19. 最終話 妖達による彩歌市の夜は
「それでは、この彩歌市の総大将ともいえる怒楽市長よりご祝辞を頂戴したいと思います。怒楽市長、どうぞよろしくお願いいたします」
上司の天野さんは、相変わらずのクールビューティーさで淡々と司会をこなしてくれていた。
初めて見た怒楽市長はものすごく頭が大きな老人で、鋭い目つきは何でも見抜いてしまいそうだ。
つまり、私が今「頭が重そうだけど転んだりしないかな、大丈夫かな」と思っている事も全てお見通しなのかも知れない。
その証拠に、スピーチの途中でこちらを向いてニヤリと笑った。
怒楽市長がわざわざ出席してくれた私と貧乏神の結婚式は、必然的に市長が公務を終えた後となり、プロポーズをしたあの満月の夜と同じような美しい星空の下で執り行われた。
場所はなんと彩歌市の所有する『彩歌市市民集の丘広場』という多目的広場。
沢山のキャンドルやランプに囲まれて、よく言えばガーデンウエディングのような形で。
けれど実際は地域のお祭りに私達の結婚式をドッキングしたようなイベントだ。
この結婚式、実は私も貧乏神も何も知らされないまま突然呼ばれて、あれよあれよと言う間に支度をされて今皆の前に正装で立っている。
「あの火事からまだ一週間だって言うのに、よくこんなに早く準備出来たよね」
皆が歓談している間に、コソッと隣に立つ貧乏神に声を掛けた。
彼は珍しく洋装、しかも真っ白なタキシード姿でそれはそれは眼福……いや、それでもものすごく心臓に悪いほどにカッコいい。
「赤井さん達に伺ったところ、どうやら随分と前から計画されていたみたいですよ」
「何それ、全然知らなかった。結局私達らしい節約ウエディングになっちゃったけど、皆も楽しんでるみたいねぇ」
皆カジュアルな服装で気楽に参加するこの結婚式は、まるで地域のお祭りのようで。
きっと私達に気を遣わせないようにしてくれているんだろう。
でも、この温かな結婚式は私と貧乏神にピッタリなような気がした。
「あ、あのお店も来てるんだね。美味しいよね、あそこの焼き鳥」
「そうですねぇ、ですが流石に私達は食べられませんね」
「あぁ、残念」
近所にある顔見知りのお店がいくつもの出店を出して、参加者はそれぞれ好きなお店で食べ物を購入する形式だ。
それは結婚式というよりも、もう完全にお祭りだと思うけど。
広場にはデイサービスの利用者さんやその家族、同僚や近所の人達などが集まり、三百人くらいは集まっている気がする。
どうせなら私達もカジュアルな服装だったらあのイカ焼きを食べられたのになぁと思ったりもした。
けれどそこはやはり乙女の夢であるウエディングドレスが必要だろうと、何と有志の皆さんが手縫いしてくれたそうで。
「有栖川さん、そのドレスとっても似合ってるわよぉ」
「砂川さん、ありがとうございます。砂川さんもこのドレスを縫ってくれたって聞きました」
「元々洋裁の仕事をしていたから、楽しかったわよ。それにしても、よくこれだけ色んな妖怪達が集まったわねぇ」
「ありがたいです」
砂かけババアだという砂川さんは、そう言って私達に砂ではなくフラワーシャワーを浴びせてから笑いながら去って行く。
そう、本当にこの広場にいるのは殆どが妖怪で、人間はその家族や同僚達のみ。
あ、それと私の両親だ。
そもそも私が急に結婚するという事に始めこそ驚いた両親も、貧乏神のイケメン具合にすんなり納得して許してくれるという有様で。
二十五歳にもなった娘を貰ってくれるなら誰でもいいという感じがしたような気がしないでもないが。
「香恋様のご両親、とても良い方達で安心しました。相手が貧乏神だなんてって言われるかと心配していましたが」
「それは貧乏神の人柄が良いからよ。とんでもないイケメンだしね」
次々とお祝いの言葉を伝えに来てくれる参加者達は、皆とても楽しそうで。
もうこれは結婚式というよりも完全に彩歌市の主催する妖怪祭りだ。
