伊国少女の恋愛事情(3-4)
どうしてこんなことになっているのだろう。
「……あの、なぜロッカーに」
「口を閉じていてください」
トンという音に振り向くと彼が居た。
だけど何かを考えるよりも早くアリスの声が聞こえて、私は咄嗟に彼をロッカーに隠した。
彼だけを隠したつもりだった。
なのに気が付いたら、一緒に入っていた。
……どうしよどうしよどうしよ。
『あれぇ? キッカはどこぉ?』
マリーのおっとりとした声。
かなり近い。
どうしよ、もしも見つかったらこれ、どうしよどうしよ。
『先に入ったんじゃないか? 私達も早く着替えよう』
リザのキリっとした声。
これもかなり近い。
本当にどうして一緒に隠れてしまったのだろう。
彼だけを隠せば、どうにでも出来たのにっ!
「……あの、少し痛いです」
さっと、彼の口を手で覆う。
ありったけの思いを込めた目をぶつけると、どうにか伝わったのか頷いてくれた。
『あれぇ? 今何か聞こえなかったぁ?』
気のせいだよ、気のせい。
絶対に気のせいだからね。
『どこかにキッカが隠れてるんじゃない? たとえば、そこのロッカーとか」
アリス!?
『バカなことを言うな。キッカがそんな子供の様な行動をするわけがない』
『だよねぇ。先に入ってるんじゃないかなぁ?』
……助かった。
日頃の行いって大事。
『あははっ、それもそうだ……ね☆』
こつん、アリスは私達の入ったロッカーを叩いた。
驚きと一緒に全身が緊張する。
……やめて、だめ、こないで。
そんな時間が、どれだけ続いただろう。
『それでは、行こうか』
『うん。楽しみぃ。なんとかの湯とかぁ、いっぱいあるからぁ、昨日は全部回れなかったんだよぉ』
『あははっ、じゃあ今日はまだ入ってないとこにいこっか』
『そうだな。しかし、まずはキッカを見つけなくては』
『そうだねぇ』
こん、こん、足音が遠ざかっていく。
ちょっとした安心感と共に小さく息を吐こうとした途端、コンと、ロッカーを叩く音がした。
「ひっ」
思わず声が出て、慌てて口を押える。
どうしよ、今の、絶対に聞こえた。
『アリス? 何をしているんだ?』
『今の声なぁに?』
どうしよどうしよ。二人にも聞こえちゃってる。
『あははっ、ゲップしちゃった。さっきコーラ飲んだんだ』
『まったく。もう子供ではないのだぞ?』
『えー? あたしまだ十五歳だよ?』
『またまたぁ、えっとぉ、イギリスの中学校は何歳で卒業だったかなぁ?』
『あははっ、あたし天才だから』
『……やれやれ、私は先に行っているぞ』
待ってぇというのんびりした声と共に、また足音が遠ざかっていく。
だけど、直ぐそこにいるはずのアリスは動かない。
……これ、もしかして。
ある予感というか、確信を持って、コンとロッカーを叩いた。
小さな笑い声と一緒に、コンとお返事。
……やっぱり!
『おいてかないでよ~』
とっても楽しそうな声と一緒にパタパタと走る音。
その足音が聞こえなくなって少し、不意に腕を突かれた。
彼に目を向けて、手で口を押えたままな事に気が付いた。
慌てて手をはなすと、彼は少し苦しそうな呼吸を繰り返した。
「……ごめんなさい」
「……いえ」
自然と、呟くような声になる。
「……アリスの差し金ですか?」
「……」
返事は無い。
だけどこの表情は返事をしたようなものだ。
「……どうしてこんなことを」
「……いつか後悔しない為、女子更衣室へ侵入することになりました」
「……ごめんなさい、意味が分かりません」
どうして少し嬉しそうなの?
まったく、中身はまだ子供のままなんだから。
言葉遣いとかは少し良くなってきたのに。
あと勉強も。彼、何時の間にか六ヵ国語くらい覚えたし。
それから体だって、こんなに逞しく……たくましく――
あれ、これ、すごく、ちかいっ!
さっと離れる。
でも十センチも離れられないうちに背中が何かにぶつかった。
離れられるだけのスペースなど無い。
……わわわ、えっと、これは、どうし、どうしよ。
「……大丈夫ですか?」
なにその平気そうな顔~!
これじゃ私だけが意識してるみたいで、なんか、悔しい!
「……なんでもありませんっ。それより、今のうちに脱出しましょう。お話はそれからです」
少しだけ強い口調で言うと、彼はしゅんとした表情を見せた。
……そんな顔してもダメなんだから。
「……あなたがロッカーを開けてください。後ろ向きに開けるのは、少し難しいので」
「……はい、分かりました」
外に出たら何から話そうか。
そもそも彼はどうやって入ったのか。
そんな事を考えつつ、小さく溜息。
ふと温かい感覚に目を上げると、直ぐ近くに彼の顔があった。
「……なにか?」
「……な、なんでもありません。早く開けてください」
ふ、ふ、不可抗力だから。
これだけ狭いんだもの。
扉に手を伸ばしたら、それはつまり、自然と近付くというか、不可抗力だから。
大丈夫、ちょっとだけ、直ぐ終わる。
……男の人って、やっぱり女の人とは違うんだな。とても硬くて……あれ? なんだろこれ。お腹の辺りが、妙に温かいような――
「ちょ、ちょっと待って!」
思わず彼を突き飛ばそうと腕を伸ばす。
だけど当然、離れることになったのは私の方だった。
ドンと音を立てて背中がぶつかり、その勢いでロッカーが開く。
「あ、わっ、わっ」
そのまま倒れそうになった私は、何かを掴もうと手を伸ばした。
その手を彼が掴み、少しの衝撃と共に動きが止まった。
「……大丈夫ですか?」
その声に返事も出来ないまま、私の目はある部分に釘付けになる。
「……ああ、時々こうなるんです。不思議ですよね」
え、えっと、じゃあ、さっき当たってたのは、やっぱり――
慌てて逃げ出そうとして、妙に上半身が涼しいことに気付く。
それもそのはず、着替えの途中だったのだから。
文字通り、途中だったのだ。
「……っ!」
素早く身を隠して、恐る恐る彼を見た。
キョトンとした表情で、ロッカーの前に立っている。
その背後には、私の服。
あれを取らなければ、外に出ることは出来ない。
逆に残っている服を脱がなければ、温泉側に行くことも出来ない。
「……で、出て行ってください!」
「……すみません」
「いいから早く!」
「わ、分かりました」
ピシっと返事をした後、速足で去っていく彼を見送る。
その間、なんだかもう、自分が自分じゃないみたいな感覚に、ひたすら戸惑った。