洋菓子店の経営事情(3-2)
午前一時。
日中は祭りに沸く鳴明街も、すっかり眠りについた時間。
新たな戦略の準備を進めるスタリナには、明かりが灯っていた。
明日の下準備を終え厨房から出てきた店長は、事務室の前で足を止める。
少し迷ってから扉をあけた。
事務室にはキッカが一人。
ノートパソコンを開き、キーボードと紙のノートを器用に操っていた。
「……ん? あ、お疲れ、だよ?」
視線に気付いたキッカは手を止め、軽く伸びをしながら言った。
「いえ、そちらこそ」
店長はお茶のひとつでも用意しておけばよかったかなと思いつつ、仕事の話をする。
「間に合いますか?」
「うん、もう終わった、よ?」
「……頼りになります」
全国展開。
つまりは、配達サービス。
距離的な問題でスタリナに足を運ぶことが出来ない人にも、商品を提供しようというアイデア。
「コストの問題は、どうしましたか?」
「常連さんの、中に、運送業者さんが、いた、よ?」
安く請け負ってくれるとのこと。
「上手く行くでしょうか」
「大丈夫、だよ」
キッカの声に、しかし店長は浮かない表情をする。
このアイデアは、言わば真っ向勝負。
彼女達の魅力に助けてもらうことは出来ない。
評価の全てが彼の作るケーキにかかっている。
「頑張ろう、ね」
グっと両手を握りしめて、店長を見上げる。
「ええ、頑張りましょう」
ただ一言、頷いた。
それから数秒の間、二人は無言でお互いを見ていた。
話たいことは山ほどある。
だけど何から切り出そうか。
迷った末、先に口を開いたのは店長だった。
「……帰りましょうか」
「……うん」
しっかり戸締りをして、揃って店から出た。
この街の夜は、昼とは打って変わって星が見える程に暗い。
二人は立ち止まって、空を見上げた。
「綺麗、だね」
「ええ。毎日見ています」
「……月は、見えない、ね」
「けれど、あの辺りの星は、三日月のような形をしています」
「そう、かな?」
自然と、会話が弾んだ。
「星も、いい、ね」
「あまり、見ませんか?」
「うん。向こうでは、月を見てた、よ?」
「……ええ、自分も、よく見ていました」
「綺麗、だよ、ね」
初めて、昔の話をした。
ここから発展させることは、きっと容易い。
「……行きましょうか」
「……うん」
少し肌寒い空気を感じながら、二人は歩き始めた。
道を照らすのは星明りだけ。
それでも迷わない程度には、道を覚えていた。
三ヶ月の間、ほとんど毎日一人で歩いた道も、二人で歩くと少しだけ景色が変わる。
無意識に、視線が泳ぐ。
「キッカさん」
彼は、足を止めた。
二、三歩前に出たところで、キッカは振り返る。
「今迄、ありがとうございました」
ずっと言いたかった一言が、ようやく言葉になる。
「……沢山迷惑をかけて、ごめんなさい」
短い言葉の中に、多くの思いがあった。
長い時間と共に蓄積された思いがある。
それは、誰よりも近くにいた彼女にこそ伝わるものだった。
だから彼の拙い言葉は、それ以上無い言葉だった。
「いまさら、だよ」
彼女の返事もまた、これ以外には存在しない。
「……ええ、そうでしたね」
そう言って、彼は微笑んだ。
彼女もまた、笑顔を浮かべた。
二人の間に、これ以上の言葉は必要なかった。
「それでは、明日からまた、頑張りましょう」
「ううん、違う、よ?」
一歩、キッカはナーダに近付く。
「明日から、大逆転、だよ?」
あの頃と同じ表情で、言った。
もちろん、何もかも変わってしまった。
きっとお互いに、たくさんの失敗をした。
ずっと後悔していた。
まだ不安はある。
いくつもある。
だけど今夜は、前を向こう。
「少し違います」
「ん?」
「もう、日が変わっていますよ」
「そういうの、よくない、よ?」
それから二人は、くだらない話をしながら、夜の道を並んで歩いた。