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洋菓子店の経営事情(3.5)

 夏休みの学校には、不思議な活気がある。

 大会を控えた運動部の声、音楽系の部活が奏でる演奏、演劇部の良く通る声。

 単純に音の大きさを比較するならば、夏休みに聞こえてくる音は普段よりも小さいだろう。

 だが、どちらが好きかと問われたならば、多くの人が夏休みと答えるに違いない。


 単純に、夏休みに学校にいる生徒のほとんどは、自主的に登校しているからだ。

 何かやりたい事があって、与えられた時間があって――

 自分の意思で何かをする時、人は最も輝いている。


 だから、夏休みは学校が最も輝く時だ。

 灼熱の太陽に照らされて輝く汗、友達と共に作り上げる思い出、笑顔。


 そんな空間にあって、しかし結城真帆の周囲は漆黒に淀んでいた。

 教室には学園祭の準備で集まった数人の生徒がいて、ほとんどは衣装などを作っている。

 真帆の近くには女生徒が一人だけいて、つまりは、彼女を慰めろという任務を受けた代表選手である。

 女生徒、山本咲は口を一の字にしながらうーんと呻って、やがてパンと手を叩いてから口を開いた。


「……真帆? そんなっ、うそ、いやよ真帆! 死んじゃやだよ!」


 椅子の上で膝に顔を埋める真帆に向かって、大袈裟に嘆く。


「……生きてるよー」


 気を抜けば聞き逃してしまうかもしれないような声で、真帆は答えた。

 咲は真帆との温度差に戸惑ったように笑うと、彼女の背をぺちぺち叩きながら言う。


「どしたの? なんかあったの?」

「……バイトで、失敗しちゃって」

「お皿なんていつも割ってるでしょ?」

「昨日は割ってないもん! でも……でもぉ!」


 うぅぅと泣き出した真帆の頭をよしよし撫でながら、咲は何があったんだろうと考える。

 でもちょっとだけ考えて「どうせいつもの……」と思いつつ、とりあえず慰めることにした。


「ほらほら、今日は真帆が主役でしょ! 真帆のお菓子が無いと始められないよ!」

「……かばん取って」


 なんだか幼い子供を相手にしているみたいだなと思いながら、真帆に鞄を渡す。

 彼女はもそもそと手探りして、やがてクマのワッペンが付いた可愛らしいビニール袋を取り出した。

 その中にはクッキーと思しき物が入っていて、なにやら雨粒のような形をしている。


「なにこれ? スライム?」

「……なみだ」


 なみだ、ナミダ、涙。

 少し遅れて理解して「今回はちょっとヤバイかも……」と咲はちょっとだけ本気で心配になった。


「何があったの? ほーら、咲ちゃんが聞いてあげるよー」

「……昨日、外国のお客さんが来たんです」

「うんうん」

「……それで、私、頑張って英語で英語が英語だったんですけど……何か失礼なことをしちゃったみたいで」

「良く分からないけど、何かやらかしちゃったんだね」

「……はい。お客さん、すごく怒ってて、店長を呼べって」

「あらら……」


 観光に来てる外人さんキレされるって、そりゃガチだなと咲は心の中で呟く。


「……代わりに、キッカさんが来たんですけど」

「ええっと、副店長みたいな人だっけ?」

「……はい。でも、なんでか、キッカさんと、その人がケンカになっちゃって……」

「え?」


 いやいや副店長さん何してるの。


「……うぅぅぅ、私のせいでぇぇぇぇ……」

「よーしよし、真帆は悪くないよー」


 流石にそこは大人がどうにかしなくちゃいけないと思う。


「外人さん……そうだ! 今日からね、なんか、ドイツで有名なパティシエさんがお店を開くみたいだよ?」

「……へー」

「ありゃ、興味無い? でも! 有名なパティシエさんなんだよ! ほら、真帆ってパティシエ目指してるでしょ? なら勉強になるんじゃない?」

「……いえ、店長さんに教えてもらっているので」

「あー、あははは……」


 そういや真帆は店長さんラブだったなーと咲は苦笑する。

 ……そうだ、これなら元気になるかもしれない。


「そういえば、最近はどんなこと教えてもらってるの?」

「……どんなこと?」

「うん。私、興味ある」


 流石の演技力というべきか、まさに興味津々といった声と表情を受けて、真帆の表情が少しだけ和らいだ。


「……実は、四日くらい前に、また、いろいろ教えてもらったんだけど……その時に食べたパンナコッタがすっごく美味しくて……えへへ」

「パンナコッタ? どんなお菓子?」

「えっとね、イタリアのお菓子で、プリンみたいなのだよ。でも店長さんのはオリジナルで、見た目は角砂糖みたいなんだけど、すっごくぷにぷにしてて。手で掴めるんだよっ。すごいよね!」

「うん、すごいすごい」


 手で掴めるプリン? などと笑顔の裏で目をぱちぱちしながら、咲はそれっぽい相槌で答える。

 見事に乗せられた真帆は、徐々に笑顔を取り戻しながら嬉々とした様子で語り続けた。

 無邪気でかわいいなーと、咲だけでなく教室にいる生徒達がほっこりとした気持ちで真帆の声に耳を傾ける。


「――本当に店長さんはいつも優しくて! なのに私はいつも迷惑ばかりかけてうわあああああん!」


 ダメだったかー、と彼方此方から溜息。

 流石の咲も笑顔を引きつらせながら、次の手を考える。


「よし! 美味しいものを食べよう! ほらっ、さっき言ったドイツのパティシエさんのお店! 行ってみようよ!」

「……美味しいものなら店長さんのケーキが食べたいです」

「どんだけ店長さんのケーキ好きなのよ……」

「世界一です」


 むすっと胸を張る真帆。


「うーん、でも真帆のバイトしてるとこって忙しいんだよね? シフト入ってない時に行くのって気まずいんじゃない?」

「……そうかも」

「ほら! ライバル出現なんだよ! 偵察だよ偵察!」

「……偵察」

「そう! 店長さんの為に!」

「……店長さんの、ため」


 実は、咲が話題の店に行ってみたいだけ。

 そんなこと知る由もない真帆は見事に乗せられ、果たして二人はこの日オープンした洋菓子店『ゼアレク』へ行くことになった。


 同時刻、真帆のバイト先である洋菓子店『スタリナ』は、比較的穏やかな時を刻んでいた。

 穏やかというのは言葉の意味であり、その小さくはない変化に、しかし売り上げの上昇に最も強い思いを持っていた彼女は気付けない。

 彼女の様子は普段と違う。

 それは誰が見ても明らかで、だけど誰にも理由を問う事など出来なかった。

 近付いてはいけない。そっとしておこう。

 そう思わせるような、他を拒絶する雰囲気が彼女にはあった。

 唯一彼女に声をかけられるとするならば、それは一人で無心にお菓子を作り続ける彼だけだろう。

 

 だからこその、停滞。

 まるで大きな雲が頭上でピタリと止まってしまったかのような空気が、この日のスタリナを支配していた。

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