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時間がかかること

 十二月に入った日の午後。


 寝不足だというレイに理由を尋ねると、いろいろと悩み事があるという。


 俺は彼女を誘って出掛けた。


 馬を並べて駆けさせていると、おいていかれそうになるほど彼女はうまい。


 険しい山中で馬を駆るウラン族にとって、高低差があるとはいえ丘陵地帯程度は平地と変わらないのだろう。


 農場が見えてきた。


 ベリオットから馬で二時間ほどの場所にあるグランベール農場は、侯爵家が経営する大規模農場だ。とはいっても、経営を全てみているわけではなく、複数の商会に運営は委託している。彼らが不正をしないように侯爵家が監視し、警備にも人を出す。設備の投資もおこなう。


「どうして、大きな畑を作ったんだ? 風車もたくさんあるし、水車も」


 レイの質問に、俺は彼女の隣に並んで答える。


「我が領地は耕作面積が限られている。かといって、それを増やそうと試みると、君達とぶつかるし、木々を伐採することで逆に水害に悩むことにもなるだろう……レジト領は今、とても豊かな水に助けられているけど、森や山を壊せば水は脅威となる」

「お前達は数年前まで、山に攻めてきたのは畑を増やしたかったからか?」

「いや、なんというか……地下資源だ。鉄や金、銀も採れるみたいだ」

「……川にも転がっているぞ。首飾りにつかった石、川で拾って磨いたんだ」

「……」


 俺は首飾りをマジマジと眺める。


 この大きな宝石達、偽物だと俺が思ったのは濁っていたり、不純物がくっついているからだけど、もしかして原石……?


 ちょ! ちょ待てよ!


 この大きさ! いくらになるんだ!?


 俺が驚いているのを見て、レイが照れた表情になる。


「そんなに驚かれるとは思わなかった」

「いや、ありがとう。もしかしたら、すごい価値があるかもしれないよ、これ」

「価値? よくわからんがお前が喜んでくれるなら嬉しい」


 可愛い……。


 笑うレイの顔が好きだ。


 いや、照れた顔も好きだ。


 いや、普通の顔も好きだ。


 見惚れていると、レイが目を細める。


「じろじろ顔を見られるのは嫌いだ。殺すぞ」


 その顔は嫌いだ……。


「ごめん……」

「フレデリク、あそこに行ってみたい」


 小高い丘へと馬を走らせる。


 ベリオットを西に眺める丘の上から、二人で辺りを見渡す。


 そろそろ帰らないと、屋敷に入る頃には夜になってしまうと思ったが、レイがまだ帰りたくなさそうにしているので付き合うことにした。


 思えば、彼女は自由な時間があるようでない。


 環境がいきなり変わって、いろいろと学びながら頑張ってくれている。


「フレデリク……僕はこのままお前の妻として生きていいのか?」


 どういう意味だろう?


「もちろん、そう願っている」

「僕は戦うことしか取柄がない女だ」

「そんなことはない」

「お前は優しいからそう言ってくれるが、僕はちゃんとわかっている。お前が領地のために僕と結婚したことをちゃんと理解している」

「……どうした?」

「僕はこのまま、お前の妻として生きると、きっと弱くなる」


 別に構わないと思うけど……何が問題なんだ? ウラン族は強くないといけない価値観なのだろうか……。


「僕は戦うことしか取柄がない女だ……弱くなっても、ウラン族とレジト侯爵領のために優しくしてくれるか?」


 俺は馬から降りて、彼女を誘う。


 ひらりと飛び降りたレイを、両手で包むように抱きしめた。


「誓うよ。ここから見える景色に誓って、俺は君と夫婦でいる。君に優しくする。だから、君も俺の妻でいてください」

「……」


 答えはない。


 彼女の右頬と、俺の左頬がぴったりとくっついている。


 風が冷たくなってきたけど、彼女とこうしているので心地いい。


 レイの両手が、俺の背中に触れた。そして、ギュッと力が入る。


 これが、照れ屋で恥ずかしがり屋のレイの返事だとわかった。


「レイ、ありがとう」


 俺の感謝に、彼女はわずかな身動ぎで応えてくれた。




-レイ-




 婆さんにいろいろと教わっていると、自分の言葉遣いがリタニア人にとってとんでもないものだと思えてきて、かなり慎重に話すようになった。でもフレデリクは、いつもの喋り方が好きだと言ってくれる。


