領主だから
雪が深い我が領地において、冬は本当に引き籠りを強いられる季節になる。年が明けると一気に雪の量が増えて、領内を真っ白にしてしまう。軍を動かして雪かきを行う。もちろん、領民たちも自分達の家周りの雪かきをするが、市街地内、街道、水道、農道、風車や水車を手入れする為の道などなど、雪をどかしておかないと大変なことになる場所は多い。
この雪かきの費用も馬鹿にできないもので、財政を圧迫させているといえる。
金の問題なのだ。
金……金の話をしよう。
我がレジト侯爵領は、侯爵府が統治運営をおこなっており、その財政規模は一億リーグほどだ。多少の増減はあるが平均するとこんなものだ。しかし、あらゆる予算を引いていくと、これまでは大赤字であった。それを埋めるために領債――侯爵領債権を発行し、いろんなところに買ってもらっていたのだが、もちろん債権であり、配当と返済の支出が生まれる。
つまり、お金が足りないから借りて埋めていると、さらに出て行くお金が増えて、足りないお金の額が増えて、借りる額も増えて、返す額が増えてという有り様であった。
それが今期は、北峰山脈方面の防衛予算をごっそりと削ることで、年間収支は若干の黒字が予想され、初めて借入額が増えない年になりそうだ。
ここで悩む。
例年のように債権を買ってもらって、領内への投資を増やすべきか。堅実に動かずじっとするか。
家宰の爺と、内務卿のオリビエと三人で相談した結果、老朽化している橋、観測所などの修繕は必要で、こういうものへの投資はケチらないことにした。
橋が崩れたら物流が止まる。ただでさえ、雪で動きの悪い冬の流通が壊滅的打撃を受ける。
観測所は気候、天候を予想するために大事なもので、農作物の収穫量を左右する設備だから大切なのだ。
となると、やはり派手な投資は行えないので当初の予定通り、ウラン族との共同開発は民間へ丸投げとする。
それにあたり、入札で担当商会を決めることにした。
領内でもっとも大きなサニ商会と、新興勢力で有名なエモン商会に発注することに決まったのは、一月も終わろうかという頃である。
そして、二月の初日に、レイがオジキと呼ぶ男が俺を訪ねてきた。
ウラン族の族長でレイの父親が言っていた『弟』である。
レイは彼の来訪に喜び、三人で食事をしながら打ち合わせをしようと誘うと笑顔を咲かせた。
アーサーの料理を楽しみながら、オジキと呼ばれる族長の弟たるギガは、ダイヤモンドの採掘に関して、ようやく取り掛かることができると言った。
「前から目をつけていた。皆は価値をよくわかっておらず、きれいな石だということで飾りに使ったりする程度であるが、リタニア人を始め、大陸文化では宝石は価値が非常に高い。山の民が貧困と暴力から脱出する材料に使えたらとずっと思っていたのだよ」
この人は訛っていない。
レイに言葉を教えていた人で、リタニア人社会で暮らしていたことがあるからと聞いたことがある。
ウラン族にあって珍しい男であるギガは、懸念を口にした。
「今、世界各国で流通しているダイヤを管理しているのは、ヴァスラ帝国に本店を置くデビアーズ商会だ。生産調整をしてダイヤの価値を保っていることは公然の秘密だが、この新しい鉱山が見つかれば必ず干渉してくる。そのあたりをどう考えておられるか?」
「サニ商会とエモン商会で採掘をおこなった後、それを卸せばいいと考えていますよ」
「今の仕組みに乗っかるのだな?」
「ええ、我々が望むのは収益のはず……既存勢力がこちらを潰そうとするなら戦う必要はありますが、デビアーズ商会は賊じゃありません。こちらが商売を希望すれば、あちらも応じるでしょう。彼らも儲けたいのです」
彼は納得したという顔で、「難しい話は終わりにしよう」と言って、退屈そうにしていたレイに微笑む。
「レイ、幸せなんだな? 表情がいい」
「おう! 僕は幸せだ」
俺は気になっていたことを訊きたい。
「あの、レイが僕と使うのを、どうして止めなかったのです?」
「……可愛かったからだ」
……そんな理由かい!
