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ロング・パス  作者: 水谷舞湖
第一章
3/6

第3話 独りでボールを蹴っていた時

 思い出は、心を虜にする。

 挫折も後悔も未練も嫉妬も、全てを今の自分に突きつけてくる。

 その源が、幸福であったとしても。

 

 幸福なことだけ頭に浮かべて生きられるほど、人の心は生き易い構造をしてないんだ。

 だから、

 誰かに馬鹿にされても、誰かに蔑まれても、誰かに唾を吐かれ、誰かに嘲笑われても、

 幸せだった時を思い出して、

 それを目指して、生きていく。

 そんな生き方も大切なんじゃないかな。

 立てた誓いを、馬鹿の一つ覚えみたいに守り続ける生き方も、

 一つの誠意と愛情、"生きる"ということなんじゃないかな。

 

 


 独りだった。

 

 何人も仲間がいるはずのフィールド上で、いつも、たった独りだった。周りを見渡しても、敵しかおらず、彼らは当然の如く敵意を剥き出しにして睨んできた。倒すべき敵も、本来手を取り合うはずの仲間も、完全に敵だった。

 

 21人対1人という猟奇的な構図。唯一、フィールド上には審判という存在がいるが、彼らは"敵ではない"だけで、"仲間ではない"。ほぼ四面楚歌となった人工芝のグラウンド上に、どうにも頭が参ってしまいそうだった。

 

 涼は、このいかんともし難い状況と、それを見る太陽のギラリとした日差しに、意識が歪んだ。


「おい、お前、早くパス出せよ」


 すれ違いざま、小声でぼそりと呟くチームメイト。別に涼の顔を見ながら言っていたわけでもなかったが、そのチームメイトが"お前"と呼ぶのは、チームでもただ一人……涼しかいない。


「返事もなしかよ、独りよがり野郎」


 今度は涼の後ろから小言をぶつけてくる。


「変なパス出すなよ?お前のパス大体人のこと考えてねーんだから」

「グズってボール持ちすぎんのもやめろ、やり辛いんだよ」

「一回全国で有名になったからって、調子乗ってんの?チームで戦う気ねーだろ」

「コーチがいなきゃお前なんか一緒にやってねーよ」


 いくつもの声が涼へと投げつけられ、ぶつけられ、涼はそのひとつひとつを噛み締めながら受け止めようとしていた。


 ───何故、僕だけがこんな風に言われるんだろうか。───


 理由が思い当たらない。いつもパスを出すときは、チームが勝つために最善のコースに出す。シュートを打つときは、チームが勝つために最善のタイミングで打つ。守備をするときも、最善の策を考えて動く。ただそれだけを徹底してやってきたつもりだ。チームが勝つために最善を尽くす……それが、チームの司令塔を任された自分の役目だと思っていた。


 けれど、チームメイトはそうは思っていなかった。


 パスが通らず、シュートを外し、守備で連携が取れなければ、それは涼が独りよがりで行動したせいだ、と受け取られる。少しの意識のズレも許されず、周りが100%満足のいくプレイをしなければ淘汰される……涼のサッカーには段々と、そういうシビアな面が浮き上がってきていた。


「またかよ、何で足元にパス出さねーんだよ」


 チームメイトが言った。今の状況であれば、敵の後ろに走りこみ、そこにパスが出せれば1点取れるチャンスになったはずだ。しかし、それはそのチームメイトの意向とは違うものだ。彼は、自らがボールを持ち、ドリブルで相手をかわし、シュートを打ってゴールを決めるということだけを考えていた。


 涼からすれば、チームメイトの意識の方が独りよがりだ。それでも同じチームメイトはこぞって、


「ただの独りよがり」


 涼へそう吐き捨てた。


 幸いにも、コーチは状況を理解している部分があるようで、涼を咎めることはなかった。昨年の小学生サッカー全国大会での優勝チームで司令塔として活躍した涼を評価していたからだ。


 けれど、そのコーチも、周りのチームメイトと息が合わず、意思疎通の取れない涼のプレイを、段々と受け付けなくなっていった。


「涼、お前は素晴らしい素質を持った選手だ。お前ならもっと周りを活かすことも出来る。それなのに何故、周りに合わせて、周りを引き上げてやらない?周りのことは何も考えてないのか?自分が気持ちの良いプレイをしたいだけか?」


