天衣無縫の外食事情(後)
一時間ほど時間が経って、未香が智花親子を連れて店から出た後、未来は机に突っ伏した。
店内には他の客も増えていて、彼女達が静かになった代わりに周りが少しずつ賑やかになっている。
「えっと、大丈夫ですか?」
「……よゆー」
すっかり疲れた声を聞いて、真帆は苦笑いした。
その直後、店員が現れて彼女達の机に料理を置いた。
「大きいですね」
直径二十センチ程の円形の皿に乗った山盛りのポテトをマジマジと見て華が呟く。
「だって山盛りポテトですからねっ」
山盛りポテトという商品名。
無意味に胸を張って言う真帆が微笑ましくて、華はくすくすと笑った。
未来は突っ伏したままで何も言わない。
その空気が妙に恥ずかしくて、真帆は身を縮めた。
「この、二色のソースは何なのでしょう?」
「マヨネーズとケチャップです。混ぜても片方ずつでも美味しいですよ」
「なるほど。さっそく頂いてもよろしいでしょうか?」
「もちろんです」
返事の後、華はフォークを使って手元の小さな取り皿までポテトを運ぶと、ナイフで一口サイズに切り分けた。
その様子をぽかーんと見る真帆の前で、小さくなったポテトにケチャップとマヨネーズを少量ずつ付けて口に含む。
「……不思議な味です」
ポテトを完全に飲み込んだ後、今度はケチャップだけ、マヨネーズだけ。
「……なるほど、食べ比べてみると面白いですね」
そこでようやく真帆の表情に気付くと、俯いて赤面する。
「……すみません。一人で、先に」
「……え、あっ、いえ、そんな」
途切れ途切れに言った後、真帆は華に習ってポテトを切り分ける。
その様子を見ていた未来は、なにやってんだこいつら、と思ったが口に出すことはなかった。
「あの、矢野さんもどうですか?」
「……ん」
真帆に言われて、未来は体を起こす。
数秒間じっくり悩んでから、二人と同じ食べ方をした。
……やっぱり友達と食べるのは美味しいですね。
……ええぇっと、ナイフって右手? 左手? 華さんどっちで持ってる?
……普通に手で食べたい。
それぞれ心の中で呟きながら、数分前までの騒ぎが嘘のように静かな食事が進む。
ファミレスにおいてちょっと異質な空間を見て、周りの客はちらほらと彼女達を話題にするが、その視線にも黄色い声にも三人はまるで気付かない。
「そ、そういえば矢野さんとバイト以外で会うのって初めてですねっ!」
ただ沈黙に耐えられなかった真帆が、わざとらしい口調で言う。
「ん、そだね」
「ですよねー」
めげない。
「矢野さんの妹さん、かわいいですよねっ!」
「……ん、そだね」
「今日はどうしてガフトに?」
「あのチビが外食したいって騒いだから、消去法で」
「消去法ですか……?」
口に人差し指を当てて、不思議そうに首を傾ける。
近辺には、他にも様々な店がある。
「まずサイゼはヤニ臭いから論外じゃん?」
「やに?」
「タバコ臭いってこと。あんなとこにガキ連れてけねぇし」
「なるほど。確かに時間帯によっては酷いですよね」
「そゆこと。あいつ寿司は玉子と海老しか食わないし、ラーメンはいつも残すし、和食は外食っぽくないからやだとか言いやがるし……その点ガフトは優秀」
相変わらず眠そうな目で言った後、小さなポテトをパクリ。
それを見て真帆はどうしてか嬉しそうに笑う。
「なに?」
「……えっと、矢野さんって、やっぱりお姉さんって感じですよね」
「は?」
「正直、最初は怖い人なのかなぁって思ってたんですけど、とっても面倒見がよくて優しくて、ちょっとだけ妹さんが羨ましいなぁって」
「……バカじゃないの」
ぷいと顔を逸らしながら言った言葉が心と一致していないのは誰が見ても明らかだった。
その様子に、真帆だけではなく店内の雰囲気まで和やかになる。
だが、不機嫌になった少女が一人。
「あの、よろしいですか?」
トンと、静かに見ていた華が音を立ててフォークを机に置いた。
「真帆は私の妹なので。お姉ちゃんポジションは決して譲りませんので」
「バカじゃないの?」
ムムッと睨まれた未来は先程と同じ言葉を返す。今度はきっと、言葉の通りの意味だ。
そんな二人を見ながら、真帆は困ったように笑った。
「真帆、私の隣に来ませんか? 膝枕してあげましょう」
「えっ、ここでですか?」
「あら、確かにこの椅子で膝枕は難しいですね。では床にしましょう。ほら、真帆、ほら」
床に正座して、太ももをポンポンしながら真帆を待つ。
呆れた様子で溜息を吐く未来の横で、真帆は真剣に悩んだ。
……華さんの、膝枕っ!?
でも、こんなところで、でも、でもぉ!
