5話
「……その、何から話していいか、わかんないですね」
彼は苦笑いしながら打ち明ける。そんなのあたしも一緒だよ、だから黙ってんじゃんか。
そうしてまた煙草一本分、お互いが言葉を探し終わってから、口を開いたのはまた彼だった。
「……ごめんなさい」
「……さっきも聞いた」
違う、そうじゃない。これはさっきとは意味合いが違うってわかる。わかるけど、いや、わかるから、そんな言葉じゃ納得いかない。
「……えっと、」
「『えっと』禁止。六年前の約束」
ああ、一々覚えてる自分が女々しいったらない。なんであたしはこんなに、弱いんだろう。
「懐かしいですね、それ」
笑顔になったコクブくんにはやっぱり、四年前と変わらない眩しさがある。きっとあたしがソーラー電池なら、どれだけ発電できるかわからない。でも、今はそうじゃない、彼の仕草を懐かしんでるときじゃない。
「今のは、四年分のごめんなさいです」
「……わかってる」
「え? じゃあ、えっと、あ、えっとじゃなくて、」
出た、すっとぼけ天然攻撃。何だろう、全部が懐かしくてそして、もどかしい。あたしが言いたいのはそんなことじゃなくて!
「だから! そんな一言じゃ足りないって言ってんの!」
一度関を切ってしまえば、激流になるのに時間は要らなかった。
「四年だよ!? 四年! それをね、あんたは今、ごめんなさいってたったそれだけで片付けたんだ! 今まで、あたしがどんな気持ちで、どんなに寂しくて、悲しくて、どれだけ……どれだけ、会いたいって思ったか、あたしの知ってるコクブくんならわかるのに、わかるはずなのに、それを! もっと色々あるでしょ普通!?」
あーあ、何でこうなるかなあ……。これじゃ四年前と全く同じだ。だってほら、冷静なあたしがあたしを見てる。そう、この絶望的な感覚。
こんなときのあたしの駄々は、絶対、叶わないってこと。
忘れたわけじゃないのに、どうしたってあたしは繰り返しちゃうんだろう。
この四年で、成長したと思ってた。苑子の面倒も見られるようになって、仕事もそこそここなせるようになって、でもほんとのあたしは、一歩も動いてなかった。
さっきもどかしかったのはコクブくんのせいじゃない。あたしはあたしに対して、もどかしかったんだ。今、溢れてくるうっとうしいこの涙は絶対、悔し涙だ。
堪えられなくなって俯いた。
そしたら、下を向いた頭の上から優しい声色が降ってきた。
「ハンカチ、使って下さい」
もう、だから一々デジャヴュらないでよ。今は思い出が、激辛のスパイスだ。思い出す度に、その辛さに目を瞑りたくなる。
「使ったら、ちゃんと洗って返して下さいね?」
目の前の彼は笑ってる。対面してる女が泣きじゃくってんだぞ。店主や他の客の視線が痛いんだぞ。何でそんな顔できるんだよ。
「……こう言ったらまた怒られそうですけど、その、怒ってもらえてすごく、嬉しいです」
本当だよ。そんな体裁のいいこと言ったって、あたしは全然納得いかない。
「ちょっと長くなるかもですけど、聞いてもらえますか?」
いいよ、の代わりに鼻をかむ。どうせ洗うんだ、いくらでも汚してやる。どうせあたしの汚い部分なんて、とっくの昔に見せたんだ。
「四年前、大学を辞めて実家に帰りました。最初、電話で話したとき、両親はすごく反対してたんですけど結局、向こうが折れました。
それから一年はもう、必死でした。母と二人、本当に休みなく働いて、父の穴を埋めようってそれだけ考えて。お店はなんとか回りました。常連の皆さんが本当にいい方ばかりで、『二代目か、頑張れよ!』なんて声掛けてもらいながら、助けてもらって。本当にあっという間の一年でした。
