13. 貧乏神、とうとう堪忍袋の緒が切れる
ただそれだけの言葉に、貧乏神も福の神も揃って私の方を注目する。
二人の神々しいイケメンが今、良くて中の上程度の自分の顔に痛い程の視線を向けていると思えば羞恥でどうにかなりそうだった。
けれど今こそ伝えなければならぬという使命感に駆られた私は、続きの言葉を口にしようと大きく息を吸い込んだ。
再び、行け、香恋!
「好きなの! 私は、貧乏神の事が好きで好きで仕方なくて、ご利益で子犬みたいにシュンとするところも、あざとくコテンって首を傾げるところも、おじいちゃんの着物がめちゃくちゃ似合うところも、『香恋様』だなんて二次元男子みたいな呼び方をするところだって、たとえどんなに貧乏でも気にならないくらいに大好きなの!」
はぁはぁと鼻息を荒くして、それでも一息で言い切った自分を褒めてあげたいと思う。
目の前のイケメン兄弟は二人してキョトンとするばかりで反応が薄く、何だか逆にこちらが恥ずかしくなってくる。
せめて何か反応を……そう思って貧乏神の方を向き、コクコクと小刻みに頷いてみせた。「何か言ってよ、お願いだから」そう匂わせたのだが、分かってくれただろうか。
「アリス……、マジか。貧乏って、結構辛いぞ」
何故だ、先に口を開いたのは福の神の方で。貧乏神はじっとこちらを向いたまま動かずにいる。
ええい、こうなったらもうヤケクソ。私と福の神はお互い立ち上がって興奮気味に主張する。
「それでも、私は貧乏神が好きなんだから仕方ないじゃない! ハッキリ言って、福の神の事は全っ然好みじゃないの!」
「な、な、な、何だとぉ⁉︎ おのれアリス、言わせておけば!」
「貧乏神のこと、勝手に悪く言うのやめてよね! アンタなんか、勘違いイケメンの最低なお兄ちゃんよ!」
「ぐっ! べ、別に俺だって本当はちんちくりんのアリスなんか好みじゃないね! ちょっと珍しい毛色だから相手してやろうかと……グアッ!」
突然目の前に薄い灰色が広がって、次の瞬間にはバキッという鈍い音と共に福の神が襖をぶち破って寝室の方へと吹き飛んでいた。
ああ、襖が……。
そう考えたのも束の間、貧乏神が福の神を殴ったのだと分かってハッと息を呑む。
「兄さん、いくら兄さんでも香恋様の事を貶めるのは許さない」
「び、貧乏神……お前、俺を殴ったのか?」
左頬を押さえ、倒れた襖の上で泣きそうになっている福の神を見ていると何だか可哀想になってくる。
きっと貧乏神がこんな事をしたのは初めての事だったんだろう。ああ、優しい貧乏神に私が暴力を振るわせてしまったのだと心が痛んだ。
「ごめんね、貧乏神。痛かったでしょう?」
貧乏神の右手をそっと両手で包み込んで優しく撫でた。きっと右手より心が痛んでいるはずだ。
この人は優しい人だから。
「いいえ、香恋様。痛みなど感じません。むしろ清々しました。長年の恨みと言いましょうか、兄さんにはいい加減辟易としていたんです。兄さんのせいで何人もの女性たちが傷つくのを見てきました。福の神だということをいい事に好き放題してきたんです。見ているのも辛かった」
あれ? なんか思ってたのと違う?
一度溢れた思いはちょっとやそっとじゃ止まらないようで、貧乏神はどんどん福の神にキツイ言葉を投げかける。
「いい? 兄さん。そんな事を続けていたら、そのうち誰かに刺されるよ。以前部屋を間違えて、兄さんの彼女を名乗る人がここに忍び込んで包丁を構えて待っていた事もあるんだからね」
「へ? そんな事があったのか?」
ひ、ひいっ! 何と恐ろしい……刃傷沙汰というやつではないか。
確かに痴情のもつれというのは恐ろしいけど、確かにこの福の神はそういう災の種をそこら中に蒔いてそうだ。
「兄さんの事が心配なんだ。いくら自信過剰で気障でええ格好しいのダメ男でも、たった一人の兄だから。だけど、香恋様だけはダメだよ。そこは譲れない」
なんか……カッコいい。ものすごくカッコいいよ、貧乏神。
襖の上で転がったままの福の神に向かってそう言い放った貧乏神は、私の方へ向き直るとほんの少し首を傾げて緩やかに微笑んだ。
この顔、この顔が好きなの!
「香恋様、先程私のことを好きだとおっしゃったのは本当ですか?」
あんまり貧乏神がカッコ良過ぎて、胸がいっぱいで言葉も出ない私はコクコクと小刻みに頷くのが精一杯だ。
すると、それこそ大輪の花が咲き誇るように華やかな笑みをたたえた貧乏神がすっと顔を寄せた。
「びんぼ……」
私の『ヘイ、リンボー!』みたいな中途半端な言葉は貧乏神の形の良い唇に吸い込まれてしまった。
甘い吐息に酔うようにポーっとしていると、すっかり存在を忘れていた福の神が未だ襖の上で倒れたまま声を上げた。
「な、な、な、なんだよ! 貧乏神、本気なのか⁉︎ アリスも、本気なんだな⁉︎」
人のキスを見学しといて、「本気なのか?」とはどういう意味なのか。やはりモテる男福の神の思考回路は理解出来ない。
「兄さん、本気じゃなかったらこのような事はしませんよ。私は香恋様の事を本気で好きなのです」
私を抱き寄せ、チラッとこちらに目をやりながら福の神に返答する貧乏神の横顔は凛々しくてそれはそれは素敵なもので。
「わ、私だってそうよ!」
そう言って肯定すれば貧乏神は悠然と頷いた。
「貧乏神に伴侶ができるなんて……そんなまさか」
倒れた襖の上でそれだけ呟くと、福の神はヨロヨロと部屋から出て行った。
そこまでされる程の事でも無いと思うけれど、苦労知らずで根っからの福の神には、私達の気持ちなんて理解出来ないのかも知れない。