悪の魔女とお姫様
この話は短編BLOOD DAYSという私が書いた話の世界に存在する童話絵本の内容になります。
関係はありますが、作品知識としては単体で完結しています。
似ているとしたら童話部分とは別に短編ぽい要素が加わって長くなったことかな。
()に囲まれた話は絵本に書かれてはいません。
読み手が感じ取った内容となります。
お暇な時に読んでいただければ嬉しいです。
昔々、立派な城の下に城下町が栄えておりました。
町人も商人も賑やかで、笑い声や驚く声、時には怒鳴り声も聞こえてきます。
城の高層窓からその光景を見る女の子がいました。
彼女はこの城に住む王様の娘、お姫様でした。
お姫様の部屋は、沢山ある部屋の中でも城の一番高い所にありました。城壁内の町の様子が一望できる部屋でした。
お姫様は、半日以上を外を眺めていることに使います。
お姫様は城から、部屋ですら出ることを許されていませんでした。
(
なかなか子どもが生まれなかった城の王様は神に懇願した。どうか、神の御子を私にお与えくださいと。
それからいくつかの日が立ち、ようやくお妃様が身籠った。城中、町中の人々がそれを祝福する。
王様は城の中に聖拝堂を作り産まれる日までの間、毎日感謝と無事を祈り続けた。
半年以上の日々が過ぎたある日、お妃様が期を感じ、侍女たちが集まり慌て出した。そして半日の苦しみの果てに無事産まれた。産まれたのはルビーの瞳の女の子だった。
今まで泣く姿を見せたことがなかった王様は産まれたばかりの我が子を抱きしめ涙を流した。
女の子はすくすく育ち、さまざまなことに興味を持ち始めあっという間に成長していった。その中で魔法の才能を見せ、王様とお妃様は大いに喜んで早速講師を付けることにした。男の魔法使いだった。
吸収の早いお姫様は多くの魔法を教わった。日に日に扱える魔法の数が増えていくことにお姫様は楽しんでいた。
魔法使いが来て一年が経つころ、問題が起きた。
魔法使いの男が仕事を辞めたいと言い始めたからだ。お姫様だけでなく王様たちも男を気に入っていた為、理由を尋ねた。
魔法使いはゆっくり絞り出すように答える。
「姫の美しさが日に増しています。私は己を保ち続けるのが難しい」と。
王様たちは笑った。まだ幼い娘にひと回りも年が離れた魔法使いが惚れたのだと察したからだ。
しかし魔法使いはそれをやんわり否定して、恐ろしいことのように言う。
「姫はこの先も美しさを増すでしょう。それは性を問わず魅了する類のもの、言わば神の魅了です。私はそれが恐ろしく、今のうちに離れてしまいたい。幸い教えられることは全て終えました。どうかお許しを」
と必死に言う男の態度は冗談を言っているようには思えないほどだった。
王様は魔法使いを渋々追放することにした。
別れの日、お姫様は魔法使いに尋ねた。
「いつかまた会えますか?」
魔法使いはお姫様に「目を閉じて」と言う。
素直に従い目を閉じたお姫様は頭の上に掌の温もりを感じた。魔法使いの声が聞こえる。
「目を閉じればいつでも会えます。どうかそれを忘れないで」
掌の温もりは突然消えて、お姫様が目を開けると魔法使いの姿も消えていた。閉じられた城門だけが見え、お姫様は涙を流し、膝から崩れた。
魔法使いがいなくなってからお姫様は部屋に閉じ籠った。
部屋に入れるのは親しい侍女のみで、王様もお妃様も娘の部屋に入れてもらえなかった。追放を決断しそれを許したことを知られたからだと察した。
お姫様は侍女に言伝を頼み、侍女は王様たちに伝えた。
「あの方がいた時間を私は繰り返します。その間私はお二人に顔を見せません。どうか私の反抗を受け入れて」
執念深いお姫様は一年の間、本当に二人に顔を見せなかった。
城から出てこないお姫様に町民たちは心配したが、変化のない日々をいつも通り暮らした。
王様とお妃様はあの魔法使いの行方を探したのだが全く当てがなく、一年という時間がその何倍にも感じられる日々を過ごし、段々と活気が減っていった。
そして待ちに待った一年後、お姫様は二人の前に姿を現した。
たった一年と言う時間の中で、お姫様は随分と雰囲気を変え成長していた。まるで王様とお妃様が感じていた長い時間が本当に過ぎ去ったかのように。
お姫様は美しすぎる女性になっていた。二人は見惚れて口が開いてしまう。
「お久しぶりです、お父様、お母様。私の愚かな犯行を許していただき感謝しています。今日より王女として信用を取り戻していきたく思います。よろしいでしょうか」
そう言ったお姫様の言葉にも美しさが滲んでいて、王様とお妃様は無言の後に慌ててそれを許した。
許しを得てお姫様は笑顔を見せた。
王様とお妃様はあの魔法使いの言葉をその時初めて理解できた。しかし、この時点でそれがこの先どんな影響を齎すかなど想像できるはずがなかった。
故に、事件が起きてようやく皆が危機感を呼び起こすことになった。
)
なぜ部屋を出てはいけないのか、それはお姫様の美しさが理由でした。
お姫様の美しさは人を惑わせる力を秘めていました。
男なら惚れさせて狂わせる。女なら惚れさせて嫉妬させる。お姫様に惚れた人々の最後は無惨な姿でした。
王様はお姫様を城の中で最も人々が簡単には寄り付けない部屋に住まわせることにしました。
世話をするのも限られた者だけにし、定期的に入れ替えました。
徹底的に管理されたお姫様の生活は退屈で寂しいものでした。
(
城下町の喧騒はいつも以上に盛り上がりを見せた。
お姫様が一年ぶりに顔を見せたからだ。
町の人々も商人も城の方に集まり、お姫様の言葉を待つ。
「お久しぶりです皆さん。私はこれから王女として失った信頼を取り戻すことを念頭に過ごしていくつもりです。まず初めに町の様子を伺いたいのですが、皆さまお邪魔してもよろしいでしょうか」
久しぶりに聞くお姫様の声は美しく、人々は聞き惚れた。
そしてお姫様が言ったことを理解したものが我先にと呼び込んだ。その様子を見たお姫様は、笑顔で礼を言う。
「ありがとうございます。では順番に」
と一番先に手を挙げた商人の店に行くことを決めたお姫様の前で、暴力が商人を襲った。
