中盤戦
戦線は拡大しない方針ですが。
昭和17年終わり頃は、日本がマレー半島以西の占領地拡大を中止し、東はラバウル・トラック・マリアナ・小笠原ラインの堅持をしている状態が続く。
イギリスはシンガポールに手を出す余裕はないようだ。
アメリカ軍は機動部隊を使った島嶼への空襲を繰り返しているが、要塞となっているラバウルやトラックには手を出してこない。
日本軍も手をこまねいているわけでは無いが、一撃離脱を徹底しているアメリカ機動部隊を今ひとつ追い切れないことも確かだ。
このままではじり貧である。アメリカの建艦能力と人員育成力からすれば、18年後半から海軍戦力で優位に立たれ、19年夏前には対抗不能という予測も立てられている。
既に航空戦力では不利になっている。こちらからポートモレスビーに攻め込むと損害が多い。
逆に4発の重爆B-17及びB-24が脅威だった。連日のようにラバウルとブインを訪れている。目的が平和的では無いが。ブインには現れないが双発のB-25も運動性が4発機よりも高く低空から来ることが多いのもあり、厄介だった。護衛戦闘機はP-40とF4Fなのでまだ有利だ。しかし、新型高性能戦闘機が現れているのも問題だ。ロッキードだが高速重武装で格闘戦に持ち込まない限り撃墜は難しいらしい。特に高空では追いつけない上がれないで、手を出せないそうだ。ただ、向こうのパイロットが格闘戦に入ってくれるので勝てているそうだ。
講和交渉が進まない現在、どうするのか議論が盛んにされた。
即時停戦降伏という意見は一番被害が少ないのであろうが、戦後のことを考えるとアメリカの属国になりかねないので少数意見として扱われた。
一番多いのが、甘いと思われるが、やるだけやってから停戦降伏という意見だった。それでも、本土上陸を絶対回避というのは共通した思いだった。
それで問題になるのが、停戦交渉の仲介を任せる国である。ソ連は怪しすぎた。だいたい三国同盟のドイツと戦っている相手が三国同盟の1国である日本の仲介をするなんて思えない。交渉役の外務省や政治家は信じているようだが、何故信じられるのか理解できない軍人達だった。一部軍人も信じているので始末が悪い。
ではどこか?
可能性があるとすればスイスとスウェーデンか。格も十分だ。他の国家は格が足りなかったり、どちらかの陣営に近かったりするので無理がある。スウェーデンは少しドイツよりだが。
大本営の考えとして、スイスとスウェーデンに仲介を頼むように外務省や政治家に伝えた。ソ連を信じるなとも。
大本営は、ブインとラバウルを放棄しトラックを最前線とする方針に変えた。ラバウルは遠くブインはさらに向こうだ。補給や救援もトラック経由でしか出来ない。そんな僻地で最前線などごめんだった。
トラックならサイパンだけでなく、パラオからでも可能だ。
ブイン航空基地群は、元々ソロモン諸島からニューカレドニア周辺の輸送船団や敵基地の偵察哨戒をするために造られた基地だった。足の長い一式陸攻や九七大艇と二式大艇で長距離哨戒を可能とするためだ。ラバウルからでは遠く、搭乗員が疲弊してしまう。
航空基地群と言うが日本ならであり、欧米から見れば主飛行場に予備飛行場がいくつかというレベルだ。しかし主力のブイン飛行場は、日本軍の前線基地にしては珍しくコンクリート舗装されている。
投入される機数と距離からして哨戒密度は上げられないが、それでも効果は有る。オーストラリア東岸のケアンズは十分偵察可能範囲だし、無理をすればブリスベンも偵察可能だった。
嫌な基地であるのは明らかなようで、これまでに二回アメリカ機動部隊の空襲に遭っている。いずれも哨戒に引っ掛かってからの強襲だ。電探による事前探知で空中避退とか後方のブカに戦闘機以外を下げたりして被害の軽減に努めている。基地の規模からして機動部隊を相手取るような攻撃部隊の編成は出来ないが、迎撃用の戦闘機はそれなりの数用意できた。こちらの損害も多いが、貴重な空母搭乗員を大量に減らされるのはたまらないだろう。
大本営の考えは、ブインを強化する振りをして敵を引きつけ、出来ればアメリカ海軍機動部隊に出張って貰う。それをラバウル・トラックの基地航空隊と、一機艦(第一機動艦隊)の全力を持って大損害を与えるという絵に描いた餅だった。