 嬉しいけど、甘えてはいけない。


 でも、いつも気をつけるのは疲れるので、切り替えができるようにと練習を重ねる。


 婆さんはとても優しい。


 そんな婆さんが、僕にフレデリクとのことを訊いてきた。


「どうです? 孫とはうまくやっていますか?」

「うん……じゃなかった。はい、彼はとても優しいので嬉しいです」

「よかった。でも、そなたも孫によくしてくれているからこそ、うまくいっていると思いますよ」

「……!」


 褒められると嬉しくて笑顔になる。でも、あまり顔を見られたくないから俯く癖がついている。


 婆さんが不思議そうに尋ねてきた。


「どうしてそんなに顔を隠すの? もっと堂々となさい」

「……えっと、恥ずかしいです。つくりがよくないので」

「つくりが? そなたのお顔のつくりが?」


 婆さんは目を丸くする。


 僕は恥ずかしくて、両手で顔を隠した。


「……見ないでください」

「おかしなことを言いますね……こんなに綺麗なお顔立ちなのに」

「お世辞はわかります」

「本当のことよ……レイ、そなたはとても美しいわ」

「でも、親父……じゃなかった、父上や兄上、周りから顔や体型のことでずっと笑われて……」


 婆さんはそこで訝しむ。


 僕は、なんだか情けなくて溜息をついた。


 でも、醜さを気にしているのはしょうがないじゃないかと思う。


「レイ、そなたの部族ではそうなのかもしれません。それをわたくしは否定しません。ですが、このレジト侯爵領……いえ、リタニア人の社会ではそなたは美しい顔立ちよ。背が高くて脚が長くて、とても素敵」

「ほ……本当か!?」

「ほら! 言葉!」

「あ……本当でしょうか?」

「ええ、だから自信をもってちょうだい、レイ」


 僕は婆さんに、とても救われた気持ちになった。


 まったくの嘘とは思えないほど、婆さんの表情は真剣で、目は優しい。そして声は自信に満ちている。半分程度に受け取っても、笑い者にされることはないように思えた。


「お婆様、ありがとうございます」

「あら、お上手。今のように、自然と出るようになっていきましょうね」

「はい!」


 褒められた!


 僕は気分よく稽古を終えて、午後の時間はフレデリクとどこかに出掛けようかと思っていたけど、彼は領主として忙しいみたいだった。


 アリアナを誘って城下町に出てみた。


 フレデリクと一緒ではない散策は初めてかもしれない。


 市街地に出ると、大通りは行き交う人達で賑わっている。大通りの左右はいろんなお店が出ていて騒がしい。それがずっと続き、街の外まで続く折れ曲がった通りの先は見えない。


「こうして歩くと、リタニア人の街はすごいな」

「ええ、本当に」


 アリアナと並んで人ごみのなかを歩いていると、甘い香りがする。


 看板には、素敵な昼休み、という店名が記されていて、その下にはクレープ専門店とも書かれていた。


「お嬢、城の人に教えてもろうたんですが、クレープなるものが流行っとるそうです。この店で買えるみたいです。食べてみませんか?」

「食べたい。お金……持っていない」

「うちはあります……ふたつも買えません。ひとつ分です。半分ずつでどうです?」

「うん」


列ができていて、アリアナと一緒に最後尾に並ぶ。これは婆さんから教わっていたこちらの社会の常識だからだ。


列に割り込むのは、頭が悪い野蛮人だとされてしまうらしい。


 ふと、視線を下げると前に並んでいる男の子が僕を見ている。


 母親と一緒だが、僕を見ていた。


 なんだろう? と思っていると、男の子が言う。


「お前、侯爵様の奥方様か?」

「そうだ」


 母親が慌てて謝るが、男の子は頭を下げずに僕を見上げた。


 いや、睨んだ。


「お父さんを返せ!」

「お父さん?」


 この子のお父さんがどうしたのだ?