二番目の店の商人が一番目の商人を殴り、気絶させたのだ。
それがきっかけか、集まっていた町人も商人も男女入り乱れての取っ組み合いが始まってしまった。
城の前の騒がしさに王様とお妃様が向うと、お姫様が泣き崩れていた。
その背後にはボロボロになるまで殴られた商人、髪が抜けて血を流した町人、刃物を持ち上げている男達は城で働く使用人が必死に止めていて、子どもたちまで喧嘩をしていたのか倒れている。
王様がお姫様に尋ねると泣いて話す姿が美し過ぎて話が頭に入ってこなかった。それを見たお妃様が慌ててお姫様の侍女に尋ねた。
侍女の拙い説明でもお妃様は理解できた。
今回の騒動の原因が娘のせいで起きたことだと。
お妃様は娘を見た。王様が見惚れてしまうのが理解できるほどに泣いた姿が美しい。自分も見惚れてしまうことが分かりすぐに視線を逸らした。侍女に命じる。
「姫を部屋に戻しなさい。それから、姫の姿はなるべく見ないようにしなさい。いいですね」
侍女はすぐに行動した。お妃様の様子もだが、侍女自身薄々勘づいていた。お姫様が変わってしまっていることに。
泣いているお姫様に声をかけ、部屋の方に半ば無理やり連れていく。
お姫様がいなくなった後、王様は平静を取り戻した。遅れて事態の異常さに気づく。お妃様が倒れているもの一人一人の様子を確認しているのに気づいた。
王様は刃物を持つ商人たちに目を向けた。刃物を持っていたものたちは今では力が抜け、腕を下ろしていた。しかしブツブツ何かを言っていて、使用人の注意を無視して王様は耳を近づけた。
「姫…姫…姫……」「姫さま……私の……」「ずるい…ずるい…」「あいつよりも……俺が…」
暗い目をした人々は、お姫様がいなくなっても言い続け、異様さは抜けきらなかった。
倒れてしまったものたちも同様らしく、気が付いたものは口々に似たようなことを言い始めた。大人も子どもも症状に違いがなかった。
倒れたものたちはある程度の治療を施し、暴れたものたちは地下室へと幽閉した。意識のないものたちは余っている部屋で寝かし、目覚めても自我を取り戻せていないものたちは城にかくまった。
王様とお妃様は相談して、城壁の外に暮らす魔女の力を頼ることにした。
彼女はあらゆる魔法を知り尽くし、強大な魔力も保有している。しかし、ある時から人を嫌い、孤独に生きるようになった彼女はその姿も変わり果てた。
それを見た人々はこう呼んだ。
『醜悪の魔女』と。
)
お姫様には唯一楽しいと思える時間が一週間に一度だけありました。
それは王様が呼んだ講師の魔法授業でした。小さい頃に戻ったようにまた魔法を習う時間がとても楽しかったのです。
講師はとても変わった人で、女性なのに大きなローブを着ていたり、動物を呼び出す魔法を使ったり、扉からではなく、窓から姿を見せたかと思うと背後に立っていたりします。
今日は一週間ぶりの授業の日でした。先生が来ないかと窓を見つめます。
「やあ、お姫様。待たせたね」
「先生ったら、私を驚かすのが本当にお上手」
扉も開けずに先生はお姫様の後ろに立っていました。
どんな魔法なのか、お姫様には分かりませんでした。それよりも先生が来てくれたことがとても嬉しかったようです。
「今日はどんな魔法を教えてくれるの?」
子どものようにはしゃいだお姫様は先生に尋ねました。しゃがれた声の先生がニヤリと笑いました。
「今日はあんたが一番驚く魔法だよ。私が一番教えたかった魔法でもあるんだ」
先生が魔法を使ったようです。
それは鏡を見ることで分かる魔法でした。
お姫様は今までで一番驚いた声をあげました。
(
王様は従者も引き連れず、魔女の森へと訪れた。
城の地下には魔女の森へと続く、秘密の地下道があり王様は一人そこを通ってきた。
森の中腹、雑木林に囲まれた所々歪んでいる木造の家が現れる。
不思議な形をしたものだったり、大きすぎる蕾のついたものだったり、ウネウネ勝手に動くものが大小さまざまな鉢に植えられている。決して植物には見えなかった。
斜めに歪んだ扉を王様は叩いた。
中から反応は無かったが、扉はいかにも自然に開いた。
無言が中へ入れと言っている。
王様は室内に足を踏み入れた。両足が扉を越えるとギィッと扉が音を立てて閉まった。
室内は外から見るよりも広く、吹き抜けの二階や、地下へと続く階段が見られた。
階段には扉がつけられていて、そこからコツコツと足音が聞こえてくる。王様がそちらを見ていると突然後ろから声が聞こえた。
「久しぶりだね。何十年ぶりだい?」
王様はバッと振り向いた。斜めに歪んだ扉しかない。ふぅとため息をつき、前に向き直る。案の定、魔女は目の前に座っている。魔女が座っている揺り椅子は垂直に静止していた。
「たった20年ぶりだよ。あなたにとってはね」
「そうかい。大きくなったね坊や」
「坊やはやめてくれ。子どももいるんだ」
「ああ視たよ。坊やに似ず綺麗な子だね。羨ましいねぇ」
「思ってもいないくせに。まあいい、今日は頼みが有って来たんだ」
「ないのにくる理由もないだろに。変な子だねぇ」
「その様子なら知ってそうだな、醜悪の魔女」
王様は侮蔑を込めてそう呼んだ。しかし、魔女は嬉しそうな顔をしてその名を繰り返した。
「醜悪の魔女、懐かしいねぇ。久しぶりに呼ばれた気がするよ」
「引き籠もって、人と関わらないからだろ」
「引き籠り、そういや娘もそんなことしてたね」
「覗き見はするんだから、タチが悪い」
アッヒャッヒャと笑う魔女に王様は苦い顔をした。頼み事をしてくる相手がこんな態度では怒らせても仕方ないはずなのに、魔女は気を良くしたように言った。
「随分溜め込んだね。魔力が漏れてるよ」
魔女は目を光らせて空を見た。王様にはそこに変わったものは見えないが、予想はついた。覗き見ているようだ。
「ふーむ」
「城内を見たなら、私の用件も推測できるのではないか?」
王様の声に反応を見せず魔女は考え込んだ。揺り椅子が突然動き出し、魔女と共に揺れる。
肘置きを使い始め、王様と視線が合うくらいに顔を下げた魔女の目は未だ光り続けていた。先のは雰囲気作りなだけだった。
「いいよ。やったげよう」
「本当に聞かないでいいのか?」
