14. あたたかな妖怪たちの眼差しに
「有栖川、どうだ? なかなか良かったじゃろ? 貧乏神付きの訳あり物件」
相変わらず送迎時の長手さん節は変わらない。
選挙でよく見るデカいダルマみたいな顔で得意げにそう尋ねて来る。
車内は長手さん、網野さん、小豆さん。
この三人が私を主任にと猛プッシュしてくれたというメンバーだ。
だからなのか、何となく車内がほのぼのとした雰囲気に包まれている。
「なかなか住み心地いいですよ、おかげさまで」
「貧乏神もそろそろ身を固められる時が来たのか。長かったのう」
助手席の長手さんが、後部座席の二人にそう話しかける。私は顔がカァーッと熱くなって、パタパタと手で扇いだ。
そういえば私より前に貧乏神の元に送られた嫁候補ってどんな人達だったんだろ?
「あの、私より前にも嫁候補はいたんですよね?」
聞きたいような、聞きたく無いような。そんな微妙な気持ちで、だけどやっぱり気になるから聞いてしまう。
貧乏神にはその事について詳しく尋ねた事は無かったから。
「おや、気になるのかい? 可愛らしいねぇ、有栖川さんは」
小豆さんが皺に包まれた目を細めた。
その隣で偏屈で頑固な網野さんも、珍しくニヤニヤしている。
「気になりますよ! だって貧乏神ってあの通りのイケメンじゃないですか! 絶対私より前にも彼の事を好きになっちゃった人がいたはずです」
私でさえそこそこ恋愛してきたんだから、貧乏神だって好きな人の一人や二人いたっておかしくは無い。
おかしくは無いんだけど……。
「ありゃ! こら! 有栖川! 泣くんじゃない!」
「だっでぇー、びんぼうがびにずぎなびどがびだなんでぇー……」
一気に流れ出した鼻水と涙は、私の十人並みの顔をますます見苦しく汚した。
長手さんが慌てて送迎車に装備しているティッシュを手渡してくる。
この人達はやっぱり優しいなぁ、もう。
「あらあら、可哀想に。どうか泣かないで、大丈夫よ有栖川さん」
穏やかな小豆さんの声が身に染みる。
涙は余計に零れ落ちて、自分でも話を聞く前からこんなにショックを受けるなんて驚いた。
「……ふん。泣くくらいなら聞くな」
「もう、網野さんったら。そう言いつつハンカチを出しちゃって。素直じゃ無いのよねぇ」
ああ、もうダメだ。この彩歌市の妖怪達は優しすぎる。
悲しみの涙は、いつのまにか心地よい涙に変わっていた。
「全く、早とちりして無駄に泣きおって。貧乏神に好きな女子など今までおらんかったわ。ワシがわざわざあてがった嫁候補は一日と持たずに逃げ出したからの」
「本当ですか?」
「人間の男でも最長三日まで。皆貧乏は嫌なんじゃ。有栖川のように長くあの部屋に留まる物好きなど他におらんわい」
そうなんだ。それじゃあ……。
「初恋は実らんと言うが、遅咲きだったからか貧乏神の初恋は見事実って良かったのぉ」
「有栖川さんの人柄が皆を応援したくなる気持ちにさせるのよぉ。もし貧乏神のご利益で貴女が困ってたら助けてあげましょうねと、仲間内でいつの間にかそんな話になっていたんだからねぇ」
車内は一気にむせ返るような桃色の空気に包まれた。
チラリとルームミラーを覗けば、あの網野さんだって口元に緩く弧を描いている。
私は本当に幸せ者だ。
貧乏神のご利益に悩まされながらも平和に生きていけるのは、知らず知らずのうちに手助けしてくれていた妖怪達がいたからなんだから。
「ってことだ。だからな有栖川、安心して貧乏神に嫁げよ」
「な! まだそんな! 結婚式が出来るほどお金も貯まってないんですから」
そう、ある程度あった貯金はご利益のおかげで(?)段々と目減りしてゆき、つい最近なんて給料を銀行から下ろしたばかりで引ったくりに遭って丸々無くした。
皆の協力でその月も何とか食べていけたけれど、『ささやかでもいいから結婚式を』なんていう人並みな事すら出来ない状態なのだ。
「……式が出来るとしたら嫁ぐのか?」
低い声音は網野さん。いつもはあまり喋らないのに、今日はえらく饒舌だ。
「まぁ、両親の為にも小さくてもいいから結婚式はしたいですね。節目ですから」
「そうか」
そこで網野さんと小豆さんは家に到着した。
家がお隣同士の二人は「ありがとう」と言って帰っていく。
車内に残ったのは長手さんだけとなり、何となく私は福の神の事を尋ねてみる。
「あの、貧乏神のお兄さんの福の神って女性にモテるらしいですけど具体的にはどんなご利益があるんですか?」
長手さんはギョロリと目をこちらへ向けるとニヤリと笑う。
その笑いは何なのか分からなかったけれど、きっと長手さんにとっては思い出し笑いをする程の何か面白い事があったのだろう。
「福の神のご利益はな、例えば宝くじや懸賞が当たったり、昇進したり、玉の輿に乗れたり、そばに居るだけで欲しいものが簡単に寄って来るんじゃよ。その代わり、欲に目が眩むばかりで福の神の事を心から愛する者はおらん。だから奴は常に愛に飢えておるんじゃ」
「何だかんだ言って福の神も、貧乏神の事を羨ましそうなんですよね」
「あの兄弟はお互いがお互いを羨ましがっとるんじゃよ。お互いが自分に無いものを持っとるからの」
なるほど、長手さんの言う事はよく分かる。さすがデイサービスの主。
いつの間にか私の流した涙も乾いて、頬と鼻下に無様な白線をこしらえただけになっていた。
「貧乏神は兄である福の神に有栖川を取られるんじゃ無いかと、常に内心はビク付いておるんじゃろうなぁ。なるべく早く安心させてやれたらええけどのぉ」
つまり、早く嫁になれと言うことですよね。
そうしたいのは山々というところまで私の気持ちは膨らんでいるものの、いかんせん先立つものが無い。
貧乏神のご利益だから仕方ないと思いつつ、それでも結婚式の資金がなかなか貯まらないのには密かに焦っていた。
これではいつまで経っても貧乏神にプロポーズ出来ないではないか、と。
「頑張って働きます……」
「おう、頑張れ。ワシら利用者は有栖川を頼りにしてるぞ」