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2話


 あたしには格好良いばーさんがいた。六十を過ぎても金髪をたなびかし、ハーレーを乗り回すようなばーさんだ。しかも夏になれば作務衣を着て、だ。とんでもなく格好良いばーさんだった。



 教育熱心と言えば聞こえはいいが、行き過ぎた両親の期待を大学受験で裏切ったあたしに、風当たりはきつかった。何よりも世間体を気にする両親があたしに笑いかけてくれることはなくなった。


 結論から言えばあたしは、盛大にやさぐれた。そしてそんなあたしを救ってくれたのは、ばーさんだった。


 実家から離れた滑り止めの大学に通うため逃げるように県外に出てきたあたしは、親の目から離れた安堵のせいだろう、ピアスを空け髪を染め、一端の不良のようになった。街に出ればそのくらい別に普通だけど、親の価値観で育ってきたあたしにしたら、それはすごいことで。


 大学にも通わず、ゲーセンやパチ屋で日々を過ごすようになるまでに時間はかからなかった。

 そうしてその頃から、心から仲間とは呼べない、うそ寒い関係の仲間に見せる笑顔は薄っぺらで、どろどろとした不満だけが身の内に溜まっていったんだ。


 何をやっても面白くない。


 そんな日々をばーさんが変えた。


 大学で最初の一年が終わり、実家に成績も届く頃のこと。絶対に帰らないと決めていたあたしに、ばーさんから電話があった。それは今まで聞いたこともない弱々しい声で、あたしの決意を揺るがすには充分過ぎた。


「ばーさん!」


 開口一番、家に着くなり叫んだあたしを待っていたのは、きっとあたしがゴキブリなら音を立てて潰れただろう威力のある、張り手だった。たぶん「ばーさん」の「ばー」くらいでもらったな。


「ばーさん! 体悪いんじゃ、」

「私ゃ女優だからねぇ、すっかり騙されただろう?」


 人を喰ったような態度とはまさにあのことだった。小気味良く笑うばーさんに、あたしの目は点になった。


「何するんだよ!」

「あんたがふざけた身なりをしてるからさ。なんだいその髪は。似合ってるとでも思ってるのかい?」

「ばーさんに言われる筋合いなんか、」

「あるよ。私のは最っ高にキマってるだろう? それより、話がある。場所を変えよう」


 そう言って連れて行かれた場所は、あたしが通っていた小学校で。


「ここに通ってた頃のあんたは可愛かったねぇ」

「嫌味ならやめてよ」

「やめないよ。どうせあんた、このまま向こうに帰ったって、嫌味の一つ言ってくれる相手もいやしないんだろ?」


 それは図星だ。高校を出て荒れてから、いや、それまでだって本音でぶつかれる相手なんてあたしにはいなかったんだ。


「だから私が喧嘩相手になってやろうってんじゃないか。家にいたってつまんないだろう? あの子相手じゃ」

「……うん」

「まあ、あの子をあんな風に育てちまったのは、悪いと思ってるよ。ただね、あの子だってあの子なりに、あんたのことを思ってるんだ。それはわかるかい?」

「……わかる」

「偉いね」

「でも、」


 どんな言葉を選んだら、この心に溜まったどろどろを、上手に伝えられるだろう。もどかしさに身がよじれそうになっているあたしは、今どんな目をしてるんだろう。


「でも……嫌い。世間体ばっかり気にして、全然あたしのこと、見てない」

「あの子も素直じゃないんだよ。じいさんに似たのかねぇ」


 その他人事のような言い方が、不意にツボにはまった。


「なに、それ? 良いとこはばーさんで、悪いとこはじーさんなんだ?」


 仏壇に向かって言ってみろ、じーさんあの世で泣くぞ。やばい、めちゃくちゃ横暴な言い分なのに、なぜだか笑ってしまう。


「当たり前だろう? あんた昔の私を知らないね? 私ゃね、そりゃあ器量良しの性格良し、おまけに頭も良かったもんだから、男なんかほっといても苦労しなかったんだ。ただ、私があんまりイイ女だから、釣り合う男がいなかったんだねぇ、誰と結婚しても同じだと思って、そしたら一番しつこかったのがじいさんだったんだよ。今だって向こうで感謝してるさ、なんたってこれ以上ない自慢だからね」

「それで、悪いとこはじーさんなんだ」

「火を見るより明らかじゃないか」


 駄目だ、あたしじゃこのばーさんには敵わない。傲岸不遜ってきっとばーさんの為の言葉なんだ。


「あんたは見目も良いし頭も良い。性格はちょっと難しいとこがあるけど、ちょっとばかし傷のある方が受けが良いってもんさ。だからね、あんたは今の自分を誇りな。それで、誇れる自分に産んでくれたあの子に、ちゃんと感謝すること。今は言葉に出来なくてもね。それで充分じゃないか」


 学校の先生や塾の先生、どんな大人に諭されても聞く気にならなかったのに、不思議とばーさんの言葉は胸に届く。


 今の自分を誇っていいなんて、言われたことなかったからかな。


「……ん、頑張ってみる」


 俯いて小さく答えたあたしの上から、力強い声が降ってくる。


「約束だよ、頑張りな。さっきまでのあんたじゃ信じてやれないけど、私は今のあんたなら、信じてあげる」


 この無敵のばーさんに信じてもらえたら、もうそれだけでいいって思った。あたしは頑張れるんだ。


「それにね、世間体世間体ってみんな言うけど、常識なんてね、所詮十八までに身に付けた偏見なんだよ」

「……やっぱりばーさん、イイこと言うね」

「アインシュタインだよ」

「アインシュタイン?」

「ただの偏屈ジジイさ」


 そう言って豪快に笑ったばーさんは、誰よりも格好良かった。




「すごい、格好良いおばあさんだったんですね」

「ほんと、イカしてた……一回さ、高校の頃、ばーさんと本屋に買い物に行ったんだ。参考書買いにさ。そしたら、万引きしようとしてる奴らがいて、ばーさん、そいつらとっちめたんだ」

