第18話:青い夜明け・Ⅱ
・・・・・・
目の前に、誰かが見える。
・・・誰かは分からない。
ただ、人であるという事だけがハッキリと分かる。
その人は、まっすぐ私に近寄って来る。
私はただそれをひたすらに眺めて居る事しか出来ない。
その人は歩くペースを一切落とさないまま私の方へとどんどん歩いて行って、
あと一歩でぶつかる!
となった直後に、私をすり抜けるようにして消えていった。
-------------------------------
・・・
・・・!!
目が覚める。
何度か瞬きを繰り返し、ぼんやりする視界が少しずつピントの合う世界へと変わっていく。
「ん・・・んう・・・」
寝起き特有のふにゃふにゃとした声を上げつつ、目に見える物を確認する。
と言っても、今の仰向けの姿勢では布団の端っこと天井と、垂れ下がるカーテンくらいしか見えない。
でもその光景は、今までに見た事の無い光景だった。
私が最初に目覚めた病院でも無ければ、元の世界の実家でも無く、
アウフタクト教会の個室でも、ローチェ村の宿屋でもモールの隠れ家でもない。
初めてみる、焦げ茶色の天井。
一体ここはどこなのかと身を起こそうとしたときに、
「・・・っ!」
ピキリと左の脇腹が痛む。
そして、その痛みで今までの事の顛末を思い出した。
そうだ。
あの夜、アウフタクト中の退魔石の止まって、それを解決する為に町中を走り回って。
公園にたどり着いたら、でっかいバグが居て、それで、
そのバグの攻撃を喰らって大怪我をして、それでもなんとかそのバグを倒した。
そこまでは覚えてる。
でもその後は何も覚えて居ない。
結局、あれはどうなったんだろう。
部屋は太陽特有の暖かい明るさで、今が夜でない事はわかる。
脇腹の痛みに気を使いながら、ゆっくりと布団を剥がしながら身を起こす。
何か下半身の辺りに重量を感じるので、そこから両足を引っこ抜くようにして。
「・・・」
ここは病院のようだ。
簡素だけれど清潔感のある木製ベッドに私は寝かされていて、
その空間を仕切るようにカーテンが視界を遮る。
私の服装も、1枚の布に首を通す穴を開けてそれを前後で布で縛るシンプル、というか布が前後にあるエプロン、といった感じの、服と言うかただ脱ぎ着させやすいだけの布きれみたいなやつに着替えさせられている。
横が完全にガバガバでちょっと恥ずかしい。
ただ、そのおかげで脇腹の様子は確認できて、生々しい傷跡こそあるものの、出血が起きるような傷はちゃんと塞がっているようだ。
屋根や天井はあまり病院らしくない濃い目の木材だけれど、近くの棚に置いてある水桶とか、花瓶とか、備え付けの調度品はすごく病院っぽい。
そして次に目に入るのは、さっき下半身に感じた重量物の正体。
藍色の修道服を着た誰かが、ベッドの私に右側から覆いかぶさるようにして寝ていた。
・・・いいや、誰かじゃない。端から覗く金髪も、このサイズ感も、
どう見たってマリナさんそのものだ。
すうすうと、柔らかい寝息を立てている。
さて、私はどうしようかな。
今わかっているのは、なんとか一命はとりとめたという事くらい。
カーテン越しの窓は外の様子は分からないが、窓は開いているのか外の喧騒は聞こえて来る。
悲鳴とかそういうものは聞こえて来ず、平和そうな町の音が響いている。
ううむ、あの後レナール先輩とか、カイン君とか、アコニタムさんがなんとかしてくれたんだろうか?
