機体
誉が完調というか正常なら1年は早くなるかなと。
機体開発は順調に進んでいた。とにかく今まで悩まされ続けてきた発動機関係の問題が激減している。
一時は実用化が不安視された誉だが、今では離昇出力1900馬力、一速公称出力1730馬力と計画当初を上回り、初期トラブルは散見されるものの快調で有った。
機体の方も、胴体は発動機に合わせ少し拡大し様々な要求から主翼は改設計したとも言えるが、それだけに強力なっている。
開戦後に有った軍部内クーデターから始まった各部改革の一つに、調達の簡易化が有った。それによる多種多様の装備品群を整理する方針に伴い、航空機関砲(海軍は機銃)は13ミリがホ103、20ミリが海軍の九九式となった。30ミリは開発中だ。海軍の三式13ミリ航空機銃と陸軍の20ミリ航空機関砲ホ5は中止となった。
戦時中であり、統一名称化は調達と現場の混乱を招くとして見送られた。
本来、陸軍が開発中の20ミリ航空機関砲ホ5を主翼に2丁装備する予定で有ったが、九九式二号銃になった。今の所ドラム弾倉100発だが、ベルト給弾を試験中だと聞く。なれば装弾数は200発前後になるだろう。その機銃と弾倉を四丁分収納するための主翼改設計だった。多少大きくなったが飛行特性に影響がないように設計されているのは当然だった。
同時期、誉発動機の開発が順調に推移していたために搭載予定機の試作も順調に進んでいた。元々開発記号がNKと海軍名称が付いているように海軍主導で有った。機体は彩雲と銀河と流星と十七試艦戦で有る。
予定されている機体以外で誉を積むことに一番先に名前が挙がったのは、既に馬力の無さが目立つ零戦。しかし誉の搭載による重量増が400kg程度になると見込まれた。発動機単体ならここまで重くならないのだが、前だけ重くなり機体のバランスが崩れてしまうため、後部を重くしなくてはいけなくなるだろう。その重量も入れてだ。さらに航続距離は半分以下の600海里程度まで落ち込むと見込まれ、零戦の強みである航続距離が無くなってしまう。さらに燃料タンクの増設や防弾の強化や重量増に耐えられるように機体の強化も検討されている現状ではさらに重量が増えると見込まれる。
したがって、誉搭載に伴う各部改修の影響でそんなに性能は上がらないだろうと思われた。
誉の生産量がそこまで無いことも有り栄の強化か金星を積もうという話になっている。ただ、栄も搭載機(九九双軽、九七艦攻、二式陸偵(月光)、隼)が次々と旧式化(隼は長距離進出型制空戦闘機の価値が落ちたため)による整理対象でありいつまで生産するのか分からない。出力も良くて1300馬力だと言う。金星なら1500馬力出るし、金星は搭載機が多いので金星になるのではという観測がされている。ただ、栄の生産を外部に移管すれば、中島は誉一本となるのでソレも有りかと思われている。
彗星も搭載発動機の不調で誉を積もうかという話になったが、やはり生産量の兼ね合いで積まないことになった。
彗星は金星を積むことになる。
誉はあらゆる機種で欲しがられていた。しかし無い袖は振れないのである。軍産学で開発から生産まで手を入れられて、限られた生産設備から粗製濫造に繋がる無理な生産量を求めないことになっている。中島製14気筒発動機が栄以外軒並み生産中止であり、そちらを誉用として整備することになっている。そうすれば生産量は伸びるだろう。しかし中島は中島でキ84に積む発動機でもあった。せいぜい無理な生産にならない程度の生産量だ有ろうと予測された。
中島と協力する海軍工廠は学からかなり製造方法の不備について手を入れられた。他の製造各社も同様で有る。
同時に、粗製濫造とならないように無理な生産計画を立てないよう指導もされた。だいたい無理な計画を立てるのは軍である。
軍は当初から誉搭載で計画されていた機種を優先し、生産に余裕が出れば他機種へもと言う立場を取った。百式司令部偵察機だけは例外とされ、換装指示が三菱に出ている。偵察機は速度命である。重量増でも速度が見合うだけ上がれば良いのだ。
彩雲は誉十一型を搭載。テストでは330ノットを発揮。初期不良を出来るだけ潰して18年秋には制式化されるだろう。
銀河も同じく誉十一型を搭載。やはり300ノットという計画値を発揮。予定通り制式化されようとしていた。
銀河は空技廠で設計。試作も空技廠で行われた。だが、中島飛行機に量産委託する時点で量産性および整備性に関するダメ出しが産学から行われ、治具の作り直しなどの手間もあり制式化及び量産開始は昭和18年10月になった。ただこのおかげで工数が2割削減されたという。試作機と較べても性能低下は無く量産性・整備性共に向上し、かえって安定したという。
