森の中
ああ、もう面倒くさい!
仕事があれこれと山のようにある!
法律も作って、裁判もこなしてあれもこれも……頭が痛いことばかりだ。
共同開発に関しても新たな契約書を作成したりと大忙しだ。
午前は本当に一杯いっぱいだった。
だから昼に、その報告がされて困ることになる。
「レイが?」
「はい、お妃様が野犬たちを連れて山のほうに」
犬どもはレイには懐いていたからな……だいたい、彼女が狩った動物の肉やら内臓をあいつらに分けていたから、あそこに居ついて数を増やしていたんではなかろうか……。
「夜には帰ってくるだろ」
「は……しかし大丈夫でしょうか?」
「俺達よりも強いから大丈夫だろ。俺は忙しい。そんなことをいちいち報告するな」
「申し訳ありません」
まったく、忙しいのに誰も理解してくれない。
借金まみれで年間予算も大変なところから、こうして回復させて、さらに成長曲線を描こうという時にどうでもいいことでイライラさせてくれるなと思う。
イライラするなとレイは言ったが、イライラさせてくるのは周りのやつらだ。
王がいなくなったら、今度は違うことでイライラさせられるなんて悲劇だ。
仕事に戻り、忙しく一日を過ごす。
夕食の時、アリアナがそわそわしていた。
「どうした?」
「あ、旦那様、お嬢がまだ帰らんのです」
「お前は一緒じゃなかったのか?」
「ええ、うちは犬たちに慣れられてないからって言われましてん」
「……ま、大丈夫だろ。そのうち帰ってくる」
「はぁ」
レイはその日、帰ってこなかった。
翌日、俺はレイが帰ってきたら怒ってやろうと思っていたが、帰ってこなかった。
夜になってさすがに心配になる。
婆様が、俺の部屋に来た。
「レイは帰ってきたのですか?」
「いえ、明日には帰ってくるとは思いますが……」
「フレデリク、どうして捜しにいかないのです?」
「……」
「見損ないました。そこまで貴方は変わりましたか」
婆様が俺を軽蔑するような目線を放った。
扉を閉められる。
俺は、自分がどうして迎えに行っていないかを婆様に言えなかった。
喧嘩をして、仲直りをしようとしてくれたレイを突き放したことが気まずいからだと言えなかった。いや、最初はなんとも思っていなかった。だけど、二日目の朝になって帰ってきていないと知り、捜しに行こうと思った時、気まずいとも思ってしまったのである。それは、レイとの約束を破ってもいたからだ。
喧嘩をしたら必ず謝る。それでも腹がたつなら一度はなれて大声を出してスッキリとする。そうしたら隣にいる。
レイは、約束を守って俺の寝室に来た。
俺は、それを拒否した。
俺は、このままではいけないと歯をくいしばる。
扉を勢いよく明け、厩舎へと走る。
途中、角を曲がったところで兵士とぶつかった。
「公王陛下! すみません! 申し訳ありません!」
「すまない! 急いでいる! あ、お前、頼みがある」
「た……頼みですか?」
「ああ、イブラをすぐに起こして、城の西、森と山々がある場所へ部隊を派遣してくれと言ってもらえないか? 俺は先に行っている。レイを捜す!」
俺は立ちあがってすぐに走っていた。
「かしこまりましたぁ!」
兵士が後ろで声をあげた。
-フレデリク-
レイと以前、兎を食べた場所を思い出す。城から西、森の手前に広がる丘陵地帯だ。
レイはきっと、あの丘陵地帯の先に広がる森と山へ、野犬を移動させたいと考えたに違いない。
北や東の山脈は険しく遠い。それに開発場所がある。
レイを見つける方法。
叫ぶしかない。
丘陵地帯を駆け抜ける。
馬は懸命に走ってくれた。鞭をいれなくても、俺の為に必死に走ってくれている。
夜の森は危険だ。
ここで、部隊の到着を待つ。
森と丘陵地帯の狭間で馬を降りて、荷物を降ろして火をおこす。俺がいることを部隊に知らせる為だ。
しばらくして、イブラが騎兵を率いてやってきた。
百人ほどだ。
「陛下、あと二個連隊は準備が整い次第、ここに参ります」
「すまない」
俺はイブラに謝り、馬から降りて整列を始めた騎士、兵士達に向かって頼む。
「夫婦喧嘩をしたんだ! レイが俺のことを、皆へ冷たい態度をとっている! 忙しいイライラをぶつけていると非難してきて、俺はそれが本当のことだったから腹を立てた! 彼女も怒った! それから彼女は仲直りをしようとしてくれたけど、俺が拒否した! どうしようもない夫だ! しょうもない男だ! だからこれまで意地になって捜そうとしなかった!」