だってほら、「今からクライマックスだ」って騒いでいるけれど、それは新郎新婦の誓いのキスでもブーケトスでもなくて(それらはさっさと済ませている)。
「ほうら、有栖川! よく見ているんだぞ」
「有栖川ちゃん! お幸せにー」
まぁるい月と美しい星が散る空に向かって様々な妖怪達が群れ歩いていく。
「さぁみんな、行くよぉ〜」
「仕方ないな、行くか」
「ほらほら、久しぶりにはじけるわよぉ」
手長、あかなめ、小豆洗い、あみ切り、海女房、天邪鬼、砂かけババア……見慣れた人たちが今夜だけは姿を変えて、楽しそうに夜空を飛んで跳ねて。
あ、先頭の方にぬらりひょんもいる。
「ねぇ、あれって二口女と尻目だよね?」
「そうですねぇ。お祝いを伝えに来たんでしょうか?」
広場にいた人達の半分ほどが本来の妖怪姿に戻って、勢いのある川のような妖怪達の行列に混じって闇夜を練り歩く。
クライマックスは数多くの妖怪達の百鬼夜行だった。
見たことの無い妖怪もいれば、おばあちゃんから聞いた事のある妖怪もいる。
うちの両親はあまりに壮大なその光景に目を回して倒れてしまったけれど、私はものすごく感動した。
胸も目もとんでもなく熱くなった。
「おい、アリス。俺は潔ぎよく身を引くが、弟の事頼んだぞ」
いつの間にか私達のそばに来ていた福の神は、今日も無駄にカッコつけたスーツ姿で。
それでもきっと弟の貧乏神のお祝いの為に着飾ってくれたんだろう。
「あら、勿論よ。福の神は百鬼夜行に混ざらないの?」
「今から行こうと思ったんだよ! 貧乏神、アリスの事幸せにしろよ!」
「兄さん、ありがとう」
「アリス! 貧乏神に嫌気がさしたらいつでも俺のところへ来いよ!」
福の神はスーツ姿から金色の和服へと姿を変えて、煌びやかな笑顔で決め台詞を言うと、私の返事も聞かずに夜空に浮かぶ満月を目指す百鬼夜行の方へと飛んで行く。
「本当、福の神ってナルシストよね。そもそも、ずっと気になってたけど『アリス』って何なの? 変なあだ名で呼ばないで欲しいんだけどな」
「さぁ? 兄さんは時々異国かぶれな所がありますからねぇ」
異国かぶれ?
だからアリスっていうのもよく分からないけれど、まぁあの人はこれから私の義兄になるんだ。
そう思うと、何だか変な感じがした。私って本当に貧乏神の妻になったんだなぁって。
「そもそも私が貧乏神の事を嫌になる事なんて、天と地がひっくり返ってもある訳ないのにね」
「そうなんですか? それはとても嬉しいです」
貧乏神のはにかんだような笑顔は、たまらなく愛しい。
気づけば大きな満月が隠れるほど多くの妖怪達が、百鬼夜行のお祭り騒ぎに参加している。
数百はいるだろうか。お陰で月の光が隠れて暗くなった隙に、私は自分から貧乏神の唇に己のそれをそっと重ねた。
「これからもずっとそばでいてね。貧乏でも、きっと幸せだよ。二人なら」
「はい、香恋様」
「あ、ねぇ。香恋様っていい加減やめてよぉ。香恋って呼んでみて?」
「か、か、か、かれ……ん」
すぐそばにある貧乏神の綺麗な顔は、うっすらと射した月明かりの下で真っ赤に染まっている。
羞恥から視線を下げて、彼の長いまつ毛が頬に影を落としていた。
これからはこの人と、どんな苦難も乗り越えて行こう。
この彩歌市ならきっと楽しく過ごせるから。
「ねぇ、今更だけど貧乏神ってちゃんとした名前は無いの? 香恋、みたいな」
「今まで必要が無かったので……ありませんねぇ」
「じゃあさ、ちょっと耳貸して……」
素直に腰を屈めて私の前に片耳を差し出した貧乏神、そっとその耳元に囁いたのは私が考えた彼の名前。
それを聞いた彼はいつものように大輪の花が咲き誇るような明るい笑みを浮かべる。
「香恋、私は誰よりも幸せ者です」
「私も、幸せだよ」
彩歌市の夜は、二人の幸せを願う妖怪達の賑やかな百鬼夜行でしばらくの間彩られたのだった。