13.5(閑話)思わぬ事で二人の仲が進展する回
あのキスの一件から、私と貧乏神は同居人という関係から恋人という関係に昇格した。
けれど相変わらず寝る時は別々で、「さあ寝ましょう」という時になると貧乏神はさっさと押し入れの中へ入ってしまう。
どうやらその辺の貞操観念はやはり神様だからか高めらしい。
寂しい訳ではないけれど、いや少しは女としての自信を失いそうになる事案ではあるけれど、私と貧乏神はそれでいい。
そう思って気にしない事に決めた。
気にしない、気にしない……。
「ねぇ、今日のお昼ご飯は何?」
度々財布を無くし、色んなものが壊れたり無くなったりする事で私は確かに貧乏になってしまった。
けれど食べ物に関しては、知り合いが運良く「作り過ぎたの」とか「家庭菜園でたくさん採れたから」と分けてくれる事も多いので、食べられずにひもじい思いをする事は今のところないのが救いだ。
「今日はタイムセールで激安だった鶏むね肉と頂き物の野菜で『ホイコーローもどき』を作ってみました」
「わぁ、美味しそう!」
この通り、貧乏神はカリスマ主婦並みに節約レシピにも精通しているので、安くて美味しい物を毎日食べられる。
はっきり言って食に関しては貧乏神の貧乏ご利益よりも、貧乏神の節約レシピの腕前の方が明らかに勝っている気がする。
つまり何が言いたいかというと、今私はとっても幸せだという事で。
「貧乏神って、何がキッカケで節約料理を作ろうと思ったの?」
「そうですねぇ、ほとんどの住人は貧乏神の私の存在を知るや否やすぐに逃げ出してしまうのですが。中にはどうしても他所に引っ越せない理由があって何とか粘る方もいらっしゃったのです」
「確かにすぐに引っ越せない人もいるよね。ここは見た目は昭和チックだけど立地もいいし」
「はい。それでしばらく同居をするのですが、いかんせん私は貧乏神ですから、様々なありがたく無いご利益がある訳ですよ」
今の私のように、財布を無くしたり物が無くなったり壊れたりしてじわじわと貧乏になっていくのだろう。
「そのうち食べる物が無くなると、人間というのは精神的に追い込まれてしまうのです。勿論身体も悪くしてしまいますし、段々とまともな人間らしさというものを失っていきました」
食べる物もお金も無い、そんな風に追い込まれてしまうと、確かにもう全てがマイナスに働くような気がする。
「そんな住人達を見るのが辛くて。それでせめて食べる事くらいは幸せを感じていただこうと思い、節約料理を学んだのです」
「そうだったんだ。でも、お陰で私は全然困ってないもんね」
「それは香恋様が特別だからだと思いますよ。知り合いの方が皆香恋様の為にと食材を分けて下さったりするではありませんか。今までの住人ではそのような事はありませんでした。ですから長くここに居られないのです」
確かに同僚だったり、利用者さんの家族や近所の人(妖怪)がよく声を掛けてくれている。
そう考えると、介護士をしていて顔が広いというのは貧乏神と暮らす上で良かったのかも知れない。
「じゃあ、私と貧乏神は相性が良かったんだね」
そう言うと、貧乏神はキョトンとした顔をした後に柔らかく目を細めた。
「香恋様のそういうところが、救いなのでしょうねぇ」
「どういうところ?」
「そういうところですよ」
どういう意味? よく分からないけど、貧乏神が嬉しそうだからまぁいいか。
「あ! 洗濯洗剤が無い!」
貧乏神が料理をしている間に洗濯機を回そうとして、肝心の洗剤が無いことに気づく。
