第35話
「・・・疲れた」
呟き、ディランはベッドに腰をおろした。カジノのホテルとは違い、硬めのベッドがきしりと軋む。
『本部』でリビアを着替えさせ、そこで宿の場所を教えてもらった。どうやらリビアが手回ししていたらしく、尋ねると「報酬くらいは貰わないと」と彼女はぺろりと舌を出した。その後、道路で待ちぼうけをしていたルークとシャンヌに合流したのだが、ディランたち二人には嵐のような文句が降りかかった。
「何だよっ!フォードが来たってのにオレはここで待機って!しかも、この町には宿が一軒しか無ぇって言うじゃねーか!それだったらオレたち、そこで待ってても良かったのによっ!」
「ディラン!!私の護衛って言ったでしょ?!そりゃ、フォードが来て慌ててたのは分かるけど・・・。でもいくらなんでも一人で行くなんて危なすぎるよっ!」
口ぐちに騒ぎ立てる二人に、ディランはどう対応したのか覚えていない。リビアもシャンヌにやたらに心配され困った表情をしていた。
シャワーで濡れた髪をタオルでがしゃがしゃとこする。隣のベッドではルークがすでにいびきをかいて眠っていた。
(フォードのヤツ・・・。リビアを狙いやがって・・・)
タオルを首にかけたまま、ディランはごろりとベッドに横になった。瞼を閉じる。祭りの太鼓や笛の音と共に、リビアが舞っていた。白い布を体に巻き付け、天使のように優しくディランに微笑んでいる。美しく、しなやかに伸びた手足。紅い唇。その唇が動いた。
『ディラン』
小さく呟き、そのまま彼女は両手を広げながらディランのもとに走り寄ってくる。彼もそれに応えるかのように、彼女の身体を抱きしめようと胸を広げた。しかし―――
彼女の身体は二人が触れるか触れないかのところで忽然と溶け消えてしまった。驚くディランの耳に声が聞こえてくる。
『おいで。リビア』
その嫌な声はフォードのものだった。彼女は声に誘われるように、フォードへと近づき、差しのべられた手に触れる。手と手を取り合い、二人はディランから遠く離れて行く。知らず、ディランはその2人を追っていた。
『待て!リビア!』
走れども、2人には追いつけない。ディランは声を限りに叫んだ。
「リビア!!」
ディランは自分の声に目が覚めた。
どうやらそのまま眠ってしまったらしい。髪の毛はすっかり乾いていたが、心臓の動悸はまだ激しく、静まり返った部屋に響くようだった。
(・・・・くそっ)
舌打ちし、前髪をかき上げる。
(フォードのやつ・・・!!)
タオルを取り、近くの椅子に放り投げた。それは椅子の背にかかることなく、カーペットの上にだらりと落ちる。
(あいつ・・・しつこいからな・・・・)
ルークのいびきがやけにうるさく聞こえた。彼を見ると、幸せそうに眠っている。むにゃむにゃと何事か言っているところを見ると、また夢でも見ているのかもしれない。
「いいよな、悩み事の無い人間は」
呟き、ディランは大きくため息をついた。
「リビア、大丈夫だった?フォードが来てたんでしょ?」
「うん・・・そうなんだ」
宿屋のもう一室でリビアとシャンヌは灯りを消し、それぞれのベッドで横になっていた。月明かりがほんのりと部屋を照らしている。
「ディランったらね、すごい顔して走ってっちゃったからびっくりしたんだ。あんなに怖いディラン、初めて見たかも。それにすごく慌ててたし・・・・ちょっとショックだったかな〜・・・な〜んて」
自嘲気味に笑うシャンヌ。しかし、その声にはいつものような元気良さは感じられなかった。
(私・・・どうしたらいいの?)
横になりながら、窓の向こうの星を見つめる。
(シャンヌはディランのことが好きで・・・・。私は・・・・?)