「うわ、すごい」

「だろ? あたしも興奮して、『ばーさん、スゲーな!』って言ったら、『近頃の子供は言葉を知らないねえ、何かあったらヤベースゲー。いいかい? こういうのをカッコイイって言うんだ。覚えときな』って。参ったよ、ほんとに」


 そのときを思い出しながら力無く笑うあたしは、今、コクブくんにはどんな風に見えるんだろう。ちゃんと彼のイメージ通り、カッコイイあたしでいられてるのかな。


「でもね、死んじゃった。ねえコクブくん、知ってる? 人ってね、死んじゃうんだよ? どんなに、この人なら大丈夫って思っても……あたしのばーさんは無敵だって思ってても、そんなの全然関係なくて、死んじゃうんだ」


 ばーさんは、あたしに喝を入れてくれた三日後、風呂場で足を滑らせて帰らぬ人になった。

 あたしには何が何だかわからなくて――ただ、悪い夢だと思い込もうと、そうするしかなかった。

 だって、だって、三日前にはあたしをひっぱたいて励ましてくれて、だって……!


 もう、目の前にいるはずのコクブくんの顔が見えなかった。隣にいるはずの、きっと心配顔であたしを覗き込んでいるはずの、素直なコクブくんが。


 どれくらい泣いていたのだろう。

 ようやくコクブくんの顔がわかるようになったとき、やっぱり彼は、思った通りの顔をして、あたしを心配していた。そして、


「……ごめんなさい、僕が変なこと言ったからですよね」


 なんてことを言いながら、ハンカチを差し出す。

 ……もう、やんなっちゃうなあ。この行動も、今時二十歳過ぎた男の子がちゃんとハンカチを常備してることも、そのハンカチがすごく綺麗に畳まれてあることも、コクブくんの人柄そのもので。

 言うこともしてくれることもすべて、素直で。すごく、優しい。


 その、彼の言動にいろんなことを思いながら黙っていたら、コクブくんの顔色がどんどん変わっていった。ああ、また心配させちゃったんだ。


「ごめんごめん、えっと――鼻、かんでいいかな」

「え、ああ、どうぞ!」

「ありがと」


 えいと思いっ切りかんで、すっきりする。きっとまだ涙目は治ってないけれど、少しはコクブくんも楽になったかな。


「ごめん、洗って返すね」


 そう言ってハンカチを鞄にしまって、さあ、誤解を解かなくちゃ。


「あのね、全然、コクブくんは悪くないよ。そりゃ、さっきので思い出したんだけど……こんな日は、どうしても思い出すんだ」


 見て、と言って促す。

 促した視線の先には、あたしの煙草。


「キラキラしてる、でしょ?」


 そう。こんな夕日の綺麗な日は、煙が光るんだ。


「……おばあさんの、髪の色なんですね。すごく、綺麗です」


 こういうとき、あたしが欲しい言葉をすんなりくれるのって、やっぱり運命なのかな。


 ばーさん、良かったね。ばーさんとおんなじことを言う人が、ばーさんのこと、綺麗だって言ってくれたよ。


「だから、ね。こんな日は仕方ないんだ」


 決めた。


 あたしはもう、妙に素直で、たまにすっとぼけたことをしでかす、でもきっと誰より優しいコクブくんが、


「ねえ、最初にあたしに言ったこと、覚えてる? あたしは覚えてるよ」


 その犬のような顔を見ながら、言葉を探す。もう一度言わせようなんて意地が悪いけど、でも、それがあたしだから。


「……えっと、」

「『えっと』禁止だよ」

「はい、そうでした」

「うん。でさ、もう一回、言ってくれる?」


 コクブくん、意地悪でごめん。でも、キミが悪いんだよ。こんなあたしに、最初に声を掛けたのはキミなんだから。


「……顔と声と雰囲気、宙を見ながら煙草を吸うところとか全部……好き、です」

「うん。直球な告白、ありがと。それでね、あたしも、」


 こんな風に、生真面目に昔の言葉を覚えてて聞かせてくれるところも全部、


「アナタのことが、好きです」


 このタイミングってどうなんだろ。でも、もうダメなんだ。あたしが好きになっちゃったんだから。


「ごめん、ずいぶん時間かかっちゃったね」

「いやいやいや、そんなの全然! そ、その……はい、ありがとう、ございます」


 本当にわかりやすいなあ、顔に書いてあるよ。まさか、でも嬉しいって。

 その反応が可笑しくて笑うと、やっとコクブくんも笑ってくれた。

 そう、この顔が一番好きなんだ。


「ねえ、初めてのキスが最初に話した場所って、どう思う?」


 お互い笑い終わったあとに聞くと、真っ赤になった顔で答えるコクブくん。


「お、思い出に残ると、思います」


 こんな、スレてなくて、どこかズレてる反応にも慣れてしまった自分がちょっと嬉しいのは、もうすっかり惚れてるのかなあ。


 そしてあたしたちは口づけを交わした。


 煙草の煙をばーさんの髪の色に変える、魔法の光に照らされて。


「どうだった?」


 キスの感想を聞くなんて、自分でも呆れるほど意地が悪いけど。


「……ニコチンの味がしました」


 呆れるほどコクブくんらしい返事に、もう、爆笑したよ。


 でも大丈夫、「や、その、柔らかかったです!」って慌てて言った弁解もちゃんと聞こえてたよ、コクブくん。



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