ベッドの上で知りたい事が沢山あると言う状況は、過去を思い出してしまって少し居心地が悪い。
とりあえず、
慣れない慣れない病院着のベストな着こなしを探るべく、布の位置を細かく調整していたら、
「ん・・・ユイ・・・ちゃん・・・」
足元でマリナさんがもぞもぞと動き出す。
布団をがっしりと握りしめながら、グリグリと頭を押し付ける光景は、普段の大人のお姉さん然としたマリナさんからは想像も出来ない可愛らしさと言うか、子供感を感じる。
「あっ、あの・・・おはよう・・・ございます」
「・・・んん!?ユイちゃん!?」
途端、ガバリと勢いよく頭を上げたマリナさんの、その拍子にかぶっていたベールが後方に落ちる。
そして、それすら気にしない程の勢いで私に飛びついて来た。
「良かった!!目が覚めたのね!!」
「ちょっ!、あっ、痛たたたた!!!」
一方の私は、飛びつかれた衝撃で脇腹が刺激され、またも激痛に呻かされていた。
「あっ、ごめんね!そうだよね、痛いよね!」
私の悲鳴を聞いたマリナさんはすぐさま抱きしめるのを止めて、ベッド横にある椅子に行儀よく座る姿勢に戻った。
そこで気が付いたけれど、マリナさんは目に隈が出来ているうえに、泣きはらしたように真っ赤にもなっている。
言っちゃあ悪いけど、相当な顔だ。
「・・・でも良かった。ユイちゃんが元気そうで。私、レーベンス君にユイちゃんが大怪我で病院に運ばれたって聞いたとき、気を失いそうになっちゃったのよ?」
「そ、それはなんか・・・申し訳ないです」
脳裏に、ふらっと気を失いそうになりながらもダッシュで病院に駆けてゆくマリナさんのビジュアルがありありと浮かぶ。
「で、でも、ちゃんと死なずに居るって約束は、守りましたから!」
「そうね。レーベンス君やエルドレッドちゃんから話は聞いたけど、大活躍だったそうじゃない」
「大活躍なんて、そんな・・・」
結局今回も、レナール先輩のサポートが主だった。
ライオンのトドメも私じゃ無くて先輩だったしね。
しかし、
「あんまり自分を卑下するものじゃないわ。褒められたときは素直に受け取る。その方が相手もスッキリするわよ?」
マリナさんはそう言いながら棚に置いてあるお皿とリンゴのような果実を手に取り、皿を膝においてから、懐からナイフを取り出した。
あ、お見舞いのシーンによくある、話しながらリンゴ剥くやつじゃん。
なんて思ってたら、
マリナさんはナイフをおもむろにリンゴの底に突き立てると、それをそのままお皿の上に持っていく。
すると、薄緑色の風っぽいオーラがリンゴを包み込み、皮が勝手にめくれ上がって行く。
あぁ・・・リンゴ剥くのにも魔法、使えるんだ。
結局、ものの数秒でリンゴの赤い皮は全て削り取られ、それどころか食べやすいサイズへのカットも魔法で完了し、あの長いリンゴの皮剥きチャレンジみたいなのは一切行われなかった。
いや別にあれがお見舞いに必要って訳でもないんだけどね??
そうしてスピーディーに剥かれたリンゴを食べつつ、気になった事をマリナさんに聞いてみた。
「ほれで、へっひょふ」
「ちゃんと飲み込んでから喋りなさいな」
「・・・・・・。それで、結局あの事件って、どうなったんですか?」
気になるのは当然退魔石停止事件の事だ。
事の顛末を私は聞いていないからね。
マリナさんは、私の質問にリンゴを食べる手を止めて答えてくれる。
「私もエルドレッドちゃんからの又聞きだけど、どうやらユイちゃんが大型のバグを撃退した後、エルドレッドちゃんが公園の中央にあった元凶の封印を解いて、退魔石を復活させたらしいわ」
「あぁ、あの後ちゃんと作戦は成功したんですね・・・!」
「そうみたいね」
良かった。
本当に良かった。
私も思わず安堵の息が漏れる。
あの3人は無事だんだー、とか、
私の頑張りは無駄じゃ無かったんだーとか、いろいろとね。
「そうそう。どうもユイちゃんの容体が戻り次第、ギルドで戦勝会があるらしいわよ?」
「またそう言う事するんですか・・・?」
「ギルドの人はそう言うの好きなのよ。ユイちゃんが嫌なら、辞退の届け出は出しておくけど」
「いえ、大丈夫です。カイン君達にも会いたいですし」
お祭りの雰囲気、別に得意じゃあないけれど、なんだかんだ慣れ始めて来てしまった。
でもやっぱり、今みたいな静かでのんびりとした空気感の方が好きだなぁ。
切られたリンゴの最後の一個を取ろうとしたときに、ふとマリナさんもリンゴ取ろうとしてないかな、
と顔を見ると、
マリナさんの瞳から、ホロリと一筋の涙が零れる。
「えっ」
思わずリンゴに伸ばした手を引っ込めた拍子に、マリナさんは震える声で話し出した。
「でもね、本当にユイちゃんが生きててよかったって、私は思ってるわ。最初病院で見た時、もうだめかと思っちゃったもの・・・」
「そ、そんなに酷かったんですね・・・」
実際出血でふらついて意識を落とすレベルだったので、相当酷かったんであろうというのはなんとなく分かる。
「ええ、全身真っ赤だし、お腹はおっきく抉れてたし、硬くて冷たくて・・・」
マリナさんは、その時の事を思いだすように、不安げな顔と伏し目がちな目線のまま、
瞳からはボロボロと涙を流しながら話し続ける。
「もう本当に心配しちゃったの。2日くらいずっと目を覚まさなかったし・・・」
「えっ、2日!?」
嘘だぁ!
