第19話:市場の魔物?・Ⅲ
結局私はタコの触手でヌチャヌチャにされて、少し前にマリナさんが言っていた通りのビジュアルになってしまっていた。
足や腰の締め付けが強くなり、キャミソールの隙間を縫って背中にも触手が入り込んで来て、
更に顔までべっとりと撫でまわされて、
全身を不快とも快感とも言えない本当に何とも言えない感覚が這いずり回る。
それももうやだ限界!
となった所で、ふと、
別に雷以外の魔法でも抵抗できる事を思いだした。
そうじゃん!
雷で抵抗できないからといって他の魔法もダメって訳じゃないじゃん?
物理で抵抗しようにもヌメリで体は滑るクセに吸盤で触手は剥がれないという絶望的な状態だけど、
私には魔法がある。
「このっ・・・」
ギリギリ絡みが甘い左手をなんとか振り解いて、金の魔力を貯める。
灰色の光沢が光る重く鋭い魔力。
それを集め・・・ている間に、タコの触手の一本が首に巻き付き始めた。
ちょ、首はヤバイって!!
私は慌てて左手の魔力を包丁の形にして頭に叩きつけた。
「くらえっ!!」
ズムン!!
と包丁がタコの眉間に深く突き刺さり、鈍い音が響き渡る。
「・・・・・・?」
すると、全身を撫で繰り回すタコの動きは、一瞬跳ねるような動きをしたあと、静かになった。
これは、やったのかな?
とりあえずこの状況は良くないとタコに絡まれた状態から脱しようと身を動かす。
吸盤が体に張り付き、中々外れてくれない触手をなんとか引きはがしながらタコの檻から脱出した私だったが、
「うへぇ・・・ヌメヌメになっちゃったよ・・・」
私の体は、タコに付いていた粘液がそのまま移ったかのようにヌメヌメになっていた。
衣服も、髪も、肌も独特の光沢が覆っている。
本当に全身撫でまわされていたのか、衣服の下までヌルヌル。
後でと言わず今すぐお風呂に入りたい。
さっきのタコとの死闘のせいもあり、粘液で体が重くなった体で立っているのが辛く、
フラフラと彷徨いながら用意してもらったテーブルに雪崩れ込む。
途端、腕と胸にも粘液が付いているのでテーブルの摩擦が機能せず、思わずそのまま滑り落ちそうになったのを何とか耐えた。
眉間に包丁を突きさされて動かなくなったタコをしり目に深いため息を吐いた。
「この世界の・・・っていうかデカイタコ、手強いなぁ・・・」
テカつく腕を眺めながら小休憩していると、
野次馬のつぶやきが耳に聞こえて来る。
「あの子グチャグチャにされちゃったよ・・・」
「なんか、ちょっとエロいな」
「これがあいつの言ってた世界ってやつなのかな・・・」
野次馬の奴らもネチャネチャにしてやろうか。
まだそこに粘液の主は居るんだからね!
小休憩の後、水槽の影に隠れて全身に水魔法を浴びてヌメリを取り払った私は、動かなくなったタコの解体作業に入る。
流石にこのサイズを一人で解体するのは無理があるのでマリナさんや他の野次馬の人たちに手伝ってもらおうとしたが、やっぱりタコへの忌避感が強いのか、死んだタコでも手伝ってくれる人は少なかった。
と、言うか、手伝ってくれた人の理由も、ちょっとした触手ショーを見せてくれたお礼とかいう大変不本意極まりない理由だったりはするのだけれど・・・
でも、そんな理由だからとお断りするわけにもいかない。
なぜなら、
「まずは、タコのヌメリを取りましょう!」
ヌメリ取りの基本は塩もみなんだけど、何分このサイズなので、
とても大きなタライを用意して、そこに足を一本ずつ入れてその足をマッサージでもするみたいに揉み解すという苦行が待っているから。
流石にこういう繊細な動きは魔法では再現できないので手でやるしかない。
「ふっ・・・!ふっ・・・!」
ただでさえ弾力のある上に私の太ももと同じくらいの太さがあるタコの足を掴んで、ヌメリをこそぎ落すようにマッサージするのは中々の重労働だ。
ヌメリを取りたいのに、そのヌメリのせいで中々しっかりと掴むことが出来ず中々ヌメリを落とせないという悪循環。
襲われたときに私に付着した全身のヌメリなんて序の口でしか無かったことを思い知らされる。
れなんて水かぶりながら払い落とせばだいぶなんとかなってたからね。
かなり磯臭くはなったけれど・・・
もし手伝ってくれる人が居なくて脚8本全部私がやるとなったら1日では終わらなかったかもしれない。
「次は、タコの足や頭を切断して、小分けにしていきます!」
それでもなんとかヌメリを取り切った私達は、次にタコ自信を細かく解体する作業に入る。
元々お料理の為にタコの足をぶつ切りにしたりはしたことのある私だけれど、流石にこのサイズは未経験。
その様子は、タコの足を台に乗せて、それを私自身が足で踏んで固定しながらタコの足の根元に包丁を入れて、ノコギリのように前後に動かしながら徐々に切り進めていくという見た目から何から丸太を切るような今までに見た事の無い光景になった。
でも、これが終わるともうお刺身まではあと一歩なので、そもそもタコの見た目が苦手そうなマリナさんにはおつかいを頼んでおいた。
それは大葉とお醤油、あと大小のお皿。
流石にこうも手伝ってもらったのならばお礼は必要だし、なんなら誤解は解いておきたいので皆にもタコが美味しい海産物である事を分かって欲しい。
実際市場にあるかどうかは分からないけれど、一応それを伝えてみたら、
「大葉とショーユね!わかったわ」
そう言ってたから多分大丈夫だと思う。
っていうかストラド自治区の戦勝会でそういう話したし、普通あるでしょ!
