12. 残念イケメンがトリガーとなり、有栖川香恋の決意
「アリス!」
「兄さん⁉︎」
私達は思わずガバリと離れて扉の方を見た。
潤んだ瞳でそこに立っているのは、先程廊下で棒立ちしていた福の神で。
それに呼ばれた事がない呼び名だけれど、「アリス」とはもしかして私の事なのだろうか?
しかも、今私の部屋のドアを何の躊躇いもなく開けませんでしたか?
「アリス! どうかこの俺の話を聞いてくれないか?」
「嫌です」
「ありが……とぉぉ⁉︎ 今、今何と⁉︎ 嫌だと言ったのか?」
いちいちオーバーリアクションなのはこの人の自信の表れなのか。
ものすごく苦手なタイプだ。
貧乏神の兄という事で確かに美形だけれど、どうやら私はイケメンだったら誰でもいい訳ではないらしい。お陰様でそれはハッキリした。
「はい、嫌ですと言いました」
「何故?」
「何故って……。怒っているからです」
私がそう答えると福の神はパッチリとした目を尚更大きく見開いて、ゆっくりと頭を振った。
貧乏神が私の後ろでハッと息を呑んだ気配を感じる。
「何故だ、アリス。俺はアリスを怒らせるような事を何かしたのか? まだ俺達は出会って間がないというのに、どうして怒っているんだ?」
だめだ、このイケメンはかなりの残念イケメンだ。
福の神というくらいだから、きっと貧乏神と反対で一緒にいると良い事が起こるご利益があるのだろう。
イケメンの上にそんなラッキーがあるのならば、色んな女性がこぞって近寄って来るに違いない。
だからなのか、皆が自分の事を好きでいてくれるのが当然だというこの態度。
無理、無理無理!
「はっ! 分かった! さっき俺が他の女の話をしたからか⁉︎ いやだってあれはアリスの事をよく知らなかったから。こんなに心の広い稀有な性格の持ち主だと分かっていれば……」
何が言いたいのかさっぱり分からない。
とにかく人の部屋に勝手に入ってきて大騒ぎするこの福の神を、さっさと追い出したい。
そう思って福の神の身体をグイグイと両手で押して、とにかく部屋の外へと放り出そうと試みる。
「え⁉︎ え⁉︎ 何故⁉︎ アリス! 話を聞いてくれ! 俺、アリスの事好きになっちゃったんだよ! きっとアリスなら……」
何だか聞き捨てならない言葉を喚いていたけれど、私は構わず力を込めてグイッと両手を使い、福の神を外へと押し出す事に成功した。
ガッチリとした男の体だったけど、まさか私に押し出されるとは思っていなかったからか、廊下で狼狽しているうちにガチャリとしっかり鍵をかけた。
「香恋様、兄が申し訳ありません」
「どうして貧乏神が謝るのよ」
「普段は温厚で心が広くて、私のご利益にも滅多に怒る事のない香恋様が『怒っている』とおっしゃった。それが何故だか分からないのが私の駄目なところだと思いますが、とにかく不快な思いをさせてしまい申し訳ありません」
何故だか分からない、か。
貧乏神にはこんなに不安定な私の気持ちなんて分かる訳ないよね。
自分でも戸惑っているくらいだもの。
外では未だに「アリス! アリス!」と福の神が近所迷惑な声で喚いている。
このままじゃ他の住人にも迷惑だし。
本当に厄介な福の神様だなぁ。
「貧乏神が謝る必要なんてないの。単に私があのお兄さんの事を好きになれないだけだから」
貧乏神にそれだけ伝えると、再びガチャリと扉を開けた。
少し開けた扉の隙間から、福の神が整った顔をズイと覗かせる。
「アリス、どうか話を聞いてくれないか? 頼むよ」
「ものすごく近所迷惑なんですけど。静かにしてください」
「分かった、静かにするから。頼む、中に入れてくれよ」
振り向いて貧乏神の方を見ると彼はいつもの困った顔をして首を傾げていた。