魔女が突然了承を告げてきて王様は驚いた。魔女は「ああ」と言った後、王様を見た。光るのは片目だけになっていた。
「方法と決行日は私が決める。それと見返りとして条件を提示する。それでいいよね」
「条件…出来ることに限るぞ」
「簡単さぁ。娘に魔法を教えることを許せ」
話は終わったと、魔女は王様に帰るように言った。言いたいことのある王様であったが、城の状況を改善してくれることと、魔女が娘に関わること、それらを天秤にかけてある程度の譲歩を魔女側に与え、なんとか飲み込んだ。
人々の状態を治す術を王様はこれ以外に持ち合わせていなかったからだった。
後ろの扉が音を鳴らして開くのを感じる。
最後に王様は下卑て笑う魔女に突きつけるように嘆願した。
「許すのは城内が元に戻った後だ。それと娘に会わせるのは私を通してからにする。それから…」
「はよ帰れ」
飛ばされるように扉を抜け出て、王様は文句を言おうと向き直った。
魔女の家は消え去っていて、鬱蒼としげる木々しか目の前になかった。
側にあった石を木の間に投げつけて、王様は帰ることにした。来る前に残しておいた目印を探すのに一苦労だった。
それから一週間の辛抱の後、ようやく魔女が城に姿を現した。王の間に皆が集まったタイミングを詠んでいたようで、王様を腹立たせるには十分の登場の仕方だった。
お妃様が悲鳴をあげて飛び上がる。
「ね、鼠!?…蜘蛛!!ぎゃああ蛆!!」
「魔女!!今すぐにこれらを消せ!!」
「サプラ〜イズ」
いつのまにか現れているのはお決まりで、杖をつく老婆の姿の魔女はしゃがれた声でふざけた。
王様はお妃様を庇うように抱き、魔女を睨む。
魔女はその視線を無視し、鼠にも蜘蛛にも驚かなかったお姫様の方へと歩いていく。
不思議そうな視線が魔女を見つめ、魔女は鼻を鳴らした。
「ふん。実際に見た方が異常だねこりゃ」
「魔女!!」
「うるさいね。よく見な」
鼠も蜘蛛も蛆も、蛇も蛙も変な顔の鳥も、最初からいなかったように消えていた。気が抜けたお妃様と侍女たちを寝かし、王様は魔女に怒りをぶつけた。
「約束から一週間も過ぎ、剰え倒れ伏すものを増やすとは貴様はどこまで醜く悪なのだ」
「余裕ないねぇ。仕方ないけどね、あんたは後だよ。先にこっち」
魔女は未だに鼠を見ているお姫様を指した。
魔女は消したのではなく、王たちに見せなくしただけだった。鼠たちは生きている。命を消すことを魔女はしない。出来ないわけではないがしない。魔女はお姫様も例外なく魔法にかけた事を確認した上で、お姫様に尋ねた。
「視えてるのかい?」
視線を上げたお姫様は静かに頷いた。魔女は笑う。
「アッハッハ!あなた、私以上に変わってるわね」
笑い方も口調も変わったことに気づかず魔女は地面に杖をついた。
王様には何が起きたか分からなかった。
お妃様の意識が戻ったようで唸り声が聞こえた。王様は駆け寄る。
目を開けたお妃様は王様を見て異様なことを言った。
「…だれ。ここは…?」
「なんだこれは、おい何をした!!」
「ひゃ、大声出さないで…」
怯える子どものような様子を見せるお妃様は本当に王様のことやこの場所を覚えていないように見えた。
王様が魔女に問い詰めた。「ありゃ」と口調が戻った魔女は慌てた様子で言う。
「やり過ぎたようだ。この部屋の者だけ戻しとくよ。ほりゃ」
今度は杖を振るった。光は倒れた使用人と侍女、お妃様を包み込みパッと消えた。
「…あ、あなた!!う、蛆がぁ、あら?あなた?」
「お、お前…思い出したかよかった!!」
「ど、どうしたの。…あの方はどなた?」
王様に抱きしめられ苦しそうにするお妃様が娘の前に佇む魔女に気づいた。不穏な雰囲気を感じ、王様に尋ねる。
王様はそれに応えず、魔女を睨み、先の魔法を尋ねた。
「記憶を消す魔法を使ったのだな」
「手っ取り早いと思ってな、お前の女は含んでおらんかったよ。張り切ってしまった」
「どこまでもふざけお…」
「頼んだのはそっちじゃし、やり方もわしが決めるゆうたよな?条件も飲んだよな?消すかそれ?」
魔女は杖をお妃様に向けた。状況がわからないお妃様は王様に何度も尋ねる。王様は魔女の言い方に冗談が含まれていないことに口を噛み、お妃様を強く抱きしめた。それが魔女への答えとなった。
「あの、町の人たちは治ったのでしょうか?」
「おや気づいたのかい。計り知れないねあんた」
杖を下ろした魔女は嬉しそうにお姫様と話し始めた。鼠を撫でるお姫様が可笑しくて仕方なかった。てっきり鼠のことを見ているだけだと思ったら、階下の様子を覗き見ていたらしい。この魔法は簡単に扱えるものじゃない。教わらない場合はもっと難しい。
「あんた、魔法に興味があるよね?」
「え?あなたの魔法にですか?」
「見せてない魔法も沢山あるよ。教わりたいだろ?」
「是非」
「…そんな」
アッハッハと本心から笑う魔女。状況は読めないが事態には気付き、魔女の教えを楽しみにするお姫様。
二人の会話を聞いて戦慄する王様。状況も事態も不明で王様の様子をただ見続けているお妃様。
いつのまにか目覚めていた侍女も使用人達も動けずにいた。
彼女達が目覚めたのは魔女が杖を王様達に向けた時だった。吐きそうな殺気だった。侍女も使用人も、警護するための弛まぬ訓練を積んでいる。その精神が竦むほどに強烈なものだった。
この状況を崩したのは階下から駆け上がって来た使用人の声だった。
「王様〜!町人達が目覚めました!」
嬉々とした声で王の間に駆け込んできた新米の使用人は思い出したように取り繕った。
「し、失礼を承知で伝達します。一階救護室の町人、及び商人達が全員目覚めました。地下室に特別幽閉していたもの達も正気を取り戻しました」
王の間の状況を見て分からないのか、そのまま伝達し終えた新米使用人は返事が返ってこないことを訝しんだ。
膝をつきお妃様を抱える王の様子を見て、ギョッとした。
「お妃様、どうかなさったのですか!?」
慌てて駆け寄る使用人にお妃様が答えた。
「大丈夫。いち早く情報を伝えにきてくれてありがとう。私たちもすぐに様子を見に向かうから、下で待っていてちょうだい」
「ですが」
「いいから、下がりなさい」