 涼には、コーチの言っていることがてんで理解出来なかった。周りを活かすためのプレイも、ついてこようとしなければ何にもならない。パスも、シュートも、守備も……全て考えた上でプレイしているのだから、何も意図せず、何も考えずプレイすることはない。


 ───そうか、僕は独りよがりなんだ。───


 涼はいつしか、そう考えるようになった。与えられ続けた言葉が、涼の心を苛み、浸透して変化させていく。自分は周りのことを考えて、チームの勝利を考えてプレイしているはずだけど、それが独りよがりで自分勝手なことなのかもしれない、と。


 ───チームって、何だろう。勝つって、何だろう。

    僕がサッカーをやってる理由って……何だろう。───


 涼は、渦巻く疑問の中で、溺れるように孤独へ引きずり込まれていった。

 


 孤独は重い。それが、1日であろうと、1週間であろうと、1ヶ月であろうと……孤独は心に影を落とし、自分の存在を否定してくる。


 仲間がいたはずの光景が、今は独りしかいない。あれ程みんなで笑い合ってボールを蹴っていたのに、今は独りしかいない。


 孤独は別の場所にも顔を出してくる。フィールドの中だけで独りだったはずなのに、フィールドにいない時のチーム内でも、全く関係のない学校生活でも、誰しもが同じく独りでいる夜の部屋でも……容赦なく襲い掛かり、悲しみや絶望といった、尾を引く負の感情を降りかけてくる。


 孤独は、とても、淋しかった。 




 暑い日差しに見舞われた人工芝のグラウンドで、涼はひたすら汗を拭いながらパスを待っていた。


 状況は、芳しくない。前半の早いうちに涼のパスからゴールが決まり、その後試合は膠着状態に陥る。攻撃では上手く攻められず、かといって守備では危ない場面を作られてはいなかった。が、膠着状態は破られ、後半に入ってすぐに敵が左右への速いパスで揺さぶりをかけてから、空いたスペースへ飛び込んだ敵フォワードへのスルーパス……見事と言わんばかりのパスを繰り出され、1点を失った。


「後半、残り5分を切ってる……」


 時間はもう残り少ない。後半で決着がつけられなければ延長戦に入るが、涼のチームはここまで連戦続きだった。延長戦を戦うには厳しいチームコンディションなのは分かりきっている。だからここで試合を決めきりたいところだった。


「ヘイ!」


 ちょうど涼の味方ディフェンスがボールを奪い前を向いた瞬間、涼がパスを要求した。


 チームメイトの苦い顔が見える。やっぱり僕にはパスを出したくないんだろうな、涼はそう感じた。


 味方ディフェンスがパスを出しあぐねて敵に追い込まれていく。周りもパスを受けに近づくこともせず、ただ疲労を蓄積させた身体を休ませている。


 残り5分を切っているのに、何故フォローのひとつもしないのか。涼の中にはいつも通りチームメイトへの疑問と憤りが生まれていた。しかし、それを伝えたところで、結局は涼の独りよがりと言われてしまう。


 フィールドで孤独と戦う涼には、自分が他の仲間の分も動くことしか許されてはいなかった。


 涼は、前線から自陣のゴールに近い位置まで気力を振り絞って走った。そして、ボールを持つ味方ディフェンスがパスを出しやすい位置で、もう一度パスを呼び込んだ。


「ヘイ!」


 すると、さすがにボールをキープすることが辛かったのか、苦い顔をしながらも、味方ディフェンスは涼にパスを出した。


 涼の位置は、ゴールまでは程遠い。ここからハーフラインを越えて、敵陣地に入り、シュートまで持っていって得点しなければならない。残り時間は幾ばくもなく、涼に対する周りのフォローも、ない。


 自分でボールを運ぶにしろ、パスを出すにしろ、今の位置からじゃゴールは遠い。涼は、意を決してボールを蹴り始めた。


 チームメイトの足は完全に止まっている。パスを受けようにも、受けられるような位置にまで移動することも出来なさそうで、涼に残された選択肢は"敵陣に単身ドリブルで切り込み、シュートを決めて試合に勝つ"以外にない。


 シュートが打てる位置にまでいくには、少なくとも5人は敵をかわさなければならない。涼も相当に消耗しているが、それは敵も同じだ。一気にスピードに乗って置き去りにすれば、まだチャンスはある。涼は、敵が密集して壁を作る敵陣中央へと足を踏み込んだ。


