第5話 ボールと共に新たな日々を
近くにいるなら、必ず届ける。
遠くからでも、必ず届ける。
過去からでも、必ず届ける。
未だ見ぬ未来でも、必ず届ける。
だから、受け取って。
僕の、ロングパス。
涼は、久しぶりにまたあの高架下へ出向いた。いつもの通り自宅から自転車で10分。土手沿いを、風を切りながら気持ちよく走る。ボールは持っていない。
けれど、スパイクは履いている。
それだけでも、涼にとってはとても新鮮に思えた。
2ヶ月にも満たない期間なのに、それが何年も昔のように感じられる程の感覚。毎日の習慣がなくなるということはこういうことか、と少しだけ後悔した。
いつもの高架下に、いつもの壁。いつもの静けさが広がる、いつもの無人のフィールド。懐かしさすら感じるそこに、涼が着いたと同時に到着した影があった。
「よう、久しぶりだな」
「……ああ、そうだね」
脇に抱えているのは、涼のサッカーボール。スパイクを履いた少年は、ゆっくりと土手を下り、無人で静かなフィールドの真ん中に立った。涼も同じように土手を下り、ボールを持つ少年の前に立つ。
「おかえり、涼」
「ただいま、カズ」
可笑しくなって2人で笑った。おかえり、ただいま、なんて友達同士で言葉にするようなことじゃない、小恥ずかしい発言だ。けれど、笑う彼らにとって、その一言の大きさは言葉以上のものがあった。
「決めたか?今後どうするか」
カズが微笑みかけながら言った。
「うん。そうだな、僕も、一緒かな」
「ん?一緒?」
「うん。僕もカズと一緒さ」
一呼吸空けて、涼は言った。
「僕もカズと、サッカーがしたい」
すがすがしい気持ちだった。ようやく言えた、ようやく伝えられた、ようやく素直になれた。涼はそう感じた。もっと早くから素直になっていればよかった、なんて後悔すら置き去りにして、今目の前にある想像する未来に向けて、涼は素直にそれを求められた。
「決まりだな!行こうぜ、俺達のフィールド……聖陵高校へ」
「うん!」
──────
「涼!ほら、こっち向いて!」
「待ってよ母さん、ちょっと、恥ずかしいよ」
頬を赤らめながら、涼は校門の前で直立不動になった。隣には"私立聖陵高等学校"の文字。カズに誘われて入学を目指したのは、彼自身がサッカー推薦を受けている地元の私立校だった。学力もそれなりにあり、サッカーや野球といったスポーツが盛んな学校でもある。家から自転車で10数分の距離というのも、涼にとっては嬉しい条件だった。
「そうしたら、2人で撮ってもらいましょうよ。せっかくの入学式なんですもの、ちゃんと想い出に残しておかないとね」
はしゃぐ涼の母。いつも明るい性格ではあったが、今日に限ってはいつもよりもさらに明るく……若干うるさい程だった。
「……あ、俺が撮りましょうか?」
聖陵高校のブレザーを身にまとった少年が、涼の母に話しかける。
「あら、新入生かしら?お願いしちゃっても平気?」
構いませんよ、と爽やかに微笑む少年。涼はその顔を見て少し気恥ずかしくなっていた。
「涼、待ってたよ」
「カズ、待たせたね」
カメラを持つカズと、レンズ越しに視線を合わせる涼。2人の目は真っ直ぐにお互いを見つめ、心の中には未来への希望が満ち溢れていた。
───少年達は、歩み始める。
長い人生の中で、ほんの一瞬の輝ける瞬間を求めて。
幾重にも重なる人生の交差点で、彼らはサッカーという運命に出会った。
笑い、泣き、苦しみ、悩み……出会い、別れ、そしてまた出会い……何度も挫折し、何度も立ち上がる。そんな彼らの試合が、今まさにキックオフした。
これは、彼らのキックオフから、涙のエンドホイッスルが吹かれるまでの、少年達の物語。───
「あー、涼!私とも写真撮ってよ!」
「あら、智明ちゃん!入学おめでとう!」
「涼ママ、ありがとう!」
「な、なんで智明がここにいるのさ?え、だってここは狙ってなかったって……」
「え、やだなぁ、そんなの驚かせるために決まってるじゃん!ね、カズくん?」
「当たり前じゃんなぁ?涼には智明ングがいないとダメなんだからな?」
「そうだよねそうだよね、やっぱり涼独りじゃ頼りないよねぇ」
「あら、智明ちゃん、お知り合い?」
「はい!カズくんって言って、涼が高架下で一緒にボール蹴ってたんです!」
「始めまして、涼のお母さん。相沢和宏です。すごくお綺麗ですね、羨ましいな涼」
「なっ、カズ何言ってんだよ!」
「お綺麗だなんて……お上手ね、カズくん」
「いえいえとんでもない、本当のことをお伝えしたまでですよ」
「りょーーーう!私もサッカー始めるからね!始めるからね!」
「そうだぞ、涼。智明ングはここでサッカー部マネージャーをやることになったんだぞ!」
「そうだぞ!!」
「だあああああ情報が多過ぎるわ、わちゃわちゃ喋り過ぎだわ、先行きが不安過ぎるわああああああああ!!!」
───もとい。
これは、サッカーが大好きで、これからさらにサッカーを愛していく、少年少女達の物語。───
「おい涼!私の代わりにゼッケン洗ってこい!」
「おい涼!俺の代わりに氷水持ってこい!」
「あらあら、みんなもう仲良しなのね」
「ああああああ、これからどうなんのおおおおお」
───不安だらけの、物語。───
これにて、ロング・パスの第一章終了です。
高校に入学した涼たちの今後こそが、ロング・パスの物語です。これから始まる物語こそ、涼たちが本当に汗を流し、涙を流し、傷つき立ち上がり、何度もボールを追いかける日々を描いたものになります。
是非、お楽しみいただければと思います。
今後もなるべく定期的に更新しますので、末永くゆっくりとお付き合いください。
2017/9/25
自室にて、YURIA「素敵な夜空」を聴きながら。
水谷舞子