第1話
入学式の一週間後、校門から校舎までの並木道に桜の花が敷き詰められている頃、私立聖稜高校の敷地内は活気で溢れ返っていた。授業終了後の校庭で部活動に勤しむ生徒達が、声を上げ、汗を滴らせながら、目標に向かって努力している。入学したばかりの新入生の姿もあり、各々これからの学校生活や部活動に輝かしい未来を想像して、瞳を輝かせていた。
数ある部活動の中の一つ、サッカー部も同じように、瞳を輝かせた少年達が集う状況だった。体験入部と称してはいたが、新入生はみな今後もボールを追い、ボールを蹴る覚悟の元で校庭に集合していた。
「初めまして。聖稜高校サッカー部副キャプテンの菊池です。よろしく。」
「「「よろしくお願いします!」」」
新入生達の声が校庭に響き渡る。
「それから、こっちがキャプテン……」
「キャプテンの村上です。どうぞよろしく」
「「「よろしくお願いします!」」」
声は気持ちが良い程に揃い、初対面も多い新入生達がお互いに意識しながら出しているのが理解出来た。体育会系部活動ならではの光景だ。聖稜高校サッカー部にはそういった風習があるわけではなかったが、新入生達は大きな声を出し、列を崩さず、自らの意思で直立不動を崩さなかった。
「あー……そんなに硬くならなくていいんだけど」
村上が言うが、その言葉に甘んじることのない新入生達。総勢三十五名が手を後ろで組み、胸を張り続けている。マジックで自分の名前を書いた白地のTシャツを身にまとい、少年達は顔に少しの緊張を見せていた。
「まぁ、とりあえずいいんじゃないか?」
菊池が一歩前に出る。
「今日は体験入部ということで、うちの部活でどんな練習をしているのかを実際に体験してもらおうと思います。中学時代に運動部に入っていたり、サッカー部に入っていた人も多いとは思いますが……まぁ、うちの練習がどれだけのものか実際にやってもらって、その上で本入部を決めてもらいますので」
よろしくと一言告げて頭を下げる菊池。新入生達は恐縮するように一礼した。
「まずは自己紹介からしていこう。自分の名前を書いたTシャツを着ているとはいえ、誰が誰だかわからないからね。名前とクラスと希望ポジションと、サッカー経験者なら元々のポジションと、あとは何か一言あればお願いします」
それじゃあ、と菊池は新入生達を座らせ、三列のうちの一番前、端に座る新入生から挨拶をさせ始めた。
「一年A組、西村弘貴!小中とサッカーを経験し、ポジションはFW<フォワード>。希望ポジションもFWで……」
ひとりひとり挨拶を進めていく中、隣同士に座る涼とカズは真剣な目をしていた。
「涼……これ、大丈夫か」
「ん、待って、僕も今集中してるから」
お互いに緊張しているわけではなさそうだったが、二人は険しい表情のまま挨拶をしていく新入生達を睨みつけていた。
「涼……まじで、だんだんわからなくなってきたぞ」
「待ってって、話しかけられたら僕もわからなくなる」
「涼、おい、もうすぐだ、おい……あああ、俺、どうすれば」
「なんでそんなにうろたえてるんだよ、やめてよ名前覚えるのに集中できないじゃないか!」
「おま、この人数の名前全部覚えようとしてんのか!?いやTシャツにも書いてあるんだから何も今覚えようとしなくたっていいだろ!」
「人の顔と名前くらいしっかり覚えておかないとダメだろ!相手がどんな選手かいち早く頭に叩き込むために……特に僕みたいなパサーは、パスを供給する側は、ね」
「おい待てよ、パサーは……ってなんだよ。ストライカーにだってそういうの必要なときはあるんだぞ?なーにがパサーは、じゃ。自分を特別扱いなんてするんじゃないよまったく!」
「な……そんなこと言ってないだろ!ストライカーにはストライカーなりの能力が必要だろ?パサーにはパサーなりの能力が必要なの!人の顔と名前覚えるのもパサーの仕事。というか部員になるなら普通それくらいはやるものじゃないか?……まぁとりあえずカズはシュートばしばし決めていけばいいじゃない」
「ちょーーーっと待て待て!その言い草はなんだ涼!俺はシュートでエクスタシー感じるだけの男とでも言いたいのか!?ああん!?」
「そんなこと言ってないっての!なんで今日はそんなに噛み付いてくるのさ!?」
「あのぉ……二人とも、ちょっと良いかな……?」
「「ああん!?」」
涼とカズは、二人の後ろに座る少年から声をかけられ、反射的に少年を睨みつけた。
「ご、ごめんなさい。でも、ヒートアップしてるところ悪いんだけど、声大きくて他の人の自己紹介邪魔してる上に……次、君達の番だから」
