洋菓子店の経営事情(2-0・後)
……紅茶うまい。
当然というか、同じマンションだから内装は隣の部屋とほぼ一緒。
紅茶うまい。
FXで全財産溶かしたみたいな顔したキッカさんは、みくに紅茶を提供してから一言も喋らない。
マジで紅茶うまい。
て、違うし。紅茶飲みに来たわけじゃねぇし。
けど……えぇぇ、こっちから話ふんの?
いやいや、もうみくの仕事終わりじゃん。
あとはあっちが赤裸々に何か言ってくれれば終わりじゃん。
そうそう、授業でも言ってたし。
生徒の悩みを聞くときは、焦らず待つべしって。
……みくもう三十分は待ったよ?
「……あのさ」
「……はい」
反応はやっ。
なにその、みくが話を始めるの待ってました、みたいな。
……えぇぇぇ、たくっ、しゃーない。
「あいつ、なんで倒れたの?」
「……精神的な、問題、だよ?」
「何があったの」
「……」
だんまりかよ。ここまで来たんだからさっさと話せし。
まぁ、そういうわけにもいかないから、重たい問題っていうか、こうなってるんだろうけど。
「あのさ、言ってくんなきゃ、みく何も分かんないよ」
「……ごめん、なさい」
「いや謝らなくいいから話せし。ゆっくりでいいから」
まーた俯いちゃったし。
「……どうして?」
「なにが?」
「……やっぱり、彼が好きだから?」
「は?」
何言ってんのこいつ。
「こんなこと、普通、関わりたくない、よ?」
「いや、そもそも関わりたくないって思えるほど事情を知らねぇっつの」
「なら、どうして?」
「……それは」
ただ貸しを返すだけ。そう言おうとして、少し違うと思った。
……なんでこんなに気になってんの?
そりゃ、知ってる人が倒れるんだから、気にならない方が人間としておかしいと思う。
だけど、そういう次元じゃないっていうか、何か、力になりたくてムズムズするっていうか……。
「ああもう! んなこといいじゃん! とにかくあんたは話せばいいの! みくの話はそれから!」
むしゃくしゃして叫んだ。反省はしてない。
キッカさんは驚いた様子で、目をぱちぱちしてる。
「ほら、さっさと聞かせてよ」
強引に続ける。これ逆の立場なら絶対ヤダなって思うけど、みくは悪くない。
キッカさんはポカーンとしたままみくを見て、そのうち俯いた。
……またダメか。
「……少し、長い、よ?」
いやダメじゃなかったわ。
はぁ、なんでホッとしてんだろ。
「べつに、時間たっぷりあるし」
一呼吸おいて、
「……彼と……ううん。ダニエルさんと、ナーダは、同じ学校で、同じチームだった、よ?」
「ダニエルって、あの外人でしょ? ナーダって、まさか」
「てんちょ」
うっそだろ純日本人かと思ってたわ。
「……私達は、同じチームで、頑張ってた」
ゆっくりと、話が始まる。
と思ったら脱線に次ぐ脱線で、なかなか聞きたい話が出てこない。
思い出話とか興味無いと思ってたけど、嬉しそうに語る表情とか見てたら、まぁ聞いてやってもいいかなとは思える内容だった。
ただ、話が終わりに近付く雰囲気と共に、その表情が曇り始める。
「――その時、雷が落ちた。すごく大きくて、建物が揺れた、よ」
キッカさんが、大きく息を吸う。
ごくりと、みくは息を飲む。
「そしたら、ナイフが落ちて、ダニエルさんの腕に……」
……なんだそれ。
「ダニエルさんは、右腕が不自由に、なった。ナーダは、責任を感じた、よ」
「……いやいや、事故じゃん。あいつ何も悪くねぇだろ」
「そう、だよ。だから、私のせい、だよ」
「はぁ?」
「物の扱い、は、厳しく、教えた。そのせいでナーダは、すぐに片付けなかったことを、せめた」
半端なカタコトのせいで、途切れ途切れに言ってるのが日本語のせいなのか、内容のせいなのか分からない。
たぶん両方なんだろうけど。
その後も、話は続いた。
精神的に不安定なあいつが、日本でこの店の店長になるまでの話。
「でも、彼は最近、昔みたいに、戻ってた。もう少しって、思ってたのに……」
正直、全部の話を聞いても「ふーん」って感じ。
でも、あいつが倒れたことだとか、目の前にある涙だとか、そういうの見ちゃうと、なんか。
「だから、あんなマジだったの?」
「……まじ?」
「本気ってこと。売り上げ祭りだか何だか知んないけど、なんか、熱くなってたじゃん」
