洋菓子店の経営事情(2-4・前)
「うぅぅ、緊張します」
「真帆、大丈夫ですよ」
祭りで賑わう鳴明街の、その中でも最も人が多い場所に、二人は立っていた。
店の制服を着て、両手にはケーキを入れた箱が入ったビニール袋を持っている。
彼女達の耳に歓声が届く。
今人気のアイドルが簡易ステージに現れたのだ。
地元の人だけでなく、外からも訪れたファンが所狭しと集まり、凄まじい熱気と共に地鳴りを生む。
「では、行きましょう」
「……本当にやるんですか?」
「大丈夫です。話は付けてあります」
宣伝。
その為に華が提案したのは、とても大胆な方法だった。
「持てる力の全てを使って、彼に尽くします……むふふ、例の小説の決め台詞はこれで決まりですわ」
「……華さん?」
幸せそうな笑顔を浮かべる華の背に隠れて、真帆が歩く。
簡易ステージの裏側に入った二人は、まずスタッフに挨拶した。
「本日は、無理な依頼を通して頂き、感謝いたします」
丁寧に腰を折る華に合わせて、真帆も慌てて頭を下げる。
「いえいえ、街を盛り上げる為のイベントですから」
「ありがとうございます」
気の良いスタッフは、上機嫌に返事をした。
「それにしても、君達可愛いね。どう、テレビとか興味ある?」
「いえ、遠慮しておきます」
そんな雑談をしていると、ステージから合図があった。
「真帆、準備はいいですか?」
「は、はい!」
見るからに緊張した真帆が、手に持ったビニール袋を握りしめる。
華はそんな真帆の手に自分の手を添えた。
「ねぇ真帆」
「……はい」
「テレビ、そう言ったのは真帆ですよ」
「緊張を解してくれるんじゃなかったんですかぁ!?」
涙目になる真帆の手を引いて、華はとびきりの笑顔で歩き出した。
そして、お店の宣伝をする。
「皆さん! 今日は鳴明街にお越しくださり、ありがとうございます!」
「まーす!」
わぁぁぁぁ、と、気の良いファンが声援で応える。
もちろん、彼女達が現れる前にアイドルがファンに説明をしている。
それを差し引いても、大きな声援だった。
それはきっとこの祭りに、そして彼女達に魅力があったからだ。
「それでは! この街に店を構える洋菓子店スタリナからの、挑戦状です!」
「でーす!」
これは華が数分で考えた程度の、簡単なイベントだ。
この祭りに合わせて訪れるアイドルのステージにお邪魔して、ケーキを宣伝しようというもの。
アイドルは五人の男性グループで、それに合わせて机が五つ。
客席から五人をステージに呼び、アイドル達には見えないようにしながら、机の上に普通のケーキとスタリナのケーキをひとつずつ置いてもらった。
「それでは! どちらがスタリナのケーキか当ててください!」
「ください!」
まるで熟練の司会者のように、華がイベントを進行する。
「美味しい方が、スタリナのケーキですよ?」
そして――二つのケーキを食べ比べた五人は、迷うことなくスタリナのケーキを言い当てた。
「あれ、今日はキッカちゃんだけなの?」
「はい。皆は、別の、お仕事、だよ?」
「そうなのか。じゃあ、いつもの頂戴」
「はい。アイスコーヒーと、いちごのショートケーキ、だね」
「いや、ケーキは頼んでないよ」
「オススメ、だよ?」
「……じゃあ、いただこうかな」
開店直後、訪れた常連客達は、それぞれ目を合わせると困ったような表情を浮かべた。
彼らは、いつも飲料品だけを注文し、いろんな意味で満足してから帰る。
……まぁ、今日くらいはいいか。
それがケーキを押し売りされた常連客達の考えだった。
そして、キッカはショーケースからケーキを取り出し、彼らの机に運んだ。
……地味だ。
そう思いながら、彼らはケーキを口に運ぶ。
「……っ!? うますぎる!!」
未来は、大学に行った帰りに妹の元へ訪れた。
「お姉さま! このケーキはお姉さまが作ったんですか!?」
「いや、ちがうよ?」
「くぅぅぅぅ! 流石お姉さまです!」
「だから、ちがうよ?」
「智花に教えてきます!」
「ちょ、だからちがうよ?」
「これ友達に配ってきますね!」
「だーら! ちげぇっつうの!」
未来が持っていた大量のケーキを両手に抱え、未香が走り出す。
「転んだら大変だろ!」
「だいじょーぶですー!」
彼は作業台の前で目を閉じていた。
作業台の上には、大量の材料と調理器具が綺麗に並べられている。
まだ開店したばかりで、今朝用意した在庫が無くなるまで数時間はかかるだろう。
だが、きっとこれから忙しくなる。
その為には準備が必要だ。
彼は頭の中でいろいろな事を考えながら、そっと長い息を吐く。
やがて目を開くと同時に、小さく笑った。
「……始めよう」