洋菓子店の経営事情(4)
「わぁ! 見て真帆! これすごい! お花だよお花!」
「……こんなの、最近は3Dプリンターを使えば簡単に作れるんだもん」
「すっごく綺麗……美味しそう!」
「……機械が作ったお菓子は、細かい所が細かい所でとにかく細かくて細かいから店長さんのケーキの方が美味しいもんっ」
「あはは。でも真帆の店いっつも満席だからなー」
「ここだって、一時間くらい待ったじゃん」
「ごめんね。待つの嫌いだった? ほら、この白いとこ、クリーム? あげるから。あーん」
「…………やっぱり店長さんのクリームの方が美味しいです」
「重症というか、なんというか……じゃあ今度また行くね」
「なんか嫌そう」
「そんなことないって。私もあの店のケーキ結構好きだよ」
「世界一です! あれを食べたら、他のケーキなんてもう食べらないんだから」
「それはアレだよ。隠し味があるからだよ」
「隠し味? 店長さんは特別な物なんて使ってないよ?」
「店長さんじゃなくて、真帆の方だよ」
「私?」
「うーん。まぁ、そのうち分かるんじゃない?」
「……なんか、今日の咲ちゃん嫌い」
「あー酷い。怒ったから今日は真帆のおごり」
「……別に、五百円くらいいいけど」
「バイトしてる子の金銭感覚っ!」
翌日。
従業員用出入口の前で、真帆はおろおろしていた。
どうやって入ろうか、どう挨拶しようか。
その後ろで、華が楽しそうに笑っていることに、本人は気付かない。
「……なにしてんの?」
「わっ! 矢野さん! 華さんも!?」
しばらくして未来が現れ、三人は揃って店に入った。
「あのあの、この前は本当にご迷惑をおかけしました……」
制服に着替えながら、真帆はしょんぼりと華に声をかける。
華は少しだけ迷った後、本気で落ち込んでいる真帆に真実を伝えた。
それを聞いた真帆は安心したのか、ぐてーと床に座り込み、涙目になって言う。
「うぅぅぅ、勘違いでよかったぁぁぁ」
そんな真帆をよしよししながら、華は反対の手を口元に当てて、未来を見た。
「……なに?」
「店長さん達、本当はどういう関係なのでしょう」
その質問に未来は「こいつ妄想と現実の区別できてんの、できてないの、どっちなの」と混乱しつつ、そっけない態度で「さー」とだけ答えた。
「古い友人じゃないんですか?」
「よーしよし。今日も真帆ちゃんは可愛いですねー」
「なんですかその扱いぃ……」
うーと抗議しながらも直ぐに表情がほっこりする真帆。
それを横目に「やっぱバカだ」と呟きながら、未来は直前の質問について考えていた。
気にならないと言えば嘘になる。本人に聞いて見たい気がするけど、それは何となくダメな予感がした。だから遠回りしようと思うけど、当のキッカさんは様子がおかしい。もう面倒なので放置しようと結論付けながらも、やっぱり気になる。
華も同じようなもので、いや思考のプロセスはまるで違うのだけど、やっぱり気になる。
真帆はなでなでされている。
洋菓子店スタリナには、やはり曇り空を前にしたような雰囲気が充満していて、だけどその違和感を口にする者は現れない。なぜなら、直接的な問題は起きていないからだ。
いや客の前で従業員が客とケンカしたというのは常識的に大問題なのだが、偶然にも鍛錬された常連客しかいなかったこと等が理由で問題にはなっていない。
だから、異変は突如として現れた。
「……あれ、もう開店時間過ぎてますよね?」
ホールに出て客を迎える準備をしながら、真帆はきょとんとしながら時計に目をやった。
返事はなく、代わりに他のスタッフ達は難しい表情で互いの目を見た。
「何かあったのでしょうか?」
その呟くような声に、やはり返事は無い。
店の外を見ると、相変わらず多くの人の姿があって、だけど心なしか数が少ないようにも見える。
開店から十分ほど経ったとき、ようやく鈴の音が店内に響いた。
「いらっしゃいませ!」
元気良く真帆が駆けていく。
現れたのは毎日のように来ている常連客の一人。
彼は店内の様子を見て不思議そうに首を傾けて言った。
「今日は人が少ないね」
店内の様子は、やはり客の立場から見ても違和感を覚えるものだったらしい。
