洋菓子店の経営事情(3-1)
「それでは、先日の売り上げを発表します」
土曜日、定例ミーティング。
狭い事務室が、かつてない緊張に包まれる。
ここ数日、彼女達の働きによって売り上げが急増した。
宣伝効果によって客足は絶えず、
店長を呼べ! などの問題も発生しなかった。
もうひとつの懸念材料として食材の枯渇があったが、キッカさんの手腕によって杞憂に終わった。
売り上げ祭り。
今、ひとつの目的に向かって団結している。
だから、まるでコンテストの受賞者を発表するかのような緊張感が漂っていた。
その空気を前に息を飲み、ゆっくりと息を吸う。
「先日の売り上げは、56万9540円でした」
手に持った書類に刻まれた数字を読み上げた瞬間、時が止まったような気がした。
大きく目を開いた結城さん、小さく口をあけた矢野さん。
微笑む華と、キッカさん。
四人の姿が、切り取られた一枚の絵のように見えた。
「さっすが店長さんです! すごいです! すごすぎます!」
「いやいや、みくのおかげだし」
「はい! 矢野さんも頑張りました!」
「……おぅ、たりめぇじゃん」
なんというか、この二人のやりとりも誇らしい気分で見られる。
「これで、あの外人さんにも勝てますね!」
…………。
「あ、あれ?」
困惑する結城さんから目を逸らし、キッカさんに目を向ける。
「このままだと、勝てない、よ」
「な、なんでですか……?」
結城さんの疑問に、キッカさんが厳しい表情で答える。
華と矢野さんは静かにその話を聞いていた。
簡単に言えば、ダニーの経営するゼアレクとスタリナでは、規模が違うということだ。
仮に、お互い開店から閉店まで満席だったとしても、売り上げには差が出てしまう。
追い抜くどころか、差の広がり方が小さくなっただけ。
悲しいかな、それが現状である。
実際、毎日更新される順位発表の上位に名を刻むゼアレクと違って、スタリナは下位というほどでは無いが微妙な位置にある。
「……どうしようもなくね?」
話が終わると、矢野さんが苦笑いと共に言った。
「……はい、どうしようもありません」
「いやいや、お前は堂々としてろし」
「どうしようもありませんっ」
「そうじゃねぇよ! なんか考えろし!」
前にもこんなやり取りをしたような気がする。
さておき、本当にどうしようも無いのだからどうしようもない。
どうしよう。
「簡単、だよ?」
どこか停滞した空気を打ち壊すようにして、キッカさんが声を上げた。
「お客さん、を、奪えばいい、よ?」
「なにそれ、あっちの食べ物に薬でも入れんの?」
「矢野さん! 犯罪です!」
「冗談だし」
「……いえ、バレなければ……」
「華さん!?」
「いっそ丸井家の財力を……」
「それは、やめてください」
思わず口を挟んだ。
華があまりにも真剣な表情だったから、冗談に思えなかった。
「大丈夫、だよ」
落ち着いた様子で、キッカさんが続ける。
「てんちょのケーキ、食べれば、他のケーキ、食べられない、よ?」
「それ前も聞いたし」
呆れた様子の矢野さんとは対照的に、キッカさんは得意気な表情。
……いやその、此方を見られても困ります。
「てんてんは、何か案をお持ちではないのですか?」
「明確な案はありませんが、資金に余裕が出来たので、それを使って何か出来ないかなと」
返事をすると、華は思案顔で目線を落とした。
「お店を大きくするとかですか?」
「それ工事だけで祭り終わるっつうの」
「い、言ってみただけですよ」
的外れながらも、次々と意見を言える結城さんのような存在はありがたい。
彼女の言った言葉が、何かのヒントになるかもしれない。
たとえば即座に否定されるような当たり前のことだが、店に手を加えるのは無理だと確認できた。
それを踏まえて別の案を考える……ダメだ、何も浮かばない。
ふと彼女達に目を向けると、やはり何かを考えている様子だった。
自分も、もう少し考えよう。
宣伝して祭りの終わりまで客足が途絶えなかったとして、それでは現状と変わらない。
ゼアレクから客が離れるようなことがあれば別だが、それは考え辛い。
キッカさんが言ったように、自分の作るケーキで客を奪う?
いやいや自惚れるな、自分にそんな力は無い。
「……ごめんなさい。電話、お父様からです」
といって、華が制服のスカートに取り付けられたポケットからケータイを取り出した。
頷いて、事務室から出る華を見送る。
スタリナでは、バイト中にケータイを所持する事を禁止してはいない。
単純に、彼女達を信用しているからだ。
華が事務室から出た後、再び沈黙の時間が始まった。
開店まで三十分ほど残っているが、やはり案は出そうに無い。
赤字を減らすために、ゴミを極力出さないとか、より安い食材や調理器具を調達するとか、そういったことは既にキッカさんが実施している。
だから考えなければならないのは、飛躍的に売り上げを伸ばす魔法のようなアイデアなのだ。
そんな案が簡単に出るなら、誰も苦労はしない。
「……」
何か、とりあえず何か言おうと口を開けた時、ものすごい勢いで扉が開いた。
「華さん? どうしたんですか?」
「……これしかありません」
その声を聞いて、自然と期待が高まる。
それは他の三人も同じで、満面の笑みを浮かべた華に視線が集中した。
期待を一身に受けた華は、堂々と宣言する。
「全国展開です!」