四度目の天井
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
(なんだこの娘……)
黒羽にぶつかってきた少女は、16歳という年齢の割に小さい黒羽に比べても少し小柄で、黒髪を首元あたりまで伸ばしている。大きな瞳に小さな口元はどこか少女趣味の人形を想起させ、彼女の態度からはどこか小動物らしさを感じる。そんな、まさしく童話のお姫様のような雰囲気の少女は、その可愛らしい顔を不安に歪め、黒羽にひたすら謝り続けていた。別に痛くもなかったし、むしろ自分もボーっとしていたのだから、そんなに謝らなくてもと思い黒羽は少女に返答した。
「そんなに気にしなくて大丈夫ですよ。僕も不注意でしたし。」
「……怒ってませんか?」
「うん。だからそんな謝らないでください。」
黒羽がそう言うと少女は目に見えて安堵の表情に変わる。
「よ、よかったぁ……嫌われて虐められちゃったらどうしようって思いましたぁ。」
「はは……」
少し怖がりな娘なのかなと思いながら、黒羽はこれから恐らく一年間は一緒に過ごすことになる少女に話しかけることにした。
「あの、よかったら名前を教えてくれませんか?これから自己紹介もあるかもしれないけど。」
「あ、あ、はい。わ、わたしは朝衣 麻里って言います。」
「あ、そうなんだ。僕は黒羽 廻って言うんだ。よろしくね。」
そう言って黒羽が右手を差し出すと、朝衣は少し驚いた顔をしながら、おどおどと手を差し出してくる。
「よ、よろしくおねがいしまひゅ。」
噛みながらも朝衣と黒羽は挨拶をかわし、握手をした。
「ところで朝衣さんって名前からして極亜連出身?」
「は、はいそうです。黒羽君もそうですよね……?」
極亜連、それは極東アジア民主連合の略称だ。その組織は日本を中心とした極東地域の連合国家群の総称であり、この世界の四大勢力の一つとなっている。混血や国家間での移動の自由、また交通網の発達によりこの世界においては、もはや人種や肌の色で所属国家を判断することは一部を除き難しくなっている為、名前が自分の所属を表す大きな指標となっている。
「うん、そうなんだ。僕は日本出身で、能力の発現の兆候があったから、自分の希望もあってここに来たんだ。朝衣さんはどうして?」
「あ、あの……わ、私もそんな感じです。能力が発現して、自分の希望で来ました。――――といっても私は逃げて来たって感じがほとんどだけど。」
「逃げるって?」
「い、いえなんでもないです。そ、それよりも黒羽君……?私なんかと話してもつまらないでしょ?そろそろ他の人に話しかけたほうがいいんじゃないかな?」
朝衣は再び先ほどのようなおどおどとした態度になる。しかし黒羽からしてみれば同じ極亜連出身の人ともう少し話していたかった。
「朝衣さんと話しててつまらなくなんかないよ。それにこの学園にきて一番初めに友達になった人が朝衣さんみたいな大人しい、同じ出身の人で少し安心してるんだ。ほら?ここって兵士を作る学校でしょ。だからもっと気が強い感じの人ばっかりかと――――」
「とととととととと友達!?!?!?!?」
突然大声を出す朝衣に、黒羽は驚いた。周りにいた一年生たちも何事かと黒羽と朝衣のほうに注目していた。
「と、突然どうしたの朝衣さん?もしかして何か気に障るような……」
「ほ、本当に私とお友達になってくれるの!?本当に!?」
「う、うん。というか僕はもう勝手に友達だと思ってたけど……」
黒羽がそう言うと、朝衣の目に涙が溜まりだし、ついにそれは―――――
「ううっ…うっうっ…うわぁあぁぁぁああぁあああん」
「ちょっ、朝衣さんどうしたの急に!」
突然大きな声で泣き出した朝衣にますます注目が集まる。また朝衣のような美少女を泣かせたと思われる黒羽には非難の視線も集まってきていた。
「あいつ、かわいい顔して女の子泣かせてるぜ……いったい何したんだ?」
「あの娘かわいそー。男の子もかわいい顔して結構キツイ人なのかしら。」
周りからヒソヒソとそんな話し声も聞こえてくる
「お願い!お願いだから泣き止んで朝衣さん!なんだか入学初日から僕の人間性がおかしく思われ始めてるよ!」
「うぅうう……ごめんなしゃい……でも、でも本当にうれしくて……お友達出来たの初めてだったからぁ……今日もすっごい不安でぇ……ぅうわあぁぁぁぁああん」
「ああもうどうしよう!とにかく落ち着いて朝衣さってうわああ」
突然朝衣は黒羽に抱き着く。急な行動と結構な勢いにも関わらず黒羽はがっしりと朝衣を支えることに成功した為、倒れることはなかった。しかし、女の子特有の柔らかさを感じると同時に、涙と鼻水でびしょびしょの顔が新品の制服にこすりつけられる感覚を感じた黒羽は、どこか諦めたような顔で天井を見上げた。
「はは、前途多難だなぁ……。」
ということがあって以来二か月間、朝衣は初めてできた友達の黒羽に、時々手作りで弁当を持ってくるようになった。この二か月様々なことがあったがこの弁当イベントは未だ解決法が黒羽には分からない。
「う~ん……嫌だ……まだ死にたくな……っは!?」
「ほう、やっと目覚めたか。」
黒羽の目には、見て何度目かになるバイタルルームの天井が映っている。
「良かった……今日も生きていられた……。」
「弁当ぐらいで大袈裟だなあ。と言いたいところだけど、明らかに体に起こっちゃいけない事が何個か同時に起こってるからねぇ。今回はそれを脳が処理できなくて気絶しちゃったから、むしろ苦痛がなくて助かったと思いたまえ。」
そう黒羽に説明する女性はエマ=マッケンジー。一年校舎で生徒や教師たちのバイタルケアを一手に引き受けている才媛だ。切れ長の目とブロンドの長髪、そしてその抜群のスタイルから主に男子学生からあこがれの目を向けられている。
「はは。気絶するくらいの異常を引き起こす卵焼きって、一体何なんですかね……」
「君の体からいったい何が検出されたか、知りたいかな?」
「いえ、結構です……。」
黒羽はそういうとベッドから降り部屋の出口へ向かう。
「おい、もう授業は終了している。それにまだ私は動いていいとは言っていないが?」
時間はもう四時過ぎ。既に授業は終了している。
「大丈夫ですよ。先生の力ならこの程度のダメージ、すぐ修復できるでしょう?」
黒羽がそういうと、エマは大きなため息をつき、机をこんこんと人差し指で叩く。
「――――確かにそうだ。だが、私の力は傷の修復はできても、心理的ストレスは取り除けない。今日くらいはトレーニングを休んでもいいんじゃないかな?」
彼女がそういった瞬間、黒羽の空気が変わる。
「いえ、僕は早く、強くならなくちゃいけないんです。」
「即答だな……まあいい。怪我をしたらすぐ来なさい。君の鍛えられた体を見るのは、私も嫌じゃないからね。」
「っもう!からかわないでください!失礼します!」
妖艶な笑みを浮かべながらからかうエマに対し、赤面しながらも黒羽は部屋を出る。エマは一人黒羽が出ていった扉を見つめていた。
「……すまないな、黒羽。」