いや、ぐるりと回って捻じ曲げて考えるとわからんこともないが、レイが苦労するとは思わなかったのだろうか。
レイが牛のあばら部分の骨付き肉を手でつかみ、美味しそうに食べている。
俺は笑う。
都では、皆が羨み驚くような淑女を演じてくれたんだ。
ここでは、レイはレイでいてもらいたい。
「レイ、これもおいしいぞ」
川魚の塩焼きを彼女に勧めると、そちらもおいしそうにかぶりつく。
ギガが、優しい目で彼女を見て、俺に言った。
「フレデリク殿、レイを宜しく頼みます」
「もちろんです」
俺は彼にワインを注ぎ、二人で杯を掲げた。
-フレデリク-
鉄鉱石に関しては、北伐にまきこまれるたびに武器や防具を作ってきたレジト侯爵領内の商会は扱いに長けていて、規模も大きい。我が領地の税収を支える上得意ともいえるその商会が採掘から加工、流通、販売まで全てを取り仕切ってくれる。
「いやぁ、フレデリク様、いい話をくださってありがとうございますぅ!」
ベネディクト・ミタール商会の最高経営責任者は、三十過ぎの女性でベネディクト・ミタールという名前だ。この商会は、長女が必ず経営を継ぎ、名前も継ぐことで知られている。だから彼女の母親も、ベネディクトで引退するまでお世話になっていた。
代が今のベネディクトになったのは三年前である。
「ところで、軍事費を削減するというありがたくない話を耳にしましたが、本当ですか?」
「すまない。北峰山脈方面の防衛が必要なくなったからな……代わりに採掘、販売で儲けてくれ」
「仕方ありませんね……でも、戦争で人に死なれるよりはマシ。武器や防具を作っていますが、戦争は嫌いですから」
ベネディクトはそう言い、契約書に署名と捺印をして帰っていった。
立派な商会印を見て、当家の印影と比較し溜息をつく。
ハンコ、作り直そうかな……ところどころ欠けているみたいでなんかなぁ……。
爺に相談すると、微妙な顔をされた。
「お館様、ハンコの値段、ご存知ありませんか?」
「高いのか?」
「……契約印に使うとなると、おそらく五万リーグは……手紙の封に使うものでも当家で使うものとなると一万はくだりません」
「ハンコ、大事に使う」
「それがご賢明な判断かと」
ハンコ、高ぇよ……。
-フレデリク-
二月は本当に寒い。
一年で一番寒いのは、一月から二月だと思う。
雪も遠慮なく降り続けるので、雪の中で雪かきをするという兵士達の苦労は想像を絶するものがある。
だから当家では、冬の間は兵士達に手当てを出すようにしているのだが、内務卿のオリビエが見直しを言ってきた。
「お館様、いくらなんでも十日で五十リーグはやりすぎです。半分でいいでしょう?」
「寒いなか、誰もしたがらない雪かきをさせているんだ。五十でも少ないと思うぞ」
「ここを削ることができれば、学校をひとつ、増やすことができます」
学校も重要なのはわかる。
「お前も内務卿なら理解してくれ。雪かきにやる気だしてもらうことで助かっているのだ。数字にすぐに表れるわけではないが、民の暮らしが守られている。地味だが大事なことだ」
なんとか説得し、手当てを維持した。でも、内務卿の言うこともわかる。
他所のところと違って、我が侯爵家は兵士を雇っている。領民を戦争の時に徴兵するということはしていない。
理由はふたつある。
ひとつめは、領民には生産に精を出してもらいたい。
ふたつめ、天候や気候が特殊であるし北峰山脈からの攻撃に備える必要があって専門的な能力が求められるからだ。契約期間があり、永久的に雇うわけではないが、それでも負担は大きい。
北峰山脈の開発を行うことで、護衛を出す必要もあって契約満了とともに解除予定だった兵士達にも職ができ、その費用は担当商会と折半という形になった。
それでも年間予算の三割が軍事費なので、けっこう大変なのだ。その軍事費の半分は人件費で、千人の兵士を雇っている現在、かつかつだ。
そういう悩み事を、留学中に入手したそろばんを手にああでもない、こうでもないと考える俺は夕食後の時間、ずっと難しい顔をしていたようだ。
書斎。
隣で本を読んでいたレイが、心配そうに俺を見ていた。
視線を感じて彼女をみたら、可愛い顔が目の前にあって驚く。
そして彼女はうつむく。
この顔を隠そうとする癖、早く治らないかなぁ……。
「フレデリク、悩みごとか?」
「オリビエがな……兵士達の手当てを削れと言ってきた。それはなんとか断ったけど、彼は学校を増やしたいみたいだ。俺もそれには賛成だ。だから、どこか削れるものがないかと悩んでいる」
レイはミューレゲイト討伐戦記のリタニア語翻訳版を抱えている。
俺は予算の資料を卓上に広げている。
彼女が資料を眺めて苦笑した。
「わからん。僕には手伝えることはない……けど、顔を揉んでやろう」
彼女の指が、俺のこめかみや頭部を揉んだ。
気持ちいい。
「肩も揉んでやる。あっちを向け」
「ありがとう」
肩、首を揉んでもらう。こうして揉んでもらうと、こっていたのがわかる。
「フレデリク、お前はいつも領民のために頑張っているな?」
「当たり前だ。食わしてもらっている」
「……でも、領地に住まわせてやっているのではないか?」
「俺はゴート共和国に留学していたから、リタニア島の王制を理解する一方で、共和制の考え方も知っている。領主とはいえ、領民がいなくなればただの人だ。俺ら領主や国王は民に選ばれたわけではないからこそ、彼らへの責任がある立場だと思うよ」
「難しい。選ばれたほうが責任あるんじゃないか?」
「お前らが選んだのだから文句いうなと言える」
「……難しい」
「難しいよ……ありがとう」
俺は姿勢を正して、資料を眺めてそろばんをはじく。
レイがじっと俺を見ていると視線でわかる。
なんだ?
彼女を見た。
目があう。
すると、彼女は顔をうつむいて隠す。
「近いから見るな、殴るぞ」
……殺すから、殴るに変わったのは喜ばしいことかもしれないと思った。