 まず1人目、上半身で左右に揺さぶりをかけ、左側を抜ける仕草を見せて、急速な切り返し。右側から相手を置いてけぼりにした。


 次に2人目、乗ってきたスピードを殺さないように、足の先でボール出すように見せかけるフェイントを入れ、敵の股下にボールを通して抜いていく。


 ハーフラインを越えた辺りで、涼がドリブルで突っ込むことを感じたのか、ようやく周りのチームメイトも動き出した。それに釣られて中央で作られていた敵の壁が、左右に大きく広がり、ドリブルコースが増える。


 3人目、涼は中央から左側へと斜めに走りこみ、くるりとボールを軸に身体を回転させて逆方向へと走った。初めの涼の進行方向へと重心を傾けていた敵ディフェンスは、涼の切り返しに着いてこれずに、追いすがるように後ろから走ってくる。が、涼のスピードはすでに追いつかれはしないと確信できる程のトップスピードに乗っていた。


 敵陣の中央、あと少しでシュートレンジに入るといったところで、4、5人目のディフェンスが左右から進路を塞ぐようにして立ちはだかった。間を突っ切るわけにもいかず、かといって左右に逃げてもディフェンスのどちらかに捕まって囲まれてしまうだろう。


 涼は左に顔を向け、パスを出すフリをして1人をそちら側へ吊り出す。右側のディフェンスがそれに続き少し左側に寄ったところで、逆方向へボールを切り返し、右側ディフェンスと擬似的な1対1の状態を作り出した。さらに左右の足でボールを何度もまたぎ、どちらに突破するのかを迷わせて……滑らかにディフェンスの右側を突破。


「くそ、まだそんな動けんのかよっ」


 5人目を抜いたところでシュートレンジに入った。同時に、涼よりも一回り身体の大きいディフェンスが、横からボールを狙って肩をぶつける。涼に重い衝撃がのしかかり押し潰されそうになるが、巧みなボールさばきと重心移動、身のこなしによって涼はなんとか耐える。


「残り3分ー!!」


 チームマネージャーの声。時間はもう僅かしかない。ここで涼がボールを奪われてしまえば、チームに勝ち目はなくなる。


 1人のディフェンダーと繰り広げる駆け引きの間に、他の敵選手が近寄って来た。人数にして3人、涼は知らぬ間に4人に取り囲まれてしまった。


「おおおおお」


 涼は、全力でボールを蹴った。フィールドを切り裂いて一直線にゴールへ向かうボールは、次の瞬間にゴールネットを揺らした。


 同時に、4人のディフェンスが涼の身体の上に雪崩れ込み、


「あああ!!」


 涼の肩に激痛が走った。


 身体の大きな敵ディフェンスが、無理やりに涼の肩へ体当たりをかまし、力なく押し倒された涼は逆の肩を地面に思い切り叩きつけられた。そして、その上から4人のディフェンスの全体重がのしかかった。


 感じたことのない激痛、肩が上がらないというレベルではない、上半身を少し動かしただけで肩に鋭い痛みが走る。立ち上がることも出来ず、涼は蹲った。


 ピッ、ピィィーーー!!!


 審判がホイッスルを鳴らす。ゴールと、試合終了のホイッスルだった。敵チームの選手達は唖然としながら膝をついた。涼のチームメイトが喜ぶ中、涼は必死に激痛に耐えていた。


 倒れた涼の元に涼と同じユニフォームを着た少年が近づいてくる。


「結局最後まで、パス出さねーのかよ、独りよがり」


 言葉を吐き捨てた少年は、倒れた涼の異変に気付かず涼の元から立ち去った。そこでようやく審判が涼に気が付いた。


「ん、君、どした?大丈夫か?」


 審判の声に、フィールドにいた全員も、ベンチや観客もみんな涼が起き上がれていないことに気が付いたのだった。


 そのまま試合は終わり、涼は担架で医務室へ。医療スタッフの指示の下、病院へと運ばれていった。




 全治1ヶ月。涼に下された診断は、以外にも長い時間の療養が必要なものだった。


 先の試合の勝利で、チームは全国大会へと駒を進めることとなったが、そのチームの一員としての涼の姿はなかった。全国大会出場を決める大切な試合で、最後の最後にゴールを決めたにも関わらず、チームメイトから浴びせられた言葉は結局"独りよがり"というものだった。涼の心の中に、その言葉だけが鋭く、そして根強く突き刺さった。


 涼は、全国大会出場という経歴を残したチームを辞め、独りよがりになってしまうサッカーを辞めた。


 フィールドで独りきりだった少年は、本当に独りきりになってしまった。

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