天衣無縫の外食事情(前)
少し重たい扉を開けると、そこには狭い空間と、もうひとつの扉。
それを開けると、子供向けのガチャガチャと女性店員の元気な声が彼女達を迎えた。
「お客様は何名様でしょうか?」
「えっと、二人です」
案内された席は、入り口の直ぐ近くにある四人掛けのテーブル。
「この前は本当にありがとうございましたっ。おかげで赤点回避できました!」
「いえいえ。此方こそ、誘って頂けて嬉しいです」
休日の夕方。
この時間帯の店は空いていて、現に彼女達を含めて五組しか入っていない。
ただ若い客が多いからか、店内には活気が感じられる。
「私、友達とファミレスに入るのは初めてです」
「そうなんですか? 普段はどういうところに?」
「……静かなお店、でしょうか?」
「お、お上品な感じのところですかね?」
「お店に上も下もありません。その人に合うかどうかです。真帆と一緒なら、どこだって嬉しいですよ」
「……ありがとうございます」
真帆が早口で言ってメニューで顔を隠すと、華は微笑んで、もうひとつのメニューを手に取った。
「そういえば、おしぼりなどは無いのでしょうか?」
「……あっ、そこの袋に入ったのがそうです。ウェットティッシュみたいな感じです」
「あら、こんなところに」
少し恥ずかしそうにしながら、それを取る。
「本当に初めてなんですね」
そんな華の様子がおかしくて、真帆は少しだけ声を震わせた。
すると今度は華がメニューで顔を隠す。
「……なんだか喉が渇いてしまいます」
「あっ、私お水取ってきます」
「よろしくお願いします」
真帆が席を立ち、とてとてと歩くのを見送る途中、華の視界に見覚えのある人物が映った。
気になってピントを合わせると、偶然にも目が合う。
「お姉さま! お知り合いですか?」
真帆が席に戻ると、人が増えていた。
「あ、矢野さん。偶然ですね」
「ん」
手に持た水を机に置きながら、自分が座っていた場所の隣に座る人物に声をかける。
「一人で来たんですか?」
座りながら訪ねると、未来は鬱陶しそうな顔で妹に目を向けた。
それを追って、ようやく真帆は華の隣にちょこんと座る子供に気付く。
「初めまして。お姉さまがいつもお世話になってます。妹のみかです」
「……あっ! 少し前に矢野さんと一緒にお店に来てた子だ! 久しぶり~」
にこにこ手を振る真帆を見ながら、未香は笑顔の裏で首を傾ける。
だれだっけ? としばらく考え、やがて「あぁ!」と声を出しながら立ち上がった。
「見せパンの人だ!」
その一言に、店内の時間は一瞬だけ止まった。
「ちょちょちょちょっと矢野さん!」
隣に座る未来の肩をガンガン揺らす。
未来は鬱陶しそうに目を細めながら「なに」と一言。
「こっちが聞きたいです! 妹さんがあの、その! 妹さんが! 妹さんが!」
「あぁもう分かったし。おぃみか、椅子の上に立つな」
「……ごめんなさい」
しゅんとして未香が座った後、未来は真帆の手をどかしながら、これでいいでしょ、と目で訴える。
「よくないですよ! 注意するところが違います!」
「……あの、お姉さまを苛めないでください」
「え?」
不意に声をかけられて、真帆は動きを止める。
未香は口元で小さな人差し指を合わせ、大きな目を潤ませながら、途切れ途切れに言った。
「悪いのは、未香です。だから、お姉さまの、ことは……」
「あぁごめんねっ、えっと、大丈夫だよ?」
「……ほんと?」
「ほんとほんとっ、私こそ大きい声出して、ごめんね……」
二人のやりとりを眠そうな目で見ながら、未来は手元のコップに口を付ける。
彼女とは対照的に少し驚いた目で見ていた華は、同じく水を飲んでから未来に声をかけた。
「そういえば、もう一人の妹さんは、今日は一緒ではないのですね」
「あ? だれそれ」
「可愛らしい兎さんを抱いていた子です。てんてんがお店で預かっていた」
「……あぁ、智花ね」
どう説明しようか、面倒だから適当に流そうか。
そんなことを考えていたら、思わぬ声が飛んでくる。
「はい。あっ、お隣に。お母様と一緒だったのですね」
「は?」
何言ってんの? と思いながらも同じ方向を見る。
その雰囲気を感じ取って、真帆と未香も同じ様に目を向けた。
そこには大きな兎のぬいぐるみを抱いた幼い少女と、それをうっとりとした表情で見つめる母親の姿があった。
視線に気付いた智花は眠そうな目を四人に向ける。
きょとんと首を傾け、だが未来の姿を確認すると、途端に目を見開いた。
「ママ!」
「…………えぇぇぇぇぇ!?」
少しの間の後、真帆が絶叫する。
やけに騒がしい席に、なんだなんだと周りの目も集まり始めた。
「矢野さん子供がいたんですか!?」
「ちげぇよバカ」
「でもでも、今ママって!」
「おまえもアレくらいのとき先生のことママって呼んだりしたっしょ?」
「なるほど。でもあれ、よく見たら……あぁ! 店長さんの親戚の子!」
「は?」
なんだか疲れた様子で溜息をこぼす未来を見ながら、華はピタリと動きを止めていた。
……親戚? 妹ではないの? てんてんがそんな嘘を吐く理由は何? そういえばママって……でもでも年齢を考えたらおかしいよね? てんてんって海外にいたんでしょ? どういうことなの?
「ともかちゃんでしたっけ? 矢野さんって意外と面倒見がいいですよね。あの時は私も一緒に遊んだんですよ? ね、ともかちゃん」
いやいや働けよと心の中で呟く未来の後ろを通って、真帆は智花に近付いた。
「……あ、お菓子の人」
「わぁ、覚えててくれたんだぁ~」
えへへと表情を緩ませながら、智花の頭をなでなでしようと手を伸ばす。
だがパチンという音がして、真帆は少し遅れてから自分の手が叩かれたことに気付いた。
「気安く智花様に触れないで!」
「……すみません」
真帆が涙目になりながら言うと、智花はぴょこっと椅子に立って、母親の頬をペチっと叩いた。
「智花様……?」
「あやまって」
「しかし、私は智花様をお守りしようと……」
「言い訳しない」
「そんなぁ」
「人を叩くのは暴行罪っていう立派な犯罪。その歳でそんなことも分からない?」
「……それなら、智花様だって」
「幼女に殴られたなんて案件を取り合ってくれる司法機関が何処にある?」
「……ごめんなさい」
「違う。お菓子の人に謝る」
「……ごめんなさい」
「い、いえ、此方こそ」
ぽかーんとする真帆の前で、智花は「よくできました」と母親の頭をなでなで。
「いやいや待て待ておかしいだろ」
「ママ?」
思わず手振りまで付けて言った未来に対して、智花はきょとんと首を傾けた。
「この短期間で変わり過ぎだし。なにがあったし」
「ママ、強くなれって言った」
「……おう」
「お母さんのことを本当に守りたいなら、強くなれって。だから頑張って勉強してる」
「どんな勉強だよ」
「先生がいる」
「よし分かった。今度そいつに会わせろ」
再び智花はきょとんと首を傾ける。
そのタイミングを見計らったようにして、智花の隣の椅子に登った未香が大きく息を吸う。
「ともか! 偶然!」
「あ、先生」
「おまえが先生かよ!?」
「あの、お客様? 他のお客様のご迷惑となりますので――」