月下の婚約破棄物語 ~「私見たんです。あなたが彼女を階段から突き落とすところを。満月の光に照らされてくっきりと見えました!」「え? でもその日って新月ですよね?」
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「レメニー、本日ただいまをもって、私とお前の婚約を破棄することを宣言する!!」
このディールターン王国の王太子であるイーフェル殿下の誕生祝賀会、宴もたけなわというところで、そのイーフェル殿下はライブリー侯爵令嬢であるレメニー嬢に向かって言い放った。その傍らでは、イルマ・フォン・ダンテス男爵令嬢が彼の腕に抱き着いている。さらにその後方には、数名の少年少女が控えていた。
盛り上がっていた会場は、一瞬にして静寂の嵐に飲み込まれた。その様子を、窓の外から月が眺めている。
今日は一国の王太子の誕生日を祝うということで、会場となる宮殿のホールには国王以下ディールターン王国の貴族だけでなく、国外からも多数の来賓が参加している。
何が起こっているのか理解できないと首をかしげる者、共感性羞恥に苛まれる者、馬鹿がいると吹き出すのを堪える者……。反応は十人十色。
会場で最も高い位置に座る国王は天を仰ぎ、その表情はうかがい知れなかった。その隣に座る王妃は、苦虫を嚙み潰したような顔をしている。2人の様子から、この件はイーフェル殿下の独断専行であることが分かった。
「フンッ、今更どんなに釈明しようがもう遅いぞ。この私の婚約者であるという立場を濫用して数々の横暴、よもや見過ごすことはできない」
「さようですか、承りました」
「…………は?」
イーフェル殿下はレメニー嬢が泣き縋って取り繕おうとする姿を想像していた。それなのに彼女があっさりと受け容れたので、いささか拍子抜けした様子。
「別に私は構いません。一応お聞きしますが、この件については国王陛下もご了承されているのでしょうか?」
夜が過ぎれば朝が来るかのごとく、レメニー嬢に動揺の色は1ミリも見えなかった。
衆目の前で惨めな姿をさらし、その前で勝ち誇る自分を想定していたイーフェル殿下は、毅然とした態度を崩さないレメニー嬢を見て瞬間湯沸かし器となった。
「黙れ黙れ無礼者!! これは貴様のような稀代の悪女が我が王室に入るのを防ぐ偉業だ。名君であらせられる父君が認めるのは当然のことだ!」
自分に向けられた怒りの炎などどこ吹く風、レメニー嬢は涼しい顔で小首を傾げる。
「悪女……ですか? 私が悪女であるならば、婚約者がいる身でありながら他の女性を侍らせるという不貞行為をなされた殿下は、天地開闢以来の暴君ということになりますが?
それに、婚約に関するお話は、本来であれば身内の中で行うべきこと。それをこのような場所で一方的に宣言なされるなど、私を貶めんとする謀略と言わずして何と言うべきでしょう?」
時報のように口答えをしてきたレメニー嬢に、イーフェル殿下は舌打ちして不機嫌をあらわにする。彼が声を荒げるよりも前に、その隣にいた少女が一歩進み出た。
「お待ちください、この国では一夫多妻が認められておりますわ。別に殿下が数多の妻妾を侍らせたとして、罪に当たるとは言えません。あなたこそ不敬罪ですわ」
男爵令嬢のイルマは、レメニー嬢に向かって悠然と言い放つ。
「そうですか。では、男爵令嬢という身でありながら許しもなく一方的にこの侯爵令嬢である私に声をかけた貴女こそ、不敬罪として罰を受けるべきですね」
「んなっ……!?」
イルマはいつも王太子と共にいることで気が大きくなっていた。所詮は虎の威を借りていたにすぎない。それを指摘され、彼女は言葉に詰まった。
「そもそも、禁じられていないから何をやっても構わないというのは、それこそ権利の濫用といわずして何でありましょう。これまでの国内外の歴史を振り返って見ても、酒色におぼれた君主はいつの時代も暗君でした。貴女方も殿下の傍にいたならば、諫めて差し上げるというのが臣下の責務ではありませんこと?」
レメニー嬢はイルマだけでなく、イーフェル殿下の後方に侍る少年少女たちをも見渡した。彼らはよくて伯爵家の子息。侯爵令嬢であるレメニー嬢に向かって、面と向かって言い争うとすることは憚られた。
そのようなムードを察してか、イーフェル殿下はレメニー嬢に向かってさっきよりも鋭い眼光を放った。
「黙れ! 自分の罪を棚に上げてイルマたちを糾弾しようとするなど、本当に貴様は国母にふさわしくない輩だな!!」
自分がとんでもない悪行を犯したかのような物言いに、さすがのレメニー嬢も眉間に小さな皺を作った。しかし、それを見たイーフェル殿下は、彼女の痛いところを突いたと機嫌を良くする。
「罪? はて、私はそのようなことは存じません。大方、別の方と間違われているのではないでしょうか」
「そんなことはない! 貴様がこの愛しきイルマを暗に亡き者にしようと図ったこと、罪と言わずして何と言う!!」
