第49話
馬車はまっすぐにアラークの家まで行き、そこでディランたちは簡単な服に着替えさせてもらった。
夜も遅いというのに、村人たちは温泉復活を大いに喜び、ディランたちを温かく迎えてくれた。
「これでまた、ドラゴンが飛び交う温泉地としてアピールできるわい」
そう言って笑った老婆の目には涙が浮かんでいた。
休憩もそこそこに、アラークはディランたちを村長の家へと連れて行き、そこで事の一部始終を話して聞かせた。どうしてドラゴンが飛び交っていなかったのかはさておき、温泉が出なかった理由やルディアーナの頑張りまで、こと細かく村長は聞いてきた。
話終わったディランに、ウィーガン村長はゆっくりと頷く。
「よくやってくれた。本当に・・・・。ルディーも怪我もなく・・・」
ここで言葉を切ると、彼は目頭を押さえた。孫のルディアーナはたまらずに祖父にしがみつく。
「ごめんね、おじいちゃん。心配かけて」
「ああ・・・・ほんとに行けない子じゃ」
抱きしめたままで、ウィーガンは顔だけをディランたちに向けた。
「あまり報酬は用意できん。まぁ温泉は入り放題だから、今晩はゆっくり休みなさい。村の宿ももちろんタダじゃ。また、明日の朝、ここに来てくだされ」
「分かりました」
ため息と共に言葉を吐き出し、ディランたちは村唯一の宿<ホットスポット>に行った。宿の主人はディランたちを見るなり、顔を輝かせ「宿代・飯代全てサービスするよ」と言うなり、ディランにサインを求めてきた。
「ちょっと、ここにサインをしてもらえないかな?」
「どうして?」
手渡された正方形の厚紙。訝しがるディランに主人はやや頬を染め、
「だって、君。君たちが有名になったときに、この宿の価値があがるじゃないかっ!」
さすが商売人。主人はディランたち4人全員からのサインをもらい嬉しそうにカウンターの奥へ引っ込んでいった。
「・・・シャンヌのサインだけで、ここ有名になるぜ?」
ルークの呟きも硫黄の匂いに紛れて消える。
個別の部屋があてがわれ、何もすることがないディランはそのままベッドに突っ伏した。
(温泉入り放題?たった今、それに流されてきたのに・・・・。まだ入るのか?)
瞳を閉じて、眠りかけたところへ、コンコンとドアを叩く音。口を開くのも億劫で、何も言わないでいると
「ディラン、起きてる?」
リビアの声にディランはベッドから飛び起きた。
「何だ?」
「みんなで温泉に行こうってなったんだけど・・・。一緒にどうかな?」
「さっき、流されただろ?」
「それはそうなんだけどね」
扉の向こうでくすくすと笑う声が聞こえる。リビアは続けた。
「ルークもいるしさ・・・。その・・・見張りをお願いしたいってのもあるのよね」
「・・・・仕方ないな」
マントを取り外そうとして、いつもと違う服装でいることに気付いた。愛用の剣はすでにベッドの横に立て掛けてある。服はすべてアラークが回収していた。明日には洗濯して返すと言っていたことも思い出す。
ディランはベッドから重い腰を上げた。そして、取っ手をつかんで引く。
茶色の瞳が優しくディランを見上げていた。自然とディランは彼女を見つめ返す。
「・・・大丈夫だったか?」
「うん・・・・」
何が大丈夫なのか、言った本人すら分かっていないことをリビアは頷いて見せる。
「・・・一人で突っ走ったら危ないだろ」
「うん・・・・ごめん・・・・」
ふっと彼女が視線を逸らした。俯く彼女の頬に髪がさらりとかかる。
「別に・・・謝ることじゃない。ただ、俺が―――」
口に出し、ディランは自分で何を言っているのか、頭の中が真っ白になっているような気がした。目の前にリビアがいる。そんな当たり前のことが、今のディランにはなぜかとても嬉しいことのように感じた。
「俺が・・・・・心配するだろ」
「えっ・・・・・」
驚き、見上げるリビア。ディランはふっと笑うと、彼女の頬を優しく撫でた。温泉よりも暖かい。柔らかな彼女の肌を手のひらで感じつつ、ディランは少し彼女に近づいた。驚きで見開かれていた彼女の瞳は、徐々に熱を帯びたように潤んだものへと変わっていく。
「・・・・ディラン」
彼の名を呼ぶと、リビアは瞳を閉じた。暗闇の中で思う。
(ディランは私のこと・・・・好きだったんだ・・・・)
幸福感が彼女の胸を満たしているころ、ディランはこの状況をどうしたら良いものかと頭の中で試行錯誤していた。目の前にはリビア。しかも瞳を閉じ、彼を受け入れようとしてくれている。
が、しかし―――
(なんで、ルークとアラークのやつが見てるんだよ・・・・・)
うまく隠れているつもりなのであろう彼らは、先ほどからディランたちの様子を物影からじっと見続けていた。丁度、ディランがリビアの頬に触れたあたりから・・・・。
(俺も迂闊だった・・・・。なんでこんなボロ宿で・・・・)
ため息が出そうになるのを懸命に耐える。疲労も手伝い、人肌が恋しくなったというだけではない。リビアだから、ディランはつい本心を言ってしまい、しかもそれを行動に出そうとしている。
(・・・あいつらさえいなければ・・・)
突き刺さるような殺気。特に赤い頭の方。
今、ここでリビアにキスしようものなら、何が飛んでくるか分かったものではない。
ディランはリビアの頬から手を離すと、彼女の肩をぽんぽんと叩いた。
「・・・行くぞ」
「えっ・・・・?え〜?!」
思わず上がるリビアの非難の声。ディランはぽりぽりと頭を掻き、ぽつりと一言。
「サルが二匹、見張ってる」
この直後、宿の2階の一角が黒く焦げたのは決して誰のせいでもない。