「…はい」
使用人が渋々階下に降りていき、姿が見えなくなると魔女が話し出した。
「状況を知らんはずじゃのに、お前さん賢いな。坊やには勿体無いくらいじゃ」
「うるさい!!」
「おお、こわ」
「娘を消したのではなかったのね。今はとても安心しております」
使用人が駆け上がってきた時、魔女とお姫様は同時に姿を消した。それを見ていたお妃様は落ち着いて冷静に考えた。
目覚める前の記憶も掘り起こされてしまうが、存在を消したのであれば魔女も一緒に消えるのは前提としておかしい。
使用人が現れたので、姿を隠した。こう考えた。
自分以外で見えている人がいるかの証明はできずとも、二人の姿が見えないことの証明は使用人がしてくれた。瞬間移動という魔法も知っていたが、姿隠しだと決めつけた。
いや、そうであってくれと願った。だから矢継ぎ早に使用人を引き下がらせた。
「移動もできんことはないがな、二人じゃとミンチにするかもしれんくてやめた」
「それは…実践されずにいて良かったですわ」
「どうじゃ興味湧いたろ?」
「はい」
魔女は楽しそうにお姫様を見る。どうやら姿を消している間も話をしていたようでお姫様は完全に危機感を無くしてしまっている。魔女に対する態度が怒りしか残っていない王様に変わりお妃様が魔女に尋ねた。
「娘をどうするおつもりでしょうか」
「魔法を教えるだけじゃが?」
しゃがれた声は皮肉も煽りも含んでいないはずなのに、お妃様に苛立ちを与えた。が、冷静なままに再度尋ねる。
「魔法を教えてどうするおつもりで?」
「それは娘次第じゃろ。ワシはこやつの才能に興味がある。坊やが神に強請ったこやつはワシにも底が知れん。故に知りたい。それだけ」
「連れて行くつもりなのですか?」
「ここに居っても退屈じゃと思うが、ワシは教えられるならどこでもええ。どうする娘?」
「え?……じゃあここで………」
「本当にいいの?」
魔女に尋ねられお姫様は両親を見た。二人の目を見てお姫様は答えたのに、魔女は口調を変えて問い直した。
今度はグイッと視線を変えられ、魔女の水晶のような目と視線が合う。
「……はい」
「そう。……じゃ、一週間後また来る」
お姫様は最後の魔女の目が忘れられなかった。他の誰にも見えなかった目。
頬に添えられていた温かな掌が外された。
魔女は王様達に告げた後、姿を消した。今度は移動だったらしい。
魔女のいなくなった王の間はしばしのあいだ固まっていて、緊張が解けた時、皆がお姫様の元に駆け寄った。
お妃様がお姫様を抱きしめ、王様は二人を覆うように抱き、侍女と使用人達がそばに寄った。
それからすぐに姫の部屋は移動した。姫を知るものは限られており、城の最上階への侵入は厳重になった。
町の人々は寝ていたことは知っていても、その理由を覚えておらず、流行病だったと伝えられた。
城の蓄えていたもので人々の生活を補填し、元通りの生活になったのは二月が経ったころだった。
城内も町内も不満の声が上がらず、皆で助け合って復興することができ、後に良き思い出話となる。
魔女は一週間後に本当に魔法を教えにだけ来た。必ず登場で驚かすのは彼女の性分らしいが、お姫様は毎回楽しみにしていた。
それから週に一度、魔女は城に来た。このことを知るのはあの日、魔女を見たもの達だけ。お姫様以上に魔女のことは隠されていた。
そんな日々もあっという間に過ぎ去り、一年の時が流れた。
)
城中に声が届くほど、王様は慌てていました。
「姫ー!!どこにいったのだー!!」
城中の人間がお姫様を探していました。しかし、探すもの達のほとんどがお姫様のことを知らされていなかったこともあり、見つけるのに難航しました。
王様は涙を流すお妃様に寄り添い、怒ったように言いました。
「魔女め。姫をどこに連れ去ったのだ」
お姫様と最後に会っていたのはお姫様に魔法を教えている講師、先生だけだったのです。
先生は魔女でした。それも人々から恐ろしい名前をつけられた魔女でした。
『醜悪の魔女』。
彼女は罪人でもありました。
何故王様がその人を講師にしたのか、人々には分かりませんでした。
「あんな悍ましいものだけ残し、姫を攫うとは許しておけん!!」
鬼の形相の王様が言う悍ましいものとは、お姫様の部屋に居る怪物でした。
(
鼠のような髭と鼻、蜘蛛のような八本脚、蛇のような眼と舌、蛙のように膨らんだ顔と皮、所々蛆が集り、変な形の翼が生えていた。
異形の生き物。王様も兵に扮した使用人達も見たことがない化け物だった。
腰を抜かした者、泣いて吐きだした者が続出した。
王様はなんとか精神で乗り切り、化物を見据え剣を構えた。
切り掛かる寸前、魔女の声と共に魔法が王様を襲った。
「美しき姫はこの醜悪の手の中じゃ。じゃが真に醜きは貴様らの方とワシは見る。ワシは姫を預かることにした。が、もし見つけられたならお前らの元に帰そう。今一度、己を省みるが良い」
魔女の笑い声と共に化け物の姿も掠れていった。二つが消えた時、部屋の中央、化け物がいた場所に手紙が残されていた。
王様が手に取り中を開くと、古びた文字でこう書かれていた。
『魔女の森と呼ばれていた場所も今はない。探すのは勝手じゃが、無駄な苦労はせんことじゃな。坊やを知るものとして最後にヒントをくれてやる。娘の美しさは魔法ではなかった。娘そのものの輝きだった。それを感じ取れ。お前たち人間にもその一端が残っていることをワシは願う』
王様はバラバラに破いた。
兵たちに告げる。
「醜悪の魔女を見つけたものには褒美を与える。姫を見つけたものにはそれの倍だ。疑わしいもの全て私に伝えろ。決して手を出すな。魔女は私自ら切り殺す」
憎悪だった。怒りの感情ではなくなっていた。
お姫様のことよりも魔女を殺すことの方に気が立っていた。
お妃様の元に向かった王様は泣き崩れた姿を見て寄り添った。侍女たちにも確認したが、お姫様を見たものはいなかった。
「私が…いけなかったのでしょうか。姫の近くにいてやれば、母親ですのに……」
「二人で決めたことだ。お前一人が気負うことはない。必ず私たちが見つける。それが姫にできる償いだろう」
「……申し訳……ありません……」