私の胴体すら簡単にからめとる事の出来る長いタコの足が3分割され、頭もそこそこ良いサイズに解体されたころ、
マリナさんが小さな袋を持って帰って来た。
「ユイちゃん。お買い物してきたわよ!」
そう言いながら袋から出してきたのは、想像よりもやや大きめサイズだけれど、見た目は私が知りうるそのままの大葉と、
小瓶の中に入っている、まるでハチミツのような美しい黄色~オレンジ色の液体。
ハチミツのようにドロッとしている訳では無いサラサラの液体だけれど、色はまんまそれ。
「これは・・・」
「ショーユよ。ショーユ」
これは天然ボケとかそう言うやつでは無いね?
名前は一緒だけど中身は別物と言う異世界の祖語。
とはいえ暖色系である事には変わらないので、ワンチャンちゃんと醤油である可能性も・・・
そう思って、一緒に買って来てもらった小皿に軽くそれを垂らしてみる。
醤油でもある現象だけれど、ビンに入っていた時よりも厚みが減って色はさらに薄く、
微かにオレンジ色が見える位のクリアな液体へと変貌するそれ。
臭いは、無い。
市場でマリナさんが買ってきてくれたものだし流石に食べられないものではないだろうと、私はそれを軽く指に付着させて、それを舐めとるように味見する。
・・・んん、
んん?
確かにその・・・すごく醤油っぽい。
独特の塩味と旨みがある。
私がよく家で使っていたお醤油と比べると幾分か甘みがある気がするけれど、
味だけで言えば、こんな銘柄の醤油も探せばあるのかもしれない、位には醤油だ。
しかし視線を小皿に落とせばそこにあるのは薄いオレンジの液体。
これ、ペットボトルに入ってたら間違いなく普通に飲んでしまう色をしている。
まじまじと小瓶を眺めていたら、不安そうにマリナさんが聞いてくる。
「もしかして、違ったのかしら?一応、非炭酸の物にしたのだけれど・・・」
「え?いや、だ、大丈夫ですよ?ちゃんと醤油でした」
そう言うと、マリナさんはパッと明るい表情になって、
「良かった。たまにこう、ユイちゃんと私が思ってる物って違う時があるものね」
って。
・・・
・・・非炭酸?
炭酸バージョンもあるの?
えっ、嫌だなー、シュワシュワするお醤油。
一通りの解体が終わり、後はもう何時でも食材として使える状態にまでなったタコ。
皆の助力もあって、比較的早めに終わったと思う。
フウオウワシの時にも使ったような気がするリアカーに積み込まれたタコを背に、手伝ってくれた人たちへと向き直る。
「皆さんのおかげでここまで持っていく事が出来ました!本当にありがとうございます!」
生徒会仕込みの発声とお辞儀で丁寧に礼をする私。
当然礼はこれだけで終わらせるつもりはない。
「なのでお礼に、皆さんにはタコが美味しいという事を分かって貰いたくてですね、ちょっとお刺身で食べて頂こうかと・・・」
そう言うや否や、さっきまで和やかムードだった人の輪がまたざわつき始める。
「いや、ホントに美味しいんですって!・・・じゃあ、今からちょっと作っちゃいますから!」
言っても無駄だと即悟った私は、タコの足の1本、末端の一番細くて私の知ってるタコに近い部位を取り出して、テーブルの上にあるまな板へと置き、
魔導具が使えない私に代わってマリナさんに茹でる用の鍋を用意してもらってタコの足を赤くなるまで茹でる。
タコが茹で上がるのには少し時間がかかり、その間にこっそり逃げようとした人が居たので、
「逃がさない!バリアー!」
とりあえず無理やり一切れは食べてもうつもりの私は、バリアを展開して逃げ道を塞ぐ。
そんなこんなで無事赤く茹で上げられたタコを氷の魔法で冷やして、1口サイズのぶつ切りに。
それを程々のサイズにカットした大葉と一緒に盛り付けて完成!!
