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1話

宜しくお願いします。


 あたしは、煙草の煙を眺めるのが好きだ。

 くらくらと細く儚く立ち上る様は、見ていると不安になって、何も考えられなくなって――美しいと、思う。


 今日もあたしは煙草を吸う。

 この煙を見るために。




「あ、あの、すいません!」


 怯えたようなその声が自分に向けられたものだとは、最初は気付かなかった。


「す、すいません!」

「……え、あたし?」

「はい! その、自分、経済学部一回の国分っていいます!」


 はあ、とか、ああ、とか、とにかくあたしは随分と間抜けな返事をしたはずだ。理由は簡単。あんた誰、ええと、経済学部のコクブくん。


「その……僕も一服、ご一緒していいですか?」


 ここは大学敷地内の喫煙スペース。周りを見れば他に灰皿は空いている。自分から名乗り出たわけだから、あたしに余程の用事でもあるんだろうか。

 けれど、コクブくんはあたしの浮かべるクエスチョンマークに気付かずに、煙草とにらめっこをしている。

 やがて覚悟を決めた顔で一本口にするが、何度やっても火が着かない。これは、もしかして。


 あたしは吸い始めたばかりの煙草を消して、新しく一本取り出した。


「吸いながら着けるんだよ」


 そう言って火の着いた煙草を――いや、火を着けたあたしを見て、コクブくんは目を丸くする。


「なるほど!」


 ああ待って、そんなに勢い良く吸い込むと――


「ガハッ、ゲホ、ゲホ!」


 ほら、言わんこっちゃない。


「もしかして、初めて? だったら最初は肺に入れずに、ふかした方がいいよ。徐々に肺に入れていくんだ」


 あたしの講釈を嫌な顔一つせずに聞くコクブくん。犬みたいな子だな。そう思うと顔も犬みたいで、ずいぶん人懐っこそうだ。


「あと最初は、一ミリから始めた方がいい。コクブくん、だっけ? それ、けっこうキツいやつでしょ」


 そう指摘すると、彼は恥ずかしそうに、けれどキッパリと言い切る。


「いいえ、これがいいんです。あなたと同じ煙草がいいんです」


 こっちがドキリとするような言い方だ。えっと、これは、もしかして。


「……あのさ、何であたしと一服したいの? あたし馬鹿だから、わかるようにはっきり言ってくれるかな」


 どうも挙動不審の()があるコクブくんは、逃げ道を絶たれたらどんな反応をするんだろう。でも、あたしに興味があるんなら、ここではっきり言えないと駄目だ。だってあたしが受け付けない。


「……えっと、その」

「はい、『えっと』禁止ね」


 ああ、あたしって意地悪だ。でもごめん、コクブくん。あんたの為でもあるんだよ。あたしはこういう奴なんだ。


「……わかりました。一目惚れです! 好きなんです!」

「ゴホッ、ケホッケホッ!」


 今度はあたしがむせる番だった。

 だって、こんなに直球で告白されたのって、たぶん初めて。しかも理由が一目惚れって。普通はもうちょっと、相手が喜びそうな理由を考えるものだけど。

 どうやらコクブくんは、思った以上に正直者らしい。うん、正直者はキライじゃない。


「……直球な告白、ありがと。素直に嬉しい。でもあたしは今、そういうの欲しくないんだ、恋人とか」


 ごめん。あたしってほんとヤな奴。逃げ道を絶って面白がって、断るなんて。


「どうしても、駄目ですか? 望みはゼロですか!?」

「ねえ、いっこ聞いていい? あたしのどこに一目惚れしたの?  そんなイイ人間じゃないよ、あたし」

「えっと、」

「『えっと』禁止ね」

「そうでした……その、全部です。一目見たときに、顔と声と、雰囲気。宙を見ながら煙草を吸うところとか、全部」


 うわあ。これは、どうなんだろう。嬉しさより戸惑いの方が先に来るんだけど。

 でも、嫌じゃない。

 きっとコクブくんの人柄なんだろうな。


「んー……じゃあ……、気が変わる保障はないけど、しばらく一服仲間ってことで、どう?」

「いいんですか!? はい、よろしくお願いします!」


 間違いなくイイ人なんだよな。でも、イイ人だからきっと、今のあたしの罪悪感なんてわからないんだろう。だって、まるで都合のいい男をキープしてるみたいじゃないか……まあ、事実そうなんだけど。