王様の言葉にお妃様は涙を止めることはできなかった。王様は抱きしめる。顔を見せないように。
憎悪に染まった王様の顔は侍女も兵達も凍り付かせるほど恐ろしく、歪んでいた。
王様の元へ一人の兵が駆けつけた。
「王様、命じられた通り一つを除いた城門及び城壁門全て閉じました。これから如何なさいますか?」
「町人と、町に泊まる商人を城の中に呼べ。開いている門で徹底的な検問をし、問題なくば中へ通せ。疑わしいものは即刻地下牢に閉じ込めよ。服を脱がし四肢を拘束したままにしておけ。後で私が確認をする」
「は、はあ。女、子どももでしょうか」
「構わん。奴は姿を変えているやも知れん。醜悪の魔女はどこまでも醜く悪なのだ。人を騙すのが奴の生きがいでもある」
「お詳しいのですね…」
「何?」
「い、いえ。直ちに検問を始めます!」
「任せた」
人が変わったような王様の低い声に兵は怯え、逃げるように去った。
未だ泣き止まないお妃様を侍女一人に任せ、王様は部屋を出た。後を歩く兵達は王がどこへ向かうのか分からなかった。
そこは城内で知るものは王様ただ一人の代々受け継がれてきた隠し部屋だった。兵たちが知ってはならない場所だがやむを得ない。王様に続き中に入る。
王様は細い道を通った。長身で肉付きのいい兵には少し窮屈な道に感じたが、黙ってついていく。
開けた場所に出ると、そこは大きな水晶が中央にある小部屋だった。虹色に輝く水晶が眩しく兵達は目を細める。
王様がその水晶に手をかざすと、光に包まれた。その光が魔法に似ていることに気づいたのは以前、王の間で魔女に相対した使用人達だった。彼らは王様の持つ兵の隊長達。兵達の中で一二に武が優れているもの達だった。
兵達の中で一番年上の男が王様に尋ねた。
「王様、これは一体?」
「魔水晶だ。代々の王から受け継ぎし、この城の秘宝だ。ことが終わった後、お前達には忘れてもらう」
「は、はあ。王様を包む光は魔力でしょうか」
「そうだ」
未だ王様の元に流れ続ける光が魔力だと簡単に認めた王様は「お前達も手を差し出せ」と命じた。
言われるがまま手を差し出すと、光が自身の体を包み込む。そしてすぐに男達は呻き声を上げた。
「ぐがああああ、熱い、熱すぎるぅ」
「な、なんなのですがぁあ、これはぁぁ」
「いだいいだいいぃぃぎぎぎ」
「貴様ら、魔法は扱えなんだか。無理にでも耐えてもらうぞ」
「「ぎゃぁああああああ」」
男達は灼熱に燃える火の中に身を投じた気分だった。全身が火傷を負い、呼吸するのも辛いくらいだった。王様が俺たちを殺そうとしているのだと勘違いした。先の姿は、血も涙もない悪魔の様相ではなく、悪魔そのものだったのだと思った。呪いの言葉を吐いてしまいたい、が喉が痛くてそれどころじゃない。喉だけじゃなく身体中がバキバキに内側から折られ広げられ、人の形じゃなくなっていく気分だった。
「これは蓄え続けられた魔力、その塊。この町に生まれしもの達の魔力を吸い取り続けたもの。本来はお前達のものでもあるが、成長の段階で魔力を必要としないように進化したのだろうな。無理やり魔改造をされてしまったわけだ。哀れんではやれるが、その怒りの矛先は魔女に向けてもらうことにしよう。どうだ、意識は戻ってきたか?」
「が、がい」
「だんどが」
「まだ口が回らんようだな。よい、そのまま聞いておけ」
王様は光に包まれても問題はなさそうに兵には見えた。本当は手足の先が痺れるくらいの不調はあったが表に出さない精神力の賜物だった。いや、それほど魔女への憎悪が強いと言うことの表れでもある。
「これから、北側を始めとして町を焼く」
「「「ひゃ?」」」
口の治らない兵達は奇妙な音を合わせた。王様は無視して続けた。
「城以外全て焼く。範囲は城壁を基準とするがそれを越えても構わん。城下町は何も残さず灰になるまで焼き尽くせ」
悪魔だった。兵達の予想は当たっていたのだ。
一番早く喋れたのはやはり年上の男だった。
「……ま、町のものたちの生活は、どうするのですか」
「やり直すだろ、それぞれ頭がついておるのだから。人間は思考できる。経験があればそれを使う。あれらは一度経験したのだ、出来ねば野垂れ死ぬ。否が応でも考えるだろう」
「あ、あなたは……」
「なんだ、町のもの達は姫のことを案じず、生活を案じるものと言いたいのか?」
「……いえ、そうでは」
「魔女を殺した後は、まあ時間は掛かるだろうが復興させてみせるよ。民もまた王の宝だからな」
その言葉が兵を黙らせることを知ってか知らずか、兵は痺れる体を起こし、王様に謝罪した。
「王様、愚かな私を裁いてください」
「ははは、増やした兵力を無駄にする愚かな王にさせたいのか?」
「…申し訳ありません」
「町は焼く。が民は城で安全に匿う。それを許せ」
「はっ」
残りの二人も手足の痺れだけになり、無理やり体を起こした。
兵の一人は躊躇いつつ王様に尋ねた。
「王様、炎とは焼くだけでなく、熱を放出するものです。城下町を焼けば城にも火や熱が襲います。それはどうするので?」
その兵は火に家を焼かれる苦い思い出があった。それから、時が流れてこの城で過ごすようになったが、火はトラウマでもあった。
王様は「安心しろ」と兵に告げた。
「この魔水晶の絶えない魔力で城を水で覆う。蒸発しても内側から新たな水が壁になる。最後には火を鎮火するのに使う。…そう考えたら城壁は残しておいた方が良いかもな。魔力を切るまで波が城壁外に流れるのは……」
悩み始めた王様は憂いていた。手紙のことを思い出していた。魔女が騙す可能性と、真実を書く可能性。どちらも拮抗している。
魔女がお姫様を波から守る可能性はないに等しい。魔女に信用はない上に、娘に波を教えたこともない。
悩んだ末に王様は魔力を放出させた。
城の近くでドドドという大きな音が鳴る。
城を水のカーテンが包み込んだ。
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化け物が消えた後、お城は水に包まれました。
城内の人たちは城の外の様子が分からず怯えてしまいました。王様の声がそれを安心させます。