そういえば昨日私がうっかり盛大にお茶をこぼしてしまって大量のタオルやラグを洗濯したから、いつもより早く無くなってしまったんだ。
「ごめん、ちょっと洗剤買って来るよ」
「お一人で大丈夫ですか?」
「大丈夫、まだ真昼間だし。そうだ、凄腕節約主夫の貧乏神さん。今日はどこのお店が安い日かしら?」
貧乏神はどこから情報を仕入れて来るのか知らないけれど、この近辺のスーパーやドラッグストアのお得情報をよく知っている。
本当に私よりよほど家庭的だなと思って、何だか可笑しくて思わず笑みがこぼれた。
「そうですねぇ、今日は三丁目にあるドラッグストアが日用品のお安い日です」
「了解。じゃあ行ってくるね」
料理をしながらも少し心配そうな顔をした過保護なイケメン彼氏に手を振って、洗剤の代金分だけ入れた財布をしっかりと三つ持って家を出た。
「天気が良くて気持ち良いなぁ」
ガンガンと音のする赤い鉄骨で出来た外階段を降りると、三丁目に足を向ける。
休日に一人で出掛けるのは久しぶりかも知れない。
以前夜道で尻目という妖怪に出会ってから、過保護になってしまった貧乏神は買い物に行くのもお出かけするのも、必ずついて来るようになったから。
今日みたいにサンサンと陽が照るこの真昼間に尻目が出たとしても、きっと何だか可笑しくて笑ってしまうだろう。
歩きながらアマビエ柄のトートバッグに入った財布を確かめる、ポケットの財布も確かめる、そして右手に持った財布も……。
よし、ちゃんと財布はある。
「こんな変な癖にも、もう慣れちゃったなぁ」
そんな独り言を言いつつポカポカ陽気の通りを歩いていた。
元々ぼーっとしているところのある私、天気が良過ぎて更に気が抜けていたのが命取りとも知らずに。
「ぅわん! ぅわん!」
「あれ? どこかのワンちゃんかな?」
後方から聞こえてくる激しい犬の鳴き声に気づいてくるりと振り向く。
逃げ出した犬に噛まれたらそれこそ病院代で貧乏になってしまう。
今日のご利益はそういう系かも知れない。
「そう簡単には噛まれないんだからっ!」
意気込んで振り向いたすぐ目の前に、全ての歯が真っ黒で虫歯だらけのような、パチンコ玉頭をしたおじさんが裸の上半身を地面から生やした状態でそこに居た。
「うわん! うわん!」
「ひ……っ、ぎゃあぁァァ!」
だらりと垂れた胸とぽってりとしたお腹、臍から下は地面に埋まっているというかそこから生えているとしか言いようがなく。
三本の指しかない両手を振り上げて「うわん!」と怒鳴り、こちらを威嚇している。
「や、ごめんなさい!」
「うわん! うわん! うわん!」
何度も威嚇されたせいで軽くパニック状態の私は、あの真っ黒な歯、何て言うんだっけ? 昔習ったような……なんて取り留めのないことが頭をよぎる。
尻目は一言も喋らないけど、こうも激しく怒鳴られるとやっぱり怖い。
思わず目をつぶって耳を押さえ、その場にしゃがみ込む。
「こぉら、ダメだろぉ。アリスを脅かしたら俺、さすがに怒っちゃうよ」
耳を塞ぐ私のすぐそばで、フッと誰か他の人の気配がした。
もしかして貧乏神⁉︎
そう思って顔を上げると、そこに居たのは腕を組んでモデルさながらのポージングを決めた福の神だった。
「福の神!」
「アリス、もう大丈夫だよ。『うわん』は追い払ったからさ」
「うわん?」
「人を驚かした隙に魂を取っちゃう妖怪だよ」
え、あのパチンコ頭のおじさんがそんな凶暴な妖怪だったなんて。
もしかして私、危うく魂を取られちゃうところだったの?
