伊国少女の恋愛事情(2-5)
「邪魔にならなければいいのだが」
「そんなこと、ありがとうございます」
「あたしも、面白そうだからコーチするね」
「アリス……ありがとう」
「俺も」
「あなたに教わることなんてありませんっ」
あの発表のショックから立ち直るよりも早く、その日の授業が終わった。
土日はともかく、授業後に自主練習をすることは珍しい。
次の授業までの時間は、多くの場合は休息か座学の予習に使われるからだ。
実技の課題は基本的に合格するまで終われない仕組みなので、残るという行為は、能力が低い人が行うという印象が強い。
世間体というかプライドの問題で、残ってお菓子を作るのは、よっぽど暇な時だけだ。
だけど、皆は何も言わず調理室までついてきてくれた。
「しかし、本当にどういった基準で評価したのだろうな」
ダニエルさんが難しい表情をして顎に手を当てた。
それを見て私も考える。
とにかく練習しなきゃとここに来たけれど、ちゃんと目的を決めて練習しなければ意味がない。
「……何がいけなかったのでしょう」
「うーん、キッカって座学は九割くらいあったよね?」
「はい。なので、問題は実技だと思っているのですが……」
これまでに受けた数々の課題は、全て平均以上の評価を受けている。
だけど、最下位。
どうして?
「……まぁ、今回は運が悪かっただけかもしれない。可能な限り早く気持ちを切り替えよう」
「……はい、ありがとうございます」
慰めの言葉は嬉しい。
でも気にするなというのは無理だ。
だって他の皆は上から十番以内に名前があった。
つまり、私はこのチームのお荷物ということになる。
そんなの嫌だ。
「あいつ……じゃなくて、オーナーに直接聞いてみたら? 今回の評価、あいつがしたらしいよ?」
「貴方は少し黙っていてください」
「……ごめん」
しゅんとした彼の肩をアリスがケラケラ笑いながらポンポンする。
まったく、オーナーをあいつ呼びってどういうことなの?
……でも、一理あるかも。
だけどそんなの、まるでオーナーの評価に不満があるみたいで……そんな失礼なこと出来ない。
「一度、自分でよく考えます。だから、私の事は気にしないでください」
「……分かった。健闘を祈る」
こんな返事をしたけれど、ダニエルさんは調理室に残っていてくれた。
それはアリスも彼も同じで、結局みんな残っている。
私が眉間に皺を寄せていると、彼は何も言わずにお菓子を作り始めた。
それを見て、ダニエルさんもお菓子を作り始める。
その様子にアリスがお腹を抱えたのはどうしてだろうと思いながら、私も手を動かした。
とりあえず、作る。
それから皆に講評してもらおう。
それで、何か問題が明らかになるかもしれない。
一時間くらいかけて、丁寧にリコッタ・クッキーを作った。
リコッタ・クッキーは、ふわふわしたソフトクッキー。
まずバターと砂糖を混ぜる。
次に卵とバニラを加えて、もう一度混ぜる。
それからチーズを軽く加えて、また混ぜる。
とにかく、ひとつひとつの手順をレシピ通り丁寧に行った。
まだ少し暖かいクッキーを皆に差し出す。
ダニエルさんはクッキーを手に取ると、口に入れる前にくるくる回した。
やっぱり彼は見た目に強い拘りがあるみたい。なんだか緊張してしまう。
対照的に、アリスとナーダさんは手早く口まで運んだ。
目を細くする二人を見て、やっぱり緊張してしまう。
「……なんか、紅茶が飲みたくなった」
ど、どういう意味だろう。
「え、紅茶? なんで?」
そうだよね。
レモンの爽やかな感じは、紅茶を連想させるよね。
うん、アリスの気持ち分かるよ。
ま、まったく、そんなことも分からないなんて……。
「なんとなく。うーん、あたしは好きだけど……え、どこか悪いとこある?」
「普通に旨いと思う……ダニーは?」
「ふむ……ルセットに忠実で、作り手の几帳面な性格が伝わってくる。味も問題ない……良いお菓子だ」
ダニエルさんが講評を口にした後、四人で揃って重たい息を吐いた。
本当に、何がいけないんだろう。
「……なぁ、ルセットって何?」
「あはははっ、空気読め」
彼が吐いた息にはどんな意味があったんだろう。
……はぁ、なんだか悩んでいるのがバカバカしくなってきた。
私と同じようなことを考えたのか、ダニエルさんは呆れたような口調で笑うと、部屋の隅にある時計を見ながら言う。
「さて、ほどよい時間になった。すまないが、先に部屋に戻るよ」
「え、まだ一時間しか経ってねぇよ?」
「俺の手は君のと違って繊細なんだ。長時間の練習は、明日に響く」
「だから、まだ一時間しか」
「キッカ、気持ちは分かるが、あまり無理をしないようにな。あの評価は、何かの間違いかもしれない」
ナーダさんの発言を無視して言った。
だんだんと、チームにおける彼の扱いが定着してきたような気がする。
「……はい。ありがとうございます」
ダニエルさんは手早く後片付けをして、ゆっくりと調理室から出た。
扉が閉まった後、アリスがうーんと背伸びをして言う。
「あたしもそろそろ寝ようと思うんだけど、まだ続ける?」
「お前も? まだ一時間しか経ってねぇよ?」
「一時間も経ってるの。このまま続けても進展しなそうだし、眠いし」
アリスの言葉を聞いて、考える。
確かに、このまま続けても進展しないかもしれない。
ここで無駄な時間を過ごすよりは、部屋に戻り、明日の準備をして、続く課題の中で考える方が有意義なのかもしれない。
だけど……。
「もう少しだけ、続けてみます」
「あははっ、そっかー、続けるのかー」
「アリス?」
「ううん、なんでもないよ。じゃあ……ふふっ、仲良くねー」
妙に上機嫌なアリスが調理室から出た後、私は目を閉じて、ゆっくりと息を吐いた。
何をすればいいのかは分からない。
何がダメなのかも分からない。
だけどきっと、これは自分で考えなければならないことで、絶対にどうにかしなければならないことだ。
「……よしっ」
グッと、小さく手を握った後、ふと気付く。
そういえば、彼はまだ残っていたのだった。
「ん? おぅ、頑張ろうぜ」
……恥ずかしい。
誰もいないと思って、やったことだったのに、しっかり見られてしまった。
茶化す様子はなくいつものヘラヘラとした笑顔を浮かべているのが逆にムカつく。
……ダメだ、集中しないと。
時間は限られているんだから。