ただブインを強化しただけでは引っ掛かってくれないだろうから、ポートモレスビー攻略を匂わせる行為をしようと。
ラエ攻略が策定される。ラエの安全を確保するために後方としてウェワクをまず先に整備することとなった。ウェワクが整備されれば、ポートモレスビーに対して攻撃拠点が増える。これは嫌だろう。ひょっとしたらラエ攻略は必要ないかも知れない。
ところがこの目論見は崩れることとなった。昭和17年12月10日にトラック沖海戦発生。さらに昭和17年12月15日。ブインの強化をしている最中に、ブインに東から陸上機が訪れるようになったのだ。勿論アメリカ軍である。偵察の結果、アメリカ軍がガダルカナル島に有力な飛行場を建設。そこからの来襲だった。
不本意であるが、大本営はここで決戦とすることを仕方が無く決めた。頼みの機動部隊が大きな損害を受けた今、引くことは出来なかった。
大本営の想定外であり、戦場を近くにするはずが遠くなってしまった。
唯一の救いは、海軍戦力が拮抗していると言う予測で18年夏頃まで猶予が有るはずだ。
何故アメリカ軍が今というタイミングで攻勢を掛けてきたのか全く理解できなかったが。あと1年もすれば海軍力で日本海軍を大きく凌駕できる。それからで十分なはずだった。戦力差から言って損害はかなり抑えることが出来るだろう。代わりに日本側は1回戦ごとにボロボロにされてしまう。そのくらいの戦力差だ。
恐らくオーストラリアの要求を呑まざるを得なかったのだろう。後は国内から対日戦の進行の遅さを政治的な問題とされたのかも知れない。と思われた。
ブイン航空戦の始まりである。また同時にブインへの物資補給の妨害と、ガダルカナルに対する物資補給の妨害も始まった。
ソロモンの戦いであった。
昭和17年の終わり、12月10日にトラック島が空襲を受けた。これは事前にハワイ方面へ偵察に出ていたイ号潜からの通報で分かっていたことで、どこへどこから来るのか哨戒機を多数出して警戒していたが、トラックに来た。
パラオで訓練中の第一機動艦隊をカロリン諸島付近に遊弋させていたことでアメリカ軍来襲に間に合い、トラックの損害は抑えられたが一機艦には損害が出た。有力な空母で有る赤城喪失である。赤城に乗って指揮を執っていた一機艦司令部は艦橋に直撃弾を受け全滅。以降は二航戦の山口中将が指揮を執った。
赤城の他にも、翔鶴大破、飛龍中破、蒼龍小破、軽巡球磨喪失他多数の損害が出た。翔鶴は魚雷1本、爆弾4発、至近弾2発を受け、よく沈まなかったといえるくらいの被害を受けた。翔鶴の修理には1年近く掛かるようだ。母艦搭載機の損失も多く、戦力の復旧は並大抵では無い。
アメリカ海軍も無傷では無い。ホーネット、ヨークタウン撃沈。エンタープライス中破。ブルックリン級軽巡洋艦2隻撃沈。アトランタ級軽巡洋艦1隻撃沈。フレッチャー級駆逐艦4隻撃沈。マハン級駆逐艦1隻撃沈。ノースカロライナ級戦艦1撃破。アトランタ級軽巡洋艦1隻撃破。艦級不詳駆逐艦3隻撃破。等華々しい戦果を上げた。
一機艦は6隻ひとまとまりだったがアメリカは2群に分かれており、ヨークタウン級3隻の部隊を集中的に攻撃した結果がこれだった。もう1群のサラトガ・レキシントンの部隊を発見した時には戦場から離脱を図っており、追撃は出来なかった。
辛うじて勝ったと言えるような内容だが、こちらの方がトラック+一機艦で戦力的に上回っており事実上の負けか引き分けだった。
大本営が描いた作戦その物を向こうから来てくれたのだ。そしてこの結果である。さらに戦力差が開く18年夏以降では無謀な作戦だったということが分かった。
恐らくトラックと一機艦の両方を時間差で相手取るつもりだったに違いないと考えられた。日本海軍もよく考える手で有る。
戦況 17年夏から年末
日本 戦線拡大せず
マラッカ海峡を支配下に置き、インド洋への通商破壊戦を潜水艦と軽空母で行っているが数は少ない。投入戦力は第六艦隊のイ号潜10隻と瑞鳳・翔鳳の第四航空戦隊を主力とした第九艦隊・通称マラッカ艦隊で、最大の艦が瑞鳳・翔鳳である。策源地はペナンだ。士気はあまり高くないが、頑張って通商破壊戦を行っていた。後に龍鳳が四航戦に加わり、3隻でローテーションを組むようになる。