誉十一型 開発記号NK9B
離昇出力 1900馬力
1速公称出力 1700馬力/高度2000メートル
2速公称出力 1500馬力/高度5800メートル
この頃中島の発動機生産体制は、ハ41とハ109の生産終了に加え護発動機も生産中止であり余力が出ている。その余力を誉の生産へと向けていた。協力する海軍工廠も生産体制を整えつつある。栄も隼の減産により余力が出ており、相当の余裕が有ったとされる。反対に三菱は火星発動機の生産に忙殺されており余裕は無かったと言われる。そのため新工場を阪神地区には金星用としてと、神奈川県には火星と火星18気筒版であるハ-104用に建設。稼働次第では、航空機のさらなる増産が可能となってきた。
中島で新型戦闘機キ84の試験飛行が始まったのは、発動機がまだ安定しない昭和17年春だった。その後、誉が安定してからは開発が順調に進んだ。
キ84 試作16号機による結果
8号機までは発動機がNK9Aであるの参考にならない
全長 10メートル
全幅 11,52メートル
全高 3,46メートル
自重 2750kg
全備重量 4000kg
発動機 ハ45-21 (開発記号NK9C 海軍名 誉二一型)
離昇出力 2000馬力
1速公称出力 1800馬力/1800メートル
2速公称出力 1700馬力/6200メートル
最高速度 640km/h 6100メートル
航続距離 正規1400km 増槽付き2500km
増槽は両翼下に200リットル各1
武装
機首 ホ103 2丁 装弾数350発
主翼 九九式二号四型 2丁 ベルト給弾 装弾数200発
爆弾 最大250kg2発 左右主翼下 胴体下装備不可
増槽と爆弾は懸架位置が同じで排他利用。必ず左右同じ仕様であること。
九九式二号銃が左右一丁ずつなのは、主翼外側が重くなるのを搭乗員が嫌がったからだ。ただこれで攻撃力が不足なら四丁にする。
軍はこの結果に喜んだ。昭和18年2月のことだった。
四式戦闘機 疾風 として制式化されたのが昭和18年5月だった。
軍は中島に対して、最優先生産を指示。隼の生産をさらに絞り、その分も疾風の生産に回すようにした。
皇紀2603年だから三式戦とはならなかった。既に三式戦闘機飛燕があったから。
この頃には、98/128グレード航空揮発油の生産が順調に伸び、空母や前線部隊以外にも戦闘機隊にはブレンド無しで供給されている。誉装備機には全て提供されるようになるはずだ。
滑油も新型基油をベースにした物に変わっており、再生油やカストロ油は使用も供給も減っている。
同時期、海軍は零戦の弱体化が明らかになりつつ有り、後継機の開発に苦悩している。明らかに航空政策の失敗で有った。焦った海軍は、比較的手空きとみられる川西に陸上戦闘機の緊急開発を指示。
川西は緊急と言われても困るのだが、既存機体の改修で望めば早期に実現する可能性有りと回答。
海軍は開発を命令した。
川西は強風を陸上機化することを決定。と言うよりも他に手段は無かった。
発動機は海軍より誉の搭載を指示されている。火星と誉では直径が違い、誉に合わせたかったのであるが時間が無いとして、胴体にはできる限り手を付けないことにした。
結果、試作機が飛んだのが17年12月とかなり早かった。
この試作機の性能は最高速度320ノットと計画値を大きく下回ったが、他に機体が無く開発の継続が指示された。
誉が安定していない17年8月頃だったら300ノットを超える程度と、悲惨な数値が出ていたかも知れない。
海軍は仮称”紫電”には大きな期待は持っていなかった。本命の局地戦闘機は雷電であり、紫電は苦肉の策であった。
しかし、雷電は振動問題が解決せず開発が停滞していた。三菱には大学などから応援が行っているが、上手く行っていないようだ。
仮称”紫電”は、二段伸縮式主脚にトラブルが多発。エンジン側油圧ポンプを強力にする等の対策が取られ、かなりトラブルは減った。
紫電の仮称が取れたのは、昭和18年6月だった。
海軍は零戦の強化も継続しており、昭和18年6月には金星搭載と防弾強化の指示を出した。
疾風と紫電改と烈風?かな。烈風はどうしようかなと思います。用兵思想が現場(戦場)の変換に付いていけないまま計画された機体ですが「本機200機あらば」と言わしめた程の機体。さあどうしましょうか。