「外の魔女が火の魔法で町を焼いている。城の防御魔法を使い、城を水で包み込んでいる。決して城から出ることはないように」
お妃様が王様に縋りました。
「ひ、姫は外ではな、ないのでしょうか…」
「いや、姫はこの城の中にいる。もう安心してもいい」
「ど、どこですか、姫ー!?」
お妃様が慌てて探し始めました。
王様はこの時嘘をついてしまいました。
安心させるためについた嘘は大き過ぎるもので、冷たいものでした。
外で燃え盛る火、炎は城内にその熱を届かせることなく、嘘の熱を溶かすこともありませんでした。
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城内を探し回り始めたお妃様を放っておき、魔力を得た兵を一人残し、王様はあの場所に向かった。
そこは例の場所へと続く秘密の通路、その隠し場所。
それを見た年上兵が苦笑いをした。
「隠されたものが多いのですね」
「城とはそういうものだ。他にも抜け道やら隠し部屋がある。歴代の王も使ったのだろう。私は娘の為に使う」
「はっ」
王様は早足で抜け道を通った。隠し部屋の時よりは広い道に兵達は各々気づいた。通りやすさと汚れの多さに。昔からよく使われていた道なのだろうと思ったが、二人とも口にすることはなかった。
長く続く道はようやく切れ目を見せた。
抜け出ると星空と夜空に輝く月、それらが合わさり一層に不気味さを増した魔女の森が目の前に広がっていた。
こんな時間に森に入り迷ってしまうと出られないのでは、と魔力を賜った三人兵の中で一番年下のものは考えた。子どもの頃、迷子になった記憶が呼び起こされる。
王は迷いなく歩み始めた。年上兵が続く。年下兵は歩幅に迷いを見せた。ここで待ち続けることも良いのではないか。
年下兵の中で幼いお姫様の姿が思い浮かんだ。無礼だが妹のように感じていた存在が拉致された。その事に対する怒りは自分の中にある。しかし簡単にトラウマは克服出来るものではない。記憶の中で消えないように焼き付けられたものがトラウマなのだ。
年上兵が立ち止まった。森に入るのを躊躇っている自分に気づいたらしい。
「ここで待つのも選択だ。しかし、お前の中で姫を思う気持ちがあるなら迷わず進め。姫はまだ子どもであり、不安の最中だぞ」
年上兵は貫禄もあり、相談係でもあった。使用人達の悩みや相談をよく受けていた。自分もその一人である。
トラウマの中の自分は子どものままだ。絶えず襲ってくる不安感に情けなく泣き出している。
それに今のお姫様を重ねた。子どもであり女の子だ、こんな恐ろしい森で迷子になったら泣き出しても不思議ではない。
年下兵は生い茂る草を強く踏んだ。走るように年上兵を追い越す。ズンズン進む王の後ろ姿を追いかけた。
「置いてくぞー」
「調子のいい奴め」
年上兵も走り出した。
王様が過去に付けた印、その最後の場所にたどり着いた。
王様は雑木林を見つめ舌打ちした。
その様子を察して年上兵が声をかけた。
「この場所ですか。例の魔女が住む家…その座標は」
「家なんてないな。見渡しても木木木…木ばっか」
年下兵が周りを見渡した。彼らのいう通り、この場所に間違いなく、木しか見当たらなかった。
王様は近くにあった石を拾った。大きく振りかぶり、全身の勢い乗せて投げた。音を切るように飛ぶ石は鬱蒼と茂る木々の間をすり抜けた。
凄い勢いで王様を横切る旋風が吹いた。
王様の後ろの木がドンと音を立てた。二人が驚き音がなった方を見る。木に穴ができていた。暗闇の中月明かりを頼りに目を凝らすと石飛礫がめり込んでいる。年上兵が触って確認する。
「間違いなく石がめり込んでいます。王様が投げたものと大きさも近いです」
「ふふ、奴は見えなくするのが得意なのだろうな。そればかりじゃないか」
「攻撃じゃなかったんすね。あれでもなんで王が投げた石が勢い増して戻ってきたんだ?」
「それはこういう事だろ」
王が手を伸ばすと手が歪んだ。指先が消えてしまっている。そのままズンズン突き進む王様の蛮勇さに二人は慌てた。苦鳴を漏らさないその様子に傷や消失の類ではないことを悟る。手首から先が消え、飲み込まれるように王の姿が消えた。
兵二人は互いの顔を見つめ、首を揃えて頷いた。年上兵が先に、続いて年下兵が手を伸ばす。
ヌルッと手が消えた。痛みもなく、感覚がなくなることもない。動かしてもなくなった部分が見えたり消えたりしている。
突き出すように進み続ける。顔がそれを抜けた時、視界の中に木々に囲まれたおかしな家が現れた。
王様は家の前に置かれた鉢の前で立ち止まっていた。
見たことない植物が鉢の上で蠢いている。植物なのに、口がある。第一印象はそれだ。遠目から歯のようなものが見える。本当に植物だろうか。
グワッと口を開いた植物は王様に迫った。
王様の元に駆け寄った。
植物は一瞬で灰になった。まるで雷に打たれたよう。
王様は鉢ごと踏み砕いた。そのまま突き進む。
扉の左右にも鉢は置かれており蠢く植物はいた。しかし先のとは姿が違う。枝葉のない蔓のようなもの。なんか丸いもの。どちらもウゴウゴしていた。
王様が両手を十字に合わせたかと思うと、まるで引っ掻くように手を後ろにひいた。
植物?は氷に覆われていた。
王様は扉を蹴り破った。斜めに歪んでいたのによく、と思った兵達は駆け足で後を追った。
中は外の様相とまるで違った。外からは明らかに平家だったのに、吹き抜けの二階がある。
王様が向かう先には地下室もあった。
長く伸びた階段を降りると、そこは飼育小屋だった。
鼠、蛇、蛙…蜘蛛、蝿、毛虫…ケースだらけの部屋だった。気味が悪いと思うと同時に一年前の出来事を思い出した。王の間に現れた不快生物、ここにいるものと瓜二つだった。蛆は蝿に、毛虫は新たに迎えたものだろうか。鳥が見当たらないが、吹き抜けの二階でバサバサと物音を聞いた。もしかしたらアレか。
うへーと言う年下兵と気持ちは同じだが、王様の手前、年上兵は平静を装った。
「王様、ここに姫は…」
「醜いな。まるで魔女と同じではないか」
「王?」