ドイツとイタリアがインド洋通商破壊戦強化を強く希望しているが、マラッカを押さえているのは南方資源地帯の維持が主目的であり、イギリスをマラッカから西へ追いやれれば良いので、この程度でお茶を濁している。それでも、結構な負担である。
あまりドイツとイタリアが強硬な姿勢を取るなら、中立国船籍の商船でスペインまで出しているタングステン・キニーネ・生ゴムの提供を止める事も検討された。
大陸の奥深くまで中華民国軍を追っていた陸軍は、海岸線の要衝維持へと方針を切り替えられた。それによる兵力転換で南方占領地の維持と国内産業の維持を行えた。それでも兵の数が多いので、一部では動員解除まで行っている。動員解除の対象になったのは設計技術者や整備技術者と製造業従業員中心で、生産に考慮したとも言える。他は農家が多かった。
撤退時に跡を濁さぬように注意深く行ったが、多少の漏れは出た。国共合作が一部で崩れ始めているという情報も入ってきている。
海岸の要衝は、香港・福州・上海・青島の4都市だ。海軍力皆無と言っていい中華民国軍相手なら通商路の確保ができれば良いので、これで十分だ。4都市も防御を固めて、守りに入った。よほどの大戦力か現地住民による内部崩壊がなければ耐えられる見込みだ。
関東軍の戦力が大きく南方に引き抜かれることもなく、初期作戦のため引き抜かれていた戦力も数の上では復帰している。
航空戦力がインド経由で増える可能性もあるが、長大な輸送距離と鉄道や船が使えない現状では現実的ではなかった。可能性としてソ連からが有るが、供給先は共産であり運用能力も無いし対独戦で必要な航空機を回す余裕はないだろう。
まさか、インドから山越え空輸による航空基地建設が現実になるとは思っていなかった日本。アメリカの国力と実行力があれ程とは。
ラバウルはポートモレスビーへの攻撃拠点及びブインの後方基地として機能している。ラバウルとブインを放棄する予定が決戦の場になって困惑している。ブイン航空基地群は陸上機用飛行場を3カ所から5カ所に増やす予定だ。ラバウルも各飛行場の能力強化を行っている。
第一機動艦隊 17年末
第一航空戦隊 加賀 龍襄
第二航空戦隊 瑞鶴
第十一戦隊 比叡 霧島
第八戦隊 利根 筑摩
第五水雷戦隊 阿賀野
第十三駆逐隊 秋月 照月 涼月
第一水雷戦隊 阿武隈
第六駆逐隊 雷 電 響 暁
第十七駆逐隊 浦風 磯風 谷風 浜風
第二十一駆逐隊 初春 子日 初霜 若葉
第二十七駆逐隊 有明 夕暮 白露 時雨
翔鶴の復帰は18年末だと言われている。飛行甲板が前から後ろまで破壊されており、掛かる費用からして戦時で無ければ廃艦が検討されるレベルらしい。ついでに予定されていた整備や新装備の取り付けも実行する。
飛龍の修理完了は18年4月。飛龍も予定されていた整備や新装備の取り付けを実行する。
蒼龍は現在修理中であり、ついでに改修も行われる。
護衛の水雷戦隊だが対空火力は第五水雷戦隊以外当てに出来ない。第一水雷戦隊全艦は、機銃の増備はされたものの照準が銃側であり賑やかし程度だろう。トラック沖海戦の時、第十三駆逐隊の対空砲火は凄まじく、空母の損害があれだけで済んだのは秋月級4隻のおかげとも言われる。秋月級を増産したかったが、艦型が大型なのと主砲や主砲用高射装置の製造に手間が掛かり予定よりも増えない。
機銃用射撃指揮装置の製造も全艦分間に合っておらず、さらに取り付け場所や重量問題も有ってナニカを降ろさねば装備できなかった。ナニカは予備魚雷か発射管1基か主砲塔1基であり、猛反対された。
赤城喪失と翔鶴大破の衝撃は海軍空母行政を変えた。雲龍級空母の完成を促進させた。横須賀で戦艦か空母化かで処遇が決まらず、無駄に船渠を占拠していた110号艦は空母化が決定。装甲空母という案は竣工時期と必要とされる鋼材の量と工数から一蹴され、通常の空母として建造されることとなった。ただ、機関の据え付けが終わり煙路まで出来ている状態では、煙路の変更も限界があるため、格納庫の配置に無理があり6万トンの巨体に似合う機数の搭載は無理だった。140機から160機は詰めそうだが、せいぜい120機だろう。
やって来ました。アメリカ軍。ブインが最前線。
赤城の艦橋に直撃弾で司令部全滅。源田も。三四三は部隊としては編成されるかも知れませんが運用は全く違うものになりそうです。
8月15日の更新はありません。