俺は嘘偽りない気持ちを皆に伝える。
「皆を巻き込んですまない。俺の狭量が招いた失敗の尻ぬぐいをさせて申し訳ない。だけど、レイとこのまま会えないなんて嫌だ! 仲直りしたい! だから捜すのを手伝ってくれ!」
俺が言い終えた時、背中をイブラに叩かれた。
「ダサかっこいいです、陛下!」
彼の言葉で、皆が笑う。
そして、松明を用意し森へと三人一組で入り始めた。
「この森に?」
「ああ、きっとここだ。野犬をここに放す目的だ。一度、相談されたことがあったが俺が忙しさを理由にして話をすぐに終わらせた」
「……それで、一人でそれをしようと……」
「野犬を駆除するのに彼女は反対していた。狩って食べる為ではなく、ただ殺すのは駄目だと……」
そうだ。
野犬たちと一緒に森に入って、他の動物と問題が起きた場合、レイも危ないじゃないか……。
レイ……頼む。
謝らせてくれ。
神様、どうか俺に謝る機会をください。
レイ、ごめん。本当にごめん。
策略がうまくいっていい気になっていたんだ。
皆が俺を褒めるから、驕っていたんだ。
会いたい。
レイ、会いたい。
神様、どうかレイと会わせてください。
-フレデリク-
夜が明け始める。
東の山々が、陽光を浴びて輝き始めた。
まだ少し残る山頂付近の雪が、黄金色となって眩しい。
イブラが騎士達と地図を囲んで話し合う。
俺は頭を抱えていた。
「公王陛下!」
顔をあげると、伝令が駆けよってきていた。
「お妃様の馬が!」
俺は指さされた方向を見ると、兵に手綱を持たれた馬が暴れている。
イブラが駆け寄り、馬の興奮を収めたところで俺が馬へと近づく。
この子は必ずレイの居場所を知っている。
直感で、そう思った。
この白馬は、レイが自分で身体を洗い、餌をあげて、時には一緒に厩舎で休んだりとして過ごしている馬だ。
俺は白馬にまたがる。
「連れていってくれ」
白馬がくるりと方向を変えて、森へと進む。
俺は手綱を持つが、指示は出さない。
「第二、第三小隊は陛下に続け!」
イブラの声が後ろであがった。
白馬は森へと入り、さらに奥へと進む。捜索をしていた兵士達が、俺と白馬を見て道を譲った。
木々の間隔が狭まり、地面の高低差が激しくなる。
山へと近づくにつれ、森は人の手が届かない本来の姿を見せ始めた。
季節が五月であるから、毒虫に悩まなくていい。これが夏なら、ブンブンと飛んできて大変だったはずだ。
白馬が速度を落とす。
森の中で、水の音が聞こえる。
小川があるとわかった。
白馬の進みが、歩く速度になる。
見上げるような崖から水が降りてきていて、段丘を形成している。それは俺がいる場所からさらに下まで続いていて、白馬は下を見降ろして止まった。
俺は馬から降りた。
「下に、いるのか?」
白馬は答えない。
だけど、俺をじっと見つめる。
「レーイ!」
叫ぶ。
返事はかえってこない。
「レイー!」
叫ぶ。
すると、下から犬の遠吠えが聞こえた。
アオー……と、間違いなくした。
俺は崖を降りる。濡れてすべる岩肌を慎重に進む。騎士や兵士達が到着し、彼らが綱を下ろしてくれた。
「陛下は上に!」
「俺が行く!」
綱を握り、段丘を少しずつ下る。木の枝葉が視界をさえぎるが上から踏むようにして足場になる箇所、駄目な箇所を選びながら進む。
「綱を伸ばしてくれ! ゆっくり!」
俺の指示で、上の兵達が綱をゆっくりとゆるめてくれる。大勢で掴んで俺を助けてくれているのだとわかる。
底に立つと、犬達がいた。
そして、犬達に囲まれて眠るレイを見つけた。
「レイ!」
俺が駆け寄ると、犬達がさっとよける。
レイが目を開け、俺を見た。
抱きしめる。
抱きしめた。
力いっぱい、レイを抱きしめた!
「フレデリク?」
「レイ! ごめん。ごめんな……許してくれ」
「フレデリク……ごめんなさい。足の骨、落ちて折って動けなくなった……」
俺は犬達を見る。
彼らは、冷える森の夜を、彼女を温めるために一か所に固まっていたのだとわかった。
「こいつらが助けてくれた。ずっと温めてくれたから……」
「わかった。レイ、喋らなくていい。今、助けてやるからな……おーい! 見つけたぞ! 降りてきてくれ! 怪我をしていて一人では動かせない!」
俺は腹の底から声を出す。
大声を出す。
俺は、誰かのために大きな声を出したのは、ひさしぶりだと気付いた。