王様を冷気が包んだ。ここを凍らせるつもりだろうか。年上兵は止めようとした。その行為に意味を見いだせなかったから。しかし王様は凍らせるのではなく、氷柱をケースの頭上に作った。
ケースは殆どが四方を壁にしているだけの簡易なものばかりだった。天蓋がなくとも逃げないと知っていたからか、それともこの生き物達がわざわざここから逃げない選択をしているだけなのか、想像の域は出ない。年上兵は無礼を承知で王様を抱えた。
「おやめください。何も殺す必要は…」
液体が年上兵の顔に散った。氷柱が鼠の脳天を貫いた。蛙を潰した。蛇を串刺しにした。蜘蛛の腹を裂いた。蝿はケースごと凍っていた。毛虫は全身が凍りパキンと割れた。
ふうっと冷たい吐息を吐いた王様の身体は冷え切っていた。冷たい言葉を簡単に吐くほどに。
「ここも燃やそう。冷えてきた」
森を抜けた兵二人は後ろの燃えていく森を見つめた。
ザワザワと騒いでいるのは木々だけじゃない。森に住む動物も鳥も、小さな虫達だって、その熱に慌てているだろう。
家が燃やされ、家族が燃やされ、生きる場所を燃やされていく。
彼らがもし生き残れたとして、どこに向かうのだろう。何もかもを失い、奪われた事にすら気付かず、どう生きていくのだろう。
憎しみを抱くだろうか。誰に、何に。己の感情を理解できず死んでいくのではないか。
年上兵は自身の感情が分からなくなった。
年下兵は魔女よりも魔法が恐ろしかった。
こんなにも簡単に命を奪える力を自分たちは、今手にしている。
城に戻る王様の背中はすごく小さかった。
あんなにも偉大で尊敬していた人物がこれ程まで冷酷だと知らなかった。
今更行く当てなどない兵達は、姫を見つけ出す事それだけを生きる理由にした。
それが成せた時、自ら命を経とうと心に決めた。
パチッパチッと近づいてくる背中の熱さが心地よかった。
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お姫様がお城の中で見つかることはありませんでした。
城の中は静かになっていました。
泣きつかれ、目を開けたまま倒れているお妃様。その側で頭を抱えた侍女。お姫様と親しかった使用人も項垂れて固まっていました。
城から出た人々は散り散りになっているのに、誰がどこに行ったのか城の門から一目で見つけられました。
城下町は黒焦げたものと泥しか残っていません。
城壁はまるで大きい力に襲われたように倒れ崩れていました。
城と人々は残りましたが、城下町も賑やかさも築き上げてきたものも全て無くなりました。
王様が震える声で言いました。
「魔女はこの国の宝、全てを奪っていった。この惨状は魔女の起こしたものだ。護れなかった不甲斐ない王で立つ背がない。だが、我が憎しみは決して消えることはない。魔女を滅する炎となり、魔女の血でそれを流そう。付いてきてくれるものはいるかー!!!」
店が無くなった商人は立ち上がりました。
家を無くした夫婦は肩を抱きあって王様を見つめます。
涙を流した子どもですら、声を合わせました。
『『『うぉぉぉぉぉおおおおおお!!!!』』』
町の心は一つになってしまいました。
復讐の炎は冷たいだけで、人々を温めてくれるものではありませんでした。
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姫がいなくなって、一晩が経った。あっという間に過ぎ去った。
昨日も一昨日も、町は賑々しく、活気に溢れていた。今ではその影すらない。
城の中も外も惨状だった。荒れたのは何も町だけじゃない。人々の心もだった。
その中でも一番変わってしまったのは王様で、未だに考えられるだけの思考力が残っていた。一極端にしか考えられないなら、考える事にはならないかもしれないが。
下卑た笑い声もなく、突然目の前に化け物は現れた。
姫の部屋に居たあの化け物である。
その頭上に黒い輪が浮かび上がり、その隙間から憎き魔女の姿が見えた。
王様を見据えるその醜いはずの魔女の目は強く輝いて見えた。逆光の見間違いだったのだろう。わざわざ太陽が見える方に現れたのは奴のいやらしい策略だと王様は詠んだ。
化け物は蠢き、まるで生を主張している。
ローブを脱いだ魔女はふざけた格好だった。
偽りだらけの若い女の姿。娘の歳に近そうな生娘の姿だった。声も老婆のようにしゃがれたものでなく、見た目に似合った若い女の声だった。
王様は魔女を最上の憎悪で睨んだ。
頭の中ではその殺し方を考えている。
焼くか、凍らせるか、切り刻むか、引きちぎるか……民に票を取るか。一人一票で投票し、決まるまで拷問させるのはどうか、いやでも私が決めたいな……
誰も王様の思考を知らなかった。
魔女だけがその思考を覗き見た。
ふっと笑った醜いものは果たしてどちらか。
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結束した王様達の前に化け物と魔女は現れました。
魔女は王に向かって言いました。
「愚かな坊や。あなたの中に美しさはもはや残っていない。あなたには姫を見つけられない。王の言葉でしか、考えられないお前ら群衆も姫は見えやしない。たとえ魔法を使わずともお前らは光を失う。醜い奴ら」
「「「ふざけるな」」」
「家を返せ!」「生活を返せ!」「居場所を返せ!!!」
「「「すべてお前のせいだろ!!!」」」
人々は溜まった恨み辛み憎しみを魔女にぶつけました。
王様は暗い笑顔を魔女に向けました。
「姫を隠し、民から居場所を奪い、この町から光を奪った。大罪人、醜き悪魔!!世は貴様に天誅を下す。今更悔やんでももう遅い。死ねぇぇ!!!」
人々が魔女に向かい手を翳しました。
それは諸刃の剣。
苦しみと傷を自身に与えた力。
しかし、絶望した人々はその痛みにすら気付かず、本来以上に扱えました。
壊れた人々は魔法を使えたのです。それは、冷たいのに全てを燃やしてしまう力。
憎悪の炎でした。
(
魔女に向けられた高熱の光の束は、無数だった。王様の声よりも早く魔女に迫る光を避けられるはずがなかった。
魔女の目の前で化け物が瞬間移動した。