体を反転させ横を向くと、ちょうど隣のベッドのシャンヌと瞳が合ってしまった。
「ねぇ、リビア」
「なぁに?」
「あの、ね?」
「うん」
シャンヌはリビアの瞳をまっすぐに見つめ、やや伺うように尋ねた。
「・・・本当はディランのこと好きなんじゃない?」
「わかんないよ」
考えるよりも先に、リビアの口から言葉がこぼれた。ふいと目の前の少女から視線を逸らす。
「どうして?」
少女は尚も聞いてくる。リビアは消え入るように答えた。
「・・・7年だよ。離れすぎたんだよ。私たち。」
「でも、その7年間はディランのことすっかり忘れてたわけじゃないんでしょ?」
「・・・まぁね」
リビアは小さく頷いた。
「そりゃ、時々は思い出してたよ。今頃、どうしてるのかな、とか。これ、ディランが好きだった色だな、とかさ」
「小さい時は好きだったの?ディランのこと」
シャンヌはやけに尋ねてくる。それを煩わしいとは思わず、リビアは少女に答えた。
「たぶん・・ね。今、思えばだけどね。
私とルークとディランでいつも遊んでた。ディランはルークを泣かして、それを私が泣きながら止めて・・・・。いつも泣いてたような気がするなぁ〜」
シャンヌは神妙な顔でリビアの話を聞いていた。リビアはというと、ディランと別れたあの時の記憶が瞼の裏に蘇ってきていた。
泣きじゃくるリビアに、ディランは赤いバンダナを手渡してきた。リビアはそのお礼にと緑のリボンをあげた。その時のものは今でも大切に持っている。首に巻いているそれがそうだった。
(ディランのバンダナも・・・私があげたやつ・・・だよね)
ディランの無表情を思い出し、自然と笑みがこぼれた。
「いいな、リビア・・・」
唐突にシャンヌが口を開いた。一瞬、リビアには何を言っているのか分からず、彼女を凝視する。
シャンヌは繰り返した。
「いいな。ディランと幼馴染で。私にも、あんなかっこいい幼馴染がいたらよかったのになぁ」
「でも・・・友達とかは?王子様とかいないの?」
「いるけど・・・・」
ごろりとシャンヌは上を向く。ブロンドの長い髪が月明かりに光っていた。
「親戚に一応、それらしいのがいるけど・・・・。そんなに仲良くないって言うか、何と言うか・・・」
「はっきりしないのね」
くすりとリビアが笑うと、シャンヌはぱっとリビアのほうに顔を向けた。心なしかその表情は怒っている。
「そっちだってそうでしょ?!」
「?!」
シャンヌは言ってから「しまった」という顔をした。気まずそうに再び上を向き、ぽつりと「ごめんなさい」とこぼす。
「・・・ごめんね、リビア。つい・・・・その・・・・」
「・・・ううん。私のほうこそ・・・・ごめんね」
リビアも少女に謝ると天井を向いた。ランプの場所がかろうじて分かる。
(はっきりしない・・・かぁ・・・。それって私のほうだよね)
思わず小さくため息が漏れる。ふと隣の少女を見ると、彼女はすでに瞳を閉じていた。
(好きとか、好きじゃないとか・・・・・。はっきりしないとシャンヌは怒るんだろうなぁ・・・きっと)
ディランとシャンヌが手をつないでいた光景を思い出し、再び胸がざわついた。ぎゅっと瞳を閉じる。すると今度はディランに抱き上げられた時を思い出した。急に体が浮いたかと思うと、すぐ目の前にはディランの顔があった。深い緑の瞳がやや恥ずかしげに見えたのは、彼女の気のせいであったのかはもう分からない。
(イヤじゃなかったな・・・・。びっくりはしたけど・・・・)
この気持ちがどこから来るのか、リビアはあまり考えないようにした。考えてみても仕方がない。
(・・・明日も晴れるかな)
そのまま彼女は瞳を閉じた。