少年が申し訳なさそうに言うと、二人はハッとして周りを見回した。新入生達の迷惑がる目、副キャプテン菊池の不審がる目、そしてキャプテン村上の虚ろな目に晒されていた。
「君達、大丈夫?」
菊池が苦笑いを浮かべながら声をかける。これで怒られないのだから、聖稜高校サッカー部は優しさに溢れているのだろう……涼とカズはそう感じた。
「「だ、大丈夫です!」」
涼はすぐさま背筋を伸ばして座り直し、カズは真っ直ぐに立ち上がった。
「えーと、次は君の番だね、"相沢"くん」
名前の書かれたTシャツを見て、カズを呼ぶ菊池。
「はい!えーっと、一年C組、相沢和宏……カズって呼んでください!小中サッカー経験者で、ポジションはFW。希望ポジションもFWです。それで、えーっと……」
───どうすればいい?なんて言えばいい?こういう時、なんて言えば滑らずに安全にこの状況を抜け出せる?───
あたふたきょろきょろとし始めるカズ。彼は思いっきりうろたえていた。頭で考えていることが表情どころか態度や仕草にまで出てきてしまっていた。横で見ている涼は意外そうな顔をして、次第に呆れた表情を浮かべて溜め息をつく。
「涼、はっはー!涼、わかんないけど笑いがこぼれてしまう……はっはー!どうすればいい、何をすればいい、どういえば俺は滑らない!?」
「……カズ。思いのたけを言えばいいだけだ、うろたえすぎ」
低く鋭い声で諭す涼。カズはあわてながらも聞いた言葉そのまま飲み込み頷いた。
「うろたえなくてもいいよ」
そして、大きく息を吸い込んで、
「もう滑ってるから」
「聖稜高校サッカー部を全国制覇させます!!!!」
強烈な大声と共に、その場にいる全員を黙らせた。
静寂に包まれる聖稜高校の校庭。隅で自己紹介をしていたはずなのに、校庭の真ん中や逆側の隅でアップするサッカー部員達にも声が届いていたらしく、みな足を止めて独り仁王立ちしている新入生の方を見ていた。
「ちょ……カズ、完璧にやらかしたね」
「あっ……」
我に返り固まるカズ。
「へぇ、全国制覇ね」
「言うじゃん、新入生」
「ふーん、あいつ何者?」
聖稜高校サッカー部の部員達の顔が、こぞってにやりと歪む。
「相ざ……いや、違った。カズ」
村上がぼそりと呟いた。
「面白い、期待してるぞ」
楽しそうに笑うキャプテン。カズは一言大きく返事をして座った。
「滑ったかと思ったけど、セェェェェフ」
「いや、だだ滑ってたから!」
突っ込みながら立ち上がる涼は、カズとは違って慌てることもなく自己紹介を始めた。
「一年C組、柊涼です。涼と呼んでください。中学ではサッカーをやっていません。小学校でサッカーをしていました。ポジションはMF<ミッドフィールダー>、希望ポジションもMFです」
冷静なまま自己紹介を済ませていく涼に、カズは面白くなさそうに視線を向けた。それを見ずとも感じていたのか、涼は一瞬目を瞑って笑みを浮かべ、
「目標は、聖稜高校サッカー部を、インターハイと選手権の二冠に導くことです」
と、とんでもないことをさらりと宣言した。
「よろしくお願いします」
何事もなかったかのように座る涼に、カズ以上の衝撃を受けた部員達は静寂という反応を返した。
インターハイの正式名称は"全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会"……夏の高校サッカー全国大会だ。次いで、選手権の正式名称は"全国高等学校サッカー選手権大会"……こちらは冬の高校サッカー全国大会だ。どちらも毎年行われ、全国の猛者が鎬を削り合う日本高校サッカー界の二大大会である。連覇とは、同年のうちにこの二大大会を制覇すること……すなわち、一年に二度の全国制覇を成し遂げることだった。
「なんだよ、お前もだだ滑りじゃねーかよ涼」
けらけらと笑うカズに、涼は小馬鹿にしたような顔を向けた
「目標を言っただけで面白がらせようとしたわけじゃない。カズみたいに本気で焦ってど滑りしたのとはわけが違うから、そこのところ。よろしくね?」
「何をおおお!?!?」
がるるると喉を鳴らすカズ。周りの目の色が変わったことにも気が付かず、二人は次の新入生へ自己紹介を促した。
「……カズ、涼。そうか」
村上は誰にも聞こえないような小さな声で呟き、
「……今年は面白くなりそうだ」
聖稜高校サッカー部キャプテンとして、目を輝かせた。
しばらくの間続いていた自己紹介も最後の一人となった。最後は涼とカズに後ろから声をかけた少年で、ゆっくりと立ち上がり紹介を始めた。
「一年C組、水野翔矢です。サッカー経験はありません。小中は水泳と卓球をしていました。希望ポジションは自分がやれるところならどこでもやりたいです」