「ありがとう、福の神。それにしても、パチンコ玉のおじさんがそんな怖い妖怪だったなんて……」
「パチンコ玉? ふはッ! アリス、すっげぇ面白い例えだね! うわんの事をパチンコ玉のおじさんだって!」
何がそんなに面白いんだか、福の神はぱっちりとした目を細めて、目尻に涙を流してまで笑い転げている。
しばらく笑いが止まらない発作のように、ヒイヒイと笑っていた福の神が落ち着くのを待って、私はもう一度お礼を言って踵を返した。
「ちょっと待ってよ! アリス!」
「何?」
「どこ行くの? 一人って珍しいね」
数多くいる彼女のところへしょっちゅう泊まりに行ったりしている福の神が、何故私が一人でいるのが珍しいと知っているのか気になった。
だからって関わると面倒臭そうなので、やはり早々に立ち去ろうと試みる。
「無視しないでよぉ。もうすぐ俺の可愛い義妹になるんだろ?」
そっか、貧乏神の嫁になったらこの人が私の義理のお兄さんになるのか。
「はぁ……」
「何でため息吐くんだよ! せっかくだからさ、ちょっとだけ話しようよ!」
何故か今日は妙にしつこく構ってくるので、どうしようかと一瞬思案したが、やはり面倒臭いので用事を告げる。
「今から私は洗濯洗剤を買いに行かなくちゃならないの」
「よし、俺が洗濯洗剤を三つ買ってやろう」
洗濯洗剤三つ……。
残念イケメンな福の神と話すのは面倒だけれど、背に腹はかえられぬ。
少しだけ話を聞いてみよう。
どうせならいつもの安い洗剤じゃなくて、よーく汚れが落ちる高級なやつにしよう。
「う……。分かった。話って、何の話?」
「まぁまぁ、ここじゃ落ち着かないから。そこの公園で」
福の神が指したのはすぐそばにある小さな小さな公園で、遊具はブランコと滑り台、そしてシーソーのみの簡単な子どもの遊び場だ。
遊具では二組の親子が遊んでいるから、私と福の神は木陰にある石造りのベンチに腰掛けた。
「それで? 話って何?」
「あのさ、貧乏神って俺の事嫌いなのかな?」
大のイケメンが突然何を聞くのかと思えば、本当にどうでもいい……いや面倒臭そうな話だ。
いやしかし、高級洗剤三つの為だ。
「嫌いとかじゃないと思うよ。羨ましいって言ってた事もあったから」
「本当に? 俺の事、羨ましいって?」
「うん、それで恋人が欲しいとか思ったみたいよ」
そうだ、確かに初めはそんな事を言ってた。それで本当に今はあんなドストライクなイケメンが私の恋人だなんて。
いやぁっ! 信じられない程に幸せな展開過ぎる! こんなに幸せでいいのかなぁ……確かに貧乏だけど。でも、貧乏神と一緒なら私……。
「……ス! アリス! おーい!」
「え? ごめん、何?」
「酷いじゃないか。今完全に俺の事忘れて考え事してただろ? こんなにモテる俺の事をそんな風に扱うのはこの世でアリスくらいだよ」
うーん、どうして兄弟でこんなに違うのかな? 福の神のこの性格、本当ちょっとウザ……いやいや、ダメだ。
そんな事思っちゃダメ、香恋。相手は福の神様で、腐っても貧乏神のお兄ちゃんなんだから。
「ごめんって。でも、どうしてそんな事を聞くの?」
「あ、いや……。本当は福の神のご利益目当てで近寄ってくる女ばっかりでさ。皆本当に俺の事を愛している訳じゃないんだよ」
スッと真面目な顔になった福の神は、確かに少しだけ貧乏神に似ているかも知れない。
だからつい悲しい顔をして欲しくなくて真面目に答えてしまう。
「でも、貧乏神だってご利益があんな感じだから大変だと思うよ」
「だけどアイツにはアリスがいるじゃないか。貧乏神のご利益ごとそのまま受け入れてくれて、愛してくれるアリスが」
悲痛な叫びを口にする福の神は、悲しげに目を潤ませている。
明るくて常にチャランポランしてると思ってたけど、福の神は福の神で、ご利益抜きで心の底から愛される事がないという苦悩に晒されていたんだ。
「なぁアリス、俺は貧乏神が羨ましいよ。だから俺はアリスが欲しいと思ったんだろうな。アリスなら俺の事を心から好きになってくれるかもって」
真っ直ぐにこちらを見つめる福の神は、確かに類い稀なる美形だ。
貧乏神と違って今風の外見をしているから、女の子にモテるのも分かる。
だけど……。
「だけど、俺はやっぱりあの弟が大事だからさ。貧乏神で不憫な奴だけど、幸せにしてやって欲しい」
「言われなくても……」
そこまで言ったところで、貧乏神が私の名前を呼ぶ声が聞こえた。
どこか切羽詰まったような声で、思わずそちらを向くと同時に視界が真っ黒に遮られた。
「香恋様!」
ただそれだけで貧乏神の声だとすぐ分かるのは、愛の力ゆえだったりして。
なんて馬鹿な事を考えているとも知らずに、私の身体を抱き寄せる貧乏神。
もう! うわんと同じくらいに心臓に悪いよ!
