コスモス手向ける神隠し
ふと見上げると、青い青い空に白くふわふわした雲が浮いていた。すっかり紅葉した山の木々は、青の中に鮮やかに映える紅や黄色。
色彩豊かな秋の景色を楽しみながら、あたしは同級生の雪倉 司くんと帰り道を歩いている。
「修学旅行ももうすぐだよね。自由行動の計画、司くんが手伝ってくれてるから、すっごく助かってるよ」
「そう、かな。ボクは地味な作業の方が、向いてるからかも」
「うん。去年からだっけ。司くんと仲良くなれて良かったよ。おかげで旅行、楽しみなんだ」
冷たい風が、セーラー服のスカートとマフラーを揺らす。
いわしの群れが空の海を泳いで、太陽の光を遮った。うっすら暗くなった道に視線を落とすと、いつのまにか司くんの隣を黒猫が歩いていた。
「あ、小夜ちゃん。司くんに会いに来たの?」
「ええ、そうよ。しばらくご無沙汰だったものね」
しゃがみこんで、目を合わせる。黒い毛並みも艶やかな、金の瞳が綺麗な猫だ。
そんな彼女は、あたりまえのように人間と同じ言葉で答えを返した。もちろん普通の猫ではない。あやかしだ。
昨年の秋、司くんが行方不明になったことがあった。後で話を聞くとあやかしに神隠しされたのだと、視ることができるあたしにだけ言った。
この町には、あやかしが住んでいる。人の町のすぐ近くにある山、そこに人ならざるモノたちの町があるのだ。それを知る人間はごく少ない。
人とあやかしが共存できるよう、境界を守る役目の人。神隠しをされて縁の出来た、司くんのような人。そしてあたしみたいに、もともとあやかしが視える人。
「小夜さん。あの、今度学校で修学旅行があるんだ。お土産買ってくるから、受け取って……くれる?」
おずおずと、司くんが切り出す。前までは自分から進んで何か話すような人ではなかった。小夜ちゃんと出会ってから変わった。
少し、羨ましい。あたしには視えるだけだから。自分を変えられるほどの出会いは、まだ経験したことがない。この町では人とあやかしとの過干渉は、好ましくないとされている。
「ええ、喜んで。楽しみにしているわよ、司」
「うん……!」
そうこうしているうちに、分かれ道だ。ちょうどここで、いつも司くんとは別れている。今日は小夜ちゃんが司くんと一緒だ。あたしは一人、違う道を行く。
「じゃあ司くん、また月曜にね」
「うん、またね。智秋ちゃん」
司くんと小夜ちゃんに手を振り返して、家への道を歩く。
稲刈りの終わった田んぼはまっさらで、風の寒さもあってかとても寂しい印象を与える。これから来る冬の白一色の景色は、あまり好きじゃない。
帰り道、たまに寄り道をして神社のある方へ行く。
不思議なことに、この町の神様である葵様は誰にでも姿が見える。あやかしはそうじゃないのに、なんだか変な話だ。
葵様にあいさつでもしようかと、本殿の奥の目立たない家屋を覗く。縁側によくいるが、姿が見えない。巫女の双葉先輩と買い物にでも出掛けているのだろう。
しかたないと思って、引き返す。すると、どこかの木から人影が降りてきた。金色の目が印象的な青年だ。
「わっ!?」
「ん、驚かせたか。悪かったな」
「あ、朔さん?」
あたしより少し年上の、高校生くらいに見えるこのひとは朔さん。いろんな動物が混じった姿を持つ鵺という妖怪で、神社の常連のひとり。
そして、人とあやかしが共存するこの特殊な町で互いの線引きをする役目のひと、らしい。
「初瀬、黄昏時はあやかしが出るぞ。早く帰った方が良い」
「はーい」
あやかしが視える人間のあたしは、朔さんと相棒の五十鈴先輩に気にかけてもらっていた。あやかしに興味があると言うと、この町では互いに関わり過ぎるのは駄目だと決まっているからと、注意されたこともある。
「小夜さんのようなあやかしもいるが、危険なモノも少なくないのがあやかしだ。雪倉のは幸運な例に過ぎない。あやかしに近づき過ぎるなよ」
「……はい」
朔さんは、最後にいつもそう言う。もう子供じゃないと反発したいような気もするけど、朔さんの金色の瞳は真剣で、まっすぐにあたしを見る。だからたぶん、心配も少しはされているのだろう。