憎きレメニー嬢を断罪していることで、イーフェル殿下は愉悦に浸っていた。弱く愚かな彼女を虐げることで、言い知れぬ快楽を堪能していた。
誰も次期国王である自分を妨げることはできない。この世の全ては思いのまま。全能感が彼を支配していた。
「まるで私がその醜く愚かな雌猫を殺したがっているかのようですね。私が一体何をしたとおっしゃるのでしょう」
「ほざくな! 貴様はイルマを学園の階段から突き落としただろうか! 忘れたとは言わせんぞ!! ちゃんと証人だっているんだ! 言い逃れはできまい!!」
「そうですか。では、その証人とやらのお話を聞かせていただきましょう」
すべからく証人尋問へと移行させるべしとしたレメニー嬢。待っていましたと言わんばかり、イーフェル殿下は口元を綻ばせた。
「よかろう。ベーラ! エレナ!」
「はい」
「は、はい……」
イーフェル殿下に名前を呼ばれ、彼の後方に控えていた者のうち、2人の少女が前に出た。ベーラ・フォン・フルーギ子爵令嬢と、エレナ・フォン・モントフ子爵令嬢である。
ただ、彼女たちからイーフェル殿下のような勇ましさは感じられない。大勢の前で発言することに緊張しているのか、はたまた後ろめたさを感じているのか。
「さあ、2人とも! お前たちが見たというレメニーの所業を、この場にいる者どもに教えてやってくれ!!」
イーフェル殿下に促され、ベーラという令嬢は一度うなずいてからレメニー嬢を見据えた。
「……そちらのレメニー様は2カ月前の夜、学園の講堂につながる階段の踊り場で、そちらのイルマ様と何やら言い争っていました。そして、怒り心頭に発せられたレメニー様は、そこからイルマ様を下に向かって突き落としてしまったんです」
「誰もいない夜を狙ったようだが、残念だったな。なんせ2人も目撃者がいたんだから」
すでに勝利を確信している具合に、イーフェル殿下やイルマはかすかに笑みを浮かべている。彼らからすれば、レメニー嬢は袋の鼠にしか見えていなかった。
「それはいつですか? 2ヶ月前と言われましても、具体的に日付を特定してくださらないと」
「えっと、それは……」
「と、10日です! 2週目の金曜日だったことを覚えています!」
口籠りかけたベーラの隣から、エレナ子爵令嬢が言った。たしかにその月の10日が第2金曜日であることは間違いない。
「2ヶ月前の10日ですね。時間は?」
「じ、10時頃ですっ。ね?」
「ええ、間違いありません」
矢継ぎ早に質問を重ねるレメニー嬢。ベーラたちは遅れじと回答する。
「……分かりました、先々月の10日、10時頃。では、貴女方はどこからそれを目撃されたのでしょうか?」
「噴水のそばです! 広場にある大きな噴水のそばです!」
彼らが通う学園は、校門をくぐって少し歩けば大きな広場に出る。その真ん中に、国の権威を象徴するかのように絢爛な装飾が施された噴水が設置してある。そしてその左側には、式典などで用いられる講堂が建っていた。
「では、お2人は噴水のどのあたりに立っていたのですか?」
「北側です。あの時、私たちは講堂の隣にある図書館の方へ向かっていました」
「なるほど。たしかにあの位置からであれば、講堂の踊り場にある窓から中の様子がうかがえますね」
「「ホ……」」
「しかし、さきほどベーラさんは、私が突き落としたのは夜の10時頃だとおっしゃっていました。そのような時間帯であれば、夜陰に包まれて窓の向こうの様子など見えないように思われますが。仮に踊り場の燭台が灯っていたとしても、それほど離れている場所にまで光が届くとは思えません」
「「うぐっ……」」
レメニー嬢の指摘に、2人の令嬢は即答できなかった。2人も証人が出てきた時点で、レメニー嬢の敗北は確定していたはずだった。逆に自分たちが詰問されるなど、まったくもって想定外だった。
「レメニー、しつこいぞ。すでに貴様の悪行は分かっている。悪足搔きがよせ、見苦しい」
「何をおっしゃいますか、殿下。自分の身に冤罪が降りかかろうとしているのです。潔白を証明しようと努めるのは当然のことでしょう。そうですね、殿下がお2人の証言が虚偽であったことを認められるのであれば、私も質問を終わりにいたしますが?」
「…………好きにしろ。それで、どうなんだ?」
イーフェル殿下にも質問の矛先を向けられ、令嬢たちの顔は蒼白になっていた。もっとも、それが見えたのは至近距離で向き合うレメニー嬢くらいだった。
「月です!!」
せっかくの証人が役に立たないことに痺れを切らしてか、イルマが声を上げた。
「きっとお2人は、月明かりに照らし出されたレメニー様の姿を見られたのですわ! そうではなくて?」
振り返り、彼女はベーラたちへと目を向ける。その視線で命令を発していた。
「え、ええ。イルマ様のおっしゃる通りです……。その日は月が燦然と輝いていました。ベーラさんと私で、月が綺麗だと話していました!」
エレナはイルマの発言に追従し、ベーラもその隣でこくこくと頷いている。
「どんな月でしたか?」