「あんまり遅いからと心配になって来てみれば。兄さん、いくら兄さんでも香恋様だけは渡す事は出来ぬと言いましたよね?」
「急に現れてびっくりしたなぁ。別に取って食ったりしないさ」
食ったりっていうのは、女たらしの福の神が言うと何だか違う意味に聞こえたりしてしまう。
貧乏神だって同じ事を考えたのか、ひどく怒ったように福の神へと噛み付いた。
「当たり前です! 私だってまだ香恋様とは……っ、いや、そうではなくて! こんな私といて貧乏でも構わないと言ってくださるような清廉な香恋様です。そう簡単に汚して良い存在ではないのですよ!」
せ、清廉……。それはちょっと言い過ぎのような。
逆に近頃の私は貧乏神ともっと触れ合いたいという欲に塗れて腐敗しきっている。
だけど貧乏神だって、もしかして私ともっと触れ合いたいと本音では思ってくれているのではないのか。
「もうやめて! 貧乏神! さっさと帰ろう!」
「え? 香恋様?」
まだ買い物もしていないのに帰ろうとする私に戸惑う貧乏神の手を引いて、ズンズンと公園を横切る。
少し離れたところにいたお母さん方が貧乏神の顔を見てポーッとしているのも、いつもなら嫉妬するのに今は何故かどうでも良かった。
「福の神! ちゃんと洗濯洗剤三つ! 二十時になったらドアノブに引っ掛けておいてね! いい? 夜だからね!」
危うく忘れるところだった大事な報酬を思い出して、顔だけくるりと振り向く。
まだベンチのそばに立っている福の神にしっかりと言い含めたら、福の神は苦笑いしながらも右手を挙げた。
「あの……香恋様、どうなさったのですか? 何か怒ってらっしゃるのですか?」
「いいから、来て」
訳も分からず私に手を引かれてアパートまで戻って来た貧乏神は、私が手を離すとまたいつものコテンと首を傾げるアレをする。
カッコ良過ぎて困ってしまうあのポーズだ。
「一体どうしたのですか? 何故兄さんと?」
「最終的に福の神は『弟を幸せにしてやってくれ』って言ってきただけ。話を聞く代わりに洗濯洗剤三つ買ってくれるって言うから、また夜に持って来ると思う」
「そう……ですか。それで、どうして夜なんです?」
福の神の話を聞いてホッとした顔と嬉しそうな顔が見れた。
貧乏神の表情は分かりやすい。なのに、どうして夜にはさっさと押し入れに入ってしまうのか。
今までずっと分からなかったけど、それもさっきの事で分かった。
「あのね、私清廉なんかじゃないの。貧乏神が想像もつかないくらいに欲まみれだよ」
鍵はしっかりと掛けた。これで二口女も他の妖怪達も入って来ないだろう。
「それはどういう……」
まだ尋ねてこようとする鈍感な恋人の言葉を唇で奪う。
目を見開いて驚いた顔をした彼でさえ、愛しくて堪らない。いい加減、私の気持ちに気づいてよ。
「香恋様……」
次に私の名を呼んだ時、貧乏神はその声と表情に壮絶な色気を孕んでいて。
よし、誘惑成功!
――そんな風に呑気に喜んでいた私は、夜になって福の神がドアノブに引っ掛けていた激安洗濯洗剤三つを見てちょっとだけガッカリしたのだった。