 あーあ、あたしってヤな奴。




 その日からしばらくの間、コクブくんの質問攻めが続いた。

 大して好きでもない平凡な名前を教えても、


「いい名前ですね!」


 好きな食べ物、


「僕も好きです!」


 好きな漫画、


「次までに読んできます!」


 いちいち素直なリアクションは面白いんだけど、素直過ぎるのもどうかなあ。どうしてこんなにスレてないんだろう。


 あたしはというと、コクブくんみたいに素直じゃないから意地悪な質問しかしなかった。


「コクブくんって黒っぽい服着てることが多いけど、黒が好きなの?」

「そうですかね? あんまり服のことってよくわからなくて」

「ふーん、あ、どうでもいいんだけど、あたし黒って一番嫌いなんだよね。ほら、髪こんな色にしてるのもそれ」


 このときのコクブくんの顔は傑作だった。ほんとに、明日世界が滅ぶって言われたみたいな顔をしたから。


 次の日、コクブくんは見違えていた。どこで見付けたのかわからないような原色のコーディネートで、鳥避けにしかならないんじゃないか、それ。


 あたしはこのときの反省を活かして、次は違った質問をすることにしたんだ。


「コクブくんってどんな体位が好きなの? そうだな、あたしは松葉崩しとか、ちょっと激しいのが好き」

「体位ってなんですか?」


 うわ、この返しは予想してなかった。ピュア過ぎる。でも、ここで引いたらあたしの負けだ。


「セックスの話。男と女がすることよ」


 そう言うと、コクブくんは耳まで真っ赤に染めた。中学生みたいだなあ。なんか、歳の離れた従兄弟と話してる気分だよ。あたしだって、松葉崩しなんて名前しか知らないけどさ。


 その、次の日。講義を終えて参考書を鞄にしまっていたら、誰かが走って近付いてくる足音が聞こえた。いや、誰か、じゃないな。この犬みたいな足音はコクブくんだ。

 なんて思っていたら、コクブくん、まだ距離があるのに叫びやがったんだ。


「昨日、松葉崩しについて調べてきました!  あんなのが好きなんですね! 僕、頑張ります!」


 あたしも叫んだよ。心の中で。


 それ以来、彼をからかうのはやめた。あたしまで恥ずかしくなるから。

 そしてこの一件で、あたしとコクブくんは大学公認のカップルのように扱われるようになった……なんかなあ、実はわざとやってんじゃないかって思っちゃうよ。

 これもあたしが素直じゃないからかな。



 その日もあたしはコクブくんと、喫煙所で話をしていた。

 全ての講義が終わって、夕方、西日の差す喫煙所で。

 まだコクブくんは煙を肺に入れるのが辛いのか、三回フカして一回吸う、くらいの割合で。吐き出す煙の量を見ればわかる。


「煙草はいつから吸うようになったんですか?」

「二十歳の誕生日から。吸いたくてたまらなかったけどね」

「へえ……なんか、意外って言ったら失礼ですかね」

「……どうせあたしは不良っぽいし、実際パチ屋行ったり連れと麻雀ばっか打ってたときもあったけどさ、あんたには色眼鏡で見てほしくなかったよ」


 ふて腐れた顔でそう言うと、コクブくんは照れたように笑った。


「……今、ふて腐れたあたしも可愛いとか思ったんだろ」

「あれ、わかりました?」

「顔に出過ぎなんだよ、コクブくん」


 すいませんと言ってまた笑う。そのすいませんは、偏見であたしを見たことに掛かるのか、気持ちが顔に出たことに掛かるのかはわからないけれど。

 でもあたしもあたしで、なんでそういう顔をしたのか、もしかして可愛いって思ってほしかったのかが、わからない。


 もしそうだったら恥ずかしいから、あたしはそっぽを向いて煙を肺に入れずに吐き出した。珍しくフカしたのが照れ隠しだと知られたら、それは相当恥ずかしいだろうなあ。どうも、コクブくんといると調子が狂うんだ。それが悔しくて、思ってもいない憎まれ口を叩きたくなってしまう。


「そういう、煙草吸って金髪だったら不良、みたいな偏見で物を見てると、本当に大切な物が見えなくなるよ」


 ……そうだ、あたしはあたしの勝手な思い込みで、一番大切な居場所を失った。こんな夕日の綺麗な日は、どうしても思い出してしまう。


「……『常識とは十八歳までに身に付いた、ただの偏見である』」


「え?」

「や、今の偏見って言葉で思い出したんですよ。高校の先生がよく言ってたことなんです。常識を偏見って言っちゃうところなんか好きだったんですけどね」


 弁解めいた口調でコクブくんが説明する。

 けど、そんなの、どうだっていい。だってそれは、


「……アインシュタイン」

「え?」

「アインシュタインだよ、それ」


 まさか、コクブくんの口から聞くなんて。

 ……運命みたいだ。ねえ、おんなじことを言う人がいたよ、ばーさん。


「ちょっと、昔の話してもいいかな」



 あたしには、ばーさんがいたんだ。

 とびきりイカしたばーさんが。



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