って行った。

 強き将を見定めるために。


 植村一族は、三河の松平氏(後の徳川氏)に仕えた。いずれ徳川の治世が来ると予見していたのかもしれない。

 それから幕末に至るまで、主君を裏切ることはなく、江戸時代初期に、難攻不落の城を一つ、任されるようになる。

 任された城こそが、大和の高取城なのだ。

植村氏は土岐氏から出たらしい。

土岐氏ってどこから来たの?

誤字脱字ごめんなさい。

平家所縁の皆様、すみません。

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― 新着の感想 ―
[一言] 覚悟を決めて、立派な武士へと成長した維盛。 歴史には多くのドラマがありますよね。 だからこそ、後々の世に生きるひとたちの心を打つのかも知れません。 高取さん、ありがとうございました。
[良い点] 「約束企画」から拝読させていただきました。 平家の落人伝説は眉唾ものも多いですが、結構信憑性があるものもあって、そういうものはロマンがありますよね。
[良い点] (このたび企画ご一緒しております(^^)) 自分のために命を落とした者がいるからこそ、生きながらえてやらねばならぬことがあると。 夜の浜辺、暗い海、薄い月明り、不思議な修行僧が、錫杖の音…
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