「すみません!」


 その子の母親が、男の子を抱えて離れて行く。


「あの子、どうしたんでしょうか?」


 アリアナが首を傾げていると、僕たちの後ろに並んだ女性が言った。


「蛮族に父親を殺されたのよ、きっと……戦争でね」


 蛮族……リタニア人達は、僕たちのことをこう呼ぶと知っているが、面と向かって言われるといい気分じゃない。それに、これまで親切な人に囲まれていた僕は、驚きもあって何も言えなかった。


「お嬢、行きましょ」


 アリアナが僕を誘う。


 気付けば、微妙な空気の中にいるのがわかった。


 誰かの声が聞こえた。


「蛮族のくせに侯爵様と」


 また、誰かの声が聞こえた。


「図々しい。ご領主様はお優しすぎる」


 僕たちは、城に帰ることにする。


 店から完全に離れるまで、それは聞こえてきた。


「わたしも夫を戦争で亡くした」

「よしなよ。あの人が悪いわけじゃないんだから」

「そうだ、お互い様だろ。彼女は友好のために来たんだぞ」

「のっとりだ。蛮族のくせに俺達のご領主の奥様だとよ」

「生意気な女だ」


 城へと急ぎ帰り、それから屋敷へと向かう。


 アリアナとの会話はない。


 屋敷の玄関で、フレデリクが騎士と話し込んでいたけど、僕に気付いて笑顔を見せる。


「レイ、おかえり」


 僕は、彼の笑顔にすがった。


 飛びついた僕に、彼も騎士も驚く。


「ど、どうした?」

「ちょっとだけ、こうしていてくれ」


 僕は、気付けば泣いてしまっていた。


 その日の夜、書斎で僕はフレデリクに昼間の出来事を伝えた。


「僕は……彼らの家族を殺した人間側だから、仕方ないことかもしれないけど驚いたし、悲しかった」

「……レイ、言っておきたいことがある。誰かが君に話すかもしれないから、その前に、俺から話す」

「何だ?」

「俺の父親……先代の侯爵はウラン族を中心とする山の民との戦いで戦死した」


 僕は何も言えない。


「レイ、でも俺は君達を恨んでいない。いや、当時はとても恨んだよ。悔しかったし悲しかった……でも、君達にも俺達、リタニア人側に家族を殺された人だっている……戦いは世の常で、戦死はつきものだ。だからどうしようもないことなんだ……でも、だからといって俺は領民に、ウラン族を始めとする山の民と仲良くしろと強制はできない」


 僕は、フレデリクに手を握られた。


 向かい合って座っている。


「俺がそれをしたところで、今日みたいにふとした機会に攻撃性が蘇る。これはもうどうしようもない……だから、時間をかけてゆっくりと関係を改善していくしかないと思っているんだ」

「僕は戦うことしか能がない女だ――」

「そんなこと――」

「聞いてくれ。戦うしか取柄がない女だけど、戦いは嫌いだ……やられた仲間は痛そうだし、倒した相手も苦しそうだ。それでも、僕は親父や仲間、部下のために戦って、勝ってきた……でも、戦うのは嫌いだ。だから、最初に言ったこと……交易で仲間が豊かになれば戦わなくていいと思う……僕らとお前達が戦わないでいい毎日がいい」

「うん、俺もそう思う」

「今日のことは、忘れる……でも、領民たちは忘れないだろう。だから、いつか認めてもらえたらって思う」


 僕は思う。


 時間がかかることも、世の中にはあるのだ。


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