11. 兄弟でこうも違うものか
「香恋様……、申し訳ありません。また私のご利益で財布を無くしてしまったのですね」
「謝るのは無しって約束でしょ?」
大切な食材の入ったアマビエ柄のマイバッグは、貧乏神が軽々と肩から提げている。
眉毛をハの字にして悲しそうな顔をした彼は、まるで捨てられた子犬のように切なげな眼差しを向けて来る。
「ですが……。あの、私今更ながら少し考えたのです。私は香恋様の事をとても大切に想っておりますが、そのせいで香恋様に大変なご迷惑をお掛けしています。大切な女性に、そのような苦労をかけてもいいものかと……。やはり、私のような貧乏神が香恋様と一緒にいる事は叶わぬ夢だったのです」
何を今更! このイケメン貧乏神は何を今更言っているのか!
私の事をあれほど好きだと言って、散々尽くしてこんなに意識させといて、
今更そんな突き放すような事を言うのか。何だかムカムカと腹が立ってきた。
はじめからそうだ、私の都合なんてお構い無しで現れて、私の気持ちなんて聞かずに引こうとしている。
思わずぎゅっと拳を握り、それが小さく震えるのを感じた。
「馬鹿……」
「え……?」
「貧乏神の馬鹿野郎」
「はい。申し訳ありません」
また謝る。彼はちょっと困ったような顔をして、それでも切長の瞳はとても悲しそうに潤んでいるのに。
ツンと鼻の奥が痛んだけれど、泣きそうな顔を見られたくなくて貧乏神から顔を背けた。
しばらく気まずい時間が続いたけれど、私と貧乏神は黙々と歩いた。
そのうち砂川さんの家の前に到着すると、砂川さんは花壇の手入れをしながら待っていてくれた。
お礼の干物を渡して、代わりに譲ってもらった電子レンジを貧乏神が持って歩く。
あんな重そうな物を軽々持つところさえカッコよく見えるんだから、もう反則だ。
私は決して口を開く事なく、貧乏神の代わりに荷物の入ったアマビエ柄のトートバッグを肩から提げた。
重い沈黙が続いたままアパートの階段を上がった。
さすがに重い電子レンジを持った貧乏神が心配だったから、一声掛けてから先に部屋へと戻って、さっさと荷物を置いて運ぶのを手伝うべくまた階段へ向かう。
すると階段下で貧乏神を手伝う人物が目に入った。
「帰って早々、何でお前がこんな重たい物運んでるのかと思えば、また壊したのか」
「ありがとう、兄さん」
「兄弟なのに、本当にお前は貧乏くじ引いたよなぁ」
「仕方ないよ、貧乏神だからね」
兄弟、ということはあちらが隣の部屋に住んでいるという福の神か。
福の神の方は貧乏神を手伝って、電子レンジを持ち階段を後ろ向きで上がってきているから顔は見えない。
だけどサラリとした黒髪と背の高いところは貧乏神に似ている気がした。
服装は和服ではなく、小綺麗なジャケットにパンツを合わせているけれど。
「よっと、ほら。着いたぞ」
「ありがとう、兄さん」
「あれ? もしかしてこの子? お前の嫁候補」
そう言って部屋の入り口に電子レンジを置いたところで、やっと私の存在に気付いた様子の福の神は、やはり貧乏神と同じでとんでもない美形だった。
「へぇ、名前なんて言うの?」
しかし、いかんせんチャラい。
その辺りは全く貧乏神と似ても似つかない性格のようだ。これも自分が福の神だという自信故か。
「有栖川香恋です。何度か引っ越しのご挨拶に伺ったんですけれど、ずっとお留守のようだったので。ご挨拶が遅れて申し訳ありません」
「ありすがわかれん……。可愛い名前だね。せっかく来てくれたのにごめんね、暫く彼女たちの家に泊まってたから。香恋ちゃん、大変でしょ? 貧乏神と暮らすのって」
彼女たち、ということは複数人の交際相手がいるということか。
さすがチャラいイケメンだけある。
同じイケメン兄弟でも、福の神と貧乏神という違いだけでこうも性格が違うものなのか。
貧乏神は少し離れたところから私と福の神が話すのをじっと見ている。その表情は何とも言えない辛そうなもので。
「大変な事? 特に無いですね。毎日完璧に家事もマッサージもしてくれて、料理も美味しいし。とても幸せに暮らしてますよ」
福の神からはとにかく自信が漲っていて、自分が私に拒絶されるということなんて想像もしていないというような様子だ。
悪いけど、私はこういう他人の気持ちを考えられない人間(神様だけど)は嫌いだ。
貧乏神の兄だか何だか知らないけれど、私が大変かどうかなんて勝手にこの人に決められたく無い。
「香恋様……」
私に言葉で反抗されて心底驚いたような福の神の向こうで、貧乏神も驚いたような顔をしている。
もう、何でアンタまでそんなに驚いているのよ!
「電子レンジ、運んで下さってありがとうございました。大変助かりました。それでは失礼します」
呆然と立ち尽くす福の神の横をスルリと通り抜け、貧乏神には渾身の笑みを浮かべて優しく声を掛けた。
「貧乏神、早く入ってご飯作ろうよ。今日は何にする?」
「あ、は、はい! 肉じゃがにしましょう」
「わぁ! 楽しみだね」
バタンと扉を閉めた。福の神は最後まで口を開く事はなく、廊下で棒のように立ったままだった。
どうしてあんな事をしたのか自分でもよく分からなかったけど、私の事を持ち出して貧乏神の事を貶されるのは許せなかった。
「香恋様、ありがとうございました」
「何が?」
「兄に、あんな風に言ってくださる方なんていなかったもので」
笑っているのに今にも泣きそうな貧乏神を見ていると、私は胸が締め付けられるように苦しくなって、思わず目の前の身体をギュッと抱きしめた。
サラリとした着物の生地が頬に当たって、その奥に硬い胸板を感じると自然と胸が高鳴った。
だけど、もう貧乏神にそんな顔をして欲しくなくて。
「香恋様……?」
戸惑ったような声色で名を呼ぶ貧乏神は、突然の私の行動にひどく驚いたのだろう。
出会ってから今までたった二週間なのに、どうして私はこんなに貧乏神に心を乱されるんだろう。
「馬鹿」
思わず口をついて出た私の悪態にも、貧乏神は「申し訳ありません」と小さく呟いた。
けれど恐る恐る私の背中を抱き返す腕はとても温かくて、このまま「好き」だと言ってもいいのかなと思ってしまう。
もしそうしたらどうなるんだろう?
貧乏神は喜ぶ? それとも、さっきみたいにこっちの気持ちなんてお構いなしに身を引こうとするの?
じゃあどうしてこんなに優しく抱き返すの?
そんな事を考えながら動けずにいたら、突然後方の玄関扉がガチャリと開いた。