注意もされたことだし、今度こそ帰ろう。
こんなに自然にあやかしがいる町なのに、どうして視える人は少ないんだろう。どうして関わり合ったらいけないんだろう。あやかしと人の何が違うんだろう。
あたしは、あたしには視えているのに。いつもあやかしから避けられているのが寂しい。決まりごとなんて、どれも意味がわかんないものばっかりだ。
神社を通り越した、人気のない道。気づけば後ろから、特徴的な足音が聞こえてきた。
からんころんというその音は、下駄が味気ないアスファルトの道を叩いて響いているものだ。
振り返ると、着物姿の誰かがそこにいた。狐のお面をつけていて、顔が見えない。
「……アイツと、同じ匂いがする」
「え?」
親しげに近づいてきて、狐面の奥からあたしを見つめた。体型や声からして、青年くらいだろうか。
このひと、人間じゃない。あやかしが視えるあたしにはわかる。
「誰?」
「オマエ、わかるのか。オレがあやかしだって」
「うん」
「アイツに似てるな。……懐かしい」
さらにもう一歩分、距離が詰められる。よくなついた動物のように、そのひとは狐面の突き出た鼻であたしの頬をつついた。
不思議と恐怖心がないのはなぜだろう。彼のようなあやかしは初めて視た。町に来るようなあやかしは、だいたい視たことがあるのに。
「なあ、祭りに行かないか」
この町の祭りは、もうとっくに過ぎている。近くの町も同様だ。そもそもこんな時期に、祭りをしている所なんてない。それなのに、どこへ行くと言うのだろう。
「オレが連れてってやるから」
「あ……」
ぐいっと手を引かれる。振りほどけない程強いが、痛くはなかった。
からんころんと下駄が鳴る。冷たい秋風に、あたしのスカートや彼の着物が揺れる。握られた手だけが暖かかった。
「ねえ、名前なんていうの? あたしは智秋、よろしく」
「白菊。付喪神だ」
長い年月をかけて、道具に宿った魂があやかしになったもの。それが付喪神。白菊も、ずっと昔から使われてきた道具なのだろうか。
白菊に手を引かれるまま歩いて、なぜか神社まで戻ってきた。さらに奥の、真っ赤に紅葉したもみじの木の下。ただ横を通り過ぎただけのはずなのに、辺りの景色が一瞬にして変わった。
「なんだよ、驚いてんのか? あやかしが視えるんだろ?」
「視える、けど。ここに来たのは初めて」
司くんや五十鈴先輩から、何度か話だけ聞いたことがある。どこか昭和レトロな町並みのここが、あやかしの住む夕景町。
「ホラ、コッチだ。あやかしは祭り好きだから、年中やってるけど、オレはこの祭りが一番好きなんだよ」
繋がれた手が暖かくて安心する。朔さんには注意されるけど、あやかしだって悪いひとばっかりじゃないはずだ。
こちら側の町の神社から階段を降りた先、数々の出店が立ち並んでいる。祭囃子が響き渡り、出店らしい香ばしい食べ物の香りが漂っていた。
「でもあたし、こんな格好……。お祭りには合わないよ」
「ハア? んなこと気になんのかよ。仕方ねェな」
白菊に待っていろと言われ、神社の鳥居前で石段に腰かける。することもなく、見るともなしに道行くひとたちを眺める。
あたし以外みんながあやかしなのだ。ごく普通の服装だったり、和服だったりする。けれど中には、獣の耳やしっぽがあったり、白菊のように面で顔を隠しているひともいた。
それほど待たないうちに、白菊は戻ってきた。
「コレでいいだろ。別に他人の格好なんて気にする奴、いねェのによ」
白菊が羽織らせてくれたのは、コスモスの模様の羽織だった。それだけでセーラー服姿が華やかに見えて、あたしはうれしくて羽織の袖をきゅっと握った。
「ここ、あんまり寒くないんだね」
「常世だからな。オマエ、ドコ行きたい?」
「んーとね。あ、あれやりたい。ヨーヨー釣り」
そうしていくつかの出店を回り、白菊と遊んだ。狐面に隠された顔は相変わらず見えないが、楽しんでいることは声でわかった。
「昔、人間と祭りに来た。オマエと同じ、あやかしが視える奴だった」
「そういう人、この町にはよそより多いんだって」
「ああ。オマエ、初瀬 菊緒って知ってるか」
初瀬、あたしと同じ苗字だ。そしてその名前にも、聞き覚えがあった。祖父がたまに話してくれた人。あやかしが視えたと聞いたから、よく覚えている。若くして、亡くなったということも。
「うん。お祖父ちゃんの、弟だって」
「そうか。……ソイツがオレの持ち主だ。親友だった」
うつむくと、狐面に陰がさす。表情なんてないはずの面なのに。
「寂しいの?」
「さァな。忘れられねェだけだ」
それって、寂しいってことじゃないのかな。付喪神は持ち主に大切にされなければ、白菊みたいに優しくはならない。忘れられないくらい、白菊も大切に想っているはずだ。
今だって、その菊緒さんとあたしとを重ねて祭りを回っているのに。ううん、少し違う。あたしを通して、菊緒さんを見てるんだ。
「オマエ、アレ食うか? りんご飴」
「えっと、うん」
あたしの分だけ買ったりんご飴を、白菊から受け取る。面を着けているからか、白菊は食べ物を売っている店にはさっきまで立ち寄らなかった。
赤い。紅葉みたいに、白菊がくれたこの羽織みたいに。
「智秋、待て!」
「え!?」
思わぬ声に動きが止まる。前方からあやかしたちの間を抜けて駆け寄ってきたのは、五十鈴先輩だ。
「それ、まだ食べてないだろうな」
「は、はい……」
「馬鹿! なんで勝手に常世に来たりしたんだ! 朔にも注意されてたはずだろ!」
怒鳴られて縮こまる。五十鈴先輩は一見普通の女子高生だけど、男言葉を使うから怒ると怖い。
「それに、あんたも」
次いで、白菊に視線を向ける。遅れて朔さんも現れて、あたしは焦った。
ふたりには、人とあやかしの境界を守る役目がある。二つの町に違う種族が共存するために、過干渉を防いでいる。また、人に危害を加えるあやかしを追い払う役目もあるのだ。
「待って五十鈴先輩! あたし、白菊に何もされてないから、だから……っ!」
「はは。智秋、私と朔が白菊さんに何かするんじゃないかって? まさか」
「え……?」
「白菊さんのは、ちょっと特殊な例だからさ。今回は不問だよ」
「特殊な例?」
通常、付喪神は百年あるいはそれに近いほど年月が経たなければ目覚めない。しかし白菊は、ものの二ヶ月で目覚めた過去を持つ付喪神らしい。
そのせいかここ最近まで存在が不安定で、五十鈴先輩と朔さんは気にかけていたのだと語った。
「黄泉戸喫。異界のものを食べれば、元の世界に帰れなくなる。初瀬、これからもあやかしと接するならば忘れるな」
「私たちからも言っとけば良かったな。ごめんな、智秋」
「……うん」
ほっとして、力が抜けた。そんなあたしを、白菊がそっと支えてくれる。なんだか、慣れたような自然さで。
「悪ィ。知らなかったんだ」
「ううん、気にしないで。あたし、楽しかった。一緒にお祭り回れて、楽しかったよ。白菊」
「……ホント、なんで。オマエはゼンゼン似てねェくせに、アイツのこと思い出させるんだよ……」
目元を手で覆われて、狐面の顔すら見えなくなる。けれどその隠された奥から、ぱたぱたと雫が零れた。
「白菊……」
彼が何度か口にした「アイツ」とは、菊緒さんのことなのだろう。白菊にとって、とても大切な人。
「あたしと一緒に帰ろうよ、白菊」
「……智秋……」
初めてあたしの名前を呼んでくれた白菊が、差し出した手を握り返してくれる。
そうだ。あたしは最初から、この手に導かれたんだ。誰かの代わりだったかもしれないけど、他でもないあたしが応えたことだけは事実だ。
「それで、お墓参りに行けばいいよ。きっと菊緒さん、待ってるんじゃないかな」
「行ったことないから、怒ってるかもしれねェな」
ざざぁと、一陣の風が吹き抜ける。コスモス柄の羽織がはためいて、紅葉した木々が揺れた。
どこかで散った葉と、濃淡の違うピンクの花びらが風に舞っていた。それをまるで誰かへの手向けのように感じながら、あたしたちはあやかしの町を後にしたのだった。