しかしそれは、魔女を避けさせるためのものでも、自らが防御をするためのものではなく、化け物が盾になるための魔法だった。
「 」
魔女は教えてもらった名前を叫ぶ。化け物の皮膚を焦がす魔法の音がうるさくて人々の耳には届きはしなかった。魔女以外。
背中から落ちていく化け物を追って魔女も落ちていった。
仕留めたと思った王様は、すぐさま舌打ちをした。
倒れた化け物の向こうに立ち上がる姿が見えたからだった。砂煙が舞う向こうに立っていたのはやはり魔女だった。
『醜悪の』魔女は腹を貫かれて重症だった。
なのに笑って王様を見ている。
虚勢だ。口から血を吐いている時期に死ぬ。奴に何ができる。…待て私は奴に何もできていない。今死なれては困る。せ、せめて一刺し、いやそれじゃ足りん。首を落としたい。そ、それなら。
王様は自分の中で納得がいったことに安堵し慌てて立ち上がった。魔法よりも自らの手で首を切りたいと思い、近くの兵の携帯していた剣を奪い取り、駆け出した。
「あっはっはっは!!」
笑う王様は人の顔をしていなかった。王様の笑顔は酷く歪んだお些末なもの。
魔女はそれを見て笑い、言葉にした。
「醜い」
それが『醜悪の』魔女の最後の言葉だった。血を撒き散らして飛ぶ首は地面を跳ねたかと思うと、コロコロと下まで転がっていった。ぐにゃりと力無く倒れた胴体は下まで転がらず、背中をズザザーと擦ってから止まった。切り口から滴ったものが黒かった地面を少しだけ塗り替える。
あっさりとした決着に、思いの外晴れていない自分の心の空っぽさに王様は困惑した。痙攣が止まった胴体の元に近づき、剣を突き刺した。変わらない。おかしい。
ザクッザクッザクザクザッザッカッカッカッコツ。硬いものが邪魔をしてうまく刺せない。
刺したところが分からないくらいぐちゃぐちゃな事に王様は気づかなかった。
人々は終わったのだと安堵した時、気づいた。痛いことに。
「い、いた」「痛い」「あがっ」「グギギッ」「ぎょへ」「ガャギゥゥ」「ウグゥゥゥ」
あるものは叫び出した。あるものは痛む箇所を殴った。
あるものは別の場所に痛みを生じさせた。意味はなかった。
あるものは痛むもの同士でそこを切り落とした。もちろん意味はなかった。
あるものは自身の首を締め自殺を図った。死なずに意味はなかった。
いたる場所で苦しみ悶える人々の姿は地獄の様相だった。
お姫様と仲の良かった侍女も、使用人も、料理人、救護人、気のいい町人、売り上手な商人、同い年くらいの女の子、お姫様が知る人も知らない人もみんな苦しみ始めた。
お妃様も苦しみ始める。喉を掴む腕は首を絞めようとしているのではなく、苦しみから逃れるために引っ掻いていた。
意識が飛んだのか腕がだらんと落ちる。
そんな中ザクザクと刺し続けていた王様の腕から剣が落ちた。それを拾いに行こうとして、誰かの足が見えた。裸足だ。地面に汚れてしまっている。
見上げると魔女が立っていた。
王様は喜んだ。
「おお!今お前の首を跳ねようしていたところなんだ。ちょっと待っていてくれ、もっといい切れ味の剣をもっ……て…きゅるぅぅ………」
『憎悪に染まった』魔女は涙を流した。
飛んでいく首はやはりコロコロと下まで転がって行き見えなくなった。
痙攣する胴体は転ぶことなく、寄りかかる。
まだ温かい遺体を城門前に寝かせた。愛する人たちを隣にさせたかった。
愛していても、魔法は人を殺す。
美しかった眼は血で赤く滲み、暗い色に変わった。
お姫様はこの城の誰にも見つかることなく、この城に住むものは誰一人いなくなった。お姫様も死んだ。
遺体を抱え、魔女は首を探す。
皮肉なのか、二つの首は隣合わせでくっついており二人とも眠るように目を瞑っていた。
「美しい」
しゃがれた声、老婆のような姿になった『醜い憎悪の魔女』は城壁内にあるもの全て焼き尽くした。
それから『醜い憎悪の魔女』はどこかへ消えた。
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城を滅ぼしたのは魔女の炎でした。その炎は憎悪を呼び、魔女を殺しました。
何もかもを失った王様は城を復興させることはできず、城も民も今では残っていません。
お姫様もどこに行ってしまったのか、分かったものは誰一人いませんでした。
これは悲しい悲しいお姫様の話です。
ー終わり」
セルシウスは膝に乗せた娘、リヨンにそう言い聞かせた。
「もっかい」
「ええ?またかい?」
父を見上げる娘は興奮冷めやらぬ様子で催促する。
「はーくはーく!」
「君は本当にこの絵本が好きだね。…内容はあまり良くないんだけどな」
この絵本はイニシャル一文字だけの作者が書いた、あまり知られていない歴史を元にした児童向けのもので、リヨンには少し早い気がするのだが、妻フレアが適当に買ってきた本の中で一番リヨンのお気に入りとなった。
魔法についての教本のような内容の締めだが、そこに至るまでが中々に濃い。
実は魔法が使える娘にはこの本の特殊な魅力でも見えているのだろうか。
「そういえば、お姫様も魅力がどうのって…」
「はーあーくー!!」
「わかった!読むから」
膝を叩いて抗議する娘は氷の石を作り始めている。慌ててそれを止め読み始めると、嬉しそうに娘は笑った。
セルシウスもまあいいかと娘の笑顔に綻んだ。
自分はこの愚王のようにはならない。セルシウスはこの本を読み終えると毎回教訓のように思う。
結局、愚王は最初から娘を見ていなかったのである。
読んでいただきありがとうござぃます!!
BLOOD DAYSを書き終えてすぐ、なんか童話が浮かびそう…とバイト中不真面目に考え事をし、家に帰って書いたら止まりませんでした。
長ぇよ!そして重い…
というのが伝わったら嬉しいな。
お付き合いいただきありがとうございました。
2022/11/05
誤字報告ありがとうございました!!
四カ所も見落とすとは…まだ残っているんじゃないでしょうね?校正係が必要かもしれません。ん?構成の間違いか?
変換ミス、詞の使い方……恥ずかしい
ですがそれ以上に嬉しかったです。細かいところまで読んで頂けていたということの証明ですよねそうなんですよね?まじ嬉しす。
精進します!!