「あの、お客様?」
「あら、すみません。私としたことが、道を塞いでしまっていましたね」
「……い、いえ、失礼しました」
そんなこんなで席に戻った華を見て、真帆は小さく肩を落とす。
「ところで、ちょうど皆さんお揃いなので、お聞きしたいのですが」
「なに?」
「この前のミーティング、てんてんの顔色が優れないような気がしました。皆さんはどう思われましたか?」
尋ねられて、真帆は、そうかな? と思いながらパチパチ瞬きをした。
「寝不足なんじゃね? あいつ朝早いっぽいし」
「そういえば、てんてんは毎日朝早くからお仕事をなさっているのですよね。それも一人で……心配です」
その言葉を聞いて、真帆は、そうか! と思いながらあわあわ口を動かした。
「どどどどうしましょう!?」
「うっさい」
「でもだって矢野さん! もしも店長さんが倒れたらどうするんですか!?」
「どうするって、どうしようもなくね? てか、心配したって仕方ないし」
「そんなそんなっ、薄情ですよっ!」
耳元で騒ぐ真帆を片手で押し退けながら、少しだけ真面目に返事をする。
「……まぁ、様子くらいは見に行ってやるよ」
それは、ごく普通の、きっとある種の模範解答だった。
おかしな点は無い。
隣で騒いでいた真帆も「ですよねー」とほっこりした表情になった。
だが、その言葉に違和感を覚えた者がいた。
なぜ、理由を求められた時に答えがあるとすれば「女の勘」だろうか?
「まるで、てんてんのお家を知っているかのような口ぶりですね」
笑顔で、少し高い声。
「ん。わりと前に行った」
「……い、行った、と、おっしゃいますと?」
「智花と一緒に一泊した」
「……い、いいいっぱ、いっぱ、いっぱくぅ!?」
ぐいっと机に身を乗り出して、未来に顔を近付ける。
驚いた真帆はさっと仰け反って、あわあわわあわわわと震えた。
「どどどどういうことなのでしょう!? てんてんのお家に一泊とはどういうことなのでしょう!?」
「落ち着けし。また店員に怒られんだろうが」
「おおお落ち着いていますよ!? 冷静に、ただ冷静に質問をしているだけですよ!?」
「……まぁなに? ちょっといろいろあったんだよ」
「いろいろですって!?」
「だーら落ち着けし。別になんもねぇよ」
「それはつまり、寝ている智花の横で、いわゆる男女の、の、の、のぉ、ぉ、いぃぃやぁあああああああああああ――!」
「いやほんと落ち着け!?」
「あの、お客様――」
果たして現れた女性店員を見て、未来は重たい溜息を吐きながら、追い出されるんだろうなぁと思った。
真帆はあわあわわあわわわわと震えていた。
「聞いてください! 私のお慕いしている殿方のお家で、他の女性がい、いっぱく、一泊なのですよ!?」
「――他のお客様のごめいわ……そいつはヤベェな」
「ですよねぇ!?」
「いや騒いでんのみく達だけど仕事しろ!?」
「なにあんた、こいつのコレの家で寝ちゃったの?」
女性店員は左肘を華の肩に乗せ、右手の小指を立ててゆらゆらさせながら未来に問う。
「ついでにその人と寝ちゃったの? もちろん寝ちゃったってのはそういう意味で」
「いやほんと仕事しろし。なんでノリノリなんだよ」
「あちゃー、お客さん。こりゃ残念だけど黒だぜ。漆黒の闇を覗いちまった気分だ」
「やっぱり!? はっ、で、でしたら、先ほどともかさんがママと仰っていたのは……」
「……そういうことだな」
「いやそういうことじゃねぇよ!? てか、あいつと、とか、マジありえねぇから!」
「タメがあったな。やはり黒だ」
「テメいい加減にしろよ!?」
「うそですわぁあああああああ!」
「テメェは黙れし!」
突然騒ぎ始めたことで、周囲の視線が集まる。
それに気付いた真帆は、あわあわわあわわわと震えながら、勇気を出して口を挟んだ。
「あ、あの、そんなに騒いだら……」
「おっとお客さん。そういやあんたはどうなんだい?」
「え? ど、どう?」
「ああ。その人のこと、あんたも好きなんじゃねぇのか?」
ガタッ、と音を立てて、華は真帆に顔を近付ける。
「そうなんですか……?」
「華さん、あの、怖いです」
「そうなんですかっ?」
「ええっと、店長さんのことは尊敬してますけど、好きとか、そういうのはよく分からなくて……」
ガタッ、と音を立てて、華は女性店員に顔を近付ける。
「あいつは脈ありだな。グレーだ。へっ、誰だか知らねぇが罪な野郎だぜ……」
「罪があるのはテメェだ、山田」
「……へ?」
地の底から響いたかのような声に、誇張ではなく店中の視線が集中した。
「て、店長、違います、違うんですこれは……」
「お客さん、わりぃけど帰ってもらえっか? 今からこいつを……教育するからよぉ」
「店長っ! 話を!」
「うるせぇ! 黙ってろ!」
店員と店長のやり取りの横で三人は静かにアイコンタクトを取り、ほぼ同時に立ち上がる。
「お騒がせして、申し訳ありませんでした」
「あの、その、ごめんなさい!」
「……失礼しました」
そしてそれぞれ別々のことを考えながら、店から出た。