捜査編
救急隊は来たところで既に手遅れであった。被害者は既に事切れていた。間もなく警察が到着し、黒石警部主導の下、現場検証が始まった。そして、この捜査には関係者として羽黒祐介も参加することになった。
検死官が到着すると、司法解剖に出さなければはっきりしたことは言えないなどと呟きながら、青酸カリによる毒殺であることだけは断言した。そして、青酸カリの反応を確かめる為に店の物や容疑者の持ち物検査が行われた。
その結果、被害者が口にした珈琲の中に青酸カリが混入していたことが発覚した。また、被害者の座っていたテーブルの上に置かれた珈琲用のミルクと角砂糖からは青酸カリの反応は出なかった。珈琲カップに添えられたスプーンからも青酸カリの反応は出なかった。当然、被害者の持ち物であるガムや煙草からも青酸カリの反応は出なかった。
「結局、青酸反応が出たのは、珈琲そのものだけか。この珈琲を触ったのは被害者とあなただけですか?」
黒石警部がじろりと店主を睨みつけると、店主はギョッとしたように縮こまった。
「そうですね……」
「もうひとりの客は被害者の珈琲には触らなかったのですかな?」
「………、触りませんでした……」
「もうひとりの客が座っていた席は? あの席ですか」
神奈川からやって来たという客の座っていたテーブル席を見る。そこには、サンドイッチが乗っていた皿と飲みかけの珈琲が残されていた。
「大分距離があるな。あの男が、あそこに座ったままで、あなたに気づかれずに珈琲に毒を入れるのは不可能でしょうな」
「そう、かもしれせん……」
「不可能ですよ」
黒石は言い切った。
「ということは当然ながら、珈琲に毒を入れることができるのは、あなただけですな。署まで同行願えますかな?」
黒石は凄まじい顔つきで、店主を睨みつけていた。店主はもはや、ものが言えずに呆然としていた。
*
しかし、第一発見者をすぐに署に連行すると、現場検証が進まなくなるし、用事の度にいちいち連れ戻すのは山の中のことで不便なので、店主ともうひとりの客は、一先ず外に止めてあるパトカーの中で休んでもらうことにした。
「あの店主の犯行に間違いないな。祐介君、君が出るほどの事件ではなかったようだ」
黒石は満足げに祐介に言った。しかし、祐介は納得していないらしく、首を少し傾げた。
「おかしいですね。この事件はそんな簡単なものではないはずです」
「なんだって……?」
「あの店主は、自分の店で、自分にしか毒を混入できないような状況で、他の客もいる時に犯行を行ったことになりますね」
「それは、まあな……」
「僕はこの点がどうも不自然だと思います」
「突発的な犯行で、ものを考える余裕がなかったんじゃないか?」
「青酸カリはそんなどこにでもあるようなものではありませんよ。これは、殺害方法から言って、間違いなく計画犯罪です」
「うん、まあな……」
黒石は祐介の言うことはよく分かる。しかし、そうなってしまうと、犯人はもうひとりの客だということになってしまう。もしそうだとしたら、あの客はどんな方法で、触れていない珈琲に毒を混入させたというのだろう。
「そんなことは不可能だ……」
思わず、黒石は心に思っていることを呟いた。それをすぐ、祐介が対応する。
「不可能ではありません。絶対に何らかの方法があるはずです」
「青酸反応が出ているのは、被害者の珈琲だけなんだぞ」
その直後、被害者の持ち物検査で、被害者は富岡晋二という名前で、職を転々としている男だということが分かった。この頃は転職活動中で、非常にお金に困っていたことが、富岡の住んでいるアパートの大家からの情報からすぐに分かった。
もうひとりの容疑者の男は、襟山隼雄という名前の、神奈川在住の男で、今までずっとバーテンダーをしていたが、最近勤めていた店をクビになって、新しい店を探している最中、貯金を切り崩してこんな旅に出てきたということであった。
ふたりの男を繋ぐものはすぐには見えてきそうもなかった。今は動機から探るよりも、殺害方法を分析する方が手っ取り早いだろうと祐介は思った。
「重要な事実ですが、電話が通じなかったという店主の和辻行彦の供述がありますが、電話は壊れていたのではありませんでした」
黒石は、部下の報告を受ける。
「なんだったんだ」
「電話線が切られていたんです」
「電話線が切られていた……?」
このことが、一体何を意味するのか、黒石は分からなかった。
「なんで、電話線が切られていたんだ?」
「さ、さあ……」
困ったように部下が首を傾げた。
「祐介君、君はこのことをどう考える?」
「電話線を切ったのは犯人だと考えるのが妥当でしょうね」
「だが、何のために……。救急の到着を遅らせる為か……? しかし、青酸カリは即死だからな」
「ええ」
祐介は何か思うことがあるらしく、それだけ言って、後は黙って、被害者のテーブルの上に残された、並々と残された青酸カリ入りの珈琲と、水滴を残した空のコップと、被害者がもがいた時に溢れて転がりだした角砂糖を見つめていた。
*
店主、和辻行彦は死体が運ばれた後に、もう一度、現場に戻ってきた。それは、祐介の要望によるものであった。
「私があなたにお聞きしたいのは、この現場の状況です。何かお気づきのことがないかと思って、あなたを呼びました」
「自分の容疑を否認する為であれば、何でもします」
「あなたに確認していただきたいものがありまして。厨房に行きましょう」
「はい」
黒石は、祐介が一体何を始めようとしているのか、非常に気になった。
「数えていただきたいものがあります」
「何でしょうか」
「コップの数です」
「コップの?」
言われた通り、店主の和辻は店のコップの数を数えた。
「おかしいですね。ひとつ足りません」
「そうですか」
祐介はうなづいた。そして、黒石の方に振り返る。
「黒石さん」
「なんだって、コップがひとつ足りないとかって……」
「ええ、これでこの事件の謎は全て解けました。おそらく、物的証拠もすぐに見つかるでしょう」
「本当かよ。やっぱり、あの、襟山って客の犯行だったのか?」
「ええ」
「でも、どうやって……」
「では、今から真相をお話ししましょう」
祐介はそう言うと、何か思うことがあるらしく、テーブルの上の毒入り珈琲をじっと見つめていた……。
*
さあ、手がかりは全て提出された。
最大の手がかりは、何気ないシーンにある。
犯人はいかにして被害者を毒殺したのだろうか……?