なおもレメニー嬢は問う。
「満月でした! レメニー様がイルマ様を階段から突き落とす姿が、月明かりに照らされてくっきりと見えました!!」
「なるほど。満月の輝きであれば、夜中の広場からも講堂の様子が見えたとしてもおかしくありませんね」
「ええ、そうです!」
子爵令嬢の答えに、レメニー嬢はうなずく。これでようやく決着がついた。頤に手を当てるレメニー嬢を見たイーフェル殿下がそう思ったのも束の間、レメニー嬢は家臣団の一画を向いた。
「ウィルコック卿」
「はっ」
レメニー嬢の指名を受け、1人の壮年がおずおずと進み出てきた。彼女に促され、彼は断罪のステージへとあがる。
「こちらのウィルコック卿は暦博士として、この国の暦の作成・編纂・管理を担当されています。殿下もそのことはご存知ですよね?」
「あ、あぁ……」
毅然とした態度を崩さないレメニー嬢に、子爵令嬢たちは圧倒されていた。さっきまではあれほどふんぞり返っていたイーフェル殿下も、背筋に冷たいものを感じていた。
「それではウィルコック卿にお尋ねします。2ヶ月前の10日、その日の夜の月齢は何でしたか?」
「えーと、その日ですと、たしか~」
ウィルコック卿は懐から手帳を取り出し、それをパラパラとめくった。
「あー、11日が三日月ですので、ほぼ新月ですな。しかもその日の月は夕方で消えてしまったはずです」
「「んなっ!?」」
「「……………」」
イーフェル殿下とイルマ男爵令嬢は声を上げ、子爵令嬢たちはうつむいてしまった。
「ということでしたら、夜の10時だと月は見えないということでよろしいでしょうか?」
「はい。満月なんてとんでもない。一片たりとも見えません」
「……ウィルコック卿、それはたしかだろうな?」
苦い顔で尋ねてきたイーフェル殿下に、ウィルコック卿は淡々と首肯する。
「はい。もしお疑いでしたら、あとで正規の記録をお持ちいたしますが?」
「いや、いい……」
ウィルコック卿が職務に忠実であることは、この国の王侯貴族であるならば皆が知っている。確認したところで、同じ答えが返ってくるのは自明の理だった。
「だそうです。もう一度ベーラさんたちにお聞きします。先月の10日の月はいかがでしたか?」
「「…………」」
その問いに答える声はない。
「噴水から講堂の窓まで、目算で少なくとも500メートルはありますよね。その時は暗くて、500メートルはおろか100メートル先ですら何も見えなかったのではありませんか?」
「「…………」」
やはり返事はない。これ以上は時間の無駄だと、レメニー嬢はイーフェル殿下へと向き直った。
「お2人が答えてくださらないので、再度殿下に伺います。この私は、そこの男爵令嬢に対して何を致したのでしょうか?」
「…………」
遂にイーフェル殿下も黙秘した。レメニー嬢の口調は一貫して穏やかなものだったが、彼らからすれば竜の吐息のように感じられていた。
「お口を閉ざされたままでは分かりません。何かおっしゃっていただかないと――」
「もうよい、レメニー」
追撃の牙を収めようとしないレメニー嬢。しかし、そんな彼女を国王が遮った。
彼はおもむろに立ち上がり、控えていた衛兵に指示を下す。
「騒ぎを起こした愚か者たちを捕らえよ」
「そ、そんな!? 父上!?」
すでに国王の顔は為政者のものになっていた。彼は最早、息子の方を見向きもしなかった。
「て、撤回します! この話は撤回しますから、どうかお許しを……!」
「いやーっ! 殿下~!!」
「ハァ、撤回したからといって、一度放った言葉が消えるわけでもあるまい。…………おい、そやつらは牢へ入れておけ。追って処分を下す」
彼らの言葉に耳を貸す者などいない。レメニー嬢を前に、反論の余地がないことは明らかだった。イーフェルは短時間で栄枯盛衰を味わうことになった。
国王はレメニー嬢のもとへ下り、彼女に向かって頭を下げる。
「レメニー、すまなかった。本来であれば第二王子のイーファンを跡継ぎとしたいところだったが、長幼の序があるからとあれが王太子になっていた。せめて聡明なそなたを妃にすれば、幾分マシになると考えておったのだが……」
ライブリー侯爵家は代々宰相を務める名家である。さらにその領地には鉱山があり、王国屈指の財力を誇っている。もしそんな侯爵家が反乱を起こせば、鎮圧できたところで被害は甚大だ。敵に回すようなマネなど、よほどの暗愚でない限りできるはずもなかった。
「もしそなたさえよければ、イーファンの妃になってもらいたいのだが……」
国王はちらりと見上げ、レメニー嬢をうかがった。
彼女は窓の外を眺めており、国王もその先を見た。
「おおっ……!」
夜空では美しい満月が燦燦と輝きを放っていた。たまらず、国王は感嘆の声を漏らした。
やがて、レメニー嬢は国王の方を振り返った。
「お断りします」
柔らかな月光のごとく、レメニー嬢は微笑んだ。
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