「さあどうぞ!!タコのお刺身です!!」
見た目も私の知っているものに近い足を選んだので、醤油の色以外は完璧なタコの刺身だ。
しかし、周りの人の反応は相変わらず。
「むー、美味しいのに」
私はタコの刺身を一つつまんで、軽く醤油を付けて、
今までは付着した醤油の色で判断してたので、それが効かない今回はまあまあ慎重に付けて、
口に放り込む。
同時に、この期に及んで?と思わなくも無いけど軽く悲鳴が上がる。
・・・うん。ほら、やっぱり私の知るタコだよコレ。
コリコリとした独特の弾力と、醤油にマッチする軽い風味。
皮側のザラツキ触感と、肉側のスベスベの食感が飽きさせない捕れたてのタコのお刺身。
「ほらぁ、やっぱり美味しい!」
皆に振る舞うつもりだったけどもう一個食べちゃお。
「ねぇ、ユイちゃん?」
私がもう一かけらに手を付けた時、マリナさんがゆっくり近寄って来る。
「なんでしょう?
「それ・・・本当に美味しいの?」
「マリナさんも信じてない!本当に美味しいんですって!ホラホラ!」
どうせなので今さっき手を付けたタコに軽く醤油を付けて、大葉と一緒にマリナさんの口に近づける。
私とマリナさんはだいぶ身長差があるので結構見上げながらの体勢。
マリナさんは最初こそ拒み気味だったけれど、私のアピールに根負けしたのか、最期にはどうとでもなれと目を瞑ったまま大きく口を開けたので、
遠慮なしにそこにタコをシュートした。
「どうですか?」
もぐもぐと慎重に味を確かめているマリナさんに、感想を聞く。
「うん・・・確かにこう・・・面白いかもしれないわね」
味覚に関しては好き嫌いがあるのでそこはどうこう言うつもりはないけれど、
決して皆がイメージするようなおどろおどろしいモンスターみたいな味じゃない事は知ってて欲しい。
「・・・あぁ・・・そうね。確かに、ユイちゃんの言う通り、美味しい食材なのかも・・・?」
マリナさんは、私は放り込んだタコをゴクリと飲み込んだ。
どうやら、マリナさんにとっても、悪い味では無かったみたいだ。
私の味覚だけが日本人としてチューニングされまくって平気だった、と言う訳では無い事実に、軽く胸を撫で下ろしていると、
「美味しいかも、だって」
「・・・レイフィールさんがそう言ってるってことは、意外といけるのか?」
「マリナさんが言うんなら・・・」
等と、野次馬の面々が一歩、また一歩とタコの刺身盛りに近づいてくる。
私がアレだけ美味しいアピールをしても効果無かったのに、マリナさんがそうだとこうも露骨に反応を示すのは癪ではあるけれど、
実際マリナさんは市民の味方のシンボルのような人なので当然の結果と言う諦めも無い訳じゃない。
「そうです!美味しんですよ!」
それでも、この場に居た人に私の印象を"触手と戯れていた女の子"で終わらせたくはない私としては何としてでも、マリナさんをダシに使ってでも食べてもらう必要がある。
そしてその思惑が功を奏したか、マリナさんが食べた後は、続いて何人かが刺身を食べてくれた。
「ん・・・確かに、思ったより行けるぞ?」
「あれ、これ私好きかもしれない?」
しかも反応は上々。
皆の反応が良いと、更にその周りも"あれ?行けるのか?"と寄って来てくれる。
美味しさの連鎖に、私もうんうんと満足げにタコを食べる。
タコが美味しい海産物であるという事実は、少なくともここに居た人には伝わっているようだ。
中には、もう少し食べてみたいと解体したタコを一部欲しいと言い出す人も。
流石にあの量は教会の5人で食べるのもキツイので、格安で譲ることにした。
ホントは布教用にタダでもいいんだけど、3000ゴルト払っちゃってるからさ。
最終的に、あそこに居た人全員にタコを食べさせることに成功し、なんだかんだ良さげな評価を貰えたのであった。
私、別にそこまでタコめっちゃ好きと言う訳では無く、お寿司のネタの中だったらタコがいい位のポジションではあったし、今日偶然タコに出会っただけの始まりではあったけれど、
ある意味ではとても有意義な日を過ごせたと言っても過言ではない。
ただし、結果的な私の評価は、タコと絡み合い、タコを喰らい、人を閉じ込めてでもタコを食べさせてくるタコ狂い、あるいはタコ教の信者的な扱いになってしまったのは言うまでもない・・・
って、何でよ!
ここまでやってまだその偏見取れてないの!?