「……うん。マジ、だった、よ」
俯きながら、小さい声で言った。
「じゃあ、最後までやれよ」
「……」
「あのさ、そういうのイラつくんだけど。言いたいことあんならハッキリ言えよ」
言いながら、おまえが言うなって思った。
結局あの時、みくは自分からは何も話さなかった。
「じゃねぇと、こっちは何も出来ねぇだろ」
だから逆の立場になって、それを痛感する。
「……ごめんね」
グッと歯を食いしばって耐える。
ほんと、こんなにイライラするなんて思わなかった。
「……私は、怖い。私には、もう」
「怖いから、何もしねぇの?」
こくり、小さく頷いた。
「……みくは、そっちのが怖いと思う」
言いたい事は分かる。
ボロボロになったあいつをずっと傍で支え続けて、もう疲れちゃったんだと思う。
でも、
「みくが何かに必死だったとして、最後の最後で事故ったらマジ萎えると思う。でもさ、やってきたことが無駄になるわけじゃねぇし……てか、無駄にしたくねぇじゃん? アンタだってそうだろ」
「……でも、怖い、よ」
「何がそんなに怖いんだよ」
「……また彼が傷付くのが、怖い、よ」
「バカにすんな!」
初めて、大きな声が出た。
そう思った時には、もう止まれなかった。
「あんた、あいつのことナメ過ぎだから。アンタが見てきたあいつが、どんだけ苦しんでたなんて知らないけど、みくの知ってるあいつは、そんなに弱くないから」
「……なら、彼が笑っているところ、見たこと、ある?」
「ねぇけど……」
「ナーダは、いつも、笑ってた。でも、あれから、一度も、見てない、よ」
確かに、ついさっき聞いた話に出てきたナーダと、みくの知ってる店長の姿はまるで違う。
それが例の事件で受けたショックによるものなら、そりゃ昔の姿を知っている側からしたらたまったもんじゃないかもしれない。
でも、そんなのみくからしたら知ったことじゃない。
「だから、あいつはまだ苦しんでるって、そう思ってんの?」
ギュッと口をつぐんで、頷いた。
「あのさ、そんなの当たり前じゃん。よく分かんないけど、なんかを乗り越えようとしてんだろ? だったら苦しいなんて当たり前じゃん。さっきみくにあいつのこと好きかって聞いたけど、それはあんただろ。あいつのことが好きなんだろ。だからそんなに辛そうなんだろ。ふざけんなよ。一緒になって暗い顔してどうすんだよ! 一人で悩んで、その間にあいつがダメになったらどうすんだよ!」
そうなったら、もう、どうしようもない。
それは、みくが一番よく分かってる。
「時間が解決するって思ってんなら、それ間違ってるから。だから、先輩として教えたげる。後悔する前に、ちゃんと話をしろ。怖いかもしんない。でも、話も出来なくなった時の方が、ずっとずっと怖いんだからな!」
こんなに感情的に声を荒げたのはいつ以来だろう。
それくらい、今のキッカさんを見ているとイライラした。
まるで昔の自分を見ているみたいで、たまらなかった。
みくがぜぇぜぇしていると、俯いたままだったキッカさんはようやく顔を上げた。
そして、不思議そうにみくを見ている。
言いたい事を言い切った後で、次の言葉が出てこない。
どうしようか。
「……あのさ、だから……なんつうの?」
小さく息を吸って、
「みくも手伝うからさ。それと、あのエセお嬢様と、多分あのチビも……あとあんたを含めて、四人。四人もいれば、どうにかなりそうじゃん?」
キッカさんは、やはり不思議そうな顔をしていた。
そのままじーっとみくの方を見て、やがて、何か憑き物が取れたかのように、ふっと息を吐いた。
「……矢野さん、は、強い、ね」
「みくでいいよ。キッカ」
「……ありがと、みく」
「気にすんな。ただ暇なだけだから……いや違う。ちょー忙しい。だからこれ気まぐれだから。もっと感謝しろよな?」
「……うんっ」
力強く、頷いた。
「……私、本当はずっと、頑張りたい、と、思ってた、よ。だけど、怖かった。今でも、怖くて、怖くて、逃げたい、よ……だから、手伝って、くれますか?」
くれますか? だってさ。
このエセカタコト女の丁寧語、初めて聞いた気がする。
「だーら、そういったじゃん。バーカ」
それから、こいつの笑顔も、初めて見たかも。