不審な表情を浮かべる新入生達。今まで自己紹介を済ませてきた中で、サッカー未経験者は一人もいなかった。それは、聖稜高校サッカー部が全国大会を目指すハイレベルなチームであるからで、入部希望者は必然的に全国大会を目指す猛者ばかりだったからだ。未経験者を入部させないという規則はなかったが、練習についていけるかどうか、三年間の部活動の中で一度も試合に出られないかもしれないというリスクを負えるかどうかを考えれば、自ずと未経験者は立ち入らない領域となっていたためだった。
「未経験、か。運動部に所属してはいたんだろうけど、うちの部で良いのか?」
村上が問いかける。言葉の軽さとは裏腹に、非常に重い問いかけであることは、その場にいる全員が感じ取れた。聖稜高校サッカー部に入り、試合に出られずとも腐らずに厳しい練習についてくる気はあるのか……そう問うていることは明白だった。
しかし水野はその問いかけに即答してみせた。
「はい、大丈夫です。僕の目標も、彼ら二人と同じように……聖稜高校サッカー部を全国制覇に導くことですから」
涼とカズは唖然とした。二人だけではない、その場にいる人間殆どが口を半開きにさせて固まった。
サッカー初心者の言葉じゃない。経験したことがないスポーツで全国制覇だなんて……サッカー経験者から言わせれば、はっきり言ってサッカーを馬鹿にしている発言とも取れる。それこそ、成し遂げるだけの覚悟と自信があるのならまだしも、未経験で自信があるはずもなく、全国までの道のりの厳しさすら理解出来ていないはずなのに何の気もなしに言いのけてしまったのだから。
部員達がどよめく。新入生一同は水野に苦い表情を向け、水野の自己紹介を聴いていたサッカー部員達は鼻で笑って呆れた顔をした。ただ、そんな中でも水野の宣言を真剣な顔で受け止めた少年が三人いた。同じ目標を言いのけた涼とカズ、そして目の前で水野の宣言を受け止めていたキャプテンの村上だった。彼らの反応は、水野に呆れる周りとは一線を介していた。じっと、真っ直ぐに水野を見つめていた。
「そうか、わかった。一緒に頑張ろう」
キャプテンの村上が表情を和らげた。多くを語らなかった村上だが、全国制覇・インターハイと選手権の二冠……新入部員三名の宣言を受け止め、今後のサッカー部の想像して少しだけ心が躍った。
「これで全員かな?自己紹介ありがとう。今後、部活だけでなく、学校生活上でも接することが多くなっていくはずだから、みんなしっかりと相手と向き合っていきましょう」
新入生全員の自己紹介が終わり、菊池は全員を立たせてサッカー部の説明を始めた。
「とりあえず練習の説明を……うちの練習は準備体操の後、アップで校外を走ります。それからボールを使ったアップをしてから、パス練、ロングキック練、シュート練、三対二のミニゲーム……監督とマネージャー、そして俺達自身でメニューを考えて練習します」
丁寧に説明を始めた菊池の横で、村上はマネージャーに目配せし、校庭の外……校門まで移動させた。菊池は一呼吸置き、
「自分に何が足りないか、チームに何が足りないかを考えて行動することが、聖稜サッカー部の練習方法であり、聖稜サッカー部のチームとしての在り方です。どこまでも真剣に上手くなることを目指し、それ以上に楽しむことを目指す……それが聖稜サッカー部だと考えてもらって構いません」
優しげな笑顔を新入生に向ける菊池だったが、次の言葉で新入生達の表情を完全に凍らせた。
「とりあえずそんな感じなので、早速外周に行ってもらおうかな。まずはとりあえず十五周で」
新入生達の顔が青ざめていく。反面、菊池は満面の笑みを浮かべている。
「一周約一キロくらいなので……一周の目安は五から六分、マネージャーにストップウォッチで時間計ってもらいます。自分のペースで良いですが、目安時間からオーバーした人はペナルティもあるかもしれません」
悪い顔で笑うする菊池に対し、新入生達は顔を引きつらせた。一周約一キロ。十五周で十五キロ。時間にして、一時間半かからない程度……
「アップだから、しっかり走ってくださいね。」
アップというレベルの距離じゃない……新入生達は全員感じていた。十五キロ走った上でサッカーの練習ともなれば、足への負担は相当なものとなる。初日の、しかもアップからハードなメニューを突きつけられ、新入生達の意気は段々と萎んでいるようだった。
「それじゃ、怪我しないように準備体操をして……いざ、レッツゴー!」
楽しそうに拳を上げる菊池に、絶望へと突き落とされたような表情を浮かべた新入生達。
聖稜高校サッカー部の練習が始まった。