だって普段ならば、休日のスタリナには開店と同時に人が押し寄せ、昼のピークを迎えるまで空席が出来ることなんてないからだ。
「はい。何かあったんですかね?」
「うーん。あ、そういえば新しいケーキ屋さんが出来たとかなんとか」
「ケーキ屋さん?」
二人の話に、残る三人も耳を傾けている。
少しだけ考えて、真帆は昨日のことを思い出した。
「あっ、ゼアレク!」
その名を聞いて、キッカはピクリと眉を震わせた。
「そうそう、確かそんな名前だったよ。皆そっちに行っちゃったのかなぁ?」
「そんな……店長さんのケーキの方が美味しいのに」
「あはは。とりあえず、いつもの頼むよ」
「あっ、はい、分かりました!」
自然な流れで、一人の男性客は適当な席に座ってスマホを手に取った。
彼は毎朝ここでニュースなんかをチェックしながら、少し遅い朝食を取る。
一方真帆はとてとてと歩き、キッカに向かって元気よく言った。
「キッカさん! 宮城さん、いつものです!」
「……」
「……キッカさん?」
返事は無く、彼女はただ小刻みに身を震わせていた。
その異変は直ぐに他の二人にも伝わり、何事かと彼女に近寄って声をかける。
「顔色が優れないようですが、大丈夫ですか?」
「風邪なら寝てれば? 今日はみく達だけで大丈夫っぽいし」
だが、その声はキッカに届いていない。
「……なんで」
震える声で呟いて、両手で頭を挟み、ふらふらと後退する。
「おいこら、大丈夫かよ」
さっと後ろに回り込んだ未来は、危うく倒れかけたキッカの身体を支えた。
それと同時に、彼女が酷く震えていることに気付く。
そこでようやく、スマホでニュースをチェックしていた宮城も異変に気付いた。
「え、なに? みく日本語しか分かんないんだけど」
なぜ、どうしてと、イタリア語で譫言の様に繰り返している。
みくと真帆は言葉の意味は分からないものの、ただならぬ雰囲気だけを感じ取り、ただ困惑した。
一方で、華は即座に判断して、ただ一人の客の元に向かった。
「もうしわけありません。本日は臨時休業とさせていただきます」
「……うん。大丈夫?」
「はい。本当に、お見苦しい所を……よければ、また明日、ご来店ください」
「ああ、いいよ。気にしないで。キッカさんのこと、しっかりね」
「……はい。ありがとうございます」
気の良い人だったことに安堵しながら、華は宮城を見送り、何度も頭を下げる。
それを受けて困ったように笑いながら、宮城は店を出た――その直後だった。
「Perché! Perché! Perché!(どうして! どうして! どうして!)」
とても悲痛な叫び声が、店内に響き渡った。
鳴明街では、毎年夏に祭りが開かれる。
この地方は雨が少なく、交通の便もある。
地元の人、旅行客、海外からの観光客。
そして、祭りを盛り上げる数々のイベントがある。
言わば、大きな光だ。
その強すぎる光に負けじと、誰もが輝く。
だからこそ、より強い輝きが生まれる。
今の彼女達に、その輝きを生み出す力など、あるわけがなかった。
スタリナの厨房を使うのは、一人しかいない。
けれど一般的な洋菓子店と変わらず、四、五人のパティシエが同時に作業出来るだけのスペースがある。
大きな作業台には多くの道具が広げられて、数々の食材が適所に配置されている。
食材の量は、とても一人で扱いきれる量ではないし、道具だって、四人で使っても余る数が並んでいる。
だがそれを前にする職人は、やはり一人。
彼は、今日も一人でお菓子を作っていた。
作りながら、ほんの僅かに違和感を覚えていた。
いつもなら開店直後から大量のオーダーが来るのに、今日はまだひとつも無い。
普段ならクルクルと動き回る厨房で、しかし今日はまだ一歩も動いていないのだ。
時計を確認するが、やはり開店時間は過ぎている。
店を開いたばかりの頃ならば平日は常にこんな感じだったが、それでも休日に店が閑散とすることは無かった。
何かあったのだろうか。
その疑問が、彼を厨房の外に導く。
カタン、チリンチリン。
内と外、二つの扉が、同時に開く。
そして――彼らは、八年ぶりに再開した。