ちょうど一年が経った頃、父が『お前もう帰れ』って言ったんですよ。何言ってんの? 僕は辞めてここに帰って来たんだって言ったら、『いいから帰れ』ってそれしか言わないんですよ。そうやって押し問答してたら、母がやってきて。……僕から電話があったあと、すぐに大学に来て、『頼むからあの子を辞めさせないでくれ』って頼み込んで、休学措置に変えてもらってたんです。ズルいですよね。正直、泣きました。
そこからまた一年で、大学はちゃんと卒業しました。
そこから就職するんですけど、こっちにはもう誰も居ないし、やっぱり実家を手伝おうって思ってたんですよ。でも父が、『お前は若いうちに色々見てきた方がいい。うちを継ぐのは、そのあとでも出来る』って。またそこで押し問答になったんですけど、今度は僕が折れました。
このお店が支店なのは知ってますよね? 卒業して、本店でバイトさせてもらってたんです。そこでの頑張りが認められて、支店を出す際に、正社員としてそっちを手伝ってやってくれって前の店長に言われて、それで今日まで来たってかんじで」
あたしは煙草も吸わずに、ハンカチを握りしめて聞いてた。
コクブくんが何でここにいるのか、それはわかった。けど、今の説明じゃ肝心なところがわからないままだ。
「どうして連絡しなかったか、ですよね?」
参ったな、ってそんな顔するんなら最初から話せばいいんだ。もうあたしは許す気でいるのに。
だって、こうしてまた会えたんだから。
「……怖かったんです」
そうだろうって思ってたよ。
あたしも怖かった。もう忘れられたんじゃないかって。だから一度フラれたあたしからは、コクブくん、あなたを本気で探す勇気がなかった。
「あたしに会うのが?」
「はい」
「怒られるから?」
「それもあります」
「他には?」
「忘れられてるんじゃないか、とか」
ああ、なんだ、一緒だったのか。
体中の力が一気に抜けた。
コクブくんも同じだったんだ。鈍くて、それゆえにへこたれない性格だと思ってた彼も、あたしと同じ気持ちだったんだ。
忘れて欲しくないって、思ってたんだ。
安堵と嬉しさで、また下を向いた。
やばい。
今の顔見られたら、死ねる。
緊張とか不安とか、いろんな感情がないまぜになったところに嬉しさ爆弾投入、もう泣き崩れそうになってるあたしに、けれど、次の爆弾は投げられた。
「もう別の男の人と付き合ってるんじゃないか、とか」
……今何て言った。
「は?」
「その、だから、とっくに別の男の人と付き合ってたり、結婚とかしてたら、どうしよう、って……え? 怒ってます?」
……だから、どうしてこんなに激ニブで女心が解らないんだこいつは!
「馬鹿か!? あたしが他の男と付き合ってる!? あまつさえ、結婚!? こちとら絶賛独身中だよ! 勝手にいなくなって、勝手に自分なんかって諦めて、どこまで勝手なの!? ならいいさ、あたしも勝手にやるから! いい? あたしがあんたを待ってたのも、この四年間一日だって忘れてやらなかったのも、今だってこんなに、あんたに会えて泣きそうなのも、全部あたしの勝手だよ! 文句ある!?」
「……いえ、ない、です……」
「あらそう良かったわね! でもあたしにはあるの。大体結婚なんかしてたら、さっきお店で会ったときにフリーズなんかしないっつーの、既婚者の余裕見せ付けてやるっつーの! それを人の気も知らないで勝手なこと吐かして、あんたみたいな男好きになる人なんて、」
あ、やばい墓穴掘った。うわ、どうしよう。
一瞬間を作ったのも悪かった。周りの、好奇の目線に気付いてしまったから。恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい、ええいこうなったら自棄だ!