と思って周囲を確認したけれど、病室にはカレンダーらしきものは見当たらない。
これでは確証が持てないけれど、あり得ない話ではなさそうだし、多分、本当の事なんだと思う。
ここで嘘をつく理由も無いし。
「もう、これっきり目を覚まさなかったらと思ったら・・・」
マリナさんの感情の吐露が続いていたその時、突然病室を隔てるカーテンが開けられて、
誰かが入って来る。
「どうやら、目が覚めたようね」
「あっ」
入って来たのは、白い白衣を纏った女医さん。
その声と風貌には、見覚えがある。
「お久しぶり。あれから異変は無い?」
それは、私がこの世界に来た時に、私の持つ暴走体質を調べてくれたお医者さんだった。
そっか。この病院あそこだったんだ。
「え、ええ今の所は、大丈夫です」
一応、聞かれたことには答える。
体調にしても、魔力的なことにしても。
「・・・経過観察、覚醒、意識良好、っと」
女医さんは手にしたカルテのようなものに何かをすらすらと書き込みながらベッド横にやってくる。
そして、その間にマリナさんは慌てて落ちたベールを拾ったり、涙を袖で拭ったりしていた。
「定期的な検診が必要だったから勝手に着替えさせちゃたけど、我慢してね」
女医さんは、指先を器用に使ってクルクルとペンを回しながら私が寝ているベッドを回り込むようにして、左側、つまり傷のある側へと移動する。
着替えに関しては仕方ないと思う。
元の衣服は血みどろ砂まみれで不衛生なうえ、金属パーツも多くて寝にくいしね。
今の横がガラ空きの服としての体を成してない服も、脇腹を確認しやすくするためとか、寝たきりの人でも着替えやすくするためとかだと思えば不自然じゃない。
別にこの服のまま病院内をうろつくわけでもないしね。
「さてと、今の傷口はっと」
女医さんが私の真横まで移動すると、衣服の前後を止めていた紐を解いて、脇腹を大きく露出させる。
傷自体は塞がってはいるものの、当時のエグさが分かる程度には皮膚が変色し、生傷として残っている。
「うーん、傷口は塞がってるけど、これは跡が残っちゃうかなぁ」
「や、やっぱりですか・・・」
「でも、怪我の規模としては小さく済みそうかな。これは搬送前になされてた応急処置と、そこのシスター・レイフィールのおかげかな」
応急処置・・・レナール先輩が使ってくれた治癒薬の事かな
でもそれよりも、
「マリナさんのおかげって・・・」
「あーね、この人病床に着いてから寝ずにずっと回復魔法をかけ続けてたのよ。そこまでしなくてもこの子は助かるって何度も言ったのに聞かなくてね」
「それはだって・・・心配だったんだもの・・・」
マリナさんは相変わらずなんか微妙に退行してる気がする。
でも、私が気を失っている間そんな事をしてくれていたなんて・・・
それまでも激務でお疲れムードだったからこそ、今回は私一人でもやれます!
って言って教会を飛び出していたのだから、この寝不足顔にもなろう。
もしかして、今日のマリナさんちょっと幼げになってるのって疲れてるから?
「そんな事があったんですね。マリナさん、ありがとうございます」
「良いのよ!他ならぬユイちゃんの為だもの!」
まるで寝不足でグロッキーな顔を空元気でごまかそうとしているようなテンションのマリナさんだけれど、多分、本人には自覚は無いんだろうなぁ、とも思う。
「ところでシスター・レイフィール。あなたにもお話があるのよ」
「あら、何かしら?」
突然女医さんが視線を私からマリナさんに移し、そんな事を言いだす。
マリナさんも、一瞬すこし驚いた顔をしながらも、すぐにいつもの顔、
(まあ、明らかに疲れ切っている顔だけれど)に戻り、話を聞くべく立ちあがる。
しかし、
「っとと」
マリナさんは、立ち上がった拍子にバランスを崩し、転びかけそうになってしまった。
「あっ!危ない!!」
私も反射的に手を伸ばすけれど、今の私はベッドで寝ていて、上半身を起こしている状態。
当然届くわけも無く、それどころか勢いよく腰をねじったせいで、
脇腹に針が刺さったかのような痛みが走る。
「あ"っ・・・く!」
あまり人に聞かせたくはない呻き声と共に体をゆっくりと元の姿勢へと戻している間に、
女医さんの方が倒れかけるマリナさんを抱きかかえるようにして受け止めていた。
「ふう、危ない危ない。話をする前に倒れられたらたまったものじゃあないわ」
「あ、ありがとう」
女医さんはそのままマリナさんを元の椅子に座らせると、病室を仕切るカーテンの傍まで移動した。
「で、レイフィールさんへの話って言うのはね、」
そして、女医さんは仕切りのカーテンを掴み、勢いよく引き動かした。
カーテンは上のレールに沿って勢いよく取り払われ、カーテンの向こう側が露わになる。
そこには、私が今寝ている病室の一角とほぼ同じレイアウトの空間がもう一つあった。
「シスター・レイフィール。あなたも過労と睡眠不足、あと軽度の栄養失調が見られるから、入院してもらうわよ」
やっぱり。