洋菓子店の経営事情(2-3)
あの後、出来上がった生クリームを生地に塗って、冷蔵庫に入れた。
それからクリームが固まるまでの間、話をしようということで事務室に戻った。
狭い事務室、数分前と同じ光景が目の前にある。
だけど、どうしてか同じには見えなかった。
「それでは、再開しましょう」
数分前と同じように、音頭を取る。
「すみません、何の話でしたか?」
数分前も同じことを考えたような気がする。確か、お菓子を作っていたら皆が現れて、作戦会議とのことで事務室に行って、何をするか尋ねたら結城さんが……。
「店長さんのケーキは、やっぱり世界一でした!」
当の結城さんに目を向けると、こんな言葉が眩しい笑顔と共に返って来た。
「……恐縮であります」
「そんなことないであります!」
ピシっと敬礼。なんとなく、此方も敬礼を返す。
「コントしてねぇで要件言えチビ」
「店長さんは矢野さんより大きいですよ!」
「そっちじゃねぇし……」
口が裂けても言えないが、真帆さん説明を要求するのは酷なのだと、最近理解した。
となると……
「……はぁ、はぁ、てんてんと、関節、キッス……はぁ、はぁ……」
華から目を逸らして、キッカさんに目を向ける。
「ダニーに、勝つ、よ!」
「勝つ、というのは?」
「お客さん、取り返して、ぎゃふん、だよ!」
なんだか活力に満ち溢れている。
売り上げ祭りに参加すると言った時の、何処か無理をしているような雰囲気も感じられない。
いったい何があったのだろう。
……矢野さんの呼び方が変わっていたけれど、それと関係あるのかな?
「その為の作戦会議、ということでしょうか?」
「そう、だよ!」
キッカさんの言葉に頷いて、他の三人に目を向ける。
いつのまにか、彼女達は話を止め、此方に目を向けていた。
ふと、疑問に思った。
どうして彼女達は、こんなにも協力的なのだろう。
思い浮かぶ過去の記憶、自分は迷惑をかけてばかりだ。
彼女達の事情に触れた時だって、無責任な言葉をかけただけ。
「宣伝、しよ?」
「宣伝……テレビですか!? わわわっ、ちょっと恥ずかしいですっ」
「真帆、違います」
「普通にチラシとかっしょ? でもアレって効果あんの?」
意見を出し、話し合う彼女達を見て、距離を感じた。
……いや、いまさらだ。
今迄だって、お店のことは彼女達に任せきりだったのだ。
自分に出来るのは、やはりケーキを作ることだけ。
ここに居るよりも、先程の感覚を忘れないうちに練習をした方がいいような気がしてしまう。
「もっといい、方法が、ある、よ?」
「どんな方法ですか?」
「てんちょ、のケーキを、たくさんの人に、食べてもらう。食べた人、は、他のケーキ、もう食べられない、よ?」
「さっすがキッカさん! すごいです!」
「いやいや落ち着けし、過大評価し過ぎだから」
「そんなこと言って矢野さんだって美味しそうに食べてたじゃないですかー」
「それとこれとは別問題っつうか……」
「私も賛成です。この先てんてん以外に食べられることなんて考えられません」
「おい、なんかおかしかったぞ」
「気のせいですわ」
「……ほら、あんたも何か言ったら?」
唐突に話が飛んできて、少しだけ慌てた。
「その、自分は……」
彼女達の視線が集中する。
妙な緊張感を覚えながら、やはりこれ以外に無いという言葉を選んだ。
「自分は、自信がありません」
俯いて、少し間を置く。
返事は無かった。
代わりに、言葉を続ける。
「先程の生クリームは、まぐれというか……長い間、美味しいケーキが作れていません」
結城さんが何か言いかける雰囲気を感じたが、声は聞こえてこなかった。
流石に、空気を読んでくれているらしい。
「しかし、皆さんの期待には応えたいと思っています」
その先の言葉は続かなかった。
何を言いたいのか、伝えたいのか。
自分にも分からなかった。
顔を上げると、優しい表情で見守ってくれている皆の姿があった。
そうだ、自分はこれに応えたい。
その為に出来ることは、たったひとつなんだ。
「少し時間をください。
必ず美味しいケーキを作れるようになります。
安定した商品を作れるようになります」
だから、
「少しだけ、待っていてください」
返事を求めてはいなかった。
だって、彼女達が首を横に振る姿なんて想像出来なかったから。
「嫌です」
「みくも」
「私も、嫌、だよ」
「じゃ、じゃあ私もっ」
頭が真っ白になった。
「……なぜ」
みっともなく理由を求めた。
それに答えたのは、華だった。
「言ったばかりではありませんか。一人で頑張るのは止めてくださいと」
「しかし、それでは皆さんに迷惑が」
「迷惑だなんて、誰も思っていませんよ」
またしても、強い衝撃を受けた。
「てか、そんなこと気にしてたのかよ」
呆れたような溜息と共に、矢野さんが髪を弄りながら言う。
「迷惑とかお互いさまだし。つうか、ちょっとみく達を頼ってもいいんじゃねぇの?」
「そうです! 私だっていつも店長さんにお菓子作りを教えてもらってるんだから、何かお礼がしたいです! 遠慮しないでください!」
「お前はちょっと遠慮しろし」
……どうして。
そう思ってキッカさんに目を向けると、彼女はただ頷いた。
「しかし、自分は、そのせいで、友人の未来を奪ってしまった」
「あのさ、それキッカから聞いたけど、あんた別に悪くないじゃん」
「そんなことは」
「つうか、そうやってうじうじされてる方が迷惑だし」
「……すみません」
どうして彼女達はこんなに優しいのだろう。
これでは、甘えてしまいそうになる。
「てんちょ、私は、頼ってほしい、よ?」
「……キッカさん」
良いのだろうか。
「てんてん、遠慮なく、頼ってください」
彼女達を頼っても、良いのだろうか。
「店長さん! なんでも言ってくださいね!」
自分は……。
「……分かりました」
何が分かったのかと問われたら、きっとまだ答えられないと思う。
ただ、彼女達をちょっとばかり頼っても良いのだと分かった。
華は言った。
どうすればいいのか分からないという自分に、頑張るしかないという答えをくれた。
応援すると言ってくれた。
そして、一緒に頑張ると言ってくれた。
だからもう、一人で頑張るのは止めよう。
自分勝手でも、無責任でも、支えてくれると言ってくれる人に背中を預けてみよう。
せめて、一人で立てるようになるまで。
「では、皆さんにご相談があります」
今迄よりずっと心強い店員達に向かって、店長としての言葉を告げる。
「……実は、今朝材料を浪費したせいで、まったく余裕がありません……ので、宣伝は難しいと思います」
情けない声に、彼女達は苦笑いで答えた。
自分も一緒になって、自嘲気味に笑う。
「では、どうすれば良いか考えましょう」
パンと手を叩き、華が音頭を取る。
それから数時間の間、ああだこうだと話し合った。
そして翌日。
いつものように制服に着替えた彼女達に向かって、言う。
「それでは皆さん、宜しくお願いします」
彼女達はそれぞれの表情で返事をした。
そして、一歩前に出た結城さんが元気良く言う。
「店長さんも、頑張ってくださいね!」
その言葉で緩みそうになる口元を引き締めて、やっぱり頼りない声で返事をした。
「はい、頑張ります」