兄には逆らえないところがあるのかも知れない。
このままにしておいても状況は改善しないと考えた私は、一旦福の神を部屋の中へと招き入れた。
「ありがとう、アリス。俺の話を聞く気になってくれたんだな」
そんな事を言っていたけれど、もう私は返事もせずに手前の和室へと通した。
奥の和室は寝室にしているから、居間代わりの和室で座布団(これも貰い物)に座るよう勧める。
綺麗な所作で座布団に座る福の神はそれだけ見たら確かにイケメンではある。
だけど、私は少し離れたところに座った貧乏神の方が、よほどキラキラと輝いて見える。
もしかしたら羽織と着物の補正効果もあるのかも知れない。
「それで? 福の神さんの話って何ですか?」
ちゃぶ台(これまた貰い物)を挟んで向かいに座った福の神に、私は努めて平坦な声音で問う。
貧乏神は黙って私の少し後ろに控えていた。
「女性の部屋とは思えない程にひどく殺風景だなぁ、この部屋は」
不躾な視線を部屋中に巡らせつつ福の神がそう言った。
余計なお世話もいいところだ。
自分も少しだけ気にしていた所を突かれてチクリと傷付いたけど、物があっても壊れたり無くなったりするからこれくらいミニマムなのがちょうどいい。
私は決して貧乏では無い、いわゆるミニマリストというやつだ。
「喧嘩を売りに来たんですか?」
「あ、いやいや。ごめんね、アリス。早速なんだけどさ、弟と同居するのやめて俺と住まない? っていうか俺の彼女になってよ」
「はぁ?」
「好きになっちゃったんだよね。アリスの事。アリスはこんな弟の事でも受け入れられるくらいに心が広い女性だろ? 俺の周りは嫉妬深くて心の狭い女ばかりなんだよね。そんな彼女達には最近ほとほと嫌気がさしてて。だからさ、どうかな?」
どうかな? とは何事なんだ。
そもそも、私の心が広いというのは貧乏神を受け入れているからだというところからして、何だか物凄く気に食わない。
イケメンに好かれて、これ程までに嫌悪した事があっただろうか。
いや、そもそも今までイケメンに好かれた事なんて貧乏神くらいしか無かったわ、私。
今まで付き合った彼氏達もそこまでイケメンでは無かったし、そう考えたら今の状況ってすごく贅沢よね。
でもさすがにこの福の神は……無い。
「兄さん!」
とんでもない勘違いイケメンの登場に動じてしまって、思わずどうでもいい事をつらつらと考えている間に、斜め後ろから貧乏神の悲痛な声が上がった。
振り向けば私が返事を悩んでいるとでも思ったのか、貧乏神は何とも言えない悲しげな表情をしている。
「なんだよ、貧乏神」
「香恋様は兄さんの今まで見てきた女性達とは違うんです」
「分かってるよ。だからこうやって口説いてるんだろうが」
あ、やっぱり口説いてらっしゃったのですか。あんまり自信過剰だからまるでナルシストの独り言かと思ってました。
どちらにしても、もうここでハッキリさせた方が私にとっても貧乏神にとっても精神衛生上良さそうだ。
このナルシストなお兄さんのお陰で一歩踏み出す自信がついたのだから、そこは感謝しよう。
「兄さん、私は香恋様の事を心から大切に思っているのです。それなのに、そんな風に軽く扱うのはやめてください」
「どこが軽く扱っているって言うんだ? 大体、嫁候補ってだけでお前の嫁でも何でも無いんだから、とやかく言われる筋合いはないだろ? それはアリスが決める事だ」
「……っ!」
さて何て言おうかと考えを巡らせている間に、気づけばいつの間にか神様兄弟の二人は、非常に険悪な雰囲気になっていた。
こんなイケメン兄弟の喧嘩の原因が、私だなんて本当に馬鹿馬鹿しい。これも全て私がいつまでもグダグダと悩んでいたせいだ。
いざ! 有栖川香恋、覚悟を決めろ!
「私は……っ!」