「……あたしぐらいしか、その、いないわよ……」
ごめんなさい威勢が保てませんでした。
もうこの喫茶店来れないよ。
「……何、黙ってないで何か言ってよ」
間が持たないっつーのに。
カチッカチッ。
恥ずかしさをごまかすために、乱暴に煙草に火を点ける。
「ケホッケホッ!」
そして噎せる。ああなんて独り相撲。
そんな、あたしの一世一代の告白のあと、独り相撲まで見終わってから。
コクブくんは、笑った。
それはもう、盛大に。
「アハハハハ! いやもう……なんか、ありがとうございます」
「あんた……殴るわよ」
「あ、覚悟は出来てます」
目に涙まで溜めて、ってそんなに愉快だったかおい。十分前まで女の子泣かせてたんだぞ。
二十六歳、まだ女の子って言っていいはず。
ひとしきり笑ったあと、コクブくんはやっと真面目な顔を作った。
「四年間、待たせてしまってすいませんでした」
え、ちょっと待って。あんなに気持ち良く爆笑された手前、あたしどんな顔したらいいの。
「もし許してくれるなら、僕と……もう一度、付き合って下さい」
それは久しぶりに見る、コクブくんの顔。
付き合ってたときはいつも見せてくれていた顔。
穏やかな、でも真剣な顔。
あたしの答えは最初から決まってた。
「あー……しばらく一服仲間ってことで、どう?」
「ええ?」
それは素直な、裏のない反応。
なんでだろ、辛かった思い出をなぞるのが、今はすごく甘い。
「ちょっとは待つ立場になってみろって言ってんのよ」
あたしがそう言うと、二人とも、笑った。
「ちょっ、一番最初もそうだったじゃないですか!」
「この四年で十分お釣りがくるわよ。いい? 四年あれば小学生だって高校生になるんだから。そのくらい重いのよ、四年って」
「そんなあ……」
嘆け嘆け、あたしばっかり恥掻いたんだ、少しくらいやり返さないと割に合わないよ。
「それに、忘れてた?」
何を? と首を傾げるコクブくん。
「あたしって、意地悪な女なの」
「いやー、カッコ良かったっすよ先輩!」
次の日、出勤してきたあたしを待ってたのは、苑子のいじめだった。いや、意地悪か。
「んな!? ……もしかしてもしかするとあんた、」
「はい、バッチリ見てました!」
あ、意識飛びそう。
「いやあもう、昔のオトコにあんなこと言えるなんて、私、感動したっす!」
「……どこから?」
「『銘柄、変わってないんですね』からっす!」
「最初からかあ……」
「最後なんかもう、店中の人全員、スタンディングオベーションでしたもんね!」
おかげで二度と行けなくなったけどね。
「で、式はいつ頃の予定っすか?」
「早い! 気、早いから!」
あー、頭痛い。昨日一日で色々、消耗し過ぎた気がする。
「ごめん、煙草吸ってくる」
「あ、じゃあ私も」
「それもごめん、一人にさせて」
これ以上抉られてたまるか、どんな仕打ちだ一体。
それから普段の喫煙場所には行かずに、屋上に行くことにした。事情を知らない人に見られても気まずい気がして。
腕時計を見ると、仕事が始まるまでまだ二十分はある。
煙草をくわえて、ライターをかざす。
ひんやりとした朝の心地好い風に、小さな炎が揺れる。
朝の優しい陽射しが好きだ。
夕日ほど切なくはない。でもちゃんと、煙草の煙はキラキラ光る。
ばーさん、見てる?
あたし、また会えたよ。ちゃんと好きって言えた。また付き合うと思う。だって好きなんだもん。
ばーさんはいなくなっちゃったけどさ、彼なら、コクブくんならきっと、何回だってあたしを見付けてくれると思うんだ。
だからさ、
携帯を取り出す。一番に表示されるよう設定してある、「国分」の名前に電話を掛ける。……留守電に繋がる。ちくしょう。まあいいか、直接だと恥ずかしいし。
「あ、コクブくん? あたし。えっと、なんだ、その……あたしと出会ってくれて、ありがと」
ほら、今度は言えたよ。
これで終わりです。
最後まで読